転職2日目 これが主人公の生い立ちだ
思えば酷い職場であった。
底辺高校卒業後、大学に入る事も出来ずフリーター。
その後色々あってどうにか社員として入った会社は実に最悪だった。
サービス残業と休日出勤と、手取り十五万の給料。
入社初日から怒声と罵声が飛んできて、とにかく仕事をとってこいと営業に放り出される。
当然成果が上がるわけもなく、帰れば怒声と罵声が再度飛ぶ。
それで終わりというわけでもなく、引き続き社内の事務処理作業をやらされる。
そのあたりは日頃ネットでパソコンに慣れ親しんでいたのでさほど戸惑う事はない。
なのだが、文章作成ソフトや表計算ソフトなどはさすがに使った事が無い。
使い方が分からず戸惑ってるとまたも怒声に罵声。
やり方を聞けば、またも怒声と罵声。
それでも何とかやり方を聞き出して作業を進め、気がつけば最終電車も終わっていた。
かくてヒロノリの入社初日は次の日の朝までの泊まり込みとなり、更に仕事をとってくるべく営業に放り出される。
そんなこんなで月曜日から金曜日の最終電車まで泊まりがけになり、ようやく帰ったアパートで一眠り。
そして翌朝、会社からの電話で起こされる。
もちろん怒声と罵声がとんできて、さっさと会社に来いという不条理な命令。
いったい何事かと会社にいけば、当たり前のように仕事がまっていて、またも怒声と罵声。
そして最終電車で帰宅し、翌日の日曜日も出勤。
そんな調子で再び月曜日が始まり、金曜日へとなだれ込む。
作業のコツが掴めるまで、一週間泊まりがけが三ヶ月ほど続いた。
それでも不思議なもので、営業も体当たりで色々やってるうつに少しは仕事がとれるようになる。
ネットや本で営業のやり方などを書いた本を読んだのも功を奏したのかもしれない。
もちろん営業成績のノルマに届くわけもなく、怒声と罵声が飛んでくる。
帰ってからの事務作業も、当然押しつけられる日々が続いた。
だが、それでも仕事がこなせるようになってきて多少は安心していたのだが。
そうなると上司・先輩・同僚からの仕事の押しつけが始まった。
「これを片付けろ」
「これ、やっといて」
「よろしく」
そんな調子で当たり前のように仕事が回されてくる。
自分の仕事だけで手がいっぱいだというのに一体何事、などと疑問を抱いたのは数秒だった。
すぐに怒声と罵声が飛んできて、疑問をかき消される。
そんな事が次々に続き、やはり泊まりがけで作業を続け、仕事をどうにか終える日々になった。
それもだいたいコツを掴めば泊まりがけになる事なく終わらせられるようになったのだが。
これがいけなかったようだ。
仕事が出来ればもっと押しつけても大丈夫だと周りは判断した。
おかげで作業量は確実に上乗せされていった。
当然限界は生じるわけで、こなせない仕事が出て来る。
その都度何をやってるんだと怒声と罵声。
それらが元々ヒロノリの仕事ではなく、上司・先輩・同僚のものだったという事を本人達は忘れてるようだった。
というか、押しつけて当たり前だと思ってるようだった。
その思考がおかしいのだが、この会社では何も問題なくそれが当然となっていった。
誤解の無いように申し添えておくが、ヒロノリは決して無能ではない。
同業他社や、同業でなくても他の会社にはもっと優秀かつ有能な人間はいるであろう。
ヒロノリと同程度の作業量をこなすものはいなくても、仕事を適切に処理する人間はたくさんいる。
仕事についてのヒロノリの処理能力は決して高いものではない。
何かしら失敗があるし、どこかに穴が生じてしまう。
取り返しのつかないものはなかったが、往々にして問題が生じる。
彼の作業量を考えれば当然で、何よりも期日優先で処理させられてるのだから当然だった。
だが、それが出来るだけでもかなりの優秀で有能と言えるだろう。
この会社の他の者達はそれすらも出来ない者がほとんどなのだから。
よくぞ会社として成り立ってると驚くくらいに。
また、どんどんヒロノリに仕事を任せる事になるから他の者の技量が成長しない。
既に仕事が出来る者達も、長い時間の中でどんどん腕を落としていく。
ヒロノリより後に入ってきた者達に同じように仕事を回して解決しようとするが、当然上手くいくわけもない。
そしてヒロノリより根性がないものは、初日でさっさと逃げ出す。
ヒロノリより根性がある者は、さっさと退職届を出して他の職場を探して潜り込む。
そんなわけで、慢性的に使える人材がいない状況が続いていった。
当然仕事が(他の社員と比較すれば桁違いに)出来るヒロノリに集中する。
後は言うまでもない。
ヒロノリの地獄が続いていった。
それが入社以来続く。
フリーターを経て二十四歳で入ってから五年。
よくもったものだと驚くべきだろう。
健康状態も精神状態もギリギリであろうと健康を保ったのだから。
