プロローグ 勇者召喚の儀
プロローグ 勇者召喚の儀
ウルヌス王国はその周囲を城壁で囲まれた、小規模な都市国家である。
そんなウルヌス王国の城壁の外側には小さな祠があり、その地下に造られた聖堂の中央には聖油によって巨大な魔法陣が描かれている。
そして今、魔法陣の外側には豪奢な作りの服を着た初老の男性がおり、そのすぐそばには鎧に身を包んだ二人の男女がいた。
赤毛の女の方は一見平凡な鎧であるが、無駄の無い機能性に富んだ鎧を、男の方は自らの力量を誇示するような少々過剰とも言える鎧を身に着けている。その奥にはごくごく一般的な鎧をつけた騎士達が控えていた。
そして魔法陣の中心には、まだ十代前半だと思われる少女が立っていた。純白のドレスを着た長く美しい金髪の少女は、毅然とした姿勢で、しかし緊張を滲ませた表情で杖を握り締める。
「オラフィナ、本当に大丈夫か?」
少女の正面に立つ初老の男性…ウルヌス王国国王、ヴェオルグ・アラグディア・ドゥ・ウルヌスは少女に心配そうに声をかける。
「大丈夫です、父上。私はきちんと成功して見せます!」
オラフィナと呼ばれた少女は父親の心配を振り切り、魔術の行使を始める。
「勇者に相応しき器を持つ者よ。この私、オラフィナ・トゥーレイン・ドゥ・ウルヌスの名のもとに告げる」
オラフィナは右手に持った身の丈ほどの大きな杖を前方に突き出し、静かに詠唱する。杖の先端に備え付けられた水晶と足元の魔法陣が連動するように、淡い輝きを放ち始める。
「汝はその身を戦火に投ず。数多の苦難の炎は汝を焼き、苦しめ、魂をすり減らすであろう」
額に汗を滲ませ、恐らくは人生で一番の緊張感に包まれながらもその口調はしっかりとしている。詠唱が進むにつれて足元の魔法陣は輝きを増し、周囲の空気は僅かに振動した。
「この契約が交わされれば覆る事は無く、その身はこの世に縛られる。それでも汝が召喚に応えるのならば、汝の剣を我に…」
そしていよいよ詠唱が完了するといった、その時だった。
ドンッッ!!と聖堂中に大きな振動が響く。突然の出来事に全員が驚き、互いに顔を見合わせた。
「オラフィナ様!」
周囲が動けずにいる中、鎧を着た女性がオラフィナに駆け寄った。先程の衝撃で転んでしまったオラフィナの手を取り、優しく起こしあげる。
「オラフィナ様、お怪我は?」
「ヒルダ。いいえ、私は無事です。それより皆さんは……!?」
「ご心配なさらずに、この場にいる全員とも無事です」
「そう、良かった……」
肩のあたりで切り揃えられた短い赤毛の女騎士、ヒルダから誰も怪我を負っていないという報告に安心し、オラフィナはふうと息を吐いた。気持ちを落ち着かせて周囲を見てみると、信じられないものが目に入った。
オラフィナの目の前、ちょうど祭壇の前の壁に亀裂が入っていたのだ。この事実に、その場にいる全員が戦慄した。
この聖堂は造られた当時に聖堂全体を巨大な魔術で覆われており、たとえ魔術師が百人集まって攻撃魔法を撃ってもびくともしない強度を誇るのだ。しかし、今目の前に広がっている光景は、その自信を覆すようなものだった。
「か、壁が……!」
「バカなっ、ありえない!」
予想外の光景に周囲の騎士たちはうろたえ、浮足立った。その様子を見たヒルダは、騎士たちに向け声を荒らげた。
「うろたえるな!貴様らは誇り高き騎士だろう、醜態を晒すな!!」
空気を震わすようなヒルダの檄に、すぐ間近にいたオラフィナさえも思わずたじろぐ。当の騎士たちは、ヒルダの一喝により何とか落ち着きを取り戻す。
「申し訳ありません、無様な姿を……」
「い、いえ、良いのですヒルダ。いきなりこんな事が起きたのですから無理もありません」
部下の醜態を恥じてヒルダはオラフィナに頭を下げた。オラフィナはそれを制し、父親に顔を向ける。
「父上、今のは一体……?」
「分からぬ。召喚魔法のせいでは無さそうだが……」
「あっ、そうだわ!召喚魔法は……!」
ハッとして、オラフィナは魔法陣を見る。そして一瞬息が止まった。壁に生じた亀裂が、地面の魔法陣の一部にまで及んでいたのだ。
この魔法陣も、聖堂が建設された当時に共に描かれたものだ。風化する事もなく、どのようにして描かれたのかも解っておらず、現在では誰にも修復不可能の代物である。この魔法陣が壊れたという事はつまり、二度と勇者召喚の儀は行えないという事なのだ。
「そんな、魔法陣が……」
その時、聖堂の入り口からガシャガシャと鎧がこすれる音が聞こえてきた。オラフィナがそちらの方向を見ると、そこには慌てた様子の衛兵が立っていた。
「申し上げますっ!!」
衛兵は息を切らせながら、起こったことをありのままに報告した。
「じ、城門付近にて多数の魔物の存在を確認っ!!王国市街地に攻め込もうとしています!!」
衛兵の口から告げられたその報告に、オラフィナは目を見開いた。
同時刻、あらゆる世界のあらゆる時代で、ある異変が起きた。
その傭兵は自身の所有する小型宇宙船の操縦席で。
その戦士は酔いつぶれて寝ていた地面の上で。
その人斬りは山中のあばら家で。
その拷問官は薄暗い地下の拷問部屋で。
その元殺人鬼は孤児院の自室で。
その騎士はネズミや虫の巣食う薄汚れた廃屋の中で。
その錬金術師は深い森の中で。
その魔術師は外の光を一切通さぬ洞窟の中で。
その狩人は化け物たちの亡骸に囲まれた草原で。
それは自らを閉じ込める暗闇の中で。
各々が異変に気付いた次の瞬間には、全員がその場から姿を消していた。