六節 死に行く者の決意
ここはガドマイン砦。
格納庫の中は、忙しなく動き回る兵士たちで溢れている。
この慌ただしい空気の中、ジョーはブレイバー・キサラギから降りて待っていた。
同様に待っているサクラとの会話もなく、周りで飛び交う怒号と重いだけの空気が空間を支配している。
雰囲気を和らげようとジョーは話題を探すが、この局面において話せることなど殆どない。軽い冗談も何気ない雑談も、周りの者たちの顰蹙を買うだけであった。
そんな中でジョーは、再びサクラに確認をとることにする。
それは追い詰められた今、逃げ出す最後の機会である今、どうしても彼女に言わねばならないことであった。
「……君はここにいる必要なんかないんだよ」
不器用なジョーは、それ以上の言葉を発せなかった。
「付いてこい」とも、「逃げろ」とも言えなかったのだ。
ジョーは知っている。
サクラが自分を好いていることを。自分がいなくなれば、永遠に独りぼっちなのだということも――
それでもジョーは選択することが出来ず、選択を強いてしまっていた。
「バカ言うんじゃないわよ。アンタが死んだらアタシ、行くとこなんて無いのよ?」
「知ってるよ。でも死ぬよりはいいじゃないか」
「死のうとしてる人間には言われたくないわね」
「ははは……それはそうか」
ジョーは安堵した。迷うことなく自身に付いてきてくれることを選択した、サクラの意思に。
そして同時に、以前のサクラの気持ちも分かった気がした。見知らぬ土地で死ぬのならば、独りは寂しいものだとジョーは感じていた。
「整備はしなくていいのかい?」
そんな話をしていると、戻ってきたアデラが彼らに声をかける。
その後ろには、ジョーの見覚えのある人物が二人いた。
「お久しぶりです! また会えてうれしいですよぉ!」
アデラが引き連れてきた内の一人は、シェリーであった。
能天気に手を振り、ジョーに愛想を振りまいている。
そしてもう一人は――
「お会いするのはこれで二度目ですね、勇者ジョー」
銀髪の美女であった。
ジョーは思わず、濁りのないそのきれいな青い目に引き込まれそうになっていた。
それほどまでにそれほどまでに美しく、真っ直ぐな眼差しであった。少なくともジョーには、この一瞬でその女性の心の清らかさを感じ取ることが出来た。
ジョーはその人物に見覚えがあった。
しかし、これほどまでに印象的なのにも関わらず、思い出すことが出来ていない。
故に、口ごもる。
「アデラさんにシェリーさん、それに……」
「ルイーズと申します。そういえば、お話しさせていただくのは初めてでしたね」
その名前を聞くと、ジョーはパズルの最後のピースがはまったかように何もかもを納得することができた。
以前にどこで会っていたのか、どうしてアデラが彼女を連れてきたのか――
そしてトーマスが、何故この人物に絶対的な忠誠を誓っているのかを。
「誰なのよ、この女」
「な、なに言ってるんですか……皇女殿下ですよぉ……」
「アンタ無礼なことをずけずけ言うよねえ。ま、アタシも人のこと言えないけどさ」
サクラが失礼なことを言っているが、ジョーは無視することにした。
幸いルイーズは気にしていないようだが、下手に触れるとどうなるかわからないからだろう。
「……で、皇女様がこんなところで何をしていたんです?」
「慰問に来ておりました。私には、このようなことしかできませんので」
ジョーには、その言葉の意味するところが良くわからなかった。
皇族という権力者が、何故無力を嘆いているのかが理解できなかった。
「ってことで、アタシたちはこの人連れて皇都に行くよ。アンタは……やっぱりここに残るのかい?」
「ええ。皇都で迎え撃つよりは、やりやすいと思います」
「そう……残念だね」
「あの――」
アデラの最後の忠告を突っぱねたジョーに、ルイーズから声がかけられる。