その間、会社を辞めようと思いつつもなかなか辞められず。
ズルズルと今の状態を続けていた。
愚痴の一つくらいは可愛いものであろう。
そんなブラックな会社からおさらばして異世界にやって来たとしても、開放感をおぼえこそすれ、望郷の念などまったく抱く事は無い。
「あの禿げ課長、どんなツラすんのかな」
思い浮かべるのはそんな事である。
自分がいなくなって職場がどうなるのか見て見たいとは思った。
(禿げがチビでデブな体を揺すって誰かに八つ当たりすんのかな)
決してそういった身体的特徴を備えた全ての者を対象にしてるわけではない。
そういった特徴を備えたブラックな上司の明日無き未来を願ってるだけである。
(あの体育会系の無理無茶先輩もどうすんだろ)
やたらと上下関係を強要し、そのくせ自分の無能を棚上げする不愉快な生き物であった。
脳みそまで筋肉ならまだよいが、筋肉すらなく空っぽなんじゃないかという頭で馬鹿げた事をしでかしていた御仁である。
出来れば取り返しのつかない失敗でもしてくたばってもらいたいところだった。
(眼鏡腰巾着もゴマすってんのかなあ)
上司と先輩に取り入り、おだてとお世辞とおべんちゃらで渡り歩いてるような輩である。
そのくせ営業は下手で、いつも赤字な状態で契約をとってくる。
契約件数だけは多いので首が繋がってるし、しくじったものはヒロノリに丸投げして契約調整をさせてくる。
そして多少は良い契約件数がもたらすささやかな営業報酬を風俗の女に注ぎ込んでいた。
そのまま是非とも回収不可能な損害を会社と自分にもたらし続けて破産してもらいたかった。
他にも、仕事が出来ない事務のお局様とか、会社のパソコンでエロサイトを巡ってる茶髪とか、会社の金で株などの金融取引をやってる三流大学卒業者とか。
そんな社内の男達と、子供に言えないような関係を持って貢がせ、その金で別の男に貢いでいる女もいた。
貢いでる相手の男も別の女に貢いでいたという話であったが。
その後その女は社内の男を渡り歩き、入社二年で社長の愛人におさまった。
職務や役職とは別の出世コースを歩んだという意味では英傑と言って良いだろう。
その後、古株の愛人であるとある部署の部長(三十四歳・既婚)と張り合ってるとか。
なかなか面白い人材が揃ってる会社なので、ヒロノリがいなくなった後にどうなってるのか見てみたいとは思う。
だが、さすがに叶いそうもない願いなのでそれについては諦める事にした。
縁が切れた事だけでも十分にありがたいのだから。
(それより、これからだよな)
関わり合いにはなりたくないが、その後が気になる会社の面々から自分のこれからを考える。
(なんか訳の分からない所に来てるのは確かだし。
明日はこの周りを見に行かないと)
とりあえず食い物だけでも確保出来るようにしておかないと困る。
出来るだけ近くに町か何かがあれば良いが、そうでないと干上がってしまう。
稼いで金を得て寝床と食い物を確保せねばならない。
この世界の金がないとか、言語が通じるのかという問題もあるが、とにかくそれも人が住んでる所が無くては意味が無い。
(文明があれば良いけど)
この世界が原始時代だったり、それ以前の段階でない事を願った。
あるいは、文明崩壊後でない事を。
(それくらいは考慮してくれてるよね、神様)
確かめずにはいられなかった。
が、とりあえず寝床である。
社の扉は鍵がかかってなかったので中に入る。
とりあえず一晩はここで過ごすしかなかった。
(まあ、でも……)
横になりながら思う。
(起きたら元の世界、なんて事になってなければいいけど)
ありがたい事にそれは無かった。
ただ一つの誤算を除いて。
「あ……」
前世の事を振り返ってるうちに気づいた。
彼にとってどうにかしておきたいものを。
「やべ……」
前の世界については全く思い入れはないが、一つだけ気にかかるものがある。
彼の部屋に残してきた、数々のお宝である。
すべからく子供の購入禁止分野の諸々であった。
もちろんパソコンのフォルダの中や、数々のブックマークも含めたものだ。
愛すべき大人向け画像や動画などなどがそのままであった。
「神様!」
あらためてこの世界に自分を飛ばした存在に願う。
「俺の、俺のお宝を残らず余さず全部処分しておいて!
お願い!」
叶うかどうか分からないが、願わずにはいられない。
「ついでに、お宝にあるような女も恵んでくれればありがたい」
切なる願いである。
転移したのだからそれくらいの事をしてくれても良いのでは、などと思いもした。
残念ながら、答えはない。
そこまで願いを聞き入れてくれるわけではないようだった。
書いてて涙が出そうになった。
だが大丈夫、この話はフィクションなんだから。
現実ではないのだ。
21:00に続きを出すんでよろしく。