五節 ブレイブ・ハート
帝国軍の野営地に、一体のマシン・ウォーリアが現れた。
そのマシン・ウォーリアは、並みいるアーミーたちを次々と切り伏せ、突き進む。
まるで邪魔な雑草を狩るかの如く、緋色に赤熱する長大な剣で切り裂いていく。篝火に照らされ、闇夜に溶け込むダークブルーの装甲を露にする。
「違う……やはり『コレ』は、そこら辺のマシン・ウォーリアなどとは別のものだ」
その黒いマシン・ウォーリアを操る男が、不意に呟いた。
戦いの中にあっても、大勢のアーミーが取り囲む中にあっても、その男は顔色一つ変えていない。
あくまで冷静――いや、そもそも男にとっては危機でも何でもないかのように、対処する。
『止まりなさい、そこのマシン・ウォーリア! ……それは!?』
女の声が、宵闇に響いた。男の操る機体を見た、驚愕する女の声が。
男はその覚えのある声を聞き、その機体を注視する。
声の発信源であるアーミーは、左腕がヒート・ドリルとなっていた。その機体の持ち主の名を、男は叫ぶ。
『――貴様、エル・ポールソンか!?』
『貴方は――!?』
回転していたドリルの音が鳴り止むと、女の声が歓喜と尊敬の入り混じったものへと変わる。
その瞬間、男は口角を吊り上げた。
『ガス様! ガス・アルバーン様!』
『やはりそうか! 私は運がいい!』
男――ガス・アルバーンは、運命すらをも感じていた。
かつての部下と出会えたことに。自分にとって都合のいい人間が、丁度いいタイミングで現れたことに。
『これはどういうことだ? 私がいない間に、何が起こった』
ガスが経緯を問うと、エルは語りだした。
アーミーの配備が終わり、全軍で皇国を滅ぼしに出たことを。
途中敵の妨害に遭いながらも、軽微な被害でここまでたどり着いたことを。
そして、今になって致命的な被害が出ていることに気が付き、その足を速めているのだということも。
それを聞いたガスは、滑稽そうに笑う。
『ははははははっ! なるほど……ネミエ皇帝も愚かなことをしたものだな』
『ええ……食料の補給が途絶えて、みな浮足立っております』
ガスは、好機だと直感した。
目の前の『戦力』を連れ去り、自らの目的のために利用する、またとない機会だと。
『ならばエル……私についてこい! 私に賛同する者を集え! 急襲を仕掛ける!』
『どちらへ向かわれるのです!?』
『決まっている!』
ガスの操るマシン・ウォーリアの目が、遥か彼方へと向く。
『皇都だ! 私はセンドプレス皇国を打倒し、ブレイバーを討つ! そして、ネミエ帝国をも滅ぼし――!』
そして、その黒いマシン・ウォーリアは天へと剣を掲げ、ガスはこの場にいる者たちに向けて高らかに叫んだ。
『私が、このアークガイアを統べる王となるっ!』
あまりにも傲慢な宣言が響く。
だが、堂々と反逆の意思を示しているにもかかわらず、時間が止まったようにどの機体も動かない。
困惑、動揺、そして歓喜の混じったそうな、静かで詰まった空気が場を支配した。
『エル、着いてきてくれるな?』
『……はいっ!』
『ならば私は先に行っている。貴様も後から来い』
ガスのマシン・ウォーリアが前進すると、取り囲んでいたアーミーたちが道を開ける。
その中を歩くガスは、野望と復讐心を滾らせていた。
「待っていてくれ、サクラ……! 私はブレイバーの首を、この世界をっ! 君に捧げて見せる!」
ガスの咆哮は、エルには聞こえない。
肝心のサクラにさえ、決して届くことはない。
そして致命的な間違いに、彼は気がついていなかった。
――――――
「急ごう! 砦が近くなってる! もう余裕がない!」
『急いでるじゃない!』
朝焼けの下で、二機のブレイバーが疾走する。
静けさの中に、地を駆ける駆動輪の回転音が響く。
国境を越え、焦りを募らせるジョーは、やきもきしながらサクラのジーク・レイに合わせた速度でキサラギを走らせる。
『もう敵を追い越してるのよ! そんなに急ぐことないないわよ!』
「駄目だ! 僕たちだけじゃあれには勝てない! 早くトーマスさんたちと合流しないと、間に合わなくなる!」
『あんな奴らがいたところで焼け石に水よ!』
