六節 脱出作戦開始
――朝が来た。
ベッドで寝ていたトーマス達は一斉に起き上がり、身支度を整える。
「さて……作戦開始だ……!」
トーマスが宣言をすると、ジョーとブレットが頷き、三人は部屋を出た。
「あの……どうかされましたか、使者殿?」
偶然見回りにやって来た兵士が、先頭のトーマスに声をかける。
それに対しトーマスは、ジョーとブレットに目配せをし――
「……駆けるぞっ!」
「え? ―――ガッ!」
敵が言葉の意味を理解する前に、その首に力強い手刀を叩き込んだ。
兵士がよろめき体勢を崩すと、トーマスはそれを思い切り横に押しのけ、走りだす。
「急げ! この『ゴキブリの大脱走作戦』はスピード勝負だ!」
「その名前やめませんか!? さすがに酷すぎますよ!」
「もう全員に伝えてある! 今更変えられん!」
自らのネーミングセンスがジョーに非難されているのをものともせず、トーマスは自分の役目を果たす。
城内を徘徊している邪魔者たちを前に、そのような些事にかまけている場合ではないのだ。
そう、彼の役割とは――露払いである。
「使者だ! 皇国の使者が城内で暴れているぞぉっ!」
トーマスに張り倒された兵士が、声を張り上げる。
その叫びを聞きつけた者たちが――――あまりやって来ない。
一人、また一人と、疎らに立ち向かってくるのみであった。
トーマスはその全てを殴り倒し、薙ぎ払うが、その表情は腑に落ちないとでも言いたそうだ。
「おかしい……もう大分騒ぎになっていてもおかしくない頃だ。俺たちが一番目的地に遠いところにいたはずなのに、敵に動きが見えない……」
一階のエントランスホールに降りたころ、トーマスは疑問を漏らした。
そう思うのも当然だろう。なぜならば、ここまでに彼が対処した者はたったの数名なのである。
城内に脱走が知れ渡っていてもおかしくない頃合いであるのにだ。
「もうここまで来た以上は引き返せませんよ」
「ああ、そうなんだがな……だが……」
「トーマス君――」
ブレットがトーマスの肩をつつくと、顎で指し示す。
その先には――
「……もう状況は最悪なのかもしれないね。どうやら、待ち伏せされていたようだよ」
一人の人物が壁に寄りかかり、トーマスたちを待ち受けていた。
その人物は身を起こすと、ゆっくりと近づいてくる。右の手のひらを、剣の柄に置きながら。
「待ちくたびれましたよ、賢者殿。それに――勇者殿」
「貴方は――!」
ジョー達を更に後ろに下がらせると、トーマスは腰に下げた剣に手を懸けた。
――――――
「……暇ねぇ……」
馬車の荷台に腰かけ、不満を漏らしているのはサクラである。
かれこれ一時間はこうして待っていると、彼女は記憶している。
「ちょっと! サボってないで警戒手伝いなよ!」
「疲れたのよ! もうアタシたちだけで行かない!?」
サクラは後ろのトレーラーの上から怒鳴りつけてくるアデラに、堪えきれず言い返す。
アデラは手に弓と矢を構えており、絶えず辺りを見回している。
当然サクラとは目を合わせようともしないので、彼女に絶妙な苛立ちを覚えさせていた。
「アンタの愛しのジョーも置いてくけど!?」
「なら、MWだけでも置いていったらいいんじゃない! そしたらトーマスのヤツが何とかするかもしれないわよ!」
「馬鹿言うんじゃないよ! 何でアタシらがまだ居座ってると思ってんのさ! そのMWを奪われないようにするためなんだよ!」
「冗談に決まってるでしょ!」
作戦では、格納庫を占拠後に全員で逃げ出す計画であった。
しかし隊の舵を取るはずのトーマスや、MW戦において最高の戦力となるジョー、そして今回の旅において重要な人物であるブレットがまだ到着していない。
「で、でもアデラさぁん! このままじゃマズいですよぉ! 急がないと!」
シェリーが危惧しているのは、城内にいる大勢の兵士によって包囲されてしまうことだろう。
