転職74日目 閑話:食堂にて
箸を動かす。
無心に食べる。
最近、味が格段に良くなった食堂において、黙々と食べていく。
暴飲暴食というわけではないが、無言で食べ続ける姿はどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
時間的に他に人がいない食堂の中、ヒロノリはただただ食べる事に没頭していた。
それ以外の事は考えていなかったし、考える余裕も無い。
ここ最近では気が抜ける唯一の時間である事もあり、食べる時には他の事は考えていない。
担当者以外は誰もいない食堂の中、ヒロノリはただただ目の前の茶碗と味噌汁とおかずを食い続けていった。
忙しくて思うように動けない日々が続く。
モンスター退治か事務作業をしてるかのどちらかしかない毎日であるが、最近はそれに拍車がかかってる。
単に一団を運営してるだけなら問題は無いが、他にばれないように廃村を確保している。
その為にかかる労力が馬鹿にならない。
事細かな指示が必要になる。
どうしてもそちらにかかりきりになってしまっていた。
日常業務や各拠点の運営などについては、それぞれに担当者を設けて任すしかなくなっている。
それに必要な運営や経営といった技術を身につけた者もいる。
既に結構な期間の運営経験もあるので、突発的な事態以外ではそれほど問題なく任せる事が出来るようにはなっている。
それが救いではあった。
ヒロノリには定期的な日報や週報などが届く程度で済むようになっている。
しかし、現在開拓中の村はそうはいかない。
今までの経験を活かしていける部分があるので、これも全てにヒロノリが携わる必要は無い。
なのだが、それでもやらねばならない物事や、心を砕かねばならない事態はある。
無視するわけにはいかないそれらに対応してると、嫌でも消耗していく。
何かで気を紛らわせてないとやってられない。
白米のご飯を口に入れ、味噌汁で流し込んでいく。
そんなわけで、無心に飯をかっくらっていた。
他に何もしないでいられる時間というだけで今は貴重である。
神経質なほどに張りってる気をゆるめる事が出来る。
筆を動かし頭を働かせている中で、箸を動かし腹を動かす事は大変貴重な瞬間だった。
終わればまた仕事に戻っていかねばならないが。
そんな事を考える事なく、おかずに箸をのばす。
肉と野菜の炒め物が今は無性にうまい。
高い金を出して買い求めた塩のありがたみである。
最近は取引量が増えたせいか、多少は安くなってきてるようではある。
また、醤油などの各種調味料も出来上がってきたせいか、味付けも格段に良くなっている。
料理の技術を持ってる者達に提案してきた甲斐があったというものである。
それらを一通り平らげ、一息吐く。
食べ終わった後に呆然としていられる瞬間は何ともいえない至福をおぼえる。
これから再び今後の活動についてあれこれ考えていかねばならなくなるが、それを忘れていられる。
仕事については何も考えたくなかった。
そんなヒロノリの前にお茶が出される。
「あ、ありがとう」
持ってきてくれた料理の担当者に声をかける。
ここで料理をするようになって長い者だった。
復興中の村の者ではない。
一団内での作業員として募集した者の一人だった。
初期の頃に募集した者で、今では最長勤務となっている。
その為、事務作業以外の炊事・掃除・洗濯を担当している者達のまとめ役を担っていた。
とはいえ、正式な役目としてそういったものになってるというわけでもない。
役目としての担当者は別にいる。
彼女は現場におけるまとめ役ではあるが、それも勤続期間の長さから自然とそういう立場になったというものである。
それだけに実務面などにおいては大きな存在感をもっており、正式な担当者と言えども彼女には頭があがらない。
それが悪い方向に出るならともかく、組織が円滑に運営される礎の一つになってるので、誰からも文句は出ていない。
ヒロノリを始めとした運営陣も彼女のような存在に助けられていた。
組織としてはいかがなものかというところだが、こういった存在が組織に必要ではある。
その彼女の、
「どういたしまして」
の一言に癒される。
激務にいじめられ続ける心身に染み渡る。
「大変なんですね」
「まあね」
大変どころではない。
無能かつ有害な上司・同僚・部下はいない。
しかし、押し寄せる周囲の状況が休む事を許してくれない。
会社だけがブラックな要素ではないという事を今になってあらためて知った。
「どうにも出来ない事ってのは厄介なもんだよ」
モンスターもそうだし、天気もそうだし、自分の都合で乗り出してくる連中もそうである。
一団内であるなら多少は思い通りに動かせるが、それ以外は完全に相手の勝手で動いてくる。
それらを相手にしてるのは大変どころではなかった。
対処しかやれる事はない。
相手を動かす事が出来ればと思うが、それは出来ない相談である。
「ここで美味いものを食うのだけが楽しみだ」
「まあ」
軽口を叩いて気を紛らわす。
嬉しそうな反応を見せてくれる女将(通称)がありがたい。
「もう暫くこうさせてくれ」
仕事に戻りたくなかった。
特に休憩時間も決まってないので、頃合いが来るまで食堂で呆けていたかった。
女将もそこは理解してるので、
「はいはい」
と言って笑みを浮かべてくれる。
「お茶のおかわり、お持ちしますね」
「頼む」
目の前の一杯を飲み干していく。
ぬるいのがありがたい。
これで甘い物もあれば良いのだが、さすがにそこまでは無かった。
と思っていたのだが。
「どうぞ」
と言って女将はお茶のおかわりと団子を持ってきてくれた。
「助かるよ」
心遣いがありがたい。
甘みが体の疲れを忘れさせてくれる。
「良い嫁さんになるよ」
月並みな褒め言葉を口にして女将を褒め称える。
お世辞ではない本音であるのは言うまでもない。
そんな言葉を受けて「あらあら」とはにかむ女将も満更ではなさそうであった。
なお、この一団では古い方だと言っても女将もまだ二十歳前である。
年齢的に考えればお嬢さんという方がまだしっくりくる。
それで色々と気遣いが出来るあたりを評価しての言葉もある。
とりあえず、一団における野郎共の中では密かな人気を集めてるのは確かであった。
飛び抜けた美人というわけではないが、嫁にしたい相手順位表では常に上位に食い込んでいる。
一位を取る事はそう多くはないが、浮き沈みが激しい他の者達と違い常に三位四位あたりを維持している。
その為、不動の鉄壁と呼ばれている。
非公式に行われてる人気調査において、一定以上の評価を獲得してるのは確かであった。
そんな彼女の心遣いに身を浸しながら、今少しの現実逃避を続けていった。
しかし時間は無情にも過ぎ去っていく。
そろそろ戻らねばならないあたりになったところで立ち上がる。
食堂を出て事務所に入ったヒロノリは、向き合いたくない現実に立ち向かっていく事となった。
モンスターを相手にしてる方がまだ楽である。
遅刻してしまった。
時間に間に合わなかったのは残念。
もっとすいすい書ければ良いのだが。




