一節 戦う理由
愛するものに裏切られたとき、愛するものが奪われたとき、人は憎しみを覚える。愛と憎しみは表裏一体と言えるだろう。
ジョーには怒りはあっても憎しみはない。そして、憎まれたこともなかったのだ。
しかし、再会を果たしたサクラの心にあったのは、間違いなく彼への憎悪であった。
………………
格納庫のすぐ外で稼働しているのは、灰色のMW。
それが今、直角に座らされた黒いMWの背に立ち、頭を押さえて姿勢を維持させている。
「トーマスさん! 早く入ってください!」
「わかった! 少し待ってろ!」
灰色の機体――ブレイバー・プロトがハッチを開くと、身を乗り出したジョーが大声で指示する。
その声を受け、格納庫の前で待機していたトーマスは駆け足で漆黒の機体――レイダーに近づき、よじ登って腹部の操縦席へと搭乗した。
「始めてくれ!」
ヘッドギアを装着し終えたトーマスが肉声で合図を出すと、プロトは傍らに置いてある黒い箱状の部品――バッテリーパックを手に取り、レイダーの背へと近づける。
「オーライ! オーライ! ……もう三センチ左!」
プロトの足下で誘導するのはアデラである。
彼女がわざわざこのようなことをしているのは、少しでも位置がずれてしまえばコネクタピンを損傷する恐れがあるからだ。
そうなれば、最悪の場合レイダーは二度と動かない。故に、慎重に作業をする必要があった。
ジョーは丁寧に、ブレイバーのアームを動かす。
「こういう時に『能力』が使えれば」とジョーはぼやきながら、力んで震える手で操作する。
「……取り付けました! どうですか!?」
プロトがバッテリーを取り付け固定具でロックすると、ジョーは確認を要求する。
「今やっている! ……よし! 動いたぞ! 成功だ!」
「本当かい!? ちょっと動かしてみなよ!」
『よし、離れていろ!』
トーマスが内蔵された拡声器で警告すると、レイダーは唸りを上げ立ち上がる。
プロトは引き下がり、レイダーが十分に動けるよう距離をとる。
『立った! こいつ立ったぞ!』
トーマスは子供のようにはしゃぎ、歓喜する。
ジョーは大人げないと思いつつも、レイダーが立ち上がる瞬間を見守っていた。思わず微笑んでいる。
手を振り、脚を進め、踵の駆動輪が回ることを確認すると、レイダーの腹部が開きトーマスが顔を出す。
「使えるみたいだ!」
「そう、よかったね!」
「そういうわけだ! あとの調整は頼むぞ!」
「あっ! ちょっと!」
レイダーが股の間を通る梯子を地に垂らすように展開すると、トーマスはそれを途中まで伝い、中ほどのあたりで飛び降りる。
そして、ヘッドギアと共に後のことをすべてアデラへと放り投げたのだ。
改めて、適当な男だとジョーは思う。
「……ジョー、アンタももういいよ! ブレイバーを戻しておいで!」
「え、それでいいんですか!?」
「アイツはああいうヤツだよ! もう慣れてるさ!」
「そういうものかな」と漏らし、ジョーはブレイバーを歩かせる。
格納庫内に組まれた木製の作業足場の囲いの中に背を向け、緩やかにバックして定位置に収める。
そしてジョーもブレイバーから降りると、レイダーに乗り込むアデラに声をかけた。
「それじゃあ、お先に失礼しますね!」
「ああ、悪いね! こんなことに付き合わせて!」
「いえ! では!」
ジョーは格納庫から出る。そして、レイダーが入れ替わりに入るのを確認すると、彼はいつもの場所へと向かった。
――――――
ジョーは空を眺める。
太陽がないと分かっていても、彼の心は天の光を求める。
あるいは、六歳の『あの日』のように救いを求めているのかもしれない。
ここは、砦の外壁――その壁上。
見渡しがいいからか、ジョーはやることが無くなるといつも来てしまう。
そして、遠くに見える巨大な樹を見て憂鬱になったり、誰かしらが現れて変なことを言い出したりするのだ。
――今日も、そうであったのだろう。
