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灰色の王国  作者: いちい
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灰色の物語6

 





 夕食の席で伝えた橙さんの帰還に、皆はあまり驚いていない様子だった。


「橙にいちゃん、帰っちゃったんだ」

「黄色、いずれは皆そうなるんですよ。辛くとも彼の門出を祝いましょう」


 椅子に座ったまま泣きそうにして俯く黄色の肩を、白茶がそっと叩く。緑さんはひとりマイペースに配膳をしながら、ふんわり笑った。


「そうよ! お祝い……ふふっ、棚に熟成させておいたとっておきがあるの。すぐに持って来ます」


 緑さんは彼女の半径1メートル以内に局地的なお祝いムードを撒き散らしながら、楽しそうな足取りで部屋を出て行った。

 けれど、私はそんな気にはなれない。他の皆もそうだろう。空席になった私の隣の橙さんの席と、赤色の席が嫌でも目に付くのだ。

 白茶さんが気遣わしげに話しかけてきた。


「空さん、大丈夫ですか?」

「…………そうですね、大丈夫です」


 彼らがいないことで私の不利益は何も生じない。なのになぜ、こうも心が掻き乱されるのだろう。

 曖昧な私の返答を落ち込んでいるものと解釈したのか、彼は噛んで含めるように言う。


「空さんはまだ慣れないでしょうが、帰還できる人というのはそう多くはないんですよ。ある日いきなり消えてしまう者、灰色になっていく髪に精神がおかしくなってしまう者……。そういう者もいる中で帰還できた彼は幸いであり、私たちの希望なのです」


 深い実感と愁情が、彼の言葉にはあった。黄色も涙ぐみながら小さく頷いている。それはきっと、彼らが実際にそういった人たちを見てきたからだと思う。

 私の来る前に消えてしまったという、雪。いなくなってしまったのは、彼女が初めてではないはずだから。

 しんみりした空気を破って、緑さんがガタガタとワゴンを押してきた。


「お待たせ。とっておきなのよ」


 ワゴンには大きなホールケーキが載っていた。艶やかなクリームでコーティングされたそのケーキは、色こそ異様だがザッハトルテに違いない。濃厚なチョコレートの匂いがする。飾られた生クリームの薔薇はとても繊細で、最早職人芸の(わざ)だ。

 細工の素晴らしさもさるものながら、目の前にそれを置いた時の緑さんの無垢な笑顔につられ、私は唇の端が微笑むのを感じた。


「緑さんの技術は素晴らしくていらっしゃいますね。本職の方のようです」

「ふふ、ありがとう。わたし、お料理が好きで結婚するまではお勉強していたのよ」

「そうなのですか」


 好きだった勉強をやめてまでした結婚。緑さんの穏やかな振る舞いを見るに、それはとても幸せだったのだろう。

 私は…………どうだろう。

 親の打算で決められた、顔もまだ知らない男性との結婚。それも時が経てば、穏やかな時間を過ごせるようになるのだろうか。

 今はまだ、これ以上は考えたくない。


 緑さんは柔らかに微笑み、下げた食器をワゴンに積んで退室した。

 フォークでケーキを切り取り、柔らかなスポンジを口に入れる。灰色のザッハトルテには、甘いスポンジに混じってチョコレートクリームの苦味があった。



 ◆◇◆◇◆





 夕食後、橙さんのことを告げに赤色の部屋を訪ねた。相変わらずノックに反応はなく、手持ち無沙汰に城内を散策している途中のことだった。

 夜闇に沈んだ廊下の窓の外、ぱらぱらと降り注ぐ灰の向こうで何かが動いた気がした。灰の降る時間帯は高所からの見通しが悪く、城の裏手に何があるのかまだ見たことがない。


 私は一度部屋に戻って灰避けの傘を手に取ると、城の裏側に足を向けた。足音も何もかもが薄く積もった灰に吸い込まれて、辺りはしんと静まり返っている。この灰はいつも一定以上には積もらないのに、虹の出る時間以外は消えることがない。


