1.恋心という名の勘違い
レーナ・ホリックには前世の記憶がある。
それはこの大陸を支配していた《魔王》イザールとしての記憶だ。
強大な力を持って、支配地域を大陸全土へと広げようとしていたところで、勇者と呼ばれた男によって倒された。
それがレーナの持つ記憶――その記憶をもとに、かつてイザールが使っていた《魔剣》フォルスを手に入れた。
各所にイザールが使っていた魔剣があって、その一つを拝借したというわけだ。
これを持ってレーナは小さな村の娘でありながらも、そこらの魔物なら簡単に蹂躙できる力を手に入れた。
魔剣と前世の魔王としての記憶――この二つが揃っているなんて、きっと神様がチャンスをくれたに違いないと、レーナは考えていた。
「よし!」
レーナは鏡の前に立つ。
今の時期、温暖な気候だから上はシャツ一枚。
下もショートパンツと動きやすい格好だ。
腰のベルトは少しお洒落をしようと町で買ってきた模様のある皮ベルド。
そこに《魔剣》フォルスを提げ、首元には村の近くの鉱山で取れる《ネジャ》と呼ばれる宝石を飾る。
やや赤色がかった髪を長く伸ばして、活発的な服装に対して肌は白い。
整った顔立ちをしていて、瞳の色は髪色と同じくやや赤みがかっている。
まだ十三歳という年齢を考えても、将来性も含めれば――
「正直、結構可愛い方だとは思うんだけど……」
そうは思いながらも、他人にそんなことは言わない。
(正直、そういう事は人には言えないよね)
レーナは魔王ではなく、誰よりも常識的で普通な女の子だからだ。
けれど、ちょっとした問題もある。
男の人を見ればかっこいいと思うことはあっても恋愛感情を抱けない。
女の子の方がむしろ、レーナにとってはまだ好みだということだ。
それでも、誰かを好きになるような出会いをした事はない。
「ま、興味もないからいいんだけどね」
きゅっと髪を後ろで結んで、レーナはくるりと反転する。
魔剣があればどんなところでも容易く行ける。
けれど、レーナのすることは決まっている。
「さて、今日も薬草でも集めようっと!」
魔王だった頃のことなんて、もうどうでもよくなった。
日々ストレはス溜まるし、強くても反乱は起こるし、その上命を狙われるのは日常茶飯事だ。
人の身体になってからは痛いのも嫌いになっていた。
力があるならそれを使って楽しく生きたい――それが今のレーナの生き方だった。
***
バオル大陸の東北地域――ネイラル。
その中でも田舎と呼ばれるところにある村、ウェヘル。
そこでレーナは暮らしていた。
母はレーナを生んですぐに亡くなった。
父もレーナを育てるために冒険者として活動をしていたが、魔物との戦いで大きな怪我を負い、それが原因で亡くなってしまった。
幼くして天涯孤独の身となったレーナは、村の近くにある祠にお祈りを捧げようとしたとき、レーナを呼ぶような感覚と共に記憶が蘇った。
その祠に封じられていた魔剣がレーナの記憶を呼び起こしたのだった。
レーナは一人でも生きていくことができる力を手に入れた。
村人達もレーナの身を案じて優しくしてくれており、幼いときからレーナは十分幸せな毎日を送っていると感じていた。
「おう、レーナ! 今日はどこに行くんだ?」
「おはよう、おじさん。今日も薬草採りだよ」
村で鍛冶屋をやっているおじさん――ゼンジだった。
ゼンジは見た目こそ怖いとよく言われるが、気さくで優しいおじさんだ。
坊主に顎鬚、それに筋肉質な身体とタンクトップというところがやや誤解を招きやすいのだと思う。
村にやってくる人と言えば冒険者くらいなものだから、そこまで気にもしないのかもしれないが。
「森の方に行くのはいいが、気を付けろよ。昨日、この付近でブラック・グリズリーの足跡が見つかったらしいからな」
「ブラック・グリズリー? 珍しいね」
「おう。お前が強いのは知ってるが、そいつを見たら逃げるんだぞ」
「はーい」
ゼンジの話を聞いて、レーナは頷いて答える。
ゼンジはレーナの強さを知っている――そう言っているが、実際のところは何も知らない。
レーナが持つ魔王の記憶とその魔剣の力を、この村で発揮したことはほとんどないからだ。
ちょっと力を使えば大抵の魔物は倒せる。
だから、そのちょっとの力がこの村におけるレーナの評価だった。
下手に目立たない方が生活する上でも困らないからいいのだけど。
いつものように村の門を抜けて、レーナは森の方へと歩いていく。
森まではそれほど距離はない。
薬草の生えている位置は比較的森の奥の方になるから、女の子一人で行くには少し危ないかもしれない。
「なんて、そんなわけもないよね」
すっと腰に提げた剣に手を触れる。
レーナならまずその心配はなかった。
それに、村の付近の森にはそれほど危険な魔物も出ることはない。
田舎の方の村と言っても、冒険者はどこにでも存在しているからだ。
魔物狩りや素材集めを主流にしている冒険者――EからSランクまで存在している冒険者の中でも、ここにいるのはCランクくらいの冒険者だったが、この森ならそれくらいいれば十分だ。
レーナが本気を出せば、Sランクの冒険者も余裕ではある。
だが、レーナのランクはEだ。
ここ最近冒険者になったばかりで、薬草集めをしているのもちょっとした小遣い稼ぎになるから始めた。
冒険者としての高みを目指すかどうかは、これから決めるつもりだ。
