第五話、新たな体による試練。
第五話
駐車場に戻り、ハンナが到着した頃にはとっくに正午を迎えていた。
「せっかくだし、みんなでお昼食べてこうよ。俺、いい蕎麦屋知ってんだ。この時期なら美味い新蕎麦が食えるぜ。あと天ぷらもいい味してる」
「蕎麦に天ぷらか。いいだろう」
森口の紹介した蕎麦屋は混んでいたが、何とかテーブルを確保し全員で蕎麦を啜る。森口の言葉に違わぬ美味い蕎麦だ。天ぷらも揚げ具合が素晴らしい。近所に寄ったらまた食べたいと素直に思える。ミイコにも少し食べさせてやるが、長年生きているミイコもご満悦のようだ。
「俺はこれから帰るけど、おたくらは何か用あるの?」
森口はハンナに海老天を差し出す。それが何を意味するか俺は理解している。
「私は昨日の今日で服のない鎮の服を選定しようかと」
「へえ、面白そうじゃん」
「余計なことを言ってくれたな」
「すみません、鎮」
ハンナは美味い物でよく口を滑らすから信用ならん。海老天に噛り付くハンナからは、反省の色が見えなかった。ついでに舞茸の天ぷらも自分から奪い取るハンナ。流石に森口も苦笑いしている。
「せっかくだし、俺がよく女の子に服買ってあげるお店紹介してあげるよ。可愛い服いっぱいあるよ」
「冗談言うな。俺がそんなものを望んでいると思うか?」
「いいじゃないですか。せっかく沙織様ばりに可愛らしくて美しい立派な女性になったんです。飾り立てなくちゃもったいないです」
語尾にこもる力強い声音は、ハンナが本気であることを示している。
「言っておくが、着るかどうかは俺が判断するぞ」
「構いませんよ」
「おっ、決まったね」
二人が見せる不穏な笑みに気後れを覚えるが、俺に服の替えがないのも事実だ。まさか裸で生活する訳にもいかない。
森口の車に先導され、到着したのは郊外のアウトレットモールとかいう場所だった。
「どういった場所なんだここは?」
「ふふ、まあ見て行けば分かるよ」
コートを羽織って鎧装服を隠した森口についていく。駐車場に車を止め、モール内に入るとどうも服飾店などが多数集まった商店街のような場所らしい。多くの人が集まり、盛況な様子がうかがえる。それにしても、俺たちは場違いな存在なのかやけに見られているな。
「何だか私たち注目されてませんか」
「あはは、二人ともすっごく可愛いからね。注目されるのは当然じゃない?」
そういえば、俺の容姿は姉上に似通っているのか。姉上に熱狂していた馬鹿どもを思い返すと注目される程度で済むのはありがたい。ハンナも日本では珍しい外国人だ。見た目も麗しい、注目されるのも無理はない。
「両手に花という訳だ」
「おいおい、それ自分で言っちゃう?」
「姉上似ならば仕方ない」
「あ、その見た目はお姉ちゃん似だったのね。じゃあ、美少女になったのは遺伝子のなせる奇跡だった訳だ。何か着たい服の希望なんかあったりする?」
そうだな。動きやすく、市井に紛れ込みやすく、俺が着るのに抵抗のない服がいい。
「無茶ぶり言うなあ……特に最後」
「それ以前に下着から買い揃えないと、ほら行きますよ」
「え、じゃあ俺は?」
「待っててください」
嘆く森口を置いて、ハンナに俺は手を引かれ下着店に連れられる。おいおい、いきなりか。
「いらっしゃいませ、本日はご来店いただきありがとうございます!」
「あの、鎮の下着を買いに来たのですが」
「そちらのお嬢さんですね! あらあ! 素晴らしい物をお持ちのようですねえ!」
何故か興奮気味の店員とハンナは訳の分からない単語を連発し、俺にあまりに女らしい下着を勧めてくる。上着ならば、多少女らしい服を着る覚悟はある。この肉体で男物の服を着ているのは、市井で不自然だからな。
だが下着なんて見えないものまで女物を着る必要性は感じられなかった。いざ採寸へ行こうとする一歩手前で俺はハンナの手を引っ張る。
「ハンナ、一旦出るぞ」
「え?」