今のところその兆候はないが、時間が経てばどうなるかはわからない。
「ああもう! ちょっとベン、どうすんのさ!」
「……待て」
「これ以上待つのは危険だよ!」
「そうよ! どうすんのよっ!」
トーマスの代わりに陣頭指揮を執っているベンは、「待て」の一点張りである。
サクラは自身の中に燻る物を吐き出すため、アデラの反論に乗じて文句を垂れていた。
そのほかの隊員たちにも、動揺が走る。
「――やれやれ、仕方のない奴らだ……」
そんな中で耳に入って来た声に、ふと周りを見渡すサクラ。
そしてその目は捉えた。言い争っている者たちを傍目に、去っていく者を――
サクラはその姿を追おうとはしなかった。
もしジョーの身に何かが起きているのならと思うと、それを救おうとする者を止める理由は無かったからだ。
――――――
城の広間で、二人の男が剣を打ち合っていた。
その刃は互いの体に触れることなく、宙を舞い、風を切り、そして鉄同士が響き合う不協和音を生み出していた。
もう数十分も、この状態が続いている。
「なかなかできるっ! 貴殿の名は!?」
「トーマスだっ! ダン・ガードナー・ストロイ殿っ!」
「……嫌味のつもりかっ!」
トーマスとダンが互角の勝負を繰り広げる中で、ジョーはその光景を黙って見守っていた。
目の前で戦う彼らの一挙一動がジョーの肝を冷やす。
「ちぃっ! ジョー、賢者殿を連れて先に行け!」
「行かせるものかよっ!」
トーマスはジョー達を先に行かせようとするが、ダンの視線から放たれる威圧がそうはさせてくれない。
その眼差しは獰猛な獣のようであり、親の仇を見るような眼でもあった。
ジョーをすくみ上らせるのには、十分すぎるほどに恐ろしい雰囲気を纏っている。
「よそ見をしながら戦える余裕があるのかっ!?」
「あるとも! もし戦場で会っていたのならば、私はもう斬られているかもしれない――だが、邪魔がないのであれば王族の剣は無敵だっ!」
トーマスの繰り出した一撃が、ダンの剣によって流され――続いて繰り出された一撃によって零れ落ちる。
『王』という絶対強者の剣が、トーマスの手に多大な負荷をかけて、戦意を喪失させる。
王族の剣とは、得てして多人数を相手取るには向かないものだ。
なぜならば、実力の誇示を目的としたその剣技は『戦い』ではなく、『試合』に勝つためのものだからである。
つまり、今のような一対一の状況に特化した剣なのだ。戦士としてはそれなりの腕と経験値を持ったトーマスでさえも、その剣捌きには敵わなかった。
「ぐっ――!」
「トーマスさんっ!」
「トーマス君!」
大急ぎで拾おうとするトーマスだが、隙だらけであるにも関わらずダンはとどめを刺そうとしない。
思わずなのか、トーマスは身をかがめた状態のまま硬直している。
見守っているジョーにも、何が何だかわからない。
「……拾いたまえよ」
「馬鹿にしているのか?」
「違う。確かに、今ここで決着をつけるのは容易い。しかし、賢者殿に私の勇姿を見ていただくいい機会だ。悪いが、貴殿には私の力を見せつけるための案山子になってもらおうというわけさ」
「やはり馬鹿にしているんじゃあないかっ!」
トーマスは手に取った剣を拾い上げるのと同時に振り上げる。
しかし、ダンには当たらない。次々と繰り出す剣も、その軌道が読めているかのように軽々と避ける。
剣を落とすまでの勝負とは違い、トーマスの剣はダンによって誘導され、子供をあしらうかの如くいなされていた。
「乗せられてるっ……! これじゃあ駄目だ!」
怒りで我を見失いつつあるトーマスを見かねたジョーは、心にある恐怖を抑えることが出来た。
そして、ジョーはズボンのポケットに手をいれると、『あるもの』を取り出す――
「トーマスさん、退いてください!」
「何っ!?」
ジョーは手に取った『それ』を背中の後ろへと隠し、ダンに向かって走る。
