四節 打つ手なし
翌々日の朝が来た。
トーマスたちは既に谷へと到着し、必死にかき集めた薪を敷き詰めていた。
その範囲は、数十メートル程。機械巨人たちを迎え入れる『レッドカーペット』としては、いささか頼りないものであった。
そして薪の絨毯の先で待ち受けるのは、灰色のブレイバー・プロトを含む四体のマシン・ウォーリア。
その後ろには、縄でできた投石器を持つ男たちがいる。
『全員配置についたな!?』
鉄壁の布陣だと、トーマスは確信していた。
帝国の圧倒的な数に対して、彼らはあまりにも無力。だが、その差を覆す可能性のある唯一の策だと、トーマスは踏んでいる。
『――とは言っても、奴らが来るのはまだ先のことだろう! 俺たちの方が大分先回りしているのだからな!』
隊員たちの緊張を解すべく、トーマスはプロトに搭載されている拡声器で呼びかける。
その声には、先日までには見られなかった余裕すらあった。
『だが、万が一もある! 警戒は怠るなよ!』
気を引き締めるトーマスと、呼応する隊員たち。
その表情に、不安はない。
だが――
「おい隊長さんよぉ! 敵さんもう、すぐそこまで来てるぜぇ! ケヒヒヒヒヒッ!」
崖の上から滑り下りてきたピーターの報告によって、一斉に動揺が走った。
ピーターはその勢いのまま跳躍し、デュエラーの操縦席へと潜り込む。
「嘘だろ……? 早すぎる……!」
プロトの操縦席の中で、トーマスも独り驚愕した。
彼の見立てでは、到着は早くて明日。遅ければもっとかかるはずだったからだ。
準備にかまけ、高を括って警戒をしていなかったことを、今更ながらトーマスは後悔していた。
――だが、今はそのようなことを考えている場合ではないと、トーマスは指示を下す。
『落ち着け! 準備は完了しているんだ! 少し早くなったが、迎え撃つ!』
プロトの手が動き出し、ヒート・ソードが薪の絨毯に触れる。
じわじわと燃え上がったかと思うと、その次の瞬間には火の海が広がった。
唾をのみ、トーマスはその炎が消えないことを祈る。
『予定通り、しばらくしたら薪を投擲しろ! その後、タイミングを見計らって歩兵組は撤退! それを確認したのち、MW組も脱出だ!』
息をのみ、トーマスは檄を飛ばす。
『――お前らが腰抜けじゃないのなら、精々長引かせてくれよっ!』
隊員たちの呼応が木霊した。
トーマスはその声援を受け、更に気を引き締める。
燃え盛る谷間の中、プロトに乗るトーマスは炎の先を睨んだ。その視線に、恐れはない。
そしてトーマスたちの見守る中、その軍勢はやって来た。
一面に広がるオリーブ色の『壁』が大挙して押し寄せ、炎の手前で静止する。
「……止まったか……!?」
トーマスは静かに呟き、敵の動向を確認する。
そしてマシン・ウォーリアの駆動音が聞こえなくなったことを確認すると、激しく命令を出した。
『投擲開始しろ! 絶対に火を消すな! あれが俺たちの生命線だということを忘れるな! 奴らを通してしまえば、もうチャンスなんて無いことを忘れるな!』
感情の込められたトーマスの声に応じてか、次々と薪が飛んでいく。
その向かう先は、炎の中。その姿はまるで、敵わぬ軍勢に果敢に挑む彼らのようであった。
――そしてその末路は、そんな彼らの未来を暗示しているようにも見えた。
『見ろ! 上手く行っているぞ! 奴ら立ち往生して――なっ!?』
敵の先頭集団が、歩行モードに変形してその足を踏み出す。
高めに積まれていた木材を踏みしめ、炎の中をアーミーたちは歩き出す。
トーマスは絶句した。
帝国の軍勢が、炎の中を歩き出したことにではない。
戦闘に立っていた数体のアーミーが示し合わせたかのように、同時にその一歩を踏み出したことにである。
