七節 異界に閃く機人と勇者
帝国の軍勢がやって来た。
地響きを鳴らしながらやって来るその暗色の姿は、まさしく死を告げるために遣わされた恐怖の軍団であった。
砦に残った者たちは、無駄とわかりながらも必死の抵抗を続け――そして、予定調和のごとく死んでいく。
……ただ一人、外壁の上から戦況を覗いている、彼を除いては。
「流石にもう持たないか……案外使えないな、将軍とやらも」
彼我のMW戦力差はおおよそ五十倍。
普通に考えれば、通用するはずもなかった。
いくら人の数は同等であろうとも、いくら地の利があろうとも――
マシン・ウォーリアという絶対的な力で大きく劣る以上、皇国軍に一切の勝ち目はなかった。
僅かばかりのマシン・ウォーリアはとうに蹂躙され尽くし、機械巨人の前では無力な存在でしかない哀れな歩兵たちは、鋼鉄の足によって踏みにじられていく。
このガドマイン砦を統べていた将軍ランドールも、既に戦死していた。
「仕方がない。思っていたよりも早いが、俺が打って出るか」
トーマスは裏門から脱出した車両の群れを見つけて一瞥すると、梯子を伝って外壁を降りていく。
壁の内側に停めていたブレイバー・プロトに乗り込み、シート下の格納スペースから注射器を取り出す。
同時に、同じ場所に入っていた赤い紙を思い出し、呟いた。
「半径四キロ……頼むから、逃げ切ってくれよ」
そしてトーマスは袖を上げ、注射針をその腕に刺した。
――――――
夕暮れの中を走る集団がいた。
そのほとんどは車両で構成されており、その車台の上には溢れんばかりの人間が乗っている。
そして、その周りを警護するように走る五体のマシン・ウォーリア――その中には、二体のブレイバーの姿もあった。
「よし……追ってきてないみたいです」
ジョーの操るブレイバー・キサラギの瞳が、今しがた出てきた砦の方角を向く。
その視線の先に追手は無く、ジョーは安全を報告する。
『よーし。じゃ、さっさと皇都まで行こうか。あの馬鹿が時間を稼いでるうちにね』
『……ああ』
マシン・ウォーリア達は警戒を解き、前のみを見据えて走る。
少しでも早く目的地に向かうため、徐々に速度を上げていく。
『にしても参ったぜぇ、あのロン毛にはよぉ。何する気かしらねぇが、逆転の算段があるってんだからよぉ。シシシ』
格納庫にいなかったはずのピーターが、何故か事情を知っていることに、ジョーは今更追求しようとは思わなかった。
『ええ、ちょっとだけ見直したわ。あのバカが、あんなこと言いだすなんてね』
『そんなこと言っちゃだめですよぉ』
シェリーがサクラを窘めていると、ジョーは肝が冷え込むような悪寒を感じた。
その正体を、ジョーは知っている。
――そうそれは、静かに向けられている『怒り』であった。
『……何故です…………!』
『え? どうかされましたか?』
シェリーの運転するトレーラーの助手席から、ルイーズが呟く。
ジョーは悟った。彼女が、怒っているのだということを。その怒りの矛先が、自分たちに向けられているのだということを。
そして、ルイーズが叫ぶ。
『何故、誰もトーマスを止めなかったのです! どうして見殺しにするのです! 残れば生きては帰れないのですよ!』
『えっとぉ、それは……』
シェリーが困惑していると、更にルイーズは言葉を続ける。
『一人の人間を死地に置き去りにするなんて……貴方たちは最低です!』
ルイーズははっきりと、ジョーたちの人格を否定した。
そう言われてしまうと、ジョーの心の中にも罪悪感が生まれ始める。
たとえそれがトーマスの意思を尊重することなのだとしても、見捨てている事実に変わりはない。
トーマスの考えが分からない今、ジョーの心には迷いが生じざるを得なかった。
ルイーズがドアを開けようとしているのか、ドアハンドルを引っ張る音が何度も聞こえてきた。
しかしロックがかかっているようで、その音が鳴りやむ気配は無い。
『降ります! 私も砦に残ります!』
『あぁっ! だめですよぉ!』
シェリーが止めるが、依然ドアを開けようとしているルイーズ。