その声はたどたどしく、言い辛い事なのかという印象をジョーに与えている。
「勇者ジョー、私と共に皇都へ来てはもらえませんか?」
「何故です? この人たちがいれば安心でしょう?」
「ここにいても勝ち目はないのでしょう? ならば、皇都まで下がって迎え撃つ準備をしていただきたいのです。ランドール将軍にもそのようにお願いしたのですが、あの方は聞く耳をもっては下さりませんでした。ですからせめて貴方だけでも、来てもらいたいのです」
ジョーはルイーズの言葉に、違和感を覚えた。
それは戦略的な要請のようにはとても聞こえないほどに弱々しく、そしてこの人物の考えとしてはとても愚かであった。
「皇都を戦場にするんですか? それがあなたの望みですか?」
ガドマイン砦を抜けてしまえば、もう帝国の大軍を一時的にでも塞き止められる砦はない。つまり、次の戦場は皇都となるのだ。
とてもジョーには、皇族が自分の家でもある場所を進んで戦火に巻き込めるとは思えなかった。
そしてそんなジョーの予想は的中していたらしく、ルイーズは俯く。
「……ごめんなさい、私は嘘をつきました。本当はここにいる者たちがこれから死ぬのだと思うと、とても恐ろしいのです……!」
ジョーはルイーズの固く握りしめられた手を見た。
よく見ると、その華奢な手は小刻みに震えているのが分かる。
「彼らは我がセンドプレス皇国の兵ですが、死ぬことを義務付けられている訳ではありません。我々と同じ、死を恐れる人間なのだとここに来てよくわかりました」
慌ただしく動いていた兵士たちが、足を止める。
誰もが目をルイーズに向け、その言葉に聞き入る。
ジョーはその雰囲気に危なげな予感を覚えながらも、黙ってルイーズの言葉に耳を傾ける。
「ですが、ランドール将軍は勇猛な方です。私如きが何を言おうとも、決して退いてはくださらないでしょう」
兵士たちが、失望の眼差しを向けた。
希望は絶望へと変わり、重く苦しい空気が渦巻く。
「ジョー、幸い貴方はランドール将軍の配下ではありません。私の管轄下にある戦士です。彼らと運命を共にする必要はないのです。犠牲が避けられないのなら、その数は少ない方がいいに決まっています……!」
ジョーはその言い様に怒りさえ覚えた。
ルイーズが己の無力を悟った上で、それでも救える命を掬いあげたいのだということは彼にもわかる。
だが気が付けば、ジョーは漏らしていた。
「……うるさいな」
「え?」
それは、苛立ちであった。
皇族として十分な権力を持つ者への――しかしそれをもってしても、多くの命が救えない世の不条理に対しての。
ルイーズがどれだけの働きかけを行ったのかは、ジョーにはわからない。
しかしジョーは、捌け口を求めたのだ。
「そんな言い草はないだろ……! これから、命を懸けて戦って! 万に一つもない可能性を掴みとろうとしている人たちの前で! 良くそんなことが言えるなっ!」
言葉に出して、ジョーは気が付いた。
その感情は、ルイーズの無神経さに起因するものではないことに。
彼が口にした言葉は、全てルイーズを責めるためだけの建前だ。
「や、やめなさいよジョー!」
止めようとするサクラを見て、ジョーは思い出した。
その感情は、かつて彼が両親に抱いていたものと同じであったことに。
彼を救うことのできなかった者たちに対する、身勝手な逆恨みであることに。
「貴方ならよくわかっているでしょう! これでは犬死なのです!」
――だが、ルイーズはジョーの両親とは違う。
彼女の守るべきものは多くの国民であって、たった一人の人間ではないのだ。
ジョーは自分がその中の一人であることを自覚しながらも、引き下がることが出来なかった。
「じゃあ退いたとして、どうなるんだよっ! アンタに何ができる!」
