六節 業から逃れえぬ本能
ジョーの心には、どす黒いものが渦巻いていた。
『ちっ! 邪魔されたか! まあいい、こいつも大物には違いない! 手柄にはなる!』
目の前から女の声が響く、それを聞いてしまったジョーは、歯止めを外されるような感覚に襲われる。
ファイターから剣が抜き取られ、乱暴に押しのけられた躯は倒れ伏す。
倒れる残骸が何人かの人間を圧し潰し、体液まみれの肉塊へと変貌させる。
「嘘だろ……こんなの……!」
ファイターの下敷きとなった者たちの命の輝きが失われてゆく。
それは、動かない人形のようであり、些細なことで尽き果てた虫けらのようにも見えた。
――そういう風に彼には見えてしまったのだ。もう、命の尊さなどという世迷言を、信じられなくなってしまったのだ。
『――ジョー! 聞こえるか! カール殿は!? 何があった!?』
トーマスの声がヘッドギアを通して耳に響く。
その声は、ジョーの耳には余分な聴覚情報にしか思えなかった。何を言っていたのかさえしばらく認識できず、彼が返事をしたのは何回も呼びかけられた後であった。
「……くたばりましたよ。黒いのに……やられました」
『何!? やはりピーターの報告通りかっ……!』
「そういうわけです――わかったら黙っててください。うるさいので」
『な!? おい、ちょっとま――』
淡々と報告を済ませたジョーはヘッドギアの通信機能を切り、トーマスの声を消した。
そして、昂る心をトリガーとして意図的な緊張状態を引き起こし、『能力』を発動させることができるのを確認する。
『次はお前だ、灰色! 貴様を倒せば私の能力が認められる! クレセンティウムの剣だって!』
黒いMWは走り出す。周りの人間を撥ね、踏みつぶしながら。
そして、ブレイバーに肉薄する。
その姿はまさしく、恐怖をもたらす殺戮の化身。対峙する者を戦慄させるには十分な迫力であった。
『今度こそ貰った!』
漆黒の機体は剣を振り上げ、ブレイバーの胴を狙う。
しかし――
「……ふふふ」
微笑みを浮かべるジョーは、その剣を軽々と見切る。
レイダーは刃を返し、息もつかせぬ連撃を繰り出すが、華麗な足さばきのブレイバーにはかすりもしない。
『なぜ……何故当たらない!』
――そう、ブレイバーは足を動かし始めたのだ。周囲の人間のことなど全く考えていないかのように。
レイダーが剣を振るう度、ブレイバーはその軌道を読み、避ける。そして、周りの人間を巻き込んでゆく。
『なんだこいつはっ! 化け物か!?』
MW同士の戦いにおいては、相手の動きを読むことこそが重要となる。
常にタイムラグの発生する機械同士の戦いでは、基本的に見てから躱すのは不可能。経験から予測するしかできないのだ。
それを熟知する彼女にとって、ジョーは『化け物』と呼ぶにふさわしい存在だろう。
ミラベルの操るMWは立て直しのため、バック走行で距離をとる。
『――化け物……? 化け物だって?』
トーンの低いジョーの呟きが拡声器から漏れた。
『損得勘定で人殺しをするアンタの方が――よっぽど『化け物』だろうがっ!』
怒声と共に、ブレイバーは動き出す。駆動輪を稼働させ、地を駆ける。
ジョーは感情に支配されていた。
悲しみではない。良く知りもしない人間が死のうが、彼の心を塗りつぶすほどには生まれない。
怒りだ。自らの欲のために人を殺める者たちへの。
――そして、甘い考えから結果的に犠牲を増やしている自身への。
今となっては死への恐怖など、タガを外すだけの装置にすぎない。
それ以上の煮えたぎる感情が、ジョーを突き動かす。
そうして彼は本能にさえも従わされるのだ。
『動き出したか! だが、ゴミの散乱する戦場でこのレイダーを追えるのか!』
『追う! 追い詰めるっ! 地獄の底まで!』
『ジゴク?』
『アンタのような奴は生かしてはおかないっ!』
『ほざくなっ!』
灰と黒の二体の巨人が戦場を縦横無尽に駆ける。
肉を踏みしめ、多くの血だまりを作り出しながらも、あくまで一騎打ちを繰り広げる。
黒い巨人、レイダーは隙を着くように、タイミングを計って剣を振る。
――しかし、それは当たらない。
灰色の巨人、ブレイバーはそれを易々と躱すのだ。
確殺のタイミングで突き出された剣も、人を超越した動体視力と反射神経の前には意味をなさない。
『おかしい、おかしいっ! なぜ避けられる!』
ミラベルの声には恐怖が滲んでいる。