ジョーにはトレーラーの運転席の様子が手に取るように想像できた。
『……待て』
『待ちません! 降ろしてください!』
『だめですってばぁ!』
ベンの言うことなど軽く流され、尚もルイーズは降りようとする。
ジョーも止めるべきだと考えてはいたが、ルイーズに届く言葉を持ち合わせてはいなかった。
――そして、その言葉はジョーが予想もできない人物が持っていた。
『……奴は……トーマスは、言っていた……!』
『え?』
力強く、ベンが言う。
ルイーズとは別の理由で、ジョーは驚いていた。
ジョーは、ベンがここまで長い言葉を発しているのを聞いたことがなかった。
『……この世から、貧しい者を無くすのなら、心豊かな者による、聡明な、統治でなければならない、と。……そして、それができるで、あろう人物は、一人しか知らない、と。……だから、このクソみたいな、世の中を、変える手伝いを、してほしいと……奴は、本気で言っていた! だから、俺も、その話に乗った!』
たどたどしく――しかし、これまでになく感情のこもったベンの言葉に、ジョーは固まった。
それは他の者たちも同じようで、誰一人として口を開かなかった。
走行音のみが、聞こえていた。そんな状態が、何分も続く。
そして、そんな膠着状態を打ち破ったのは、アデラであった。
『すみませんねえ。コイツ、誰からも言葉を教えてもらえなかったみたいで、今でもうまく喋れないんですよ。まあ、アタシも偉い人への口の利き方とか知らないんで、人のことは言えませんがね』
皇族を前にして軽い口調で話し始めるアデラを、ジョーは尊敬した。
誰の返事も相槌もないまま、アデラは言葉を続ける。
『でもねえ、アイツ確かに言ってたんですよ。この世の中を変える可能性を持ってる人間がいて、その人に賭けてみたいってね。……誰のこと言ってるのかなんて、いまさら言うまでもないでしょう?』
『……はい』
ルイーズが静かにうなずく。
『だからさ、アイツの意思を汲み取ってやれませんかね。アタシたちだって、本当はこんなこと……したくないんですよ。こんな国のためにアイツが死ぬなんて、本当は嫌なんですよ……』
ルイーズは何も言わない。
明確にセンドプレス皇国を非難しているのにも関わらず、誰も何も言わない。
哀しそうに語るアデラの声音に、ジョーは口を挟むことが出来なかった。
『アイツの言うように、この世の中を変えてほしいなんて言いやしませんよ。アタシたちはそれほど期待してないからね。でも、あの馬鹿が好きで「死ぬ」って言ってるんだから、やらせてやってください。お願いしますよ……』
すすり泣く声が、ヘッドギア越しにジョーの耳へと入る。
その声を、ジョーは美しいと思った。
『ごめんなさい、トーマス……』
皇女ルイーズは、それ以上の言葉を発しなかった。
――――――
「ぐおぉぉぉぉぉっ!」
『ブレイブ・ハート』を投与したトーマスは、全身に走る鋭い痛みと戦っていた。
その痛みは、薬の効果によって感覚が過敏になった影響であり、つまりは副作用だ。
服が擦れるたび、空気が触れるたびに、灼けるような痛みがトーマスを襲う。
「はぁ……はぁ……よし!」
トーマスが痛みを耐えきり全身を慣らすと、ブレイバー・プロトが走り出す。
灰色の巨体が強引に門を破り、その音が新たなる戦士の出陣を戦場に轟かせる。
そしてトーマスは拡声器を起動し――喚起した。
『無遠慮で野蛮な帝国の諸君! よく聞け!』
アーミーの視線が、プロトに集まる。
たったの一体で戦場に躍り出た、愚か者の姿を捉えている。
圧倒的な強者である帝国の軍勢は、ただ一台のマシン・ウォーリアの動向に注目し、恐れている。
『俺の名はトーマス! 貴様らに死を告げに来た、天からの使者だ!』
プロトが右手に持つ剣を掲げる。
赤熱する剣は夕焼けを映し出しているようで、神々しささえも感じさせた。
まるでトーマスの出鱈目に、真実味を持たせようとしているかのように――
『このブレイバーには、強力な武器が積んである! 死にたくなければ、今すぐしっぽを巻いて逃げることだなぁっ! ははははははっ!』