それはつまり、一体として灼熱の炎を躊躇していないということであった。
「馬鹿な……!」
先頭の数体が、爆発を起こして炎の絨毯の中に倒れ伏せる。爆発はしなくとも、何らかの不調を起こしたように倒れていく。
その後に多くのアーミーたちが続き、死体となった機体の上を踏みしめて歩く。そうして渡ってきたアーミーも、炎に焼かれて力尽きる。
その光景は、トーマスの想像を遥かに凌駕していた。
圧倒的な強者であったはずの軍勢が、トーマスには既に別のものに見え始めていた。
それは、ある意味で最強の軍団。生き残ることを絶望視する、死兵の集団のようであった。
『アイツら……味方を踏み台に……!?』
『こりゃあんたの予想どおりなのかよぉ。えぇ、隊長さんよぉ?』
『……早く、決断しろ』
トーマスは口ごもった。
続けたとして、当初想定していた通りの成果を上げられる気がしなかった。すぐに捻りつぶされる未来しか見えなかったのだ。
『……撤収だ』
トーマスの指示を受け、商隊は撤退を開始した。
最後まで残って戦っていたトーマスも、炎を潜り抜けてきた数体のアーミーだけを蹴散らすと、プロトを全力で走らせてその場から逃げた。
――――――
――翌朝
遅れてやって来たジョー達は、谷間に散らばる大量の炭とマシン・ウォーリアの残骸を見た。
そしてその中に疎らに散らばる、焼け爛れた人間の死体のうちの一つが崩れ、ジョーの操るキサラギのカメラへと首を曲げる。
ジョーはその射貫くような視線を浴びせられ、身を竦ませた。
『何よこれ……』
「わからない。でもきっと、トーマスさんが何かしたんだと思う」
『何かって何よ?』
「知らないってば」
キサラギとジーク・レイは炭の山を踏みつぶし、残骸の橋を渡って進む。
散っていった者たちへの謝意を胸に、ジョーは前を見据えてキサラギを歩かせる。
風が吹き抜ける音の中、二体の巨人が重い足音を響かせていた。
『ねえ……ここを抜けたら、もう皇国なのよね?』
「そうだよ。もう、のんびりしてられない」
『いいじゃない、もう……』
「え? 何だって?」
サクラが何やら呟きだした。
焦るジョーは、大した意味も無くその言葉を聞き返す。
思わず語調が強くなり、苛立っているようにも聞こえる聞き方をしていた。
『――もういいじゃない、ほっとけば!』
聞こえるように――というにはあまりにも力強い声で、サクラは叫んだ。
感情のこもったその声にジョーは困惑し、たじろぐ。
「ど、どうしたのさ、突然……」
『アンタにしちゃよくやったわよ! でも、別にセンドプレス皇国なんてアタシたちには関係ないじゃない! マシン・ウォーリアなんてものが気に食わないのは知ってるけど、皇国なんて守る必要ないでしょ!』
「……そうかもね」
サクラの言うことは、ジョーにもわかる。
センドプレス皇国のみならず、この地上に存在する物すべてが彼には無関係だ。
マシン・ウォーリアの破壊がジョーの目的だが、救いをもたらすのは彼の使命ではない。
だが――
「――でもこれを放っておけば、ダンさんの言う通りになってしまう。圧倒的な力で人々を従わせることを覚えてしまえば、マシン・ウォーリアなんて無くたって同じことをしようとする。そうなれば、同じことの繰り返しだ。この世界の歴史は戦いに染まり、地球と同じ道を歩んで同じ末路を辿る」
ジョーはこの世界に思い入れもあった。
短い間ではあるが、アークガイアという世界で過ごした時間は、確かに彼に愛着を持たせていた。
僅かばかりではあっても、その思いが世界を間違った方向へ進ませることを見過ごさない。
『いいじゃない……人間なんて所詮そんなものなのよ! パパだって、この世界の皇帝とやらだって、みんなみんな同じことしか考えられないのよ! 力尽くでどうにかすることしか、考えられないのよ……!』