繰り出す攻撃のことごとくが、当たらない。まるで、そうなる運命であるかのように。
剣先が触れる寸前で、急加速して逃げるのだ。
人間ではありえないほどの入力速度を要する連続動作を、事も無げにやってのけるのだ。
それは最早、『化け物』と呼ぶのもおこがましい何かだ。
ミラベルにとっては逃げられない悪夢のような状況が続く。
ジョーの宣言も相まって、彼女は確実に揺さぶられていただろう。
『まさか本当に……『救世主』の再来とでも言うのか!? 天上からの使いだとでも……! そうでなければこの私が――!』
『いちいちうるさいんだよっ! 黙って殺してきた人たちに懺悔しろ! その命をもって!』
『ぬかすな! 化け物の分際で!』
ミラベルの操るレイダーは勝負にでるようだ。
対峙するブレイバーから何とか一旦距離をとり、剣を上段に構えると、速度を上げ突撃する。
その攻撃は、MW相手には有効な戦法であることが証明されている。他でもない、彼女が対抗心を燃やしている男によって。
『これならばっ!』
しかし、それはガスの操るストライカーに比べ、精錬されていない動きである。
一切の障害を考慮しないその動作は、単調故に動きに無駄があるのだ。
『下手糞なんだよ!』
『なっ!?』
当然、ジョーには見切れてしまう。容易く読めてしまう。
ブレイバーは振り下ろされた渾身の一撃を難なく躱すと、通り過ぎる背中にヒート・ソードを叩きつけた。
背部に背負うバッテリーパックが切り裂かれ、動力源を破損したレイダーは突撃の勢いと旋回しようとする遠心力を乗せたまま倒れこむ。
『……』
ジョーはカールの仇を討った一瞬の達成感と、それを上回る虚しさに浸り、沈黙した。
その表情は、どこまでも冷たいものだ。嬉しいとも楽しいとも、ましてや悲しいとも思えないのだろう。
「あっちのマシンが倒れたぞ!」
「殺れ! 騎士を討ち取れば手柄だ!」
「俺の首だ! 俺の手柄だ!」
仰向けに倒れたレイダーに兵士たちが集まってくる。
餌を見つけた働き蟻のように、目ざとく群がってくる。
そしてレイダーの腹部から、紫髪の女が引きずり出され――
ジョーはその先を見る必要はないと判断し、ブレイバーを次なる敵へ向けて走らせた。
「ふふふ……そうだ、最初からこうするべきだったんだ」
ブレイバーは単機で敵の群れの中に突入し、蹴散らして行く。文字通りの意味でも。
兵士たちの悲鳴と断末魔と無念の声が、戦場に轟く。
「……はははははは! 何で僕はこんなことが出来なかったんだ!? ブレイバーなら、こんなに簡単なのにっ!」
多方向から同時に攻めてくるアーミーを、ジョーは的確に処理してゆく。
敵陣の真っただ中に入り込み、並みいる敵をありえないほどの速度で切り払うブレイバーの姿は、まさしく『勇者』である。
――だが、帝国の者からすれば確実に死を振りまく存在であり、恐怖の対象でしかない。
それでも、帝国の騎士たちはジョーとブレイバーに立ち向かう。
見かねたジョーは拡声器を起動した。
『帰れっ! 帰れよ! 死にたくなければ……アンタたちの国へ帰れってんだよっ!』
涙を流しながらジョーは叫ぶ。
彼は帰るべき場所がどこにあるのかすらわからず、訳の分からないまま戦い続けているのだ。
帰れる場所がはっきりしている人間を羨ましく思うのと同時に、妬んでさえいただろう。
だが、彼は知らない。その帰る場所――祖国のために彼らは戦っているのだということを。
生まれてこの方争いを知らず、よく知りもしない国のために戦わされている彼には、それは理解できない。
だからこそ、勧告を聞いても尚、反抗を続ける者たちに訝し気な視線を向けるのだ。
『無駄な抵抗はやめろって言ってるだろ! いい加減っ! 解れよっ!』
ジョーはブレイバーを再び暴れさせる。
人は鋼鉄の足によって殴り飛ばされ、MWは熱を放つ剣によって切り裂かれてゆく。
ブレイバーは死の権化となり、あらゆる敵を駆逐してゆく。
もう、そこは戦場などではなく、ただの屠殺場だった。
誇りを持たぬものによって一方的に虐殺されてゆくだけの場所。
帝国の者たちは無残に命を散らし、ただそれを見る皇国の兵士は『勇者』を称える。
気が付くと、ジョーの視界に敵は映らなくなっていた。
「……あと、何回こんなことをすればいいんだ……」
ジョーは無気力に呟く。
彼の心を知る者など、ここには誰一人としていない。