トーマスは『ブレイブ・ハート』の効能により、興奮の絶頂にあった。
確かに持っていた死への恐怖など、今は微塵もない。
その心にあるのは闘争心――そして、戦いの果てにある勝利。
狂人のようにしか思えないトーマスの言葉に、場が凍り付く。
数で圧倒的に勝るのにも関わらず、帝国軍は一向に動こうとしない。
高笑いするトーマスを前にして、アーミーたちは立ち尽くすのみであった。
――ただ一機、金色のエングレービングの入った、豪華な装飾の機体を除いて。
『ほう……天からの使者とは、大きく出たではないか……』
その美しい、芸術品のようにすら見えるアーミーが前に出る。
戦場においては悪趣味としか言いようのないその機体を目の前にして、トーマスはその搭乗者が誰なのか容易に想像することが出来た。
そして、その予想は見事に当たっていた。乗っているのは、ネミエ皇帝その人である。
ネミエ皇帝のアーミーは、圧倒的な戦闘能力を持つブレイバーを目の前にしても、怯む様子がなかった――
『――皇帝であるこの儂が、ここまでコケにされたのは初めてだっ! 総員、このうつけ者を討ち取れ! 我らが勝利の暁には、この者の首を皇都に晒せぇっ!』
それどころか、トーマスの狂行を前にして怒りを露わにする。
号令と共に、無数のアーミーがブレイバー・プロトに襲い掛かる。
トーマスは雪崩のような敵の軍勢を睨んだ。
意識すると、トーマスの感じる時間の流れが緩慢になる。
まるで自分だけが別の世界に生きているように、体は軽く、敵は遅く、ブレイバーは速い。
「ははははははっ! これが超常感覚! これがブレイバー! これさえあれば――」
プロトが刹那のうちに、迫ってきたアーミーを手始めに三体ほど瞬殺する。
目に捉えられぬブレイバーの軌道が、目に見えないほどの剣技が、アーミーの群れを圧倒する。
そしてトーマスは確信した。
「俺は無敵だっ!」
トーマスの万能感は知らぬ間に高まり、進んで無茶をやってのける。
敵の突き出した剣を、操縦席の触れる擦れ擦れのところで躱して見せる。
もう慎重さなど、欠片も持ち合わせてはいなかった。
『何をしておる! 敵は一機! 数で取り囲めっ!』
ネミエ皇帝の飛ばす檄が、トーマスには滑稽に思えた。
だがそれでも、アーミーは確実にプロトを囲んでいく。
圧倒的な数で囲まれてしまえば、いくらブレイバーであっても太刀打ちできない。
「……ちっ!」
トーマスは四方から迫るアーミーを、片っ端から片付けていく。
プロトの前ではアーミーは何もできず、ただヒート・ソードに切り裂かれて倒れていく。
その残骸がプロトを阻む障害であることを認識したトーマスは、剣舞の中で辺りを見渡し突破口を探す。
「そこか……!」
ぎりぎり通り抜けられそうな僅かな隙間を見つけたトーマスは、プロトを加速させレバーを引く。
プロトはスライディング体勢に移行し、トーマスの体を衝撃が襲う。機体を支えていた左腕がないのだから、その衝撃はなお強い。
だが、トーマスはその押し倒される感覚と、全身を襲う衝撃に怯むことはない。難なく扱って見せる。
そして、地を這うプロトはアーミーの間を縫って駆ける。
ジョーのやっていたようにヒート・ソードで脚を狩り、次々とアーミーを戦闘不能に追いやっていく。
「ははは、流石にこの数を俺だけで倒すのは厳しいな……!」
暗い緑色の波の中を、灰色の機体が駆け抜ける。
まるで、闇を這うドブネズミのように――
そして、たったの一機を打ち倒せぬまま、戦いは何時間にも渡って繰り広げられた。
トーマスは幾百ものアーミーを討ち取り、帝国軍はプロトにいくつかの剣傷をつけていた。
時は既に夜。宵闇が、幾ばくかのトーマスの理性を蘇らせる。
「流石にそろそろいいだろ……!」
トーマスは片手でプロトを操縦し、もう片方の手でコンソールを立ち上げる。
コンソールの起動の合間に、新たな『ブレイブ・ハート』を乱雑に投与する。
忘れかけていた鋭い痛みが、トーマスの表情を苦痛に染め上げる。
ゆっくりと流れる時間の中でトーマスは、コマンドを入力する。