「私がお父様を説得し、この戦いを終わらせます! 私たち一族の首があれば、ネミエ皇帝も納得しましょう!」
あまりにもあっさりと暴露された皇女ルイーズの目論見は、ジョーを後悔させた。
その覚悟の前では、ジョーは絶句することしかできなかった。
「……そんな……そんな本音があってたまるかよっ!」
精一杯のジョーの負け惜しみは、滑稽に響いた。
「お前の負けだな、ジョー」
「貴方は――!」
ジョーは打ちのめされていた。
二人の男がやって来ていたことにすら、気が付かないほどに――
――――――
「トーマスさん! それにベンさん!」
「トーマス! ここへ来ていたのですか!」
「ええ、この場所に用事がありましてね。殿下がいらっしゃるのなら、やはり来ておいてよかった」
トーマスは嘘偽りのない本心を述べた。
そして今立たされている状況を必然と考えるならば、トーマスは生まれて初めて運命に感謝していた。
それほどまでに彼の心は晴れやかで、何でもできる万能感のようなものすらあった。
「……で、のこのこ戻って来たってことは、考えでもあるのかい?」
「ああ、悪いが命令変更だ――」
話しかけてきたアデラに、トーマスは新たな指示を言い渡す。
「お前たちは、殿下を連れて皇都へ行け」
「始めからそのつもりだけどねえ」
「それと――」
トーマスは辺りを見渡し、格納庫にいる全員に向けて叫んだ。
「聞いていただろう! このままでは諸君らは、偉い将軍様につき合わされて死ぬ! それがいいのなら、俺はもう止めん!」
その言葉で、ざわめきが起こる。
生きることを諦めた者たちも、そうでないものも、動揺を隠しきれない。
困惑が十分に広がったことを感じると、トーマスは告げた。
「だが、ここで命を散らすのが無駄だと思うのならば、この方と共に皇都へと迎え! ルイーズ殿下をお守りし、少しでも有意義な死に方をして見せろっ!」
ざわめきはやがて明確な言葉となり、トーマスに降りかかる。
「――でもそれじゃ、命令違反だろ!」
「――そうだそうだ!」
一様に騒ぎ立てる兵士たち。
トーマスは腕を組み、黙してその全てを聞き入れる。
そうして熱が高まると、トーマスは僅かに怒気を孕んだ声で威嚇した。
「……おい、勘違いするなよ!」
トーマスは右腕でルイーズを指し示し、視線はそのままで訴える。
場は再び静まり返り、トーマスの腕の先にいる人物に注目が集まる。
「これはルイーズ・リヴィア・センドプレス殿下の『命令』だ! 皇族の命令は、何よりも優先される! ……そうでしょう、殿下?」
「え、ええ……」
「そういうことだ! わかったら早く支度をしろ!」
トーマスの言葉は完全に出まかせであった。
だが、悲壮感に満ちていた格納庫に、僅かばかりの希望が芽生えたようにトーマスには見える。
気が付くと、誰もが疑いすら持たずに行動に移っていた。
「凄いですね……その気にさせちゃいましたよ」
「不思議とこういうことだけは上手いんだよ、アイツは」
「……ああ」
ジョーが、驚嘆する。
古い付き合いであるベンとアデラは、特に大きな反応を見せていなかった。
サクラは感心したように辺りを見渡しており、シェリーは固まっている。
そしてそんな彼らの反応など、トーマスは気にしていない。
本当に喜ばせたい人物の機嫌を伺うべく、トーマスがルイーズの顔を覗き込む。
だがそこには、未だ不安そうな表情があった。
「殿下、どうかしたのですか?」
「トーマス、貴方も……共に来てくれるのですよね?」
「いいえ――」
トーマスはできることなら、これから行おうとしていることを言い出したくなかった。
それがルイーズを悲しませることであると、わかっていたからだ。
それでも、聞かれてしまえば答えるしかない。ルイーズを前にして誤魔化せるほど、トーマスは器用ではない。
「俺はここで、奴らを迎え撃つ。決して、貴女のいる皇都には通しません」
