日記
ちょっと古そうな、でも可愛らしい日記帳には、真新しい付箋がいくつか貼ってあった。
「その、付箋がしてあるところが一さんについて、詳しく書いてあるところ……です。あの日から読み返して、こんなこともあろうかと貼っておきました。えー、ちょっとお茶をくんでくるので、上から読んでてくださいね」
ちょっと恥ずかしそうに慌ててお茶を汲みにいく彼女を見送って、僕は日記帳を読み始めた。
『――年――月――日 はれ
きょうは、ちょうこのたんじょう日。
プレゼントににっきちょうをもらったよ。
しょうらいはケーキやさんになりたいな。
いっくんからのプレゼントは、おはなと、かいがら。
きれいな、かいがら。
いっくんがじまんしていた、たからもの。
ありがとう。おねえちゃんうれしい。
――日 はれ
かいがら、じまんしてたらおとしちゃった。いっくん、ごめんね。もうねる。
――日 あめ
おかあさんと、さがすはずのかいがら。あめでながされてないかな?
――日 あめ
おかあさんが、かいがらをわたしてくれた。いっくんがみつけたんだ。おれいしたかったけど、いっくんおねつがあるんだって。はやく、げんきになるといいな。
――日 くもり
こうえんで、大きないぬにほえられた。
びっくりしたけど、なかなかったよ。いっくんは、ないていた。
おねえちゃんはつよいのだ。
――日 雨
今日から一年生。
かん字じてんを、もらったよ。これで、私もおとなに近づいたかな?
いっくんは小さいから、私がまもらなきゃ。
かいがらのおれいだよ。
――日 晴れ
今日から夏休み。
朝はしゅくだいをいっくんとした。私が書いた漢字を見せると「すごい、すごい」と驚いた。
お姉ちゃんは凄いのだ。
でも、漢字って難しいよね。なんでもっと簡単な形にしなかったのかな?
――日 はれ
今日はいっくん達とプールに行った。
いっくんは泳ぐのが上手だった。
スイミングスクールに行きたいってお母さんにたのんだ。
つぎは、負けないからね。
――日 雨
二美ちゃんがあるけなくなった。いっくん、つらそう。
こんなときは、なにをしてあげたらいいんだろう。
お父さんやお母さんにきいたら、「みまもって、できることでいいから助けてあげなさい」って言われた。
私にできること。
なんだろう……
――日 はれ
いっくんがかわった。
前は犬にほえられたら、にげてたのに、にげなかった。
しょう来はお医者さんになるんだって。
はやくお医者さんになって、二美ちゃんが歩けるといいね。
お姉ちゃんも、おうえんするよ。
――付箋から付箋へとページを開き、一冊目を読み終えた。
なんか……くるものがあるな。
写真や映像よりも、この日記は僕が彼女と過ごした日常を確信させてくれる。
「貝殻の記憶はあるのにね……」
ぼそっと独り言を口にして、次の日記に手をかけようとしたとき、扉をノックする音が聞こえてきた。
「入りますよ?」
部屋をノックする音が聞こえて少し間をおき、長子さんが部屋に入ってくる。
両手に持つお盆の上には、お茶と可愛らしいお皿が乗っていた。
「これ、良かったらつまんでください。あまり甘くないクッキーだから、男の人でも食べられると思います。あ、もしお腹が空いてたら言ってくださいね。少し時間を頂けたら、うどんでも雑炊でも作れますんで……」
「ありがとうございます。では、クッキーを一口だけ」
良い香りのローズヒップティーを一口のんだあと、クッキーを口に運ぶと……うまい!
「……おどろいた。本当に美味しいや。あっ、失礼しました」
「いえいえ、お口に合って良かったです。ネタバレになりますが、日記に書いてあったんですよ。一さんの大好きな組合わせが……ほら、ここです」
テーブルの上にある日記を床において、その中から一冊の日記帳を選ぶと、僕にそのページを開いて見せた。
まだ新しそうな日記の中には――
『☆いっくんのお気に入り☆
ローズヒップティーと素朴なクッキー
作り方 ――――
また、作ってあげるね』と書いてある。
「本当だ。自分の好きな物も忘れてるなんて……こんなに美味しいのにね」
クッキーをもう一つ口に運び、その素朴な甘味をじっくり味わって、後で酸味のあるローズヒップティーを口にする。
やっぱり美味しい。
「お姉ちゃんは凄いでしょ?」
彼女は……長子さんはイタズラが成功したかのような、少し悪い笑顔をした。
それからも、僕は日記を読み続ける。
僕が小学三年生のときに、二美を馬鹿にした五年生のいじめっ子との話があった。
僕が噛みついて、先生に怒られた時の話だ。
長子さんもその場にいたみたいで、何もできなかった自分を恥じていた。
――日 晴れ
いっくんは顔が少しはれていた。
私が「大丈夫?」と聞くと「怒られちゃった。カッコ悪くてごめんね」と笑った。
思わず「カッコ悪いのは、私やあのいじめっ子だよ!! いっくんは、なにもカッコ悪くなんかない! 悪くないんだよ!!」と大きな声で言っちゃった……
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
お姉ちゃん、失格だね。
いっくんみたいに、大切な人を笑って守れる人になりたいな……
――日 晴れ
いっくんが学校の掃除をはりきってするようになった。
道場の先生から聞いた、護身術なんだって。
大丈夫かな? その先生。
一度、確認しておこう。
――日 晴れ
いのくま先生に会って話を聞いてきた。
少し変わった先生だけど、いい先生だと思う。
いっくんが騙されてなくて良かったよ。
みんなの信頼を集めるのも護身術なら、私にもできるかも……
委員長、嫌だったけどやってみようかな?
