一節 穢れし紅いブレイバー
人殺しを許容できるようになったジョーには、向かうところ敵はないのかもしれない。
しかし、一切の躊躇なく振るわれる力には分別などないのだ。
ジョーは忌避感の意味を、今一度思い出す必要があったのだろう。
………………
その少年は暗闇の中にいた。身動き一つ取ることができず、どれだけの時間が経ったかわからない。
そう、少年は家族でのドライブ中にトンネルの崩壊事故に巻き込まれ、生き埋めになっている。
少年は母と共に、後部座席に座っていた。
少年の両親はすぐに死んだ。
彼を守る者は、もういない。その証拠に、彼の手足は折れ曲がり、内臓を損傷する大怪我を負っていた。
悲しみと痛みと孤独に包まれた絶望の世界。彼は奇跡的に意識を保っているが、とても六才の少年に耐えられるようなものではない。
そんな中でも、彼は救いを待ち続けた。何秒、何分も、何時間でも――
だが、彼を救うものは未だ現れない。時間が経つごとに生気が失われ、死の痛みと恐怖に心が蝕まれてゆく。
何もかもを諦めようとしたその時であった。
少年の脳裏に亡者が現れる。その中には、彼の見覚えのある人物と見飽きた機械――
彼のせいで死んだ者たちと、壊れたマシン・ウォーリアである。
『よくも殺してくれたわね……』
『お前さえいなければ俺は……』
『ふざけやがって……殺してやる……!』
『貴様など助けなければ……』
『痛い……! 苦しい……! どうして私が……!』
『アタシの体を還せ……!』
『俺の人生を還せ……!』
『私の未来を還せ……!』
『命を還せぇぇぇぇぇぇっ!』
――――――
「うわぁぁぁぁぁっ!」
ジョーは割り当てられた部屋の中で目を覚まし、反射的に身を起き上がらせる。
その表情は、憔悴しきっていた。頬はやつれ、目は血走り、脂汗を浮かべている。
「どうして……! どうしてこんな夢を見るんだっ!」
今まで過去の再現を夢として見ることはあった。
しかし、彼の負い目をピンポイントに狙い撃ちするかのような映像を見ることは、今までなかったのだ。
「僕は何もしてないっ! 全部仕方のないことで! 当然のことなんだ!」
自己肯定を始めるジョー。きっと本心ではそうは思っていないのだろう。
なぜなら、彼は誰かに責められている訳ではないのだから。彼を責めているのは、自身の心だけなのだから。
――にも関わらず、言い訳せずにはいられない。既に限界が近づいているのだろう。
「僕はっ! 僕は――!」
これは彼の知らないことだが、他の部屋からもうめき声が上がり続けている。
夜の砦には精神に異常をきたした者たちの声があふれているのだ。
彼に特別に個室が割り当てられているのは、その声を直に聞かせまいとするトーマスの計らいによって実現したことなのだった。
そしてジョーはこれからも、他に誰もいない部屋で苦しみ続けるのだ。
――――――
格納庫の中は基本的に静かである。その中にはMWしかないからだ。
古代文明の遺産であるMWを整備できるものなど、このアークガイアにはほとんどいない。故に、非常時以外は物音などしないことのほうが多いのだ。
――しかし、その朝は騒々しかった。
「ほら、ちゃんと拭きなよ! このままじゃ格好が付かないんだからね!」
そう声を張り上げるのは、アデラである。
彼女の指示のもと、数人の男たちがブレイバーを囲うように組まれた足場に立ち、その身を汚れた雑巾で拭いていた。
元々濁っていたその雑巾の色は、赤とも紫ともつかないような色へと変わってしまっている。
「おい! なんで俺までこんなことをしなければいけないんだ!」
手を動かしながらも文句を垂れるのはトーマスだ。
ブレイバーの正面に置かれた椅子に座るジョーは、眠いながらも同情したくなる。一応は隊長である彼には、他の仕事もあるはずなのだから。
「アンタだって昨日は役立たずだったろ! こういう時ぐらい役に立ちな!」
「お前だってそうだろ!」
「アタシは昨日こいつからゴミをとるので疲れたんだよ!」
「はぁ!? ふざけんな! 俺だって他にやることがあるんだよ!」
その光景を黙って見るジョーは、すごく仲がよさそうだと感じる。まるで熟年の夫婦のようにすら見えた。
この二人はどういう関係なのだろうかと下種の勘繰りを始めるが、疲れきっている彼にそれを聞こうとするだけの気力はない。
「ベンを見習いなよ! こんなにも黙々と真面目にやってるじゃないか!」
「……ああ」
「元々喋らないからそう見えるだけだ! 考えてることは俺と同じはずだ!」