「それはなりません! 貴方も皇都へ戻るのです! ここにいては死ぬと、先ほど貴方が言ったではないですか!」
「いいえ、それでも俺は戻れません」
涙目のルイーズが訴える。
トーマスはその尊い涙を見たくなかったのだが、それでも聞き入れるわけにはいかなかった。
「ならば……『命令』です! 私のために、共に皇都へ来なさい!」
ルイーズの叫びに、トーマスは何もかもを捨てて共に逃げたくなった。
だがその衝動は、トーマスの最後の理性により押しとどめられる。
その言葉に従ってしまえば、決して捨ててはいけないものまでもが失われる。
そして同時にトーマスは安心した。
この人物の欠点が、強気になれないことであると知っているからだ。
その欠点を克服した今、トーマスの心に憂いは無かった。
「……それは聞けません。どうしても、俺はここに残らねばなりません」
「何故です……! 命令だと言っているのに、何故貴方たちは死に急ぐのです……!」
「信じているからです。貴方ならばこの国を、この世界をより良い方向へ導いて――」
そこまで言いかけて、トーマスは言葉を濁した。
それは彼の本心ではあるが、ある意味では建前でもあった。
トーマスの本当に守りたいものは、国や世界などではないのだから。
「……いえ、どうせこれで最後です。こんな言い方はもうよしましょう」
唾を飲み込み、トーマスは決意する。
自らの胸の内を明かすことを。溜め込んだ想いを全て吐き出すことを。
この世に残す未練を、一つでも多く消し去るべく。
「――俺は、貴女を愛しています! ただの貧民で孤児だった俺は、貴女を想ってしまったのです……! 貴女のその美しい瞳に、その綺麗な心に、魅入られてしまったのです……」
「……え?」
突然の告白に固まるルイーズ。
トーマスは構わず、続ける。
「だから俺は逝くのです。センドプレスなんてものじゃない。他でもない貴女を守るために、俺はここで命を使うのです。それが、あの日貴女に命を救われた男の使命だと思っています」
「駄目です! 私を想っているのならば、尚のこと――!」
手でルイーズの口を塞いだトーマスは、もう片方の手で優しく肩を掴む。
そしてアイコンタクトでシェリーを呼びつけると、ルイーズの身柄を引き渡した。
「シェリー、殿下をなるべく遠くに逃がしてやってくれ」
「は、はいっ! えっと……トーマスさんも、健闘を祈ってます!」
「ああ、任せておけ」
次にトーマスは、アデラに最後の頼みを告げる。
「アデラ、殿下は頼むぞ」
「わかってるよ。アンタは姫様が一番だもんね」
「そうだ、わかっているならいい。傷一つ許さんからな」
「……馬鹿」
続けてトーマスは、ベンに後を託す。
「ベン、俺がいなくなった後のことは頼む」
「……ああ」
最後にトーマスは、ジョーに感謝を述べた。
「ジョー、お前に会えてよかった。お前がいなければ、俺はここまでこれなかった。全てお前のおかげだ、感謝してもしきれん」
「やめてくださいよ。僕だって戦うんですから、縁起でもない」
「いや、お前は皇都へ行け。ここで死んでいいご身分じゃないだろう?」
トーマスが視線をサクラに向けると、ジョーは納得ができていないかのように顔をしかめる。
「……考えは?」
「考えなんて程のものはない。だが、勝算は十二分にあるぞ」
ジョーの問いに、自信満々にトーマスは答えた。
安心させるためではない、誇るためだ。
だが、彼が最もそのことを伝えたい人間は、生憎ここにはいなかった。
トーマスはリックの背中を思い出し、最後の願いをジョーに委ねることにする。
「これが終わったら、いつかリックにも教えてやれ。この俺の、最期の勇姿をな」
そしてトーマスは歩き出した。その向かう先は、格納庫の外。
戦いの場に赴くべく、死を迎えるために、トーマスは行く。




