夢の跡
照りつける太陽の中、僕は麦わら帽子と虫取り網、虫かごの三点セットを装備してズンズン先を歩いていた。
その少し後ろを小さな二美が、水色のワンピースをなびかせトテトテと走ってついて来ている。
僕はこの春に小学生になってちょっと大人の気分だった。
『おにいちゃ~ん、まってよ~』
『もんくをいうな。わがイチフミたんけん団は、今日は伝説のおおクワガタを見つけにいくんだぞ』
セミの大合唱の中、ちゃんと付いてきているのか?と、後ろを振り向いた僕はほっぺのふくれた二美を確認した。
『う~、だって~』
『ぼくは家にのこれっていったはずだぞ。ふみがどうしてもついて来たいっていったんだからな』
『うう~、でも~』
はぁ……しょうがないなぁ。
僕は二美に近付いて手をにぎると、いっしょにとことこ歩きだした。
二美はなにが嬉しいのか、とても笑顔だった。
夏休みに僕逹は、お母さんのお父さんであるおじいちゃんの家に泊まりにきていた。
おじいちゃんの家から少し歩いた小高い丘の上に、虫の木とよばれる大きな大きな木がある。
そこはおじいちゃんより前の時代からの子供の遊び場であり、秘密基地でもあり……
僕の一番のお気に入りの場所でもあった。
『おにいちゃん、まだかな~』
『まだ五ふんもたってないぞ。……あっ! ほら、見えてきたぞ!』
塀の向こうから見えてきた虫の木は、本当に大きな……立派な大木だった。
クラスのみんなで手をつないでも、半分ぐらいしか手が回らないであろう太い幹。
枝も太く大きく広がり、それについている葉っぱは、深く明るい緑色だ。
その深い明るい緑色は、空に浮かぶ入道雲にも負けないぐらいの大きさで、僕の気持ちをワクワクさせてくれた。
『よし、ついたぞ。フミたいいんは水ぶんほきゅうだ。』
『は~い』
虫の木の木陰で少し休憩すると、僕は二美に話しかける。
『いいか、フミ。虫の木はたかくてあぶない。だからフミたいいんには、ちかくで花やバッタをほかくするにんむをめいれいする。こまったときは、すぐに大ごえでよぶように。わかったか?』
『は~い。おにいちゃん』
『こら、たいちょうとよぶようにっていっただろ』
『は~い』
僕達は休憩をすませると、二人で虫の木を一周まわり、花やバッタの取り方、ダンゴムシのいる場所をフミに教えていった。
そして僕の肩にかけている虫かごをフミに渡すと、フミは嬉しそうに受け取った。
『いいか、その虫かごがいっぱいになったらよぶんだぞ。わかったな』
『うん、わかった』
『よし、ぜったいついてくるなよ。また、おじいちゃんといっしょにいけるからな』
『は~い』
元気よく返事をする二美に不安を感じながらも、僕は早く虫の木に登りたくて仕方なかった。
虫の木の周りは畑になっていて、農家のおじさんやおばちゃんがいつも畑仕事をしている。
何かあればいつも大声で泣く二美だ。
きっと大丈夫だろう。
僕は虫の木に近付いた。
虫の木は、根っ子やコブがちょっとした階段のようになっており、子供でも登りやすくなっている。
誰が持ってきたのか、ロープまで手すりのように付いており、目的の場所までは一年生でもアスレチック感覚で登れるのだ。
よっ! はっ! よっと!
僕はロープをにぎり、虫の木をどんどん登っていく。
途中でおじいちゃん家の方を見ると、虫の木が小高い丘の上に生えていることもあり、周りの景色が一望できた。
おじいちゃん家も見える。
そして下には、バッタを追いかけているのか、ちょこまかと走る二美が見えた。
それらを確認した僕は、また虫の木登りを再開するとすぐに目的の場所へと到達した。
そこは五本の太い枝がちょうど別れている場所で、真ん中には車二台分ぐらいの広場があった。
その広場の上は天井のように葉が茂り、葉の隙間から木漏れ日が見える。
足元には、けん玉やコマなどの玩具がいくつかあり、何個かあるクッキーなどの空き缶の中には、古いメンコや漫画、シャボン玉の液や牛乳瓶の蓋なんかもある。
僕はそれらを確認したい気持ちもあったが、今回の目的は『おおクワガタ』だ。
僕はいくつかある木の隙間を一つ一つ確認していった。
いくつか確認していくときに見付けたカブトムシ二匹を服に付け、残りの隙間が二つぐらいになったとき……
あっ! いたぞ!
