四節 虚しき勝者
漆黒のブレイバーが手を離すと、二体のブレイバーは一気に距離を開けた。
レンズを打ち抜かれ、カメラが使えなくなったジョーは、外ハッチを開きキャノピーを剥き出しにする。
マシン・ウォーリアの目が使えなくなったのはガスも同様のようで、ダーク・ブレイバーもキャノピーを露出していた。
『ちいっ!』
悔しがるガスの声が、焦るジョーの脳裏に虚しく響く。
ダメージを与えたとはいえ、それはジョーの操るブレイバー・キサラギも同じ状況だ。
そして結局のところ、圧されているのにも変わりはない。
ガラス越しに睨んでいるガス・アルバーンは、どこか精神的な余裕があるようにジョーには見えた。
ジョーにはそれが、勝利を確信したからなのか、あるいは狂っているからなのかを判別することはできない。
だがガスの額に巻かれた鉢金型ヘッドギアは、そんな彼の自信を彩る最高のアクセサリーであるようにジョーには思えた。
『小癪な真似をっ!』
『やって来たのはそっちだろっ!』
白光と暗黒が、再び互いの距離を詰め始める。
踵の駆動輪を鳴らし、急加速して迫る。
十分に距離が縮まると、ダーク・ブレイバーが剣を振り上げた。
その瞬間を見逃さないジョーは、キサラギにその脇を抜けさせる。
ダーク・ブレイバーはそれを追って旋回するが、バスター・ソードの一撃は空を切った。
――いや、キサラギは躱しきることが出来ず、剣の切っ先は背中のバッテリーパックを掠っていた。
ジョーは機体を僅かに揺らす衝撃に、冷や汗を流す。
バッテリーの破損という、最悪の事態だけは免れたことをジョーが確信すると、キサラギは翻った。
『これだけ強くて、アンタは一体何がしたいんだっ!』
ジョーは叫ぶ。
この意味の分からぬ戦いの、是非を問う。
そして復讐の先に何があるのか、提起する。
『決まっている! 天下に我が名と武勇を知らしめるのだっ!』
『そうまでして人の上に立ちたいのかっ!』
『そうだっ! 私は地上最強の男となり、全てを手にした絶対的な勝者とならなければならない! そして――!』
ダーク・ブレイバーが、再び剣を構えて突撃する。
鬼気迫るダーク・ブレイバーの挙動に、ジョーは恐れを抱いた。
『証明しなければならない! 『ジョー』などという男は、もう不要なのだと!』
『そんな理由でこんなことをっ!』
ジョーは、ガスの言葉の意味を正しく理解していなかった。
自分が目障りだから殺そうとしているのだと、その程度の認識であった。
……彼は気が付いていない。ガスの言う『ジョー』が、ブレイバーを操っている人物のことではないのだと――
ヒート・バスター・ソードが左から切り上げられ、殺意という熱を帯びてキサラギに迫る。
ジョーはブレイブ・センスの中で、丁寧に剣筋を舐め、軌道を掴む。
同じ領域に達しているガスを前にして下手に動けば、それだけで命取りになってしまう。
一歩間違えれば容赦なく胴体を切り裂く刃を前に、ジョーは気が狂いそうな程の恐怖と格闘した。
まるで崖っぷちを目指す、チキンレースのような感覚を極限まで耐える。
そしてジョーは、緋色の刃がキャノピーをかち割ろうとした一寸ほど手前で――
キサラギを、スライディングさせた。
『仕留めそこなった!?』
ガスの驚愕の声をかき消すように、バスター・ソードが建物を破壊する。
後ろに倒れ込んだキサラギは、すれ違いざまにヒート・サムライ・ソードで足を狩ろうとするが、それもかなわない。
ダーク・ブレイバーはすぐさま剣から手を離し、大きくジャンプして回避したのだ。
ジョーがキサラギを立ち直らせると、ダーク・ブレイバーも剣を取り、建物から振り抜く。
そしてジョーは――
『――危ないっ!』
激戦の中で、親子を発見した。
ダーク・ブレイバーの打ち崩した煉瓦が、逃げ遅れていた母子の頭上に降りかかる。
母親は娘を押し倒し、その身を盾にしながら煉瓦の波に呑まれていった。
ジョーは、横目でその様子を眺めていることしかできなかった。
ガス・アルバーンとダーク・ブレイバーを前にして、大きな隙を晒すような余裕などなかったのだ。
後悔と怒りが、ジョーの胸の中で渦巻いて肥大化し、やがてそれは憎しみへと変わる。
ジョシュアのような、己の身勝手を通すために平気で他人を巻き込む人間を、ジョーは許すことが出来ない。
そして今ガスも、ジョーにとっての許してはならない人間の一人に、明確に加えられることになったのである。
『……無関係な人間を巻き込んでまで、そんなにアンタは勝ちたいのかよおぉっ!』
