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灰色の王国  作者: いちい
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灰色の物語5

 





 磨き上げられた、銀色の扉。繊細な意匠のレリーフが施された扉の把手を、汗ばんだ手で回す。軽い手応えを感じながら押し開ければ、強い光が目を刺した。


 目を閉じ、ゆっくりと扉の先へと歩き出す。背後から聞こえる、扉の閉まる音。しばらくそのまま歩き続けると、足元の感触が変わってきた。石のような硬質な床だ。歩くたび、自分の足音が反響する。微かに水が泡立つような篭った音が聞こえる。


 目を開くと、そこはどこか薄暗い建物の中だった。閉所ではなく、ひとまずほっと息を吐く。

 おそらくここは水族館なのだろう。私がいるのは、左右に大小の水槽が展示された部屋だった。聞こえていた水音は、水槽のフィルターが酸素を含んだ水を吐き出して循環させる音だったようだ。


 緩くU字状にカーブした部屋を見て回るけれど、水槽にはどういうことなのか、共通して魚影が一つもない。

 流木や水草、石といったものは設置されているにもかかわらず、生き物はまったくいないのだ。

 しん、と静まり返った水槽を、色取り取りのライトが無為に照らしている。


 壁は薄い水色と緑を組み合わせた塗装だ。部屋の中央付近の天井から吊ってあるプレートを見てみると、『浅瀬のいきもの』と細い金文字で書いてある。


 出入り口を探して移動すれば、U字の両端の部分に扉一枚くらいの幅の、色が違う箇所が見つかった。私が初めに立っていた辺りは落ち着いた紫色で、反対側の端は明るいオレンジ色に塗ってある。試しに拳で軽く叩いてみるけれど、特に何も起こらない。

 私は息を吐き、オレンジ色の扉に寄りかかった。


 向かって右、上部が開放されている低い水槽の方をぼんやり眺める。『ふれあいコーナー』と表示が出ているから、これも本来なら中に何かの水棲生物がいるのだろう。


 ────手詰まりだ。あの日以来、少しずつ皆の歯車は狂っていった。

 私が赤色と、彼の扉の先に行った日。その日の夜から、赤色は部屋から出なくなった。そして翌日、銀の扉をくぐった橙さんの様子がおかしくなった。

 まだ一人で扉をくぐる勇気がなかった私だったが、この分では他の人も私に力を貸す余裕はないだろう。……そう思い、意を決してここに来たのに。


 手がかりは無し。唯一の収穫といえば、扉の向こう側には今の所危険がなく、水族館につながっているとわかったことだけだろう。

 来た時と何一つ変わりない変わりない水族館の風景を見て、私は息をついた。


 収穫がないのであれば、早く帰りたい。こうしている時間は無駄だ。

 今まで、一度も水族館なんて訪れたことがなかった。家族サービスなどという言葉から一番遠い人間がいるとしたら、私の父はそういった種類の人間なのだ。


 家族とは政界のイメージを良好に保ち、民衆から支持を得るための必需品。有力者のパーティーに同行させる装飾品であり、他家との繋がりを作ることのできる消耗品でもある。それが父の信条だということは、10歳の誕生日を迎えるより早く理解できていた。


 母は体が弱く、父に追従することしかしない人だった。寂しくはなかった。ただ結果を出し、有能であり続けることを義務付けられるだけの日々。それに疑問すら持たなかった。

 けれど、母が死に、後妻の由利恵さんと一緒にやって来た(ただす)兄様と会い、私は初めてそれに疑問を抱いた。


 世界が変わったと、思った。

 早く、早く兄様に会いたい。けれどこれからどう行動するのが最適なのか。


 答えの出ない思考に囚われているうちに、視界が光に包まれ始めた。二度目であっても、この唐突な発光には慣れられそうもない。

 目を閉じ、そして一瞬の後。私は壮麗な灰色のホールに立っていた。急な明暗の変化に目を慣らすため、瞬きを繰り返す。


 少し離れた所で黄色と白茶さんが、なぜか疲れたように息を切らしている。何か話しているようだが、声までは聞こえない。

 私のすぐ隣には、橙さんの姿があった。女性が近くにいれば軽口を言わずにはいられない彼だが、今まで一度も見たことのない表情をしていた。

 そこに浮かんでいたのは、無。

 作り物のように一切の感情が消えた顔で、橙さんは棒立ちになっている。


「どうかしましたか?」

「え? ああ……」


 初めて私の存在に気付いたように取り繕い、橙さんは誤魔化すように笑った。そして、不意に真っ直ぐに私の目を見て言う。


「……空ちゃん。もしもだけどさ。僕がいなくなったら、赤君を頼んだよ」

「…………? それはどういう」


 詳しい話を聞こうとするけれど、橙さんはそれも聞こえていない様子でホールから出て行ってしまった。




 ◆◇◆◇◆




 釈然としない。

 何がと言えば、橙さんの態度がだ。

 頼んだと言われても、具体的に何を頼むのか。何故、あんなことを言ったのか。知らなければ正しい対応を取ることはできない。

 そのため彼の部屋を訪れたけれど、会うことはできなかった。部屋の中から物音がひっきりなしに聞こえていたから、中にはいたはずだ。けれど、無視されてしまったらしい。


 『いなくなったら』。

 それはつまり、消えるということか、さもなければ現実に戻るということだ。彼は銀の扉の先で、何を見たのだろうか。


 突如、視界が開けた。

 城中を散策しているうちに、入ったことのない区画に迷い込んだらしい。かなりの高所だ。

 おそらくは城から伸びる尖塔の一つ。壁はなく、狭い階段をひたすら登った上に、柱に支えられた屋根がついた、四阿(あずまや)のようなスペースがあった。

 中央には居心地の良さそうな、品の良い革張りの長椅子(ただし灰色)が置かれている。

 だが、そこには先客がいた。長い外套(マント)を毛布代わりにして寝そべっていたのは────。

 黒に近い濃灰色の睫毛(まつげ)が震え、眠っていたその人物、灰色の王は気怠げにこちらを見上げた。


「…………」


 そして、何事もなかったかのように二度寝を始めようとしていた。


「おはようございます」


 まったくお早くないけれど、礼儀の問題として一応そう言っておく。

 王と名乗るからにはもっと覇気やカリスマ性があるべきなのに、だらけきった姿につい目線が冷たくなる。

 目下、最もこのおかしな世界に関わる異常事態に詳しいのは彼だ。話を聞いておきたいところだが、つい余計なことを言わないうちに退場することにしよう。

 人脈というものは、焦ってどうにかなるものではない。大切なのはタイミング。そして、相手と自分の利益なのだから。


「…………繭。お前はまだ、逃れられぬのか」


 彼の言葉に、心臓が跳ねた。胸の内を見透かすようなその瞳に息を呑み、それでも見つめ返せたのは虚勢と自尊心でしかなかった。


「……まだ名前は名乗っていなかったと記憶しておりますが。なぜご存知なのですか?」

「そんなもの、初めから知っている」


 灰色の王はそれきり口を閉ざした。

 釈然としない。そんな想いを抱えながら、私は一礼してその場を後にした。




多忙にて間が空いてしまい、すみませんでした。少しずつ、再開します。

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