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灰色の王国  作者: いちい
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橙色の物語

 





 釈然としない気持ちを抱え、私は次の日も銀の扉をくぐった。薄暗い水族館につながっているものだと思って目を開けると、思わぬ光が目に飛び込んで、私はまたすぐに目を閉じてしまった。


「ここは…………」


 慎重に目を開く。手前の方にはレジが2台並んでおり、その奥には主に食品や生活用品の陳列された棚が整列している。クリーム色の少し色褪せた壁は、カラー印刷の広告やチラシで埋められていた。

 煌々と灯る蛍光灯が照らすそこは、中規模のスーパーマーケットだった。


 元の世界に戻ってこられたのだろうか。そう思ったのも一瞬だけだった。


 ガラス窓の外に見えるべき町並みはなく、コンクリートのようにべったりとした灰色の何かがガラスの向こうを塞いでしまっているのだ。これでは出入りができない。

 それに、客ばかりか店員の姿さえないのはおかしい。旧式の監視カメラがあるようだが、それでもフロアを空けることは考えられない。


「……あっれー。なんでこんなトコにいるの、空ちゃん」


 間延びした声で言いながら棚の奥から現れたのは橙さんだ。

 見知った顔にほっとしつつ、事情を説明する。


「銀の扉をくぐったらここに着きました。前回は別の場所に繋がっていたはずなのですが、何かおかしなことが起きているようです」

「そっか。女の子なら大歓迎だけど、今日だけは喜べないなあ」

「……橙さん?」


 橙さんは右手に提げた黒い買い物カゴを掲げて、ちょっと困ったように口の端を緩ませた。


「着いといでよ。君も一緒に帰れるかもしれないからさ。運が良ければだけど」

「帰る方法が見つかったのですか?」

「うん」


 橙さんはレジに行くと、手慣れた様子で勝手に読み取り機を、カゴに入れていた商品に翳した。ピッという音がして、支払い金額が表示される黒い画面に『bingo』という文字が映される。


「どういう意味でしょう」


 私の疑問に、橙さんがレジの張り紙を指差す。


「そこに書いてあるじゃん。『大セール! お一人様一品限り無料進呈。※正しい商品に限ります』だって」

「……これは…………正しい商品を一品、あの中から選んで来いということですか」

「そうみたいだねえ」


 私はびっしりと商品が詰まった棚を見て、次に橙さんが袋詰めした大きめの箱に目を向ける。お徳用の茶色い箱に、オレンジ色の踊るような書体でcrash crackersと書いてある。


「その……クラッカーがですか?」

「まあ、そんなところだよ」


 さらりと流し、橙さんは立ち入り禁止の張り紙のある扉を開けた。先は通路になっていて、段ボールやカートが乱雑に隅に寄せてある。

 通路には扉が二つあり、橙さんは迷わず奥の方の扉を開けた。物珍しさに目を奪われていた私だったが、後を追って奥の部屋に入室する。


 中央には白いローテーブル。その両脇に、向かい合うようにして合皮の古ぼけたソファーが置かれている。

 奥のソファーには華のある雰囲気の女性が足を組んで、不似合いなスーパーマーケットの制服を着て座っていた。


「あら、遅かったわね、愚弟」


 そう言い、藤さんは艶然と笑みを浮かべた。


「お待たせ、姉貴」

「答え合わせをしましょう。でも、空ちゃんは外してもらわなくていいのかしら?」

「……別にいいよ。聞かれた所で名前も知らない、住んでいる所も知らない赤の他人なんだ」

「そう」


 気付けば橙さんの服装もまた、スーパーマーケットの制服に変わっていた。

 私の存在だけが、古ぼけたスーパーマーケットの事務所から場違いだった。

 表情の抜けた顔で、橙さんは姉に語り始めた。


「コトの起こりはクリスマスだ。姉貴と僕は両親を亡くしてから施設に行き着いて、親切なオーナーのスーパーで働きながら暮らしてた」

「そうね。そして私はあの日、あの人を家に連れて来たわ」

「あの男。姉貴の恋人。僕たちが手をつけまいとしてた両親の保険金目当てで姉貴に近付いた下衆野郎だ」


 橙さんは険しい口調で言った。よく似た藤さんの静かな声が、奇妙に重なるように続ける。


「あの(ひと)は私の用意した軽食──シャンパンと一緒に出したカナッペに毒を入れた。そしてあなたは意識不明の重体になった」

「僕が死ねば、僕の分の遺産も姉貴に入る。本当に下衆なクズだったよー」


 橙さんは微笑んだが、目は一ミリも笑っていない。


「薄れてく意識で聞いたあの声は忘れない。『藤子(とうこ)、ずっと君の弟は僕を狙っていたんだ。君を傷つけたくなくて言えないでいた。だがまさか、こんなことになるなんて……』。ははっ、それは僕の台詞だよ」


