転職94日目 閑話:仕事あがりにて
「メンチカツ定食たのむ」
食堂に入ってすぐに注文を出し、カウンター席に座る。
混み合う時間よりは早めのせいか客は少ない。
おかげで変に気を遣う必要もない。
やはり団長が入ってくると食堂内の空気が変わる。
多少の気遣いをされる事もあるので、逆に落ち着かない。
そういった事は無用だとは言ってるのだが、なかなか聞き入れてもらえないでいる。
団員からすればそうそう聞ける話でもないのは分かる。
だが、そうやって気を遣わせるのも何だと思うので、食堂に入る時は気を遣っている。
この日のように混み合う時間を避けたり、持ち帰れるようにしてもらって家で食べる。
どちらにするかはその日の気分による。
今日は少しは落ち着いて食べたいので食堂に居座る事にした。
「今日の仕事は終わったんですか?」
女将の声に「ああ」と応える。
「新人君達とは今日で終わりだ。
これ以上一緒ってわけにはいかないし」
「仕事がたまってるから?」
「そういう事。
優秀な事務員達が上手く処理してくれてるけど、俺の決済印が必要なものもあるからね」
言いながら、わざとらしく肩をすくめる。
実際には判子を押すだけで終わるような状態ではある。
回ってくる書類のほとんどは定例的な内容である。
一々ヒロノリにお伺いをたてるまでもない。
そういったものは形式的にヒロノリに報告書をあげはするが、ほとんど事務員の方で片付けている。
それが出来るからこそ、ヒロノリはモンスター退治に出かける事が出来る。
モンスター退治に出る余裕を作り出す為に、そういった体制を作ったとも言える。
何にせよ、ヒロノリが着手しなければならないのは、新規で何かを起こす時くらいになっていた。
そして、そんな事はそうそう起こりはしない。
それでも週末などには書類に目を通す事になる。
一応何が起こってるのかは把握しておく必要があるので、これだけはやらねばならなかった。
時間をかけて解決しなければならないようなものはほとんどない。
仕事がたまるなんて事はほとんどない。
それでも、
「明日から書類に追いかけられるんだよなあ……」
と嘆いてみせる。
嘘ではないのだが、それほど大変な事でもない。
重要な判断が必要な事などまず発生しないのだから。
それを知ってる女将は、
「お疲れさまです」
とねぎらいの言葉をかけて、笑みを浮かべながらヒロノリを見つめる。
「頑張ってくださいね。
でないと、私も他の皆も路頭に迷ってしまいますから」
「はいはい」
そんな事はあるめえ、と思いながらも返事をする。
女将なら、この拠点でなくても店をひらいてやっていけると思っていたので。
ただ、美味しい料理と程よい客捌きは得難いものがある。
そんな彼女をここに留めておくために多少は頑張るべきだろうとも思った。
「それで、今回の新人さんはどうでした?」
定食を平らげたあたりを見計らって女将は尋ねる。
新人が来る度に、ヒロノリがそれに付き合う度に出て来る言葉になっていた。
対する答えも今までとさして変わりはない。
「いつも通りだ」
特別何かがあるわけでもない若者達への、特に飾りのない評価が出てくる。
「若くて、未来がある。
羨ましいよ、本当に」
「そうなんですか?」
「そうですよ。
もう三十を何年も過ぎた身としてはね」
オッサンになったなとつくづく思う。
自分の半分以下の年齢の子供達を見ていて、彼等にある未来の長さが羨ましいと思えてしまう。
「……下手すりゃ、自分の子供みたいな年齢ですし」
この世界の婚姻年齢と、子供を授かる頃合いを考えればそうであってもおかしくない。
十代半ばで結婚し、最初の子供もそれくらいに授かるのだ。
ヒロノリからすれば、ハルキ達は自分の子供と言ってよいくらいの年齢になる。
「あいつらが俺くらいのトシになるまで、どんだけの事が出来るかと思うと。
羨ましくて羨ましくて、もう嫉妬しまくりですよ」
「とてもそうは見えませんけど」
「見えないよう努力してるだけですよ」
嘘ではない。
実際、あれだけの若さがあればと思う。
これからひろがる人生の展望に夢を描けたかもしれない。
が、それだけが本音というわけでもない。
「でも、頑張るんですよね」
「ええ、まあ。
あのガキ共が上手くやっていけるよう、やれる事はやらんと」
地位や金の為だけではない。
ヒロノリの自身の望みもあるが、それをかなえる為にも他の連中の事を蔑ろにするわけにはいかない。
所属してる冒険者がしっかりと稼げてこそヒロノリの生活も成り立つ。
やりたい事も成し遂げられる。
私利私欲とその他大勢の利益が一つの方向を向いて一致してるのだから、相手の事を考えてやる事が己にも跳ね返ってくる。
良いにつけ悪いにつけヒロノリと一団の所属員は運命共同体だ。
自分の為に何かしようと思えば彼等の事も考えねばならない。
彼等を大事にすれば、いずれ自分に見返りがやってくる。
単に利害を考えても、他の者達を蔑ろにするわけにはいかなかった。
それ抜きにしても、一緒に活動してる者達の為に何かをしてやれるというのは、それなりに楽しくもあった。
共に歩む者がいるというのを実感させてくれる。
以前の会社とは比べものにならないくらいに。
「嬉しそうだな」
食堂を後にして戻った家で、清掃をしていた掃除婦にそう言われる。
「そうか?」
「ああ、何かあったのか?」
「いや、別に」
これと言って何かがあったとは言えない。
悲惨な出来事も無かったが。
「好みの女でも見つかったのか?」
そんな事を言われもするが、「まさか」と返して終わる。
残念ながらそんな相手があらわれたというわけでもない。
食堂の女将とのちょっとした語らいはそれなりに楽しくはあるけども。
「むしろ最悪だよ。
明日から書類に追い回される」
「……新人達と一緒の活動は終わったのか?」
「そうだよ。
暢気にモンスターを倒してるわけにはいかなくなっちまった」
「なるほど」
それで合点がいいたのか、掃除婦は納得した顔をする。
「将来有望な若者を見て、満足してきたと」
ヒロノリが喜んでるのがそういった所なのだろうと思ったようだった。
「そんなに有望な人材が来たのか?」
「いや、そういうわけじゃないから」
「ん、眼鏡にかなわないほど酷い連中だったのか?」
「だから、そうじゃなくて。
なんで俺が新人の事で喜ばなくちゃならないの」
おかしいでしょ、と言わんばかりに反論する。
しかし掃除婦は「はいはい」と取り合わない。
「説得力ないよ、そんな事言っても。
いっつも新人が来る度に同じ顔してるんじゃね」
「…………」
そう言われると何も言い返せなかった。
無言になるヒロノリを見て掃除婦はゴミをまとめて家を出ていく。
その際、玄関で振り向いて、
「だから、皆があんたについていくんだろうけど」
と言って。
言われた方は何ともいえない複雑な気持ちになった。
ありがたいやら照れるやら。
悪い事ではないが、何とも面はゆい。
「…………」
言葉もなく、天井を見上げた。




