第四話、新たな体で初の実戦へ出る。
第四話
翌朝。朝日の昇る前に俺は起きる。傍で寝ていたはずのハンナの姿はない。いつものことだ。道着である袴に身を通し、日課の修業に出ようとするとするもサイズが合わない。帯を無理やりに締め、裾をめくり上げて結びどうにか着る。だが、やはりぶかぶかとした部分ときつい部分がある。新調する必要があるな。
一回に降りると、キッチンから耕三とハンナの声が聞こえてくる。俺は家事ができない。だから、朝早くから働く二人には頭が上がらない。
ロッジを出て山の中で修業を開始する。数十分ほど体を慣らした後に、俺はミイコを呼び出す。
『むにゃ、どうした鎮』
「手合わせを頼む」
寝ぼけてぼんやりしていた表情を整え、ミイコが微笑する。
『いいのか、今日は仕事だろう?』
「構わん。一度限界を知りたい」
『いいだろう、来い』
空間が歪み、別世界への入り口が広がる。内部に入ると、紅葉で彩られた日本家屋があった。往時の三谷家である。ミイコがリルン・エルと一体化した数百年は昔の時代の仮想世界だ。ここに、ミイコは生きている。
この空間ならば俺はいつもの姿に戻れるが、敢えて今のか弱き姿を維持する。一方、ミイコは相変わらず小さいが半透明な人物の肩に乗っている。半透明な人物は今まで三谷家の人間の戦いを見てきたミイコが創った仮想の退魔師。こいつにミイコは試練の人と名付けているが、その名の通りこいつを倒す実力がなければ三谷の名を継ぐことは出来ない。
互いが握るのは同じリルン・エル。過去の俺はこいつを圧倒し三谷の名を継いだ。今の俺なら、どうだろうか。
『来い、鎮』
「行くぞ!」
ミイコを乗せた試練の人目掛け剣を振り下ろす。幾度か剣を交えていくが、やはり以前の俺の体の方が体躯の点で幾段も優れていた。今の体は邪魔な重量物や力の劣化が問題だ。だが、欠点ばかりあげつらっても仕方がない。少ない利点としては体が柔らかい点だ。邪魔な重量物のせいでこれも生かしにくいが、それでも以前ならば体が限界を迎える動きをこの体は許容してくれる。
総じて見れば弱体化している。だが、欠点に比して極々小さな利点を生かして相手の呼吸を乱しこちらの勢いに乗せてやる。試練の人の片腕が落ち、間髪入れず俺の一薙ぎがもう一方の腕も落とした。
『一分か……歴代で見れば早い方だの。しかし、お主がここまでかかるとはな』
「確かに今の俺は弱い」
過去の俺が試練の人を倒すのにかかった時間は三十秒ほど。昨日までの俺ならば十秒いらなかった。
「修業あるのみだな」
『うむ、精進だの。頑張れ若人』
俺の肩に乗り移ったミイコは歯を見せ笑いかけてくる。そしてふと呟いた。
『歴代初の女騎士か。いい匂いがする』
俺が軽く肩を揺すり振り落とそうとすると、胸の上に飛び乗って掴まる。軽く跳躍して見せ笑顔になる。
「何をしている」
『何でもないのじゃ、何でもない。トランポリン出来そうなどとは考えてはおらんのじゃ』
俺は男の姿に戻ってミイコを振り落とした後に、現実世界へ戻る。無情にも女の姿のままだったことに軽い絶望を覚えつつも、日常の鍛錬を再開した。
日が山間部に昇り、霧が晴れる。晩秋の山の空気は冷たく、体を動かした後には心地よい。
「おかえりなさいませ、鎮様。朝食の準備が出来ております」
「助かる」
久しぶりに耕三の料理を食べるが、やはり上手い。魚の焼き加減、米の炊き加減まで一味違うのだ。
「いい匂いだな」
「ソラ、ようやく起きたか」
「ご相伴させてもらっていいかな?」
「構わん。耕三、ソラにも朝食の用意をしてやれ」
「はい、しばしお待ちください」
朝食後、着替えようと自室に戻りクローゼットを開くが、伸ばした手が止まる。着られそうな服がないのだ。
特に、普段仕事で使う八重家の鎧装服が使えないのは痛い。装服には拳銃弾対応防御の装甲と、低位の魔術装甲が付与されている。大した防御性能ではないが、あるのとないのでは生存性が変わって来るのだ。