それは、赤い紙に書かれていた禁断の呪文。世界を滅ぼす可能性さえ秘めた、劇薬だ。
カウントダウンが、コンソールに表示される。
「百八十秒……三分か……あと三分で……!」
そのカウントは、トーマスの生命活動の猶予。
そして、トーマスに残されたただ一つの『勝利』。
それを認識すると、これまでの記憶がトーマスの脳裏を駆け巡り、自らの歩んできた道を思い起こさせる。
「…………ふふふ、面白い人生だった! 本当に面白い『賭け』だった!」
高揚するトーマスは、笑う。
三分という残り短い命を突き付けられても、動じない。
それどころか、歓喜して感謝する。
「ありがとう、ベン! ありがとう、リック! ありがとう、ジョー!」
プロトは二本の脚で駆ける。
ブレイブ・ハートによってもたらされた身体能力が、プロトの性能を限界まで引き出させる。
大勢のアーミーの間を縫って走るプロトを、はっきりと捉えられる者はいない。
破れかぶれで突き出された剣のみが、偶然にしてその装甲に触れるのみであった。
『何をしておるぅっ! 早く討ち取らんかっ! ……もういい、儂自らの手でやるっ!』
ネミエ皇帝のアーミーが動き出す。
それも偶然なのか、はたまた必然であったのか、プロトは皇帝のアーミーの眼前に躍り出た。
煌びやかな装飾の施されたアーミーが、クレセンティウムの剣を突きだす。
数々の戦いによって傷つき薄汚れたプロトは、突き出された剣の先へと出てきてしまった。
トーマスは冷静に対処を行う。ブレイブ・ハートの効果により、突然のことでも落ち着いて行うべき動作をさせることが出来る。
――しかしその時、プロトの右足駆動輪が不快な音を立てて止まった。
火花を散らし、ホイールが外れて転がる。
そして――
「ぐうぅ!」
『ぐおっ!』
クレセンティウムの剣は、プロトの腹部を貫いた。それと同時に、ヒート・ソードが皇帝のアーミーを切り裂く。
間髪入れず、周りのアーミーたちの剣が次々とプロトに突き刺さる。
トーマスは無数の剣に貫かれながらも、まだ辛うじて息はあった。
「……ふふふふふ……はは……ははは……ははははっ!」
ぎこちなく、トーマスは笑う。彼は満足感に包まれていた。
痛みなどとうになく、体のほとんどは巨大な剣によって切り裂かれていた。
トーマスの眼が動き、割れたコンソール上のカウントを睨む。
――その数字は0。
唯一無傷で残った首の上と、奇跡的に損傷を免れた肺が、叫ぶ。
「――俺の勝ちだっ!」
そしてその瞬間、トーマスは背中から爆ぜた。
――――――
夜のアークガイアを、光が照らした。
それは天からのものではなく、地上で放たれた光であった。
遅れて、大地を揺らす轟音が響き、激しい風が嵐を起こす。
まるで、アークガイアという大地そのものが憤怒しているかの如く、荒れ狂っていた。
たった一人の男の死と共に引き起こされたものだとは、誰もが思えないほどに――
それが災厄でないことを知る者は、あまりいない。
ジョーもその一人だが、それがただの純粋水爆の爆発であるとは信じたくなかった。
――なぜならば、立ち上るキノコ雲が墓標に見えたから。
トーマスという男と、彼と共に死んだ英霊たちを天へと運ぶ、巨大な塔だと信じていたかったからだ。
世界樹と比べても、その大きさは引けを取らない。
『あの馬鹿……!』
アデラが小さく呟く。
それ以外には、誰も声を出さなかった。
一行は背中から吹き荒れる追い風を受け、進む。
誰もが後ろから目を背け、黙々と行進する中で、ジョーはリアカメラの映像をただじっと眺めていた。
たった一瞬の間だけ放たれた閃光は、ジョーの心の中で生き続け、その網膜に幻視させる。
その光の中には、今でもトーマスの不敵な表情が思い浮かべられる。
トーマスの命の輝きは、ジョーに忘れてはならなかったものを思い出させた。
その身を挺して彼を守った、母親の温もりを。愛する者を守れたことに安堵して見せた、最期の笑顔を――
(生きるのよ、ジョウ……)
母の願いが胸に響くと、光はジョーの心の闇を祓って消えた。
十章 閃光に散る勇者 ‐了‐