『黙れ! 貴様とて、勝利を得るために多くの屍を築いてきたはずだ!』
二体のブレイバーが再び向かい合う。
機能していない機械の瞳に代わり、操縦する二人の戦士が睨み合う。
『僕は逃げる人間を無意味に殺したことなんかない!』
『自分よりはるかに劣る雑魚を蹴散らすことと、何の違いがある! 私は覚えているぞ! 我が盟友アルフレッド・ポールソンは、貴様によってゴミのように殺されたことを!』
アルフレッドの叫び声を、今でもジョーは鮮明に思い出せる。
ジョーは、彼を殺めたことに後悔がないとは言えない。それは間違いなく、自身を取り巻く状況に変化を与えたのだから。
だが選択としては、間違いではないとジョーは思っている。
果敢に立ち向かってきたアルは間違いなく戦士であって、戦いに身を投じる人間であったからだ。
それを、民間人を無意味に傷つけることと一緒にされては、ジョーとしては堪らない。
『うるさいんだよ! 訳の分からないことばかり並べたてて!』
『元より貴様に理解してもらおうなどとは考えていない! 力を持つ者には――ブレイバーを操る者にとっては、当然の権利なのだからな!』
『そんな理屈が通ってなるものかよっ!』
ブレイバーは、加速した。
互いの意思を押し通すために、互いの正義を否定するために――
その手に剣を構え、対峙する敵へと襲い掛かる。
『……応えろブレイバー』
ジョーは呟く。
拡声器のスイッチが入っていることなどお構いなしに、独り言を垂れる。
彼にとっての『ブレイバー』が、どのような力であるべきかを見つめ直すべく、叫ぶ。
『――お前がマシン・ワーカーの子孫で!』
ジョーにとって、マシン・ウォーリアは救世主の子孫だ。
いくら両親を死に追いやり、彼自身をも命の危機に陥れたのがジョシュアなのだとしても――
六才のジョウ・キサラギを救ったのは、間違いなくマシン・ワーカーなのだ。
その時見た『光』は、ジョーの原動力なのだ。
マシン・ワーカーの子孫ならば、マシン・ウォーリアも『光』をもたらす救世主でなければならないと、ジョーは信じている。
『――僕の名を継ぐ者なら!』
ジョーにとって、キサラギことブレイバー・ジョウは自身の分身であり、手足だ。
己が使命を悟った彼の、新たなる力である。
自身の名が冠されていることを、ジョーは偶然だとは考えていない。
ならば、その在り方もジョウ・キサラギを体現しなければならない。
彼が、アークガイアという世界によって狂わされる前――
そう、純粋にマシン・ワーカーの操縦士を目指していた、あの少年の心を表現する機械でなければならない。
『守って見せろ! 救って見せろぉぉぉぉっ!』
そしてジョーは、ダーク・ブレイバーの剣の間合いに入ったその瞬間――ブレイブ・センスを発動させた。
今までにないほどの透き通った感覚が、彼の心を支配する。
世界がスローであることに加え、これから起こることが何となくわかってしまう。
直感や先読みなどではなく、当然の思考として次に起こりえることが予測できた。
本能に導かれ、ジョーはキサラギを操る。
ダーク・ブレイバーの切り上げがキサラギを襲う。
確実に腹部を狙い、殺しにかかる一撃が、彼に死をもたらさんと降りかかる。
『お前が勇者を名乗るのならば、『光』を僕に見せてみろっ!』
激情に駆られながらもあくまで冷静なジョーは、ダーク・ブレイバーが攻撃モーションに入った瞬間――既に次の手を打っていた。
キサラギの腰のサイドアーマーが唸りを上げる。補助噴射機は地に風を吹き、白き光のブレイバーは天へと昇る。
飛翔したと言っても過言ではない大ジャンプで、敵の視界から逃れて見せたのである。
頭上を飛び越えられた黒き闇は、剣を振りぬいた勢いのまま後方へ振り向く。
剣を構えなおし、光が降り立つ瞬間を逃さんとばかりに警戒心を露わにしている。
だが再び現れたその姿は、『光』と呼ぶにはあまりにも攻撃的であった。
――そうキサラギは、稲妻のごとく降り立ったのだ。
重力によって勢いの増したキサラギは、着地と同時にヒート・サムライ・ソードを胴に向けて振り下ろす。
地を破壊する轟音が鳴り響き、あまりの衝撃にキサラギの足が呻く。
だが、キサラギの刀がダーク・ブレイバーの胴を掠ることはなく、切っ先が左の前腕だけを切り裂いた。
ダーク・ブレイバーは咄嗟に一歩下がり、ダメージを減らしたのである。
『避けられたっ!』
目の前にいるにも関わらず、反撃はない。
ダーク・ブレイバーは残る右腕を少しだけ持ち上げたかと思うと、何もせずに引き下がる。