何しろレーナはまだ若い――考える時間は十分にある。
「この辺りにしようかな」
比較的奥の方までやってきた。
見渡すと、そこらに《ネレン》と呼ばれる薬草が生えている。
主に切り傷なんかに使えるけれど、煎じて飲むと胃腸にも有効だ。
薬草を刈り取って、レーナはカバンの中に入れていく。
こういう作業にも大分慣れた。
「これくらいでいいかなー」
薬草の束がいくつかできあがった。
森の中に入ってからまだ一時間が経過しないくらいだ。
「……そういえば、ブラック・グリズリーが出たとか言ってたっけ」
先ほどのゼンジとの会話を思い出す。
ブラック・グリズリーは単独で行動する魔物だ。
指標となる冒険者のランクはC――ちょうど、この村にいる冒険者の中でも最高クラスに該当する。
滅多に村の方まではやってくることはないけれど、時折足跡が見つかることがある。
そういうときはあまり森の方へは行かないようにと伝えられ、特に冒険者以外が森の中に入ることは禁止されることもある。
だから、レーナは冒険者として一応活動をしている。
制限されても勝手に入ればいい話ではあるのだけれど、問題にならない資格があるなら持っておいても損はないと考えた。
「せっかくだし、倒していこうかな」
村の人たちには世話になっている。
森の近くの川ではよく水浴びをする人達が見られる。
そちらの方もブラック・グリズリーがいて向かうことが禁止されると、村の人たちも困るだろう。
レーナはそのまま、さらに奥の方へと入っていく。
ブラック・グリズリーは樹液を好む。
そこらの木でも樹液は見られるが、森の中でも特に樹液の多い場所――樹液ゾーンというものがある。
珍しい虫が取れたりする場所でも有名だけれど、ブラック・グリズリーならそこの付近を狙って滞在していてもおかしくはない。
その場所を目指す途中で、
「グゥルルルル……」
喉を鳴らし、涎を垂らしながらそいつはやってきた。
立ち上がれば体長は二メートルを越える。
漆黒の毛並みは硬さもあり、剣でも簡単には斬れない。
耳と鼻がピクピクと動いているのはちょうど獲物を探していた、というところかもしれない。
(……そうだとしても、やけに気性が荒いような? まあいいか)
トントンッと地面を足で叩くと、ブラック・グリズリーの耳が反応する。
ぐるりとレーナの方を向いて、鋭い牙をむき出しにする。
地面に落ちていた枝をパキリッと砕き、一歩前に進んできた。
レーナは剣に手をかける。
向こうはすでにレーナを間合いに捉えているつもりなのだろうが、
(それはこっちも同じなんだよね)
剣の柄を握る。
そのタイミングで、ブラック・グリズリーが地面を蹴った。
巨体の割には素早く、瞬時に間合いを詰めてくる。
それに合わせてレーナが剣を抜こうとしたところで、
「あぶないっ!」
声と共に、茂みから人陰が飛び出した。
ぶつかった衝撃で、バランスを崩す。
突然のことで、レーナも反応できなかった。
(だ、誰!?)
飛び込んできた人の顔を確認する。
そのとき、ドクンッと心臓が大きく鳴った。
(え――)
見た瞬間、記憶の中にあるその顔が思い出されたからだ。
レーナを打倒した存在――勇者にそっくりな顔があったからだ。
そのまま押し倒されるように、レーナは地面へと倒れ込む。
レーナは慌てて、もう一度確認する。
少しだけ長めな黒い髪に黒い瞳――勇者に比べると随分とかわいらしくなった顔をしているが、それでも似ていることはよく分かる。
そのせいか分からないけれど、レーナは心臓の鼓動がとても早くなっていることに気付いた。
とても短い時間だというのに、見れば見るほどレーナの緊張感があがっていった。
(こ、こんなこと今までなかったのに……)
何が起こったのか、レーナには分からなかった。
ただ、男の子に押し倒されたという事実だけがそこにはある。
その相手が、とても勇者に似ているということはあったが、それだけでこんな気持ちになるだろうか。
「君、大丈夫!?」
「は、はい……」
レーナが頷くと、ほっとしたような表情をする。
そしてすぐに表情を引き締めると、勇者似の男の子はすぐに立ちあがる。
ブラック・グリズリーもこちらを向きなおした。
よく見れば、男の子は肩から出血していた。
「そ、その傷……わたしを庇ったときに?」
「ううん、違うよ。これはボクがこいつと戦っていたときのものだ。ごめん、まさか君みたいな女の子がここに来るなんて思わなかったから」
そう言いながら、男の子が剣を構える。
シンプルな直剣だった。
勇者が使っていたものによく似ていて、どこまでも以前の記憶を刺激してくる。
けれど、その実力は勇者からかけ離れたもののようだった。
「グォオオオオッ!」
「くっ!」
男の子が剣を構えるが、それよりもブラック・グリズリーの振るう腕を防げるとは思えない。
レーナは咄嗟のことで、手加減も忘れて剣を抜いてしまった。
「――ガアアァ!?」
スパァン、という鋭い音が周囲に響き渡る。
男の子の横から跳んだ刃のような衝撃波は、そのままブラック・グリズリーの腕を切断した。
地面にも滑るように衝撃波は進んでいき、次々と木々をなぎ倒していく。
突然の出来事に、ブラック・グリズリーも悲鳴をあげてその場から走って逃げていく。
その場に残されたのはレーナと、男の子一人だった。
男の子が驚いた表情でレーナの方に振り返る。
(や、やっちゃった……!)