「あ、あらら? お客様!?」
強引にハンナを引っ張り出した俺は森口と合流する。
「何か俺でも納得して着られそうな下着を知らないか」
「え、それ男の俺に聞くの……?」
「鎮、ここは我慢するしかないと思いますが?」
こいつ……昨日は俺の変化に泣いていたくせにいざ服を選ぶ段階では楽しそうじゃないか。
「うーん……あ! スポーツ系の下着なら男用と大差ない見た目のがあったかも」
「よし、それにしよう」
「えー」
露骨に嫌そうな顔つきのハンナを無視して、森口にスポーツ用品店まで案内させる。だが、パンツならともかく上半身に付ける下着に男用と大差ない見た目のものなどなかった。
「おい」
「無茶言うなよ。男にそんなでっかいおっぱいついてないんだから」
「ちっ、戻るぞ」
「はい!」
下着店に戻ると、店員が喜色満面で迎えてくる。
「お待ちしておりましたよ! あなた様ほどのサイズだと専門店でないと対応できませんからね!」
「ハンナ、もうさっさとすまそう」
目を輝かせて、首を何度も縦に振るハンナの姿には不安しか覚えない。こいつ、楽しんでいる。
俺が心中煮えたぎる思いで口をつぐむんでいると、二人の高いテンションは冷え切っていき会話が途切れ途切れになっていった。店員が離れた隙に、ハンナが耳打ちする。
「鎮、気で威圧しないでください。怖いです」
おっと、心中の苛立ちが表に出ていたか。俺もまだまだ精神的に未熟だな。無心でいよう。
「お客様? お連れの方が選んだこれはお気に召しましたか」
「はい」
「うふふ、じゃあこれなんかどうです?」
「はい」
「あ、あのー……ハンナ様。鎮様の反応が薄いのですがー……」
「剣道の試合の疲れが出てきたようです。仕方ないですね、手早くすませましょう」
採寸など色々手間取り、結局一時間はかかったのではないだろうか。下着でこれだけ時間かかるとは思わなかった。
「鎮、よっぽど嫌だったんですね」
「当たり前だ」
店を出て、ハンナは大げさにため息を吐いて見せる。
「店員さん可哀想でしたよ。最初は威圧されて、その後は生きたマネキンみたいな反応しかしないお客さんの相手させられて」
「お前は始終楽しんでいなかったか?」
「ふふ、どうでしょうね。それで着心地はどうなんですか」
あの下着店で、俺はさらしに下半身なにもなしの状態から文明人らしく下着をようやく履いた。スポーツ用のそこまで見た目が女らしくないものを選んだが、それでも背中に走る寒気を我慢するので精いっぱいだ。
「情けない。それ以上の感覚は抱けないな」
「そうですか。少ししたら慣れますよ」
慣れる前に元に戻りたいが、旭子の話を聞く限りそこまで期待は出来ないのだろうな。
「お、やっと戻ってきたね」
コーヒーカップを持って森口が戻って来る。
「次は服です。森口さんにも来てもらいましょう」
「いいよ、行こうか。ついてきて」
ここからも俺には試練の時間だった。まさに心の修業といえるだろう。買い物が終わり、ハンナの車の後部座席に座った時ようやく緊張が解ける。
「終わったか……」
「はっはっはっは! まるで大決戦やった後みてえな疲れっぷりだな鎮!」
『くくくく。魔之物相手とは勝手が違うようだの』
着ている服も道着から、パンツスタイルの女服へ変わってしまっている。視界に入れるだけで神経が磨耗する。俺は目を閉じて、森口の頬に拳を入れる。
「おおっと、流石にこんな見え見えのパンチは喰らわないぜ」
「ちっ」
「あはは、手もすべすべで女そのものだな」
「離せ」
「……っ! おいおい、上目遣いは俺に刺さるからやめてくれ」
森口の言葉の意味を詮索する気にはなれなかった。無視してハンナに話しかける。
「結局何着買ったんだ? この車に入りきるのか?」
「そうですね……ざっと三十着ほどでしょうか。あんまり買えなくて残念です。また買いにいかないといけませんね」
勘弁してくれ……。