2.きっと好きなのだけれど
「……はあ」
レーナは一人、家で悩んでいた。
あの日――初めてスフィアと出会ってからレーナには悩みの種が出来ていた。
勇者にそっくりで、けれど女の子のスフィアに、レーナは恋をした。
「出会ってすぐに好きですとか、言えるわけないし……」
レーナが悩んでいる事――それはスフィアが女の子である事だった。
仮にスフィアが男の子だったとしたら、レーナが好きになっても自然な形になったのかもしれない。
レーナ自身は男どころか、誰かを好きになる事なんてないと思っていた。
そう思っていたからこそ、いざそういう状況になってしまうと悩んでしまう。
それに、スフィアが受け入れてくれるかも分からない。
「まさかこんな事で悩むなんて……」
スフィアに会うと、レーナの胸の鼓動は高鳴ってしまう。
だから、あまりスフィアには会わないようにしていた。
友達になると約束したのに、レーナはいきなりスフィアの事を避けてしまっていたのだ。
「どうしたらいいのかなぁ……」
窓の外を見ながら、レーナはまたため息をつく。
かつて魔王だった頃の記憶にある悩んだ事と言えば、勇者の攻略速度や部下の裏切りのようなものだったが、こんな悩みは初めてだった。
――相談できるような相手もいなかった。
(そもそも、わたしはスフィアとどうなりたいんだろう)
これは素朴な疑問だった。
レーナが抱いているものが恋心だったとして、だから何だと言うのだ。
その気持ちがあるからと言って、相手と特別な関係にならなければいけないというルールもない。
自分がそうなりたいなら頑張るべきところだったが、レーナにはまだ分からなかった。
「……悩んでも仕方ないし、狩りにでも行こう」
レーナの結論は、普段通りに過ごしてみる事だった。
(――とは言ったものの……)
ちらりと、レーナはギルドの入口から中の様子をうかがう。
ギルドは木造二階建てだが、奥行きも含めるとそれなりの広さになる。
酒場も併用していて、いつでも飲みに行くこともできるわけだ。
レーナはスフィアがいるかどうかを確認していた。
だが、賑わう人々の中で、彼女の姿を確認するのは難しい。
彼女はしばらくここに滞在すると言っていたから、当然ここのギルドを利用する。
スフィアに出会わないようにと、ここ数日はギルドにも顔を出していなかった。
「――って、何でわたしが隠れないといけないんだっ」
レーナは前髪をいじりながら、自身に言い聞かせるように一歩踏み出そうとした。
「平常心、平常心……」
「あれ、レーナ?」
その声を聞いただけで、レーナの心臓は一気に高鳴った。
背後から声をかけられて、レーナは振り返る。
そこに立っていたのは、スフィアだった。
目を合わせておくだけでも少し緊張する。
レーナは思わず目を逸らしてしまった。
「ス、スフィア……」
「……全然見ないから心配しちゃったよ。どうかした?」
「ううん、何でもない、よ?」
レーナはぎこちない返事になってしまう。
会ってみて分かる――スフィアを前にすると緊張してしまう。
抵抗しようもないこの気持ちは、やはりスフィアの事が好きなのだと。
「これから仕事?」
「うん、何か行こうかなって……」
「そうなんだ。ボクもこれから行こうと思ってたんだけど」
「……うん」
「……その、また、今度良かったら……ね?」
「え?」
思わずレーナは聞き返してしまう。
今の流れなら一緒に行こうと言ってくれるかと思っていたのに、スフィアは誘ってはくれなかったからだ。
レーナが驚いたのを見て、スフィアも少し驚いた表情をしていた。
「あ、もしかして、ボクとでも大丈夫?」
「ど、どうして?」
「いや、その……正直言うとね。今の君を見ていたら、もしかしたら避けられているんじゃないかって思って……。ボクと君とじゃ実力にも差があるし……」
「そんな事ない! わたしはむしろあなたが好――」
言いかけたところで、一瞬言葉を詰まらせる。
思わず好きだから、と言いかけてしまった。
慌てて言葉を修正して伝える。
「……あなたと、一緒に行きたいと思ってたから」
レーナがそう答えると、スフィアはとたんに表情を明るくした。
レーナの手を握りながら、ぐいっと距離を詰めてくる。
「ほんと? 嬉しいよ!」
「う、うんっ」
(ち、近い……)
スフィアの近くにいるとどうにも調子が狂ってしまう。
高鳴る胸の緊張感を抑えるために、レーナはただただ冷静でいようと自身に言い聞かせるのだった。
***
レーナはスフィアと一緒に、森の方に来ていた。
とても簡単な依頼で、いつものようにレーナが受けている薬草の調達の依頼だ。
簡単な依頼ではあるが、需要のある仕事である。
何だかんだ、そのレベルになると受けようとする人数も減ってくるからだ。
――この世界における冒険者は、EからSランクに分類される。
その功績に応じてギルド側が判断し、個人に与えられるギルドカードにそのランクを刻む。
これらは一つ一つが魔道具となっており、ギルドの扱う特別な技術によって作られているため偽装も難しい。
もっとも、偽装したところで実力が伴ってなければ何も意味をなさないのだが。
Sランクの冒険者ともなれば、国家レベルの危機に応じた戦いをすることにもなる。
昔で言えば、魔王軍の幹部といった手合いの相手をする事もあった。
さらに上――Sランクの中でも圧倒的な力を持つ者はSSのランクを与えられ、未来永劫ギルドにその名を刻まれる。
その称号を得た者は過去に十人しかおらず、そのメンバーにはレーナ――かつての魔王であるイザールを倒した勇者の名も刻まれている。
(正直複雑だよね……)