仕方ない。俺は道着のままで出かけることに決めた。先方をいつまでも待たせる訳にはいかない。いつ魔之物が動き出すか分からないのだから。
「行ってくる」
俺は一言残し、家を出る。今日向かう先は車で二時間ほど先の担当区だ。全国各地に退魔師は配置されているが、多くは弱体な魔之物を屠れる程度の実力しか持っていない。そこで実力のある退魔師には、自身に設定された担当区に加えその周辺領域の退魔師に助力することが求められている。
「鎮! 待ってください!」
「どうした、ハンナ」
「どうやって仕事先に向かう気なんですか」
俺は車に目を向けるが、ようやく気が付く。この体では、車を走らせることができない。
「待っててください」
数分後、俺は外向けの服を着たハンナの軽乗用車に乗せられていた。
「機嫌が悪そうですね」
「当たり前だ」
車すら運転できないとは、無様だ。頭の固い公安委員会が俺の事情を斟酌してくれるだろうか。何とか、俺の有用性を訴えてどうにかしないといけない。
「今日は森口さんの区ですか」
「厄介な奴でないといいが」
森口亨介。退魔師の道を歩んで僅かに十年程度で一線級の実力を有する退魔師だ。あれが手に負えず放置している魔之物がどれほどのものか。今の俺の実力でどうにかなるといいのだが。
「私、あの人苦手です」
「心配するな。俺がいるだろう」
あいつは女への手が早いのが致命的な欠点だ。実力は見るものがあるが、性根がいけ好かない。
「鎮、今日は自分の心配をされてはどうです」
馬鹿な。いくら何でも、俺を口説く訳がない。
二時間かけ、山沿いの山林公園の駐車場で俺たちは森口と合流した。八重家の作成した日常にはミスマッチした鎧装服を着用した、優しげな顔立ちをした男がスポーツカーにもたれかかり、空をぼうっと眺めている。
「待たせたな」
「え? あれ、ハンナさんがいるってことは、まさか……三谷鎮か?」
「そうだ、こんな恰好で悪いな」
森口の表情は固まり、俺の全身を穴が開くほど凝視している。無理もない、知っている人間がこうも変われば驚くのは当然だ。
「鎮……いや、鎮さん」
手を握ろうとしてくるのを、振り払う。悪寒が走る。こいつ、まさかな……?
「今からホテルにでも行こうか」
「今ここで死ぬか?」
鳩尾に拳をめり込ませる。ちっ、いつもなら地に伏す森口がよろめきながらも倒れない。力が衰えているのは明らかだ。
「冗談、冗談だって鎮! でもマジでクッソ可愛いな! ちょっと触ってもいいか!」
胸に伸びる手が延びるより先に俺は無言でリルン・エルを取り出し、頭上へ構える。
「うおお! ごめん、ごめん! ホント謝るからそれは勘弁してくれって!」
この後ハンナに付近の町で待つよう言い渡し、異様に興奮している森口と共に山林へと入っていく。
「いやあそれにしても事情は聞いてたけどすげえ薬だな! あの鎮がこんな可愛い美少女になっちまうなんてなあ。誰でもおっぱいでっかい美少女になんのかな!」
「どうだかな。それより、お前ほどの退魔師が俺に助力を頼んだんだ。どんな相手なんだ?」
こいつは退魔師としての実力は間違いなく優秀だ。最近も鍛錬を怠ることなく実力は年々向上しているだけに、俺への援護要請も年を経るごとに減っていたのだが。
「ここら辺。お国が作ったなんたらシステムの感度が低いみたいなんだよね」
仕事の話に変わると、先程までのおちゃらけた雰囲気をかき消し表情も精悍なものへと変わる。
「だから俺としても結構頻繁に見回ってたんだけど、最近は俺も他の担当区の援護に行くようになっちまってさ……あんなの見逃すなんて俺もまだまだだよ。今の鎮の実力、以前と同じと見ていいんだよな?」
「ふん、お前に心配されるようじゃ俺も終わりだな」