掛け声とともにトーマスが横に避ける。
驚いた表情のダンは、咄嗟にジョーに向かって剣を振り下ろす。
剣の射程まで近づくと、ジョーのブレイブ・センスが発動し、剣の軌道を読んでギリギリで横に飛んで避ける。
そして――
「な、何っ!?」
手に持っていた黄色い完熟バナナを、踏み込んだダンの足が戻るであろう位置へと放り投げた。
突然のことで理解が追いつかなかったのか、思わず体勢を立て直すべく足を移したダンはバナナを踏み潰し――
そして、後ろに転ぶ。
「――ぐあっ!」
「よくやったぞジョー! とどめだっ!」
「待ってください! そんなことより、さっさと行きましょう!」
トーマスが剣を突き立てるが、ジョーがそれを制止し、先へ進むことを促す。
その気になればジョーにもダンを殺害することは出来たのだが、それをしなかったのは度胸がなかったからというだけではない。
ダンという人物を失ってはいけないという、予感のようなものがあったのだ。
それはただの直感でしかないが、ジョーに躊躇させるには十分な動機であった。
「しかし――あっ!」
「ふふふ……油断をしたね……!」
煮え切らないトーマスが逡巡していると、ダンがその隙を突いて距離をとる。
ジョーの中には僅かな後悔こそあるが、それを上回る安堵があった。
「ダンさん、お願いです! 見逃してください!」
ジョーは自身の想いをその言葉に乗せ、叫んだ。
なるべく穏便にことが進んで欲しいという願いと、ダンを害したくないという個人的な感情を――
しかし、その想いがダンに伝わることは無い。伝わるわけがない。
「「見逃せ」……だって? ――それが敵に言うことかっ!」
ダンは再び剣を構え対峙する。
ジョーは悲しさを覚えつつも、トーマスの後ろに下がった。
――そしてその時、足音がダンの後ろから響いてきていた。
「――ふん……ならば、こう言うべきか」
近づいてきた人物は腰から剣を抜き、駆け寄ってきた。
ダンもそちらの方向へと振り向き、振り下ろされた剣を剣で受け止める。
響き合う鉄の音が、その一撃の重さを表現していた。
「力尽くで見逃してもらおう! ……とな」
剣を叩きつけた老人が、口元に笑みを浮かべて言い放つ。
「リック!」
「リックさん!」
「……やれやれ、迎えが遅いよ」
「ちっ、新手かっ!」
やって来た人物に、トーマスとジョーが歓喜の声を上げる。
ダンが剣を振るが、その攻撃は難なく躱される。
「トーマス! ここは吾輩に任せて先に行けっ!」
「俺はあんたの言うことは聞かん!」
「意固地になるな! 仮にもお主は人の上に立つ立場なのだぞ! その背に命を預かっているのなら、つまらん意地は捨てろっ!」
「何ぃっ!」
リックの叱責を受け、感情的になるトーマス。
「――だが、決して吾輩の言うことを鵜呑みにもするでないっ! 自分で考え、結論を出すのだ! そのためにも、余計なことは勘定に入れるなっ!」
剣の打ち合いを始めても、尚言葉を続けるリック。
戦闘中にこんなことを言い出して、トーマスに正常な判断ができるのかジョーは心配になっていた。
しかし――それは杞憂だったのだろう。
「ちっ……わかった。だが、言い出したからには道は拓けよ!」
「そのつもりだっ!」
ジョーの予想に反し、トーマスは大人しくリックの指示に従った。
それを認めたリックは、左手で強引にダンの襟首をつかみ、引き寄せてから蹴り飛ばす。
「ぐおぉっ!」
「今だ! 行けっ!」
リックの合図を受けると、ジョー達は動き出す。
「助かります!」
「おい、あんたが来るのは待たないからな! 置き去りにされたくなければ自力で追いつけよ!」
代表してジョーが礼を言い、トーマスが忠告を吐き捨てると、三人は格納庫に向かって走り出した。
しかしこの時、誰も気が付いていなかったのだ。
そう、倒れているダンの口角が吊り上がっていたことには――