また怒られないように守ってあげないとね。
付箋のページを読み進めるたびに、僕の心に何かが残る。
委員長になって僕に褒められたこと。
僕が無茶したときに、先生から僕を庇えて嬉しかったこと。
バレンタインデーに手作りチョコを渡して、とてもドキドキしたこと。
ホワイトデーのお返しに、手作りの美味しいクマさん型のマシュマロを貰って、嬉しかったが悔しかったこと。
中学生になって、話をすると少し恥ずかしそうにする僕に悲しい思いをしたこと。
でも学校の帰りが遅くなって暗くなったら、必ず迎えに来てくれてとても安心できたこと。
二美が僕の邪魔になっているんじゃないかと相談してきたこと。
二美の夢を応援することを決めたこと。
二美に長子さんの僕に対する気持ちがバレていたこと。
修学旅行の夜に、好きな人の話になったけど、みんなに好きな人がバレていたこと。
同じ高校へ行けるように、勉強を頑張ったこと……
映画やドラマのようなイベントなどない、平凡な日常を書いた日記だった。
でも、そんな日記を読んでいると自分の心が押し潰され、逃げたくなるような……
でも、温かく包まれているような……
そんな感覚をたしかに感じている。
高校生になっても日記は続く。
クラスが別々になって残念だったこと。
よく知らないが、渡と何やら危険なことをしているようで心配なこと。
僕が腕を骨折して、渡を問い詰めたこと。
いつの間にか、僕と渡が仲良しになっていて呆れたこと。
僕が医者になったら絶対に無理をするから、体に良い食事やマッサージを研究してること。
僕が位置情報ゲームを始めて、楽しそうにしているのが嬉しかったこと。
『町をきれいに』の旗を振る僕を、もしかしたら受験疲れかも?と心配してること。
何かを決意して僕が学校を休むことを二美から相談され、何か出来ることはないか?と心配していること。
突然のクリスマスのお誘いに、嬉しいが逆に心配が大きくなってしまったこと。
いなくなった僕を探すために、学校を休んで行動していたこと。
久しぶりに僕に会えて、怒ろうと思ったけど、怒れずに二美の秘密を言ってしまったこと。
――二美ちゃん、ごめんなさい。
でも、いまのいっくんには二美ちゃんの力が必要だと思ったから……
いっくん、頑張りすぎて折れてしまいそうだから……
私にその力があれば良かったのにね。
貝殻のお礼は、まだまだ出来そうにないみたい。
神様。お願いします。
どうか、いっくんの願いを叶えてくれませんか?
どうか、どうか、お願いします!
よし! 神頼み終了!
神社も行ってみようかな?
私が出来ることは少ないけど、いっくんを助けなきゃ。
一日早いだけなんだけど、いっくんのお姉ちゃんなんだから、ね。
最後のページを読み終えた僕は、丁寧にその日記帳をテーブルの上に置いた。
これだけの想いが書かれた日記を読んでも、長子さんには何の感情も湧いてこない……。
だが、僕の胸は熱い何かで一杯だった。
「……たしかに謝るのは失礼でした」
「われながら恥ずかしいですけど、そう思いますよね? これですけど……」
長子さんは透明な小さい箱を僕に渡してきた。
その中には綿に優しく包まれた桜色の貝殻がある。
「机の手前に綺麗な布でくるまれてあったんですよ? たぶん劣化させたくなかったんじゃないかと思います」
「僕が小さい頃に砂場で見つけた貝殻。こんなに大切にしていたなんて……ありがとう……ございます」
僕はゆっくりと頭を下げて、お礼の言葉を絞り出した。
昔の僕は知っていたのだろうか、彼女の想いを……彼女の献身を……
僕は知った。
ならどうする?
どう彼女に応えるんだ?
「……いまの僕には長子さんへの感情がありません。ですが……それでも、長子さんが大切な人だと僕の心が叫んでいます」
「……昔の私が聞いたら喜びますね」
「大切な人は現在の長子さんも入っていますよ?」
「そう、ですか。……ありがとうございます」
「僕は昔から無茶をして長子さんにご苦労をおかけしたようですが、たぶん……これからも変わらないと思う」
「……はい」
「図々しいお願いですが、どうか見守っていてください。この日記の想いに応えられるように、無理して背伸びをしますので……疲れたら、先程の組み合わせをお願いしてもいいですか?」
「……はい。いつでも言ってくださいね」
長子さんは少し笑って応えてくれた。
もっと格好いい言葉が言えたらいいけど、僕は背伸びをしても僕だから……
みんなの……長子さんの支えがないと、心が折れてしまうかもしれない。
言葉には出来ないけど、長子さんが笑っていられる楽しい未来を掴んでみせようと思う。
昔の長子さん……長子も一緒に笑える未来を……
僕は胸を焦がすような熱い、なのに優しい想いと一緒に、その決意を身体全体に染み込ませた。
―――― 一さんが帰った部屋で私はスマホを操作する。
『夜分遅くにすみません。渡くん。あの話をお受けしたいと思います。』
送信を押して2~3秒程で返信がきた。
『いいのか?』
『はい。覚悟は出来ました。よろしくお願いします。』
感情は無くなっても、あの人は私の大切な人だと……私の心も叫んでいる。
「なら、出来ることはして助けなきゃね」
私の胸の奥で、昔の私が笑っているような声がした。