今まで誰にも見せたことのない魔剣の力――一部とはいえ、いつもよりも多めに魔力を放出してしまった。
衝撃波が通った地面は割け、太い枝も物ともせずに切断している。
それが数十メートル先まで続いていた。
男の子と目が合ったとき、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
見られたときのために誤魔化しの一言でも言うつもりだったのに、なぜか緊張して言葉が出ない。
「君……」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
レーナ自身驚くくらいの声が上擦った。
恥ずかしくて死にそうだったが、それ以上に何を言われるのかが気になった。
男の子は、レーナの手を握る。
びくりと身体が震えて、思わず目を瞑ってしまう。
「すっごく強いんだね! ボク驚いちゃったよ!」
「……え?」
耳に届いた言葉は、レーナを褒める言葉だった。
ちらりと男の子を見ると、羨望の眼差しでレーナを見ている。
見れば見るほどよく分かる――勇者にそっくりだ。
(そっくりなのに……どうしてこんな……)
胸の鼓動が抑えられない。
生まれてからは初めての感覚だった。
それに近しい感覚を味わったとすれば、勇者との戦いの中に感じた恐怖という感情。
(怖いなんて、全然思えないのに……これってもしかして、恋!?)
「あ、ごめんっ。馴れ馴れしかったよね」
「い、いや、別に大丈夫だけど……」
「ボクの名前はスフィア。スフィア・エルダーっていうんだ。君は?」
「わ、わたしは、レーナ・ホリック、だけど」
「レーナか。いい名前だね」
「……っ」
はにかんだ笑顔でそう言われて、レーナの顔が熱くなる。
レーナはこのとき確信した。
(これが、恋心っていうものなんだ……)
魔王だった頃も、転生して人になった今でも感じたことのないもの。
高鳴る胸の鼓動に、抗えない緊張感――いつぞやに部下から聞いたことのあるものだ。
レーナはそんな感情はないと一蹴したものが、今になって生まれるなんて、思いもしなかった。
それも、勇者に似た相手に恋心を抱いてしまうなんて――
「ボクはまだCランクの冒険者なんだけど、君くらいになるとAランクくらいなのかな? 同い年くらいだと思うんだけど、尊敬しちゃうよ」
「え、いや……わたしはEランクだよ」
「ええ!? そんなに力があるならもっと上を目指した方がいいよ!」
「う、うん。考えてみる」
「ほんとに驚いたよ。年齢もそうだけどさ、女の子でそれだけ強いんだから。同じ女としても尊敬するよ」
「あ、ありがとう――え、女?」
そこで、レーナは驚いて聞き直してしまった。
きょとんとした表情をしたスフィアは何かを理解したように頬をかいて苦笑いを浮かべる。
「あー、よく勘違いされるんだよね。ボクも一応女の子なんだよ?」
「そ、そうなんだ……」
「うん。ちょっと修行の旅をしていてね。ここはボクにとってちょうどいい修行の場所になるかと思ってきたんだけど、まだまだ修行が足りないなぁ」
「そんなことないと思う。わたしを守ってくれようとしたし……」
「逆に守られちゃったけどね……。あ、しばらくここに滞在するつもりなんだけど、よければボクと友達になってくれないかな? 君には色々と教えてほしいこともあるんだ」
「友達……」
「ダメ、かな?」
「ううん、よろしくね――スフィア」
「こちらこそ、レーナ!」
レーナはスフィアと握手を交わす。
心臓の音が聞こえていないかどうか、それだけが心配だった。
初めて抱いた恋心――その相手は勇者に似ていて、女の子だった。
けれど、そんなこと関係なかった。
だって、レーナが初めて抱いた気持ちなのだから。
――レーナ・ホリックは初めて人に恋をした。
このときはそう思っていた。
実際には勇者の末裔であるスフィアに魂が拒否反応を起こしていたという事実に、レーナは気付く事はできなかったのだ。
とりあえず短編分を少し修正した一話だけ始めておきます。