サクラの言い分を無視し、ジョーの眼は辺りを注視する。
僅かな異変さえも見逃さぬよう、時にブレイブ・センスさえも発動させて警戒する。
そして見渡す限りの草原の中、ジョーは見つけた。
車両を中心とし、三体のマシン・ウォーリアの先導する部隊を。その先頭に立つ、緑色のデュエラーの姿を。
ジョーはコンタクトを試みる。
「聞こえますか! こちらジョウ! ピーターさん、アデラさん、聞こえてますか!」
『聞こえてるぜぇ。シシシ』
『アタシも聞こえてるよ。ベンの奴も、多分ね』
『……ああ』
安心するジョーだが、マシン・ウォーリアが一体だけ見当たらぬ事に気が付く。
それは以前の彼の乗機であり、商隊における最高戦力の一つであった機体――
そう、ブレイバー・プロトがいない。
「トーマスさんは!? 状況はどうなってるんです!?」
『ああ……あいつはね――』
『諦めちまったんだよぉ、あのロン毛は。それで俺たちだけ逃がして、自分だけ美しく死ぬんだってよぉ! ヒャハハハ!』
アデラが言い辛そうに口ごもると、馬鹿にしたようにピーターが笑った。
ジョーはピーターの神経を疑うが、それは今更だ。
『ピーター、アンタねえ!』
『だってホントのことだろぉ?』
『いっつも余計なんだよ! アンタは――!』
手を叩くような音が聞こえると、一触即発のアデラとピーターは黙った。
落ち着いたことを確認すると、ジョーはトーマスの行方を確認する。
「……わかりました。とにかくトーマスさんは、一人で行ってしまったんですね」
『……そうだ』
口を開けば衝突するアデラとピーターに代わってか、ベンが答えた。
数秒もすると落ち着きを取り戻したのか、アデラが再び口を開いた。
『とりあえず、アタシたちは砦に寄ってシェリーを引き取って来るけど、アンタはどうするんだい?』
「僕は……僕も砦へ行きます。砦で敵を迎え撃ちます」
『アンタ何言ってんのよ! トーマスの奴がいないんなら、アデラたちもいないんなら、一旦退いた方がいいわよ!』
『サクラの言う通りさ。アタシたちは力になってやれないし、トーマスの奴だってあてにはできないよ。それでも砦で戦うのかい?』
アデラの忠告は、ジョーの心に甚く刺さった。
それなりに信頼している人物から「見殺しにする」と宣言されたのだから、それも当然だろう。
だがそれでも、ジョーは退かない。
「トーマスさんはいなくても、戦う人たちはいるでしょう?」
『まあ、いるにはいるけどね……。協力なんかしちゃくれないだろうし、数も違いすぎる。はっきり言って、役に立ちゃしないよ』
「それでも、いないよりはマシです」
『足手まといになるだけだと思うけどねえ……。まあいいさ、もうアタシたちには関係ない話だからね』
『ま、そういうこったな。あとはオメエらで何とかしろよぉ。ゲヘヘヘ……』
ピーターが下品に笑うと、誰も彼もが黙り込む。
凍てつくような空気の中、五体のマシン・ウォーリアと何台かの車両が平原を走る。
ジョーは気まずさを覚えながらも、特に何かを話そうとはしなかった。
沈黙は数十分にも及んだ。
走行音と駆動音と通信ノイズのみの時間が続く。
そしてその静寂を破ったのは、サクラであった。
『……ねえ、やっぱり退くべきよ。いくらアンタがバカでも、もう正攻法じゃ勝てないってわかるでしょ』
「そうだね。でも僕は……いや、きっとトーマスさんだって――」
一万ものマシン・ウォーリアの行進を許した先に、何が待ち受けているかをジョーは想像した。
いつしか帝国で見た、力によって弾圧される人々の姿を思い出す。数多くの『強者』たちは、弱者の痛みを理解できないであろうことを思い出す。
いつしか皇国で見た、誰からも蔑ろにされる貧民の姿を思い出す。『弱者』たちは今日を生きるため、必死に戦い続けていることを思います。
そして、地球の末路を思い出す。誰もが圧倒的な力を求め、結果として滅んだ故郷の姿を――
ジョーはマシン・ワーカーの後継であるマシン・ウォーリアにだけは、破滅の引き金を引かせるわけにはいかなかった。
命を救うはずの機械が、これ以上武器として利用されることを彼は望まなかった。
