第十話、人類死者同盟は滅びゆく。
第十話
翌日、朝日の出ない早朝から家の外に立つ俺の前に北条が姿を現した。相も変わらずのスーツ姿だが、これで戦闘をこなせるのが北条という男だ。
「よう、三谷。用意はいい?」
「ああ」
「そう、じゃあ行きましょうかね」
転移した先は、真っ白な雪景色だった。雪原は僅かに欠けた満月の明かりを反射し、未だ早朝にも関わらず周囲はよく見通せた。
「ここは?」
「北海道。寒いけど、頑張れよ」
こいつ、直前になって防寒具を用意しろと電話してきた理由がこれか。どうせ俺に一番面倒な場所を振り分けたのだろう。問い詰めようとするも、既に北条の姿はない。千歳空港発のチケットだけ残して逃げてしまった。帰りは飛行機なのか……。
「あんたが三谷鎮でいいんかい?」
「そうだ、貴様は?」
白い防寒着を着た中年男性が雪の下、地面に掘っていた堀の中から顔だけをひょいと出してくる。何処にでもいそうなごま塩髭の中年男性、だが唯一目だけが常人に非ざる輝きをしていた。
「俺がここの指揮を取る尾崎だ。よろしく頼む。寒いだろうから入ってくれ」
堀に入り地下へ向かう階段を降りると内部には地下空間が設けられていて、そこには十人の人間が待機していた。
「みんな、主役の登場だ!」
「うわっ、マジに女になっちゃってんじゃん!」
知り合いが一人いた。羽矢紗枝。数百年前から宝弓雷落で魔之物を祓い続けている退魔師の家系の一人だ。まだ二十歳そこそこだが、腕のいい退魔師だ。
「何だ紗枝っちの知り合いかい」
「うんうん、こいつ前はスーパーイケメンだったのに! うおおお、今はハイパーウルトラ美少女になっちまってんよ!」
「相変わらず口の悪い女だ」
「てめえも相変わらずかたっ苦しい口振りだねえ! つか、袴にダッフルコートだけとか北海道舐めてんでしょ! うえええ、草履ってありえん! 凍傷になるってやばいよ!」
これ貸してやると手袋とマフラー、ロングブーツを渡される。
「これ私服だから戦闘で破いたりしたら殺すからね?」
「別に俺はこのままでも」
「馬鹿! 見てる方が寒くなるんだよ! ほら、着る!」
手袋を嵌めると剣を振るのに支障が出るのでそこは納得してもらったが、ブーツとマフラーは付ける羽目になった。
「マフラー下手か! 私が付けてやる!」
俺がマフラーを適当に巻くと文句を言われ、羽矢に巻かれる。
「うへへ、美少女の匂いだあ……」
「おい」
「いやでも、これやばいよ! 男はイチコロレベル!」
「殺すのか」
「理性をだけどな!」
「あー、作戦について話してもいいかなお二人さん」
尾崎は人類死者同盟の拠点について話す。ここから一キロとない場所に洞窟があり、そこを人類死者同盟は地下拠点化しているのだそうだ。
「残った拠点の中では最も規模は小さいが、それでも三十人はいると思われる。そのうち、魔之物でいう第三級レベルに位置する要員が二人はいる。これを三谷鎮と紗枝っちで制圧してもらいたい」
「分かった」
「あはは! マモちゃん相手って敵が大凶レベル!」
「その愛称はなんだ」
「え? いいじゃん! 可愛いでしょ!」
「やめろ」
「紗枝っちはちょっと黙ってようか」
「はーい!」
攻撃開始時刻は午前六時。もう、一時間もない。このまま洞窟に突っ込んでいくのだろうか。
「いいや、地下にトンネルを掘った。敵拠点の最下層から奇襲を仕掛ける。捕獲優先で頼むよ」
作戦概要を聞き終え、簡単に全員と自己紹介を交わした後は案の定女体化について話題になる。
「女になるってどんな気分だよ」
「いい体だよなあ。触ったりしたのか、え?」
「トイレとかどうしてんだ?」
にやつく男たちが距離を詰めてくる。こいつら……初対面の相手にも遠慮がない。だが、俺は地下壕内部に戦闘前の緊張感が張りつめていくのを感じる。馬鹿なことを言って平常心を保とうとしている心中を察した。
俺はリルン・エルを取り出す。肌が触れるかまでに近寄っていた男たちは一斉に距離を取った。
「安心しろ。俺が先陣を切る」
「あはは! やっぱマモちゃんはオーラが違うね!」
