第九話、晴は心が乱れている。
第九話
来週の買い物を約束してしまった後に、俺は晴を助手席に乗せて郊外の山地へ向かう。退魔師の担当区は退魔師の絶対数が不足している関係上かなり広大だ。人気のない場所でも魔之物はお構いなしに湧き、そしていずれ人間を襲う。
「今日はこの山一帯を祓っていくぞ」
「はい」
とはいえ、魔之物を早期探知する機構を政府が整備してからは魔之物が動き出す以前の形成期の間に浄化してやるだけで済むことが増えている。戦う必要は必ずしもなく、多くは実体化以前の黒い靄のような塊を魔力で消し飛ばしていく単純作業だ。
道路脇の空き地に車を停め、俺たちは秋の山地へ足を踏み入れていく。人の手が入っていない山では足の踏み場に苦労するものだが、地面を覆い尽くす枯れ葉以外に今回は障害はないようだった。
今日も魔之物を祓っていく過程で特に動き出すものはなく、正午になるまでに片付けることが出来た。
「一度食事にして、それからもう一か所見回ろう」
「分かりました」
雪乃さんが用意してくれた弁当をありがたく頂く。食後に懐中時計へ目を通すと、まだ時間に余裕があった。この分なら今日はもう一か所見て回れそうだ。
『のう、気付いておるのだろう?』
移動中、晴が小用を催したため一時的に車を停めているときにミイコが姿を出す。
「ああ」
『晴の奴、殺気だっておるな。ありゃあヤル気だの。誘ってやらんのか』
「あいつが決断することだ」
今日の晴の精神はかなり乱れている。原因は俺にあるのだ、発露の先を求めているというなら受け止めてやろう。
『しかし、馬鹿な奴だの。今の鎮にすらあいつの腕では歯は立たぬというのに一丁前に殺気を放ちおってからに』
「晴なら乗り越える」
『ふん……まあ、一回シゴいてやれば満足するじゃろうて』
晴がトイレから戻って来ると、ミイコは隠れてしまった。
「あれ、さっきミイコいなかったですか?」
「気にするな、次に行くぞ」
「はい……」
助手席に座る晴は時折俺に目を遣っては表情がころころと変わる。一体何を考えているか大体察しが付いてしまう。困惑、迷い、怒り、失望、期待……垣間見える感情は最終的に戦意へと収束する。まだ迷っているようだが、いつまでも晴との間に感情の溝が出来ていてはいずれ命に関わる問題になりかねない。今日中に晴が決断しきれないようならば、俺が発破をかけてやるか。
手間のかかる奴だ。思わず口の端が吊り上がる。
「どっ、どうしましたっ!?」
「何でもない、もうじき着くぞ」
声音が上がり、頬を少し赤くした晴に苦い思いを覚えつつ俺は車を停車させた。到着したもう一か所郊外の山村を見て回る。人家のまばらで放棄された田畑の残る山村は面積だけは広く、秋の日はあっという間に落ちる。見回りが済んだ時には、既に夕暮れとなっていた。
「鎮さん」
「覚悟を決めたか」
「気付いていたんですか……」
気付かない方がどうかしている。
「人払いの符を展開した」
「俺は、どうしても……鎮さん! 剣で本人なのか確かめさせてもらいます!」
「いいだろう、かかってこい」
俺が譲り渡した蒼波を実体化させ、晴はがむしゃらに突っ込んでくる。いつものような精細を欠いた刺突。こいつも俺の変化で心を乱してしまっているようだ。リルン・エルに絡めとられた蒼波は、だらしなく地面へ堕ちていく。
「畜生! まだだ!」
後退し、体勢を立て直した晴は剣を中段に構えじりじりと間合いを詰めていく。背丈に劣ってしまった俺を上からたたきのめす算段か。
振り下ろされた蒼波は力強く脳天目掛けて俺に迫るが、リルン・エルを這わせて力を逸らす。
「この! このっ!」
迸る思いに整理を付けられないまま晴は剣を振るう。それは容易に軌道を読み、受け流すことが出来た。何度も振るわれる激情を、俺は受け止めず反撃もせず受け流し続けた。何度晴の攻撃を受け止めてたか、赤い空が青黒く染まった頃には既に晴の息は上がり魔力の奔流も途切れようとしていた。
「どうした。俺は力も背丈も素早さも以前より劣っているぞ。捻じ伏せて見せろ」
「うおおおおおおお!」
もういいだろう。俺は力任せに振る晴の剣を弾き飛ばし、戦いに終止符を打つ。日は既に暮れ、辺りは満月の微かな明かりだけが降り注ぐ。
「気は済んだか」
「はあ……はあ……やっぱ……鎮さん……すげえや……」
晴の表情は何かを振り切ったように晴れ晴れとしていた。俺の変化を何とか受け入れてくれただろうか。そう信じるほかなかった。
「肩を貸せ、立たせてやる」
「え、えええ!?」
一時間近く全力で動き回った晴にはもう碌に動く余力はないだろう。汗だくで地面に大の字になっている晴の腕を持ち、立ち上がるのを手助けしてやる。
「あ、あっ、あのっ! 俺、自分で歩けますから!」
「ふらついているぞ、無理をするな」
俺から離れようとした晴は姿勢を崩し、俺に覆いかぶさる。こいつ、意地を張るからこうなるんだ。
「もうこのまま背負っていくぞ」
「あ、は、はい……」
米俵を担ぐように俺は晴を持ち上げ、車の後部座席に寝かせてやる。
「柔らかかった……」
晴が小声で呟いた一言は、しっかり俺の耳に届いていた。見た目は姉上譲りと言え、中身は俺だぞ。まだまだ精神面の修業が足りていないな。
数十分の運転でようやく晴の家が間近になる。ようやくある程度動けるようになった晴は上半身を起こす。
「鎮さんは変わらないですね」
「何がだ」
「いえ、何でもないです」
喜色の混じった言葉の真意を俺は掴めなかった。