ヒート・バスター・ソードを引き摺り、ジョーから見ても分かるほどに余裕のないバック走行で、距離を取った。
片腕が損傷したことで、バスター・ソードが振り回せなくなったのだろうかとジョーは考える。
そしてその推理を裏付けるが如く、ガスが慌てふためいた。
『馬鹿なっ!? 圧されたのかっ!? この私がっ!』
ダーク・ブレイバーが、ヒート・バスター・ソードから標準サイズの剣を引き抜いた。
鞘のようになっていたバスター・ソードの剣身は打ち捨てられ、その中からプロトやジークの持つような、片刃のヒート・ソードが現れる。
同時に剣の柄に残留していた左前腕部分が振り払われ、地に転がった。
『……この期に及んでは認めよう! 超常感覚の鋭さでは貴様の方が上だと! だがしかし――!』
数度剣を振るって見せると、ダーク・ブレイバーは走る。
これから行われる攻撃が、これまでに幾度となく彼を苦しめてきた戦法であろうことは、ジョーにも簡単に想像ができた。
突き立てるようなその剣の構えに、ジョーはストライカーの姿を幻視する。機体色こそ真逆だが、脅威であることは変わらない。
ましてや相手はブレイバー――そして、超常感覚に覚醒したガスなのだ。
尋常ではない気迫も合わさり、ジョーには目の前の相手が手負いの狼のようにすら見えていた。
『私は勝つ! 私が敗ければ――永遠に『彼女』は独りなのだからっ!』
ガスの言う『彼女』が、誰のことかなどジョーには分からない。
故郷に残した恋人か何かなのだろうかと考えるジョーは、怒りを覚えていた。
多くの人間を傷つけているにもかかわらず、のうのうと凱旋する気でいると思うと、湧き上がる感情を抑えきることが出来なかったのだ。
『僕にだって、待ってくれてる女がいるんだよおぉぉぉっ!』
ジョーはサクラの顔を思い浮かべ、叫んだ。
もう彼女を待たせるわけにはいかないと、ジョーは強く想う。
これ以上の我が儘に付き合わせることも、これ以上『答え』を先送りにすることも、彼は許すことが出来なかった。
キサラギもダーク・ブレイバーと同じように剣を構え、突撃する。
ブレイバー達は互いの距離を詰め、迫っていく。
丁字路の中心を目指して、二体の機械巨人が激突するべく走る。
『逝けよブレイバー! 貴様の魂、私が天へと送ってくれるっ!』
その言葉と同時に、ジョーはブレイブ・センスを発動させる。
遅くなった世界の中で、相対する二体だけが自由に動く。
その空間の中でもジョーは、間違いなくガスに能力で勝てている確信があった。
ジョーは幾度となく剣先と足の爪先を調整し、確実にキャノピーを貫くべく睨む。
ダーク・ブレイバーもフェイントをかけてこそいるが、キサラギの動きから遅れて逃げていることがジョーにはわかった。
刹那の間に互いが相手の動きを読み、虚を突かんと心の読み合いを行っていると――
予想だにしていない声で、ジョーは我に返ってしまった。
『――待ってジョー! もうやめてガス! 戦う必要なんてないのよ!』
声は、ジョーの右側――
ジョーは思わず目を流して確認すると、光と闇のブレイバーが交わらんとする中に、ジーク・レイが割って入ろうとせんばかりの勢いで迫っていた。
焦燥に駆られたジョーは目の前の敵のことなど忘れ、一心不乱に、肺の中に残した空気を全て使いきり、力の限り叫んだ。
『来るなぁぁぁぁっ!』
それでもジーク・レイは、止まらなかった。
サクラが超常感覚の世界に入り込めなかったからなのか、ただ単純に無視されただけなのかは、ジョーにはわからなかった。
仕方なしに、ジョーは目の前の敵へと意識を戻す。一瞬でも気を抜けば敗けているはずの敵へと、注意を戻す。
そして、慌てて目線を戻したジョーが見たものは――
『何ぃっ! 『ジョー』だとっ!? ――ぐあぁぁぁぁぁっ!』
大幅に矛先が逸らされた、ダーク・ブレイバーの剣であった。
キサラギの刀はダーク・ブレイバーへ突き刺さり、キャノピーを血で真っ赤に染め上げる。
対してダーク・ブレイバーの剣は、ジョーを害することはない。
ヒート・ソードはジョーの左側を抜け、キサラギの脇へと抜けていた。
『……ア、アンタ……何やってんのよ! 待ってって言ったのに! どうしてっ!』
ジーク・レイを止めたサクラが、責めるようように泣き喚く。
ジョーはここに来て、取り返しのつかないことをしてしまったことを自覚していた。
彼の中ですべての辻褄が、抜け落ちていたパズルのピースのように組み合わさり、『真実』を悟らせたのだ。