「本当にこんなところにいるんだな。リックの言う通りだ」
「――トーマスさん」
歩いてやってきたのはトーマスであった。その顔にはそこはかとなく謝意のようなものを感じる。
彼はジョーの隣に立つと、同じ景色を見つめる。
「お互い暇だろう。話でもしないか?」
「暇ならアデラさんを手伝ってあげてくださいよ」
「すまん、撤回する。俺は……お前に弁明がしたかったんだと思う」
「――弁明?」
言いにくそうにトーマスは切り出す。
「……どうやら、リックが余計なことをしてくれたようだな」
「ええ。ここで本人が教えてくれましたよ」
リックの行動は不可解である。少なくとも、ジョーにはそう思えた。
ジョーが教えたわけでもないのにトーマスが知っているのを見るに、彼は自分で明かしたのだろう。
わざわざそんなことをする意味が解らないし、ジョーに明かした理由も結局よくわからない。
「俺は目的のためなら大体のことはやるつもりだ」
「あんまりそういう風には見えないですね」
「俺たちの常套手段は騙し討ちだ。それぐらいには何でもやるさ」
確かにその通りだったと、ジョーは思い出す。
彼は慣れきっていて気が付かなかったが、つい最近も卑劣な襲撃を仕掛けたばかりなのだ。
「――だが、俺にも許せないことはある」
「それがリックさんですか?」
「そうだ、俺は自らの欲のために人を道連れにするような奴を許すことはできない……!」
震えるほどに強く拳を握り、そう語るトーマスの目のは険しい。
宿敵を睨むように、仇敵を憎むように、その視線を遠くへと向けている。
「リックのしたことを許せとは言わん。憎んでくれていい、俺と共にな」
「トーマスさんを恨む理由はありませんよ」
「いいや、お前がこんなところにいる全ての元凶は俺だ。許されていいわけがない……!」
確かに、元を辿れば商隊がジョーを拾ったことに起因し、皇都まで付き合わせたトーマスに原因はあるのかもしれない。
だが、ジョーは拾ってくれたことを一応は感謝もしているのだ。そうでなければ、野垂れ死にしていたかもしれないし、この世界について何も知らなかったかもしれない。
――何より、サクラと再会するきっかけなど得られなかったのかもしれないのだから。
そう考えると、ジョーは一概にトーマスたちを責める気にはなれなかった。
「そうですか、なら……!」
ジョーは拳を握り、トーマスの頬を殴る。
人を殴ったことのない彼の拳など、トーマスからすれば痛くもかゆくもないだろう。
実際に殴られたというのに、トーマスは微動だにしていない。
「これでチャラです。僕にも無関係でいられない理由が出来ましたから」
「そうか、助かる。……理由ってなんだ?」
「あの紅いブレイバー――ジークとか言ってましたけど、あれに乗ってたのは僕の知り合いです」
「何!? どういうことだ!」
トーマスは驚愕のあまり、ジョーの肩を掴む。
しかし、ジョーは冷静に説明する。
「僕のヘッドギアに通信が入ってきたんですよ。僕のこと、殺したいみたいでした。何でですかね、ははは……」
「なるほどな。無関係でないというのはそういうことか……」
手を放し、納得したように俯いて見せるトーマス。
ジョーは自嘲するが、トーマスは笑わない。真剣な面持ちである。
「――ジョー、お前はどうしたい?」
「どうすればいいんでしょうか?」
「『どうすればいいか』じゃあない。『どうしたいのか』を俺は聞いている」
ジョーは考える。――いや、考えるまでもないことであった。
元の友人に戻れるなら、元の世界に帰れるならば、それが理想なのだ。それ以上を彼は望まない。
「……戻りたいです、元の関係に……戻りたいんですよ、元の場所に」
ジョーは泣いていた。もう決して戻れないことを悟ると、涙があふれ出るのだ。
しかし、もう元には戻らないだろうとジョーは考える。