「あんたらには俺の背後を守ってほしい。構わないか、尾崎さん」
「あ、ああ……すげえ力だ。流石北条さんが手配しただけはある」
一旦、距離をおいた男たちは再び近づいてくるがそこには怯えはなかった。
「やるじゃねえか、マモちゃん」
「背中から実力拝ませてもらうぜ。ついでに尻もな」
「阿呆! 全体のシルエットこそだろ! 一部だけに着目するのは素人さんだぜ」
「おっさんたち馬鹿か! どう見てもおっぱいがマモちゃん最強の武器っしょ! 袴で隠れているけどこいつはでかいよ!」
幾分理性を取り戻したが、生来の気性まではどうにもならない。下世話な会話が俺の周りで繰り広げられるのを、俺は一歩引いて聞いていた。
俺の体についての魅力で盛り上がる間に時間はあっという間に過ぎていく。作戦決行時刻がせまる。
「よし、みんな行こう」
会話にはあまり加わらず、紙の資料に何度も目を通していた尾崎さんが椅子から立ち上がる。お茶らけた空気は掻き消え、戦意に満ちた退魔師集団へ変貌する。獲物はほとんどが日本刀か。当たり前だが、国内で一番人気の武器だ。
例外は俺のリルン・エルと羽矢の双剣くらいだ。羽矢は得意の弓術が使えないが、同等かそれ以上に双剣による剣術に秀ででいる。敵地下施設が狭ければ一番に活躍するかもしれない。
「こっちだ」
尾崎さんの案内でトンネルまで案内される。人が一人立って歩けるかどうかの細い地下道だ。武器を携行して通るのも難しい。
「ここを走って五分だ。みんな、いけるな?」
トンネル内部に点々と配置されている灯りは読書灯よりも頼りがない。だが、全員迷いなく頷いた。
「突き当りが敵の直上だ」
「よし、ここからは俺がいこう」
背後から熱い声援を受けながら俺は走った。先に行って、斬り込むために後続を引き離し一分経たずに突き当りに到達する。抜刀で頭上を斬り開くと眩い人口の灯りがトンネル内部へ差し込んできた。
「なっ、何だ!」
俺の侵入にどよめく白衣の男女たち。人数は十人いない程度か。どうやら研究室の床をぶち抜いて侵入したようだ。死体を幾体も並べ、化け物へと変貌させている所業を目の当たりにして俺は思わず眉を顰める。
「侵入者だ、殺せ!」
ある程度戦闘訓練をうけているようで、全身を【障壁】で囲ってから拳銃弾程度の威力がある魔力の弾丸を【障壁】内部からこちら目掛け多方向から撃ち込まれる。同時に、警報を誰かが鳴らしたようでけたたましいサイレンの音が響きだす。
だが所詮研究者でしかなかった。弾丸を斬り裂きつつ接近して殴り倒し、すぐにこの場は制圧出来た。ここはもういいだろう。俺はいくつかある研究室の扉の内、最も大きな扉から部屋を出る。すると、慌てて銃を持って駆けつけてくる黒服の男たちが近づいてくる。軽乗用車程度なら通行可能な広々とした通路の数十メートル先にある角から銃火器だけを覗かせて、発砲してきた。
その程度で止められると思っているのか。俺はすぐに距離を詰めて黒服たちをリルン・エルで殴り倒す。だが、こいつらは生き物ではなかった。死体が動いているのだ。物理的に損壊させねば、動き続ける。
一瞬の躊躇いが生まれるも次の瞬間には四肢を斬り飛ばしていた。死体は黒い灰となって消えていく。死体ではあるが、特殊な処理をしてあるらしい。反吐が出る。
人間態で俺に敵わないと悟った黒服たちは融合し、一度ロッジで相対した漆黒の狼へと姿を変える。今度は三体。それも通路の左右からの挟撃。
この程度、いくら数が集まったところで無駄だ。通路の天井をも立体的に跳び回りながら接近してくる三体の狼共を俺はあえて待ち、間合いに入った瞬間に首を落とし六本の前足を斬り飛ばす。
「カカカ。こりゃ、化け物じゃの」
「うえへへへ。いっちょやってやっかあ!」
赤く染まった二体の化け物が現れた。口に咥えているのは、白衣を纏った腕。
「研究者を喰らったか」
「カカカ。これで多少はパワーアップしたぞい」
「うおらあ! 俺様の相手をしろお!」
俺は剣を符へしまった。研究室から出てきた二体の化け物は背後の脅威に気が付いていない。俺に目を取られ、宝弓雷落の一撃を背中から浴びた二体の化け物は物言わず崩れ去った。