「いやあ、肉体が女に変わって実力が維持できるもんなの? 実際俺は心配してやってんだぜ」
「昨日変わったばかりだが、もう感覚は掴んでいる。それに俺にはこいつもいる」
眠たげに頭をふらつかせているミイコを、俺は召喚する。昨日の疲れと今朝の疲れ。無理をさせてしまったせいか、まだ眠たそうだ。
『むにゃ?』
「おお~、ミイコちゃん! 元気してた~?」
『おおー。亨介でないか。元気そうでなによりじゃ』
リルン・エル、アルテア・エル共に本来は人の手で扱える武器ではない。ミイコという“カミ”が仲立ちしてくれることで初めて三谷の血を持つ人間だけが扱える。ミイコにも相応の負荷がかかっているのだ。
「ミイコちゃんから見て今の鎮はどうなのさ? 戦えるのか?」
『心配するでない、鎮なら昨日もお主程度の実力の敵を軽く捻っておる』
「へえ、なら安心だな」
『あ、こら! 頭がつぶれるではないか!』
ミイコも大概口の軽い奴だ。誇りを持って力の研鑽に励む退魔師の実力を揶揄すれば、頭を指で撫でられる程度は我慢すべきだろう。それと。
「森口。そこには脂肪の塊以外何もないぞ」
「いやあ……嫌でも目に付くんだよね。さらしで抑えてるの? 谷間が、ぁ……」
先の一撃より威力を高めてみた。膝を屈する程度には効いたようだな。
「浮かれているな。敵がすぐ近いぞ」
「お、おう……」
『くくくく。容赦のない拳だの。もう一発くらい殴ってもいいぞ?』
今回森口が見つけた魔之物は触手塊型というほかない第三級に分類される魔之物だ。中心部である黒い球体から何本も触手が伸びている。移動能力は持たないが、触手を切り離し蛇のような子をあちこちにばらまき周囲の人間を根絶やしにする危険な存在だ。
「子は適宜祓い続けてる。でも、俺には本体が潰しきれなくてね。そろそろ到着するから今の鎮のお手並みを見せてもらおうか」
急峻な谷間の奥底にそれはいた。直径は既に十メートルにまで拡大した黒い球体からは、大木程の幅がある触手が十数本伸びてあちこちに木の根のように張り付かせている。
「じゃ、行くよ」
「おう!」
全長二メートルに及ぶ巨大な長巻を両手で構えた森口は、躊躇いなく谷間へと飛び降りていった。俺もリルン・エルを持って、続く。
触手塊も俺たちを迎撃せんと、巨大な触手を伸ばしてくる。長大な日本刀と言える長巻はこういった触手を斬るには、あるいは適しているのかもしれない。森口は降下しながら迫る一腕の触手を長巻を振るって斬り落としていく。
だが、森口では続々と迫って来る触手を捌ききれない。長大な武器故の隙が、刺突せんと突っ込んでくる触手の接近を許してしまう。
「させるかぁっ!」
俺は崖を蹴って触手の切っ先を制し、触手を斬り落とす。
「油断するな!」
「分かってるよ!」
この等級の魔之物を相性問わず一人で祓えるようになれば、真に一流といえるのだが森口はまだもう一息その域には達しきれていないようだ。とはいえ、大型武器で時速三百キロ以上で迫る巨大な触手を五本まで捌いたのだから以前より確実に成長しているのは確実だ。
谷底まで達した俺は主に森口の支援に回り、捌き切れない触手へ対処していく。三十秒も経たずに触手塊は触手を全て落とされ、ただの黒い球体へと変貌してしまった。
「止めは任せる」
「へいへい、任せてくださいよっと!」
突きの構えを取った森口が黒い球体へ突っ込んでいくと、球体は破裂し散っていった。
「ふう……」
武器を仕舞い、森口が地面にへたり込む。
「あー、しんど。こんなの二人だけでやる仕事じゃねー!」
「あれくらい一人で祓えるようになれ。お前ならいずれ出来る」
「へえ、俺を随分買ってくれるんだな」
「うぬぼれるな」
『鎮はお主を評価しているよ。精進するのだな』
地面を転がって俺の足元に来た森口は爽やかな笑顔で笑う。
「いい眺めだぜ」
俺は無言で顔を踏み敷いた。