止めようのあった争いを、最悪の形で終わらせてしまったのだと、ようやく気が付いたのである。
自己弁護ではないが、思わずジョーは言葉を漏らした。
『仕方がなかった……手を抜けるような相手じゃなかったんだ……!』
『だからって――!』
『良いのだ……』
力を失ったガスの声は、ジョーの罪悪感を刺激するのには十分であった。
いっそ息絶えていてくれたのであれば、背負う罪も軽くなってくれたのではないかという気すらした。
それでもジョーは、黙ってガスの言葉を待つ。それが、責任だと信じて。
『ガ、ガス! 大丈夫!? 怪我はっ!?』
『無事とは言えんな……胸に突き刺さっている。もう……長くはもたんだろう』
『そんな!?』
ジョーも薄々と勘付いていたことではあったが、こうもあっさり断言されてしまうと彼も驚いてしまう。
そして、そんな状態にありながらも言葉を続けるガスの精神力には、内心ジョーも感服していた。
言葉通りなら、かなりの苦痛である。ジョーには、その痛みを耐えながら言葉を遺すことなど、考えられることではなかった。
『ふふふふふふ……それにしても、貴様がジョーだったとはな……』
死の間際ですら笑って見せるガスに、ジョーは掛ける言葉が見つからない。
どのような言葉を返せばいいのか、思いつかない。
命を奪った人間への対応など、未だに彼にはわからない。
『おかしいとは、思っていたのだ……サクラが私のもとに来ようとしないのも、貴様が強すぎるのも……』
『もう喋らないで!』
『敗者の戯言だ、もう少しだけ……つき合ってくれ……』
勝ったとは言えども、ジョーの心は虚ろであった。
その勝利は譲られたものであり、しかも本来は勝敗すら着ける必要がなかったのだから。
もう少し決着を遅らせていれば――いや、そもそもの話として、どこかでしっかり話をつけてさえいれば、こうはならなかったのかもしれないのだから。
そしてその機会は、何度もあったのだから。
しかしジョーは、ガスを偏に敵だと決めつけ、歪ませ、そして命さえも奪った。
それは仕方のないことだったと、ジョー自身は思っている。互いに誤解のあったままでは、こうするほかなかったのだと考えている。
だからといって、後悔がないわけではない。諸手を挙げて喜べるほどに、ジョーは割り切ることができない。
『……ははは……どうした? もっと、喜ばないか……! 貴様は、勝ったのだぞ……この、ガス・アルバーンに……』
『そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 大人しくして!』
『……言い残すことがあるなら、聞き届けます』
『ちょっとアンタ、何言ってんのよ!』
掠れ始めたガスの声に、遂にジョーは黙って聞いていることが出来なくなった。
宿敵であった男に、静かにジョーは告げる。
それが、勝利を誇れぬ人間なりの、せめてもの手向けであった。
『そうか……ならば、一つだけ…………言っておかねば、ならぬことが……ある』
ガスの声に、安堵のような物が混ざるのが、ジョーにはわかった。
厳格な印象のあった声音の中に、優しさのようなものが垣間見えた。
ジョーはヘッドギアを外し、ハッチを開く。最期の言葉を胸に残すべく、万全の体制を整える。
喚き散らしていたサクラも大人しくなり、すすり泣く声が僅かにジーク・レイの拡声器から漏れる。
そして、血濡れの操縦席からそれを認めたのか、ガスは力なく、抑揚もなく、しかしどこか哀し気に喋りだした。
『――もう……独りにしてやるな…………彼女、案外寂しがりなん……だ…………』
……ガス・アルバーンは、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
夜風が吹くと、ダーク・ブレイバーはバランスを崩したのか、膝を折る。
立ち上がろうともせず、ただ項垂れるだけのその姿に、ジョーは人の死を感じとった。
「そんなの……そんなこと……!」
――そして、彼の心の中に残ったのは、虚しさのみであった。
「今更言われなくても……わかってるんだよおぉぉぉぉぉっ!」
ジョーの慟哭は行き場を失い、燃え盛る皇都で空虚に響いた。
ときに旅歴三一〇年、六月十三日。
アークガイアの覇権を巡った戦争は、センドプレス皇国の勝利という形でここに終結した。
もう間もなく、皇国は実権を握るだろう。国家間の争いは終わり、統一された天下は新たなる時代を迎えようとしていた。
――だが、世界の命運を決める戦いは、まだ終わってはいない。
未来を築く者たちの闘争は、これからである。