魔王を倒した者が名を刻み、称えられるような冒険者ギルドの世話に、レーナがなっているのだから。
さらに、隣にはその勇者にそっくりな少女――スフィアがいる。
驚くほど似てはいるが、それでも言われれば女の子であるという事はよく分かる。
レーナと同い年くらいであると考えると、わずか十三歳でCランクの冒険者という事になる。
これは、普通に考えれば天才的な昇格の早さと言えるだろう。
「レーナ、どれくらい集まった?」
すっとスフィアが警戒する様子もなくレーナに近づいてくる。
警戒しないのは当たり前ではあるが、レーナはスフィアに近づかれるだけでも緊張してしまう。
冷や汗とかくとかそういう類のものではないが、とにかく心臓の音が耳に届くほどに高鳴ってしまう。
それでも、かつて魔王だった記憶を持つレーナが表立って動揺するような事は――
「え、えっと……こ、このくらい、かな?」
「わぁ、結構集めたね」
「ま、まあ……得意、だから」
物凄くあった。
目もろくに合わせられずに、レーナの口調もたどたどしい。
前世は魔王だった、と宣言しても誰も信じてくれないくらいには女の子になっていた。
丸分かりの動揺だが、スフィアは笑顔のまま接してくれている。
先ほど、レーナが一緒に行きたいという気持ちは伝えているからだろう。
薬草の採取などというEランクが受けるような依頼に付き合ってくれているのもそのためだった。
ただ、スフィアは時折興味深そうにレーナの腰に提げている剣を見ている。
スフィアが気にするのも無理はない。
今までレーナは動揺しても力を間違えて使ってしまうような事はなかったが、スフィアの前では一部とはいえ力を見せてしまっている。
それが魔剣を使った事によって発揮できたという事も、スフィアは知らない。
(そういえば……色々教えてほしいとか言っていたような……)
色々というのは、主にレーナの使った力についてだろう。
薬草採取の最中でもそわそわとスフィアがし始める時がある。
きっと、もっと奥地に行きたいとかそういう願望があるのだろう。
レーナにもそれは伝わってきたが、レーナの方から話しかける事がいまいちできていなかった。
(私からも話しかけないと、やっぱりダメだよね)
別に話しかけたくないわけではない。
ただ、目を合わせるのにも緊張するのに、自分から話しかけるのは少しハードルが高かった。
それでも今のレーナの気持ちに従うのなら、スフィアとはもっと話してみたい。
それが本音だった。
(初めてこういう気持ちになれたんだし……よしっ)
「ス、スフィアは、どこの出身なの?」
意を決しそう問いかけると、スフィアは明るい表情のままに頷いて、
「ボクは西の方にある《リカル》っていう村の出身さ」
「リカル……聞いた事はないけど、どんなところなの?」
「んー、何もないところだけど、それがいいところかな。果物とかは結構大きなところにも出荷したりとかしていたよ。レーナはここ出身なの?」
「うん、ここで生まれた」
「そっか。ここにはまだ来たばかりだけど、いい人も多くていいところだね」
「そうだね、正直助かってる」
(あれ、意外と自然に話せる……)
話しかけてみると、何のことはない。
ただ、視線を合わせたり、近づきすぎたりすると胸の鼓動が高鳴る状態は変わらない。
スフィアは話すときになると、話を聞こうとしてか近づいてくる。
誰にでもそうなのかもしれないが、距離感が近いタイプだった。
近くで見ると、やはりまだ幼さは残る顔立ちをしている。
勇者に似ているとは思うが、勇者と対峙した時には抱けなかった感情がそこにはあった。
(まあ勇者は男で、わたしも魔王だった頃は男だったわけだし……。けど、今は女の子同士なんだよね……)
元々記憶を取り戻す前は普通の少女のように暮らしていた。
だから、今のように少女らしく振る舞う事には違和感はない。
自然に――むしろ、魔王としての振る舞いを忘れてしまったくらいには、レーナは立派に村娘を全うしている。
スフィアもレーナから話しかけた事で、気がつけば表情は先ほどよりも明るくなっている。
スフィアはふと、何か思いついたように足を止める。
「あ、そうだ。この辺でさ、いい感じに鍛えられそうなところってないかな?」
「鍛えられそうなところ?」
レーナは首をかしげる。
この村の近辺には魔物は出るが、それでも比較的平和な場所で、鍛えられるような場所と言っても魔物と戦ったり、それこそ自身の身体を庭先で鍛えたりするくらいだ。
一応、レーナも魔剣の力だけに頼りきって生活しているわけではない。
人並み以上には鍛えてはいる。
ただ、それでも魔剣がなければEランク相当の冒険者くらいが妥当なところだろう。
「あんまりないと思うけど……どうして?」
「いや、レーナってすごく強いからそういうところがあるのかなーって」
「あ、あー……それね……。あれはわたしの必殺技、みたいなもので……」
「必殺技!? ボクそういうの好きなんだよっ。どうやって会得したの?」
「え!? えっと……っ」
適当にレーナは流すつもりだったのだが、スフィアの食いつきは想像以上だった。
目を輝かせて、レーナの方を見つめる。
(うっ、そんな純粋な目を向けないで……っ)
レーナは答えに迷う。
魔剣の力です、なんてとても言えるわけがなかった。
「そ、それは……」
「あ、ごめん。そうだよね」
レーナが迷っていると、スフィアの方から引いてくれた。
「必殺技の習得なんて、簡単に教えられる事じゃないもんね!」
「そ、そう! そういう感じ!」
どういう感じだ――レーナには分からなかったが、一先ずは誤魔化す事ができたのだった。
短編より先で少し書いていたところです!