「決めつけんじゃないよ!」
確かにベンは静かにしている。
しかし、ジョーを含め誰も気が付いていなかったが、その表情はかなり嫌そうであった。
他に同様の作業をしている者たち――ジョーが名前を知らないような隊員たちと同じような顔だったそうだ。
「あの……別に汚れててもかまいませんよ」
「そうだ! どうせまた付くんだから、別に今やる必要なんかないだろ!」
見かねたジョーの言葉に、トーマスが便乗する。
その発言は、かなり無神経だ。ジョーの心を抉る、最低のものだった。
だが当のトーマスはそんなことには気が付いていない様子である。
「何言ってんの! ただでさえ汚い色してんのに、血なんかついてたらもっと汚いだろう! 勇者様の機体なんだよ!」
「ならシェリーにでもやらせておけばいいだろ!」
「そのシェリーはアンタ以上に忙しいじゃないのさ!」
カールの死後、シェリーは事務仕事に回されていた。聞けば、彼一人がこの砦の財政を管理していたのだという。
もともとそのようなことが出来る人材が少なかったのもあり、カールの分の負担が彼女にのしかかって来ていたのだった。
ちなみにピーターもそっちの仕事をしており、この場にはいない。
「ぐっ……!」
言い返せなくなったトーマスは、しばらく黙って作業をしていた。
しかし、背中が震えだしてきたと思うと、急に立ち上がる。
「もういい! こんな事やってられるか!」
「あっ! 逃げんのかい!?」
「爺さんを探してくる! あいつにも手伝わせてやる!」
「ちょっと!」
トーマスは雑巾を放り投げ、格納庫を飛び出していく。
アデラは止めようとするが、逃げられてしまった。
昨日の夕方のことは、結局トーマスには話していない。
ジョーには、トーマスがリックのことをいたく信用しているしているように見えるのだ。
特にトーマスに害をもたらそうとしている訳でもないので、彼らの関係にひびが入るだけの余計な事はしないほうがいいと判断したのだった。
「全く、アイツにも困ったもんだよ! ねぇ、ジョー!」
「ははは……」
アデラはジョーに同意を求めてくる。
ブレイバーの汚れなど、心底どうでもよいと思っている彼の反応は微妙である。
「それにしても、派手に汚してくれたもんだねぇ」
ジョーはブレイバーを見上げる。
拭きのばされた血は灰色の装甲を仄かに染め、溝に入り込んだ血液は拭いとることが出来なかった。
灰色の機体は、紅みを帯びてゆく。ブレイバーからその色が落ちることは、きっともうないのだろう。
――――――
「何!? 全滅!? 全滅と言ったのか!」
天幕の中で驚愕の声を上げるのは、アルフレッドだ。
昨日の出兵から戻ってきた、僅かな兵士たちの報告を聞いた際のリアクションである。
「ミラベル・ローズをこうもあっさりと下すとは……予想以上だな。流石だよ、ブレイバー」
余裕の声で敵を褒めたたえるのは、ガスである。
衝撃的な内容に一切動じていない。彼からすれば、ミラベルの死は予想通りであったのだろうか。
「ちょ、ちょっと! 全滅って……みんな死んじゃったの!? あのおばさんも!?」
アルフレッドと同様に驚いているのは、金髪の少女。
「おばさん」とは、ミラベルのことを指しているのだろう。
「落ち着きなさい。ガス様は狼狽えていないわ。そこまで不思議なことではないってことよ」
慌てふためくアルと少女を宥めるのは、エルだ。彼女は呆れたように言う。
しかし彼女の言葉を受けても、アルは動揺を抑えきれないようだ。
「しかし姉上、『灰色』がそこまでやるとは……!」
「アル、ブレイバーの能力はわかっているでしょう? あれはガス様も認める最強のMWなのよ。ならそれぐらいは容易くできるわ」
「エルの言う通りだ。奴を倒せるのは私の操るストライカーか、あれと同じブレイバーだけだろう」
ガスは自信満々に言い放つ。来たるべき再戦に向け、その瞳は闘志に満ちていた。
しかし、アルは納得できない様子である。
「私の賜った新しいアーミーなら、一人でも奴に勝てます!」
「それなら、模擬戦で一度でも彼女に勝ってみることだな」
ガスが傍らの少女に視線を映すと、続けてアルも挑戦的な眼差しを向ける。
「……くっ、わかりました! サクラ、しばらくしたらまた勝負だ!」
「えっ!? ちょっと待ちなさいよ!」
「失礼!」
アルは勢いよく天幕から飛び出して行く。
唖然としてそれを見送った少女――サクラ・ホワイトは、それはもううんざりとした表情を浮かべていた。