人間という種に絶望しているサクラに、ジョーは共感することが出来た。
結局のところ、人間は力に頼ることしかできないのだと。
ブレットの言っていた通り、戦うことから逃れることは出来ないのだと。
「それでも僕は、信じたい。トーマスさんやダンさん……それに、トーマスさんが信じている皇女殿下って人も、きっとこの世界の在り方を考えている。そんな人がいるなら、賭けてみたいんだ」
だがジョーは、戦って勝ち得た先の未来は、勝者によって違うのだと思いたかった。
恐怖による支配を行うのではなく、聡明な人間による統治になるのであれば、きっと破滅は避けられると証明してほしかったのだ。
『はぁ……もういいわよ。やるならさっさと行きましょ』
そんな思いが通じたのかどうかはわからないが、サクラはそれ以上ジョーを説得しようとはしなかった。
「ごめん、君に関係の無いことばかり巻き込んで……」
『バカ。こういう時は感謝しておくものよ』
「……ありがとう」
ジョーは素直に感謝する。
終わりの見えない戦いに、この世の地獄のような光景につき合わせていることに、一抹の申し訳なさを感じながら。
そしてキサラギとジークは、数多の屍を踏みしめて歩いている。
――――――
「……よく聞いてほしい。これが俺から出せる、最後の命令だ」
そう切り出したのは、悲壮な顔つきのトーマスであった。
谷から引き返してきた商隊一同が、真剣な眼差しで彼の言葉を待っている。
燃えるような夕焼けが、トーマスを燃え尽きた灰のように飾り立てる。
「――至急砦へ戻り、迎撃の準備を……いや、しなくていいな。それよりもシェリーと合流して、皇都へ向かってくれ。後は各自の判断に任せる」
トーマスの言葉は、部隊の解散を意味していた。
それも戦略によるものではなく、ただの逃亡だ。
殆どの者たちはその意味を理解したのだろう。呆然と立ち尽くし、不安そうに周りを伺っている。
誰もが一言も発さず、狼狽えていた。
そしてそんな中でただ一人、ピーターだけがトーマスの前に出て、異論を挟む。
「おいおいおいぃ、それだけかよぉ。尻尾巻いて逃げ帰れってのが、テメェの言う命令なのかよぉ。……情けなさすぎるぜ、隊長さんよぉ!」
「何とでも言え。もう俺にできることは何もない……」
「……ケッ! とんだ腑抜けだぜ!」
トーマスが諦めの言葉を漏らすと、荒れ狂うピーターは引き下がった。
いつもの気味の悪い笑いが無いことからも、ピーターがどれだけ怒っているかをトーマスは伺い知ることが出来た。
再びトーマスは全員に向き合い、語る。
「皆、ここまでよくつき合ってくれた。だが、これ以上命を懸けるのはただの無謀だ。もう、この国を救う術はない。なら、せめて生き残れるよう努力する方が賢明だと俺は思う」
はっきりと言うトーマスに誰も彼もが反発を覚え、そして納得している。
少なくともトーマスには、そういう風に見えた。
トーマスはその中でも無表情に佇むベンを見つけ、その肩に手を置く。
「ベン、お前には皇女殿下を任せていいか?」
「……ああ」
「ありがとう。何も礼は出せんが、後は頼む」
「…………ああ」
そして後顧の憂いを払ったトーマスがその場から離れると、プロトの脚にはアデラが寄りかかっていた。
アデラは寄りかかったまま、トーマスを見つめる。
「……で、アンタはどうすんのさ?」
「さあな。だが――」
プロトを見上げ、トーマスは睨んだ。
「俺は手をこまねいてみていられるほど、賢くはない……!」
トーマスの中に残った僅かばかりの最後の闘志が、いま燃え上がる。
それは自棄と言い換えることもできる、無謀で悲壮な決意であった。