僕は焦る気持ちをそのままに、ピンセットで慎重にクワガタをはさむ。
よしっ! そのまま、そのまま……
『おにいちゃん』
『わっっ!!』
いきなり声を掛けられた僕は、びっくりしてピンセットを放り投げた。
ピンセットとクワガタも一緒に飛んでいったが、運良く木の上でひっくり返ってバタバタしている。
『び、びっくりした~』
『おにいちゃん、これ、みて!』
それは花や草がいっぱいになった虫かごだった。
二美は『どう? すごい?』といった顔で僕を見ている。
僕は一つため息を吐くと二美に言った。
『ああ、すごいすごい。でもな、かごにいっぱいになったらよべっていったぞ? ここにのぼるなっていったのおぼえてるか?』
『うん、おぼえてる』
僕はまた一つため息を吐くと、木の上で転がっているクワガタとピンセットを拾っていった。
クワガタはノコギリクワガタだった。
『おにいちゃん! すごい! すごい!』
二美があまりに喜ぶので、僕はカブトムシを一匹あげることにした。
二美から虫かごを受け取り、一匹のカブトムシとノコギリクワガタを入れて渡してやった。
『もうひとりは、いれないの?』
『ああ、ふくについていたらカッコいいだろ』
『フミも、フミも~』
『また、あとでつけてやる』
僕は二美とここにいたら危なっかしいので、早く下に行きたかった。
僕が下に行くルートを確認していると……
『あっ!』
振り向くと二美はいつのまにか虫かごを開けていて、そこからカブトムシが飛んでいった。
それを追いかけていく二美は足元を見ていない。
『とまれっ!! フミッ!!』
僕は二美を追いかけ叫ぶが、二美はカブトムシに夢中でこちらに気付かない!
僕が二美の手を掴んだと同時に、二美の姿がストンと落ちる!
ガッ!! ドンッ!! ゴンッ!!
僕は二美に引っ張られ、体と顔を強く木に打ち付けた。
二美を掴んだ右手はちょうど虫かごの紐でからまり、固定された。
右手は軋み、右腕と肩が痺れるように熱い。
『フミィィィィ!!』
僕は叫ぶ。
下からは二美の泣き声が聞こえてくる。
僕は右手を力の限り握り、引き上げようとするが、逆にズルズル引きずられている。
僕の左手は、爪から血が滲むぐらいの力で木の皮を掴むと、やっと引きずられるのは止まる。
右腕は焼けるように熱い。
『だ、だれかあぁぁぁ!!』
僕は叫ぶ。
二美の泣き声が右耳から聞こえてくる。
右手が汗のせいか、ぬるぬるしてくる。
『フ、フミッ!! だれかぁぁぁ!!』
一分? 一時間?
時間の感覚が狂ってわからないような時がたって、僕の右手はもう限界だった。
父さん! 母さん! かみさま!
祈る思いは届かず、時間だけが過ぎていく。
そのとき……
『おい! 大丈夫か!! ちょっと待ってろ!!』
助かった!
そう思ったとき、右手の重さがぬるりと消えた。
……重さが ……消えた
それからのことは、あまり覚えていない。
僕を病院に運んだ人によると、僕は木の上で丸まり、震えていたらしい。
僕の怪我は脱臼と捻挫、打撲に擦り傷、そして跡に残る切り傷だけですんでおり、全治2ヶ月の軽い怪我だった。
二美は…… 歩けなくなった。
誰もが僕の浅はかな行動を責めている気がした。
父さんや母さんも、僕を叱ることはなかったが、辛くやりきれない目で僕を見ていた。
そんな中で、僕は次第に下を見ていることが増えていた……
三日後、僕は母さんと一緒に二美の病室の前で立っていた。
やっと…… いや、ついに二美に会うときが来たのだ。
病室の中で父さんと二美の話す声が聞こえる。
そのとき、二美の叫ぶような声が聞こえた。
『おにいちゃんはわるくない!! フミがいうこときかなかったからわるいの!! おにいちゃんはがんばってたもん!! おにいちゃんはたすけてくれたよ? だからフミがわるいの!!』
僕は泣いた。大声で……
あの事故からいままで泣けなかった分を、全部絞り出すように泣いた。
ごめん…… ごめん、フミ……
……まもれなくて……ごめんなさい
僕は二美を守り、幸せにすることを誓った。
……目が覚めると、目の縁に水滴が流れている。
あの日、二美を離してしまった右手を見つめ、僕はゲームを続けることを決意した。