それを認めてしまえば、ジョーはそれまでの人生の全てを打ち砕かれるような予感がした。
「もう止まることなんて、できないんだ。ここで引いてしまったら、取り返しがつかないんだから……!」
ジョーは、己の選んだ道を引き返すことが出来なかった。
最早、彼の決意は退けないところまで来てしまっていたのだ。
確固たる信念が、迷いを決して許さない。秘めた覚悟が、恐れを払拭して進ませる。
それが果たして勇気と呼べるものなのか、それともただの蛮勇なのか――
ジョー自身にも、それはわからなかった。
――――――
オリーブ色の『波』の中から、一点の灰色が飛び出す。
濁った海から飛び出したトビウオにも見えるその巨人――ブレイバー・プロトは、満身創痍であった。
全身の装甲は剣傷によりボロボロで、剥がれ落ちてフレームを露出させている箇所さえあった。左腕は力なくぶら下がり、もう動かないことを示していた。
「流石に、次は逃げられんだろうな……」
機体から発せられるダメージ警告の嵐を見て、トーマスは呟く。
己とマシンの限界を悟り、報いるべき一矢を定めるべく悩む。
「すぐに仕掛けるか……? いや、砦まで誘い込むべきか……!?」
――採れる選択肢は大きく分けて二つ。
無謀な突撃で、無残に命を散らすか。
砦の防衛部隊と合流し、圧倒的な物量さの前に屈するか。
トーマスとしては、そのどちらも御免であった。
故に彼は、存在するとも思えない『第三の選択肢』を探す。
物量差をものともしない策、数の暴力を覆す圧倒的な力。圧倒的強者に噛みつくための、せめてもの術を求めてトーマスは思考を巡らせる。
「しかし……何か手はないのか? このブレイバーに、ジョーも知らないような機能はないのか……?」
敵が追ってきていないことを確認すると、トーマスはプロトの操縦席のあちこちを宛てもなく探り出した。
ただの悪あがきである。トーマス自身、何か見つかるなどとは思っていない。
そしてトーマスは、シート下の格納スペースに気が付いた。
蓋となっているシートを上げるとその中には、片手でつかめそうなサイズの箱と、文字の羅列された赤い紙があった。
「……ん? なんだ、これは……!」
トーマスは箱を開封すると、中に入っていたガラスのシリンダーと紙を取り出す。
箱から取り出した紙を読むと、それを一旦戻して赤い紙に目を通す。
気が付くと、トーマスの口からは乾いた笑いが漏れていた。
「はははははは……」
トーマスは箱の中に入っていたシリンダー状の物体――注射器を取り出すとジロジロと眺める。
透明なガラスの中に見える、澄んだ緑とも黄ともつかない色の液体が、機内の光を反射して輝く。
その不気味な色にトーマスは、忌避感を覚えた。血管の中に針を打ち込み、全身を駆け巡る赤い血に異物を混ぜ込むのだと思うと、どうしても生理的に受け付けなかった。
だが同時に、好奇心も持ち始めていた。
『ブレイブ・ハート』とラベルに書かれた薬品の効果は、副作用こそあれど確かに有効であったのだ。
一瞬だけの覚悟と、所詮死ぬまでの間しか続かない副作用――そんなもので『力』が手に入るのならば、トーマスは大歓迎であった。
「そうか、そういうことか。こいつは本来こうやって使うものなのか……! それに――!」
トーマスは、危険を知らせるような赤い紙に再び目を通す。
その中には、恐怖と希望が詰まっていた。思わず身震いしながらも、トーマスは笑みをこぼす。
そして同時にトーマスには理解できた。
これこそがジョシュア・ホワイトの危惧していた、プロトの危険性なのだと。
この世界に破滅をもたらす可能性すらある、災厄の種なのだと――
「確かにこれは危険だな。ジョシュアとかいう男が捨てさせたがるのも無理はない」
それでもトーマスは、その種を飲み込むことを決意した。
己が身に災いが降りかかろうとも、厄をおびき寄せようとも、既にトーマスには関係の無いことだ。
なぜならば、彼には覚悟がある。
「――だが、俺に見つかった以上は有効活用させてもらう! 悪く思うなよ、地球人とやら!」
アークガイアの運命を懸けた一世一代の大勝負が今、一人の愚か者によって始まろうとしていた。