 城の裏には森が広がっていた。木々が密集し、鬱蒼とした森の奥は夜になるとかなり暗い。昼間、それも虹の出る時間帯でもなければ立ち入るのは危険そうだ。

 間違ってそちらに迷い込まないよう、城壁を伝うようにして移動していく。


 不意に声が聞こえた。足を止めて耳を澄ませる。どうやら声は少し離れた建物から聞こえてくるようだ。近づいていくにつれ、それははっきりと歌声だとわかった。

 扉が細く空いた隙間から、光が微かに漏れている。

 クラシックしか聴いたことのない私にはジャンルはわからない。しかし力強い旋律とは裏腹に、か細いわけでもないその歌声は悲哀に満ちていて、繊細だった。


 声を辿ってよく磨かれた木戸を慎重に押し開く。年代物らしい見た目の割に、扉は固くない。

 手入れの行き届いたその建物は、礼拝堂のようだった。左右には質素な木製の長椅子が並び、正面にあるのは説教台。その奥、本来であれば偶像があるべき位置は空で、台座だけが残されている。


 最前列の長椅子。その片隅に身を乗り出すようにして腰掛けて、赤色が歌っていた。彼の赤い髪とピアスだけが、無職の世界にある唯一の色彩だった。

 灰色でありながら燭台の火に煌めくステンドグラスには何の情景も描かれていない。墓碑じみたそれは薄い光を反射して、礼拝堂をこの世ならざるもののように見せていた。


 赤色はよほど熱中しているのか、最後までその曲を歌い切った。息を乱した彼が服の袖で汗を拭う。

 流行歌など聞いたこともない私にとってあの歌声は新鮮で、声をかけようと一歩踏み出す。固い石床を足が踏み、その音に赤色は弾かれたように座ったままで振り返った。

 驚愕に見開かれ、瞳孔の縮んだ灰色の瞳が私を捉えた。


「…………見たのか?」

「はい」

「聴いてたのか?」


 言う間にも上気する彼の耳に、一瞬だけ嘘をついた方がいいかもしれないという誘惑が頭を過る。しかし否定したところで今更無駄だ。


「はい。申し訳ありません。何か不都合が……?」


 私の返答に赤色は辛そうに顔を歪めた。


「二度と盗み聞きみたいな真似はしないでくれ。こんなのは違う。違うんだ……」


 半ば独り言のように言うと、彼は私を押しのけて礼拝堂から飛び出して行ってしまった。


 入り口に突っ立ったまま、首を傾げる。

 わからない。私の行動の何かが彼の琴線に触れてしまったようだが、思い返してみても何が問題だったのか理解することはできなかった。


「あら、空ちゃん」


 ちょうどその時、降り続く灰のヴェールの向こうから、傘をさした緑さんがのんびりと顔を出す。


「明日の朝の分の卵を切らしちゃったの。一人で行くと量が多くて割っちゃうかもしれないから、一緒に街に行ってくれない?」


 にっこりと笑う緑さん。

 確実に赤色とすれ違っただろうに、一言もそれには触れてこない。


「街、ですか?」

「そうですよぉ、城下町。空ちゃんは来たばかりだし、もしも時間があるなら案内の意味も込めて、ちょうどいいかなって思ったの」

「すみません、赤色のことが──」


 断ろうとした私の言葉を、緑さんが遮る。


「そうねえ。じゃあ、行きましょうか」


 そう言い、彼女に手を引かれる。思いの外力が強い彼女の振りほどいた時にはもう、私たちは城の正門のところまで来ていた。

 やっと彼女の手から解放された私は、彼女にはっきりと言った。


「すみません緑さん。赤色のことが気になるので今回は遠慮させていただきます」


 緑さんはにこにことただ微笑み続けている。細められた柔和な榛色(はしばみいろ)がかった瞳が、僅かに開かれた。


「ねえ空ちゃん。あなたのその探究心は美点よ。だけど、全部を(つまび)らかにすることが不幸を招くことだってあるの」

「…………え?」

「わたし、思うのよ。灰で覆われたここじゃないと幸せになれない人もいるんだって。橙さんの幸せは向こうにあった。でも、他の人もそうとは限らないのよ」


 緑さんはそう言ったきり、バスケットを手に提げて幾何学模様に刈り込まれた生垣の向こうへ歩いて行ってしまう。私は少し迷い、その後を追いかけた。




週一くらいで更新できたらいいなあ、と淡い思いを抱いてます。ちょっと難しいかなあ。

ウェブ拍手だけ、後で設置したいという願望はあるんですが。

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