「ちょっと! あんた早すぎだっつの!」
身長百五十糎の羽矢に迫るほど巨大な弓を符へ仕舞い、羽矢が駆け寄って来る。こいつが幹部らしき化け物二体を倒してしまったか。
「粗方は片付けたが、残党が残っているかもしれない。来い」
「分かったよ! でももう敵の気配はないけどな!」
その後追いついてきた尾崎さんたちとも合流し施設内を調べたが、既に敵は全滅してしまったようだった。
退魔師による制圧が終了すると、スーツ姿の男たちが施設内部へ十数人ほど入り込んでくる。手持ち無沙汰になった俺たちには、解散するよう指示が下された。
「なあマモちゃん、これのアカ教えてくれよ」
「あ、俺も俺も!」
「何だそれは?」
俺と共に戦う予定だった二人の退魔師はスマートホンの画面を見せて来る。これはなんだ? 確か……“えすえぬえす”とかいう電子サービスだったか。こういうのは俺はさっぱり分からない。
「電話番号では駄目なのか?」
「は? いや、悪くかないけどさ……今時あんま使わんよ。なー?」
ほとんどがこの男の意見に頷く。どうやら俺が少数派のようだな。
「あっははは! マモちゃんデジタル機器苦手だもんね! ほら、貸してみ?」
俺の携帯電話を貸し、羽矢が使えるようにしてくれた。元々、インストールはされていたようだが俺が使っていなかったそうだ。
「うわ……ハンナちゃんガン無視されてるし! ってこれ二年も前じゃん! ほら、返事してやりなって!」
羽矢に手助けされ、数年越しにハンナへ返答すると一分経たずに返事が返って来る。
『今さらどうしたんですか』
確かに今さらである。俺は羽矢に比べれば拙い手つきで返信しようとしたが、面倒になり電話をかけて事情を説明した。
「……という訳だ」
『わざわざこっちで電話しなくてもアプリでも電話できますよ』
「何?」
ハンナが説明してくれるが、結局今まで使えた携帯との違いが理解できなかった。俺が使いこなせるか分からなかったため、退魔師仲間たちとはアカウントに加え電話番号とメールアドレスを交換する。
「それでマモちゃんこれからどうするん? 帰るの?」
「そうだな」
飛行機の搭乗時刻は午後二時か。今が午前六時半だから大分時間が余っている。とはいえ北海道は広い。移動時間で潰れるかもしれないな。空港までどれほどかかるか聞いてみるとここから車で三時間はかかるそうだ。
「いや、車で移動しなくていいぞ。三谷のために北条がヘリを用意した。今に来るぞ」
「尾崎さんマジですか!」
ヘリならば一時間経たずに空港に行けるそうだが、そうなるとますます時間が無駄になるな。
「あ! 尾崎さん、そのヘリって札幌行けるの?」
「うん? まあ、大丈夫じゃないか?」
「そっか!」
意味深に笑う羽矢。
「尾崎さん。あなたはここに?」
「ああ、これでも陣頭指揮を任されているんでね。幸い速攻で片付いたから敵さん資料をほとんど処分しきれていない。これから忙しくなる」
ため息を吐く尾崎さんの顔には疲弊が浮かぶが、相変わらず目だけは獲物を追いつめる獣のようにぎらついていた。尾崎さんとも連絡先を交換し(彼とは電話番号とメールアドレスだけを交換した。俺と同じく昨今のデジタル環境に追いつけて行けていないようだ)別れ、俺はヘリに搭乗する。
「ちょっと待って!」
ヘリの搭乗員が側面のドアを閉じようとしたところ、羽矢が駆け込んでくる。
「何か用か」
「まあな!」
そのまま羽矢は札幌まで離陸するようヘリの操縦者に頼み込む。操縦者は陽気な笑みを浮かべ羽矢の頼みを聞き入れる。
「札幌に用でもあるのか」
「あるよ! ちょっと付き合えって!」
隣に座る羽矢はこれから遊びに行こうと誘ってくる。調べたところ、札幌から空港までは列車を利用し一時間もかからないようだ。時間潰しにはなるか。
「くれぐれも変な場所に連れて行くなよ?」
「なにさ! 身構えなくたってへーきへーき! ちょっと駅らへんで帰るまで遊ぼうってだけだから!」
にししと笑う羽矢を俺はどこか信用おけなかった。