 弟の激憤に、姉は満足げな表情を見せる。


「そこまで思い出しているなら話は早いわ。どうするの? 王国行きはあっち」

「王国に戻ることもできるのですか?」


 私の質問に、彼女は首肯する。


「ええ。それで愚弟、どうするの?」

「帰るよー。現実に戻らないと、結婚したら今度はあいつ、姉貴の命を狙うだろうからさ。姉貴はあいつの本性を知らない」

「あら、それなら知っている私は誰だっていうのかしら」


 面白がるようにして藤さんは尋ね、橙さんは少し悲しそうにして答える。


「多分だけど……(とう)は、僕が持ってる姉貴の記憶。僕の中の姉貴像みたいなもの。違う?」

「違わないわ。合格点よ。途中怪しい所はあったけれどね」


 言い終わるや、藤さんの体が泡のように溶け、橙色の粒子に変わっていく。そうしてそれは集まり変形しながら、橙色の扉になった。


 橙色の小さな木の扉がひとりでに開く。向こうに見えるのは、どこかの病室の風景だ。藤さんと瓜二つの、しかし黒髪の女性が泣いている。その後ろで、日焼けした肌の好青年風の男性が女性を慰めているようだ。先入観もあるかもしれないけれど、どうにも嫌な目をしている。父の指示で出席したパーティーや食事会でよくみた目だ。


 枠に手をついて扉の向こう側を覗き込みながら、橙さんが言う。


「多分だけど、空ちゃんは帰れないみたいだ。元の場所に戻されちゃうと思う」

「わかりました」

「僕に思い出したくない記憶があったように、赤君や君にもそれはある。君はそれを思い出さないといけない。先輩からのアドバイスだよ」


 彼は振り向いて、ちょっと手を振ると扉の向こうに消えた。

 橙さんの背中が枠を完全に越えた瞬間、扉はひとりでに閉まり、視界が白い光に満たされる。


 目を開ければ、私はホールに一人で佇んでいた。随分と呆気ない。本当にこれで橙さんは帰れたのだろうか。

 周りに他の人たちはいない。銀の扉をくぐったのは見ていたから、まだ戻ってきていないだけだろう。


 ホールに架かるいくつもの虹はまだ消えていない。中央のモニュメントからは水が噴き出し、床に刻まれた模様に沿って小さな水溜りができている。浅い水面に滲んだ虹が映り、ゆらゆらと揺らぐ。高窓からの陽射しを浴びて、それはまるで万華鏡のように見えた。


 水溜りの淵に歩み寄り、水面を覗く。澄んだ水面が風に扇がれたように小々(さざなみ)立ち、テレビ画面が映し出された。ニュースレポーターがどこかの建物の前で話している。

 

『──昨日、倉屋敷孝蔵議員の娘、倉屋敷繭さんが井沢の湖畔で意識不明の重体で発見されました。警察は事故、事件両方の線から捜査を続けています。あっ、倉屋敷議員が姿を見せました……!』


 レポーターが走り、カメラがそれを追ったのだろう。画面が少し揺れた。レポーターが小型のマイクを父に向ける。


『娘さんの事件について、議員、お話を聞かせてください!』


 父は乗車するところだったが、運転手に二、三言って待たせるとレポーターに向き直った。


『一人の父親として、繭に危害を加えた犯人を許すことはできません。警察の捜査が進展してくれることを願います』

『では、事故ではないと? 自殺という話も、県警では上がっているようですが』


 レポーターの言葉に、父の顔が紅潮し、歪む。


『繭は! ……娘は、そんな人間ではありません。私には……私にはできすぎたくらいの子です。失礼』


 父はハンカチを目元に当て、車に乗り込んだ。レポーターが画面に向けて沈痛な表情で言う。


『以上、議員からいただいたコメントでした。事件の詳細はスタジオからお送りします』


 そうまでして、イメージが大切なのですね。

 冷めた感想が頭に浮かび上がる。胃の底までが氷を呑んだように冷たくなっていく。

 私はしっかり見ていた。父のハンカチは、一滴たりとも濡れていなかった。あれはただの泣いた振りだ。憤ったように見せたのも、自殺だと外聞が悪いからだろう。仮にそうだったとしても揉み消されるだけだろうけれど。


 どうせ見られるなら、父ではなく兄様の姿を見たかった。

 ……兄様はどうしているだろう。私にはここに来た直前のことが思い出せない。自殺をする理由はないし、事故で転落したか誰かに突き落とされたという可能性が高いだろう。

 報道では兄様の話が一度も出なかった。兄様が無事ならいいけれど。


 人の声がして、思考を打ち切る。皆が戻ってきたのだ。戻るタイミングには多少誤差がある。

 橙さんがいないことには誰も気づかず、めいめいホールを去っていった。いつの間にか噴水からの水は止まり、虹も消えていた。





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