なぜならば、彼は本気で殺し合ってしまったのだ。かけがえのない存在であるはずの彼女に、刃を向けてしまったのだ。
もう、どのようにすればよいかなど、わからない。
「ならそうすればいい。そうなるようにすればいい」
「……無責任ですよね、貴方は……」
「所詮他人事だ――」
突き放されたと感じたジョーは、消沈する。
だが、トーマスの言葉は続く――
「だがな、これだけは言っておく。俺には戦う理由がある、叶えたい『理想』があるんだ」
「……それがどうかしたんですか?」
「俺は妥協するつもりはない。『できない』で終わらせるのではなく、『やらなくてはいけない』んだ」
それでは単なる精神論にしか聞こえない。
だがジョーは落胆しながらも、しっかりとトーマスの言葉を聞いていた。
「……お前はどうなんだ。『諦められる』のか?」
トーマスの問いで、ジョーは完全に目が覚める。
出来る出来ないの問題ではないのだ。やらなければ、永遠にそのままなのだ。
そして、サクラ・ホワイトとの絆を失うということは、かつてのジョウ・キサラギの死を意味するのだ。もう、絶対に元の生活に戻ることは出来なくなってしまう。
ならば、彼としてはやるしかない。この未知なる世界に、これまでの人生を全否定される謂れはない。
「――今、わかりました。やっぱり僕は諦めたくないんです」
「そうか。それなら俺もできる限り協力しよう」
「ありがとうございます。貴方がいなければ、僕は自分を見失っていました」
この世界において、トーマス以上に頼れる人間はいないのだろうとジョーは実感する。
トーマスと同等以上に信用できる人間ならば他にもいる。だが、行動力の面で彼以上に信頼できる人間は思い当たらないのだ。
そしてジョーは、どこから来ているのかさえ分からない不思議な親近感さえも抱いていた。
だからこそ問う。似ているところなど何一つないはずの、目の前の男のことを知るために――
「……差し支えなければ聞きたいんですけど、トーマスさんの戦う理由って何なんですか?」
「ああ、それはな――」
トーマスは塀の上に腕を置き、組むと、空を見上げて語りだす。
「俺には守るべきものがある。その人は貧民で孤児だった俺を救ってくれて……そんな慈愛をきっと多くの人間に向けられる方だ」
「誰なんですか?」
「ルイーズ殿下だ。謁見の間で見たことがあるだろう?
「そういえば」とジョーは思い出す。
そう、皇帝から『勇者』のレッテルを張られた際に見かけた、美しい純白ドレスに身を包んだ、きれいな銀色の髪の女性である。
「俺はあの方が創りだすであろう『未来』のために戦っている。かつての俺のような子供がいない世界――彼女ならば、いずれそんな未来を築くことが出来ると、俺は信じているんだ」
軽々と話すトーマスの言葉には、本気であると感じさせる何かがあると、ジョーは感じていた。
きっとそのためならば、平気で命すらも使い捨てるだろうと感じさせる危うさも――
「だが今は戦乱の真っただ中で、国のトップはあのクズだ。それに殿下に国を動かせる力はない」
「皇帝をクズ呼ばわりしていいんですか?」
「構わん。こう言っちゃ何だが、俺はこのセンドプレス皇国のことなんてどうでもいいんだ。殿下さえいれば、きっとアークガイアに『光』をもたらしてくれる。その時まで守り抜くのが、俺の戦いだ」
ジョーは確信する。トーマスにとっての皇女とは、彼にとってのマシン・ワーカーに等しい存在――数多の人々に希望を与える存在なのだと。
だからこそ、ジョーにはトーマスが必死であるのが理解できたし、共感を覚えることもできた。
――そして、そんな彼だから信頼できるのだと、ジョーは思い至ることができるのだ。
「なら僕も協力しますよ。『できる限り』、ね」
「はははははっ――なら、あてにさせてもらうぞ、ジョー」
ジョーとトーマスは手を握り合う。
それこそが、後のアークガイアに『光』をもたらす、歴史的協力関係の始まりであった――




