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灰色の王国  作者: いちい
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赤色の物語1

 あまりの眩しさに目を瞑っていたが、足をひたすら前に動かすうちに、瞼を刺す光が和らいだ。ゆっくりと目を開ける。

 初めは辺りの様子がよく見えない。足元の床の硬い感触からすると建物の中のようだが、かなり照明が抑えてある。あの明るさに晒された目が回復するまでしばらくかかった。


「…………ここが俺の目的地だ。無事に到着できたみたいだな」


 そう言った赤色の声は微かに反響していた。

 数度、視界をはっきりさせるために瞬きを繰り返す。

 薄暗い、陰鬱な細い通路がずっと続いている。壁も床も、天井すら黒みがかった赤い色に塗装されていて、かなり気味が悪い。

 赤は血の色。闘争や不吉のイメージを持つ色。

 灰色尽くしの城の方も大分気が滅入ったけれど、これならまだあそこの方がまともだったかもしれない。


「そろそろ手を離してくれ。手がもげる。お前強がってたけど、やっぱり怖かったんだろ」


 この空間に意識をとられ、まだ手を繋いだままだったことを忘れていた。慌てて手を離す。

 手のひらをさすりながら、赤色の呆れ半分、恨みがましさ半分な目が私に向けられる。痣にはなっていないが、彼の手は血の気が引いて白くなってしまっていた。


「お嬢様育ちなんだろ? こんなに握力強いとか詐欺なんだけど」

「別に鍛えたわけではないので、生まれつきです。それに、私も聞いてません……!」


 勢い込んで言ったものの、口に出すと改めて認識してしまって嫌だ。声は自然と弱々しくなる。


「こんなに……こんなに暗くて狭いなんて……」


 私が一人で扉をくぐることを避けようとした理由。それは未知の場所への恐怖などではなく、私が暗所恐怖症かつ閉所恐怖症だからだ。

 彼の目的地は、見事なまでに私の苦手な『暗くて狭い所』だった。もしここにいるのが私一人だったら、しゃがみこんで動けなくなっていただろう。


「そこまで暗いか? 狭いっつっても通路だし」

「充分に暗くて狭いです」


 我が家の通路の半分程度の広さしかないうえ、気持ち悪い赤黒い色彩で精神的な圧迫感がある。


「無理なようならここで待ってれば、時間になればホールに戻れる。無理するなよ」


 基本的にドライな性格の彼がここまで言うということは、私は相当顔色が悪いのだろう。

 しかしながら、こんな所で一人になるなどその方が無理だ。


「大丈夫です。行きましょう」

「またそんなこと言って」

「行きましょう。……こんな場所で一人になる方が無理です」


 恥を忍んで暗所恐怖症と閉所恐怖症のことを告白すると、赤色はなぜか怒りだした。


「おい、最初に言えよそういうことは!」

「……申し訳ありません」

「そうじゃなくて」


 赤色はほぼ灰色に染まった髪をくしゃくしゃと搔き回した。乱れた髪の下から、半眼で睨まれる。


「何で言わなかったんだよ」


 正直に話すつもりはなかったが、彼が。呆れたような表情ではなく、困ったような、泣きそうな顔をしていたから。

 私はボソボソと、理由を述べた。


「…………恥、ですから」

「恥?」

「倉屋敷家の娘たる者、闇や閉所を恐れるなど恥だ、と」


 心が弱いからそうなるのだ、と父は言った。それが正しいのか正しくないのか、私にはわからない。けれど、当主のいうことはそういうものを超越して正義。あの家は、そういう場所だった。

 赤色には呆れられたと思う。私は一つ小さく深呼吸した。


「本当に邪魔なら置いていってください。私なら大丈夫ですから」

「わかった」


 頷き、彼はその右手を私に差し出した。

 意味がわからず彼の顔をじっと見つめると、呆れたように続けられる。


「行くんだろ。ほら、手」

「いえ、結構──」

「それは無しだ。お前が途中で動けなくなったら俺が迷惑なんだからな」

「…………はい」


 赤色と手を繋ぎ、薄暗い黒赤色(こくせきしょく)の通路を進む。

 お礼を言いたいと思う。でも、タイミングが掴めない。繋いだ手など頼りないはずなのに、心強く感じる。

 おかしい。

 暗所や閉所への不安よりも、その感覚に意識が集中している。そもそも許婚でもないのに手を握るなど、ありえない。許されないことだ。父様が知られたら何と言われるか。

 ここまで思考が巡っているのに手を離さないのだから、私は真実、おかしくなってしまったのかもしれない。

 この、おかしな色彩に囲まれた場所で。


 本末転倒もいいところだが、赤色から意識を逸らすために、私は通路を観察した。


「たくさん扉がありますけれど、確認しないのですか?」

「もう全部見た後だ。部屋の中に白黒写真が一枚ずつ掛かってて、記憶を思い出す毎に次の扉が開くようになってた」

「記憶、ですか?」


 次々と赤黒い廊下と扉、蛍光灯が視界を流れていく。罠や仕掛けはなく、真っ直ぐな一本道。これなら鍵とやらを見つけるのに手間取るとは思えない。

 その『記憶』が何か重要な役割を持っているような気がした。


「覚悟しておいた方がいい。多分お前も他の奴らもみんなそうだ。何かを忘れている。忘れたっつう事実丸ごとな。ここがどうしてあるのか、どうして俺らはここにいるのか。わからないけど、俺は罰だと思う」


 罰とはまた大仰な言葉だ。赤色には似合わない。

 短い付き合いでも、彼が罰されるようなことをする人間には思えない。


「……何に対しての?」


 赤色は答えない。

 通路の先に、行き止まりが見えてきた。大きな両開きの扉は、見た目だけは豪華な安っぽい化学繊維を張ったワインレッド。

 彼は繋いでいた手を離すと、金色の鍍金(メッキ)の持ち手を握って扉を押す。

 そこは不思議な空間だった。奥は一段高くなっていて、何種類かの楽器が備え付けられている。一段と暗い照明に対比するように、壇上を無数のライトが煌々と照らす。

 赤色が一歩踏み出す度に、コツ、コツと靴音が反響する。


 実際にこういう場所に来るのは初めてだし、テレビを通して見る機会もほとんどない。しかし、街頭のエキシビションで数度見かけたのとこの場所は似ていた。


「ステージ、なのでしょうか」

「正確にはライブハウス。もっとも、実際と違うところはあるけど」


 赤色はステージのさらに奥にある扉のドアノブを回した。ガチャガチャと騒々しい音が響くも、扉は開かない。


「またか。いつもここで躓く。何がいけない? 何が足りないんだよ」


 憔悴した様子に、私は遠巻きにするだけで赤色に声をかけることができなかった。

 さらに数度強引にノブを回そうとし、開かないそれに業を煮やしたように赤色は扉に拳を叩きつけた。


「もう時間がない……そんなの、俺が一番わかってるんだ!」

「赤色、落ち着いて下さい」


 私は奥の扉の方へ近付きながら言った。

 振り向いた赤色は、今まで私が見たことがない顔をしていた。焦燥、疲労……複雑に入り混じり、それ以上はわからない。


「記憶が重要なのですよね。何か思い出せないことはないのですか?」


 第三者がいることで少し落ち着いたのだろう。赤色は低い声で答える。


「……ない。全部思い出した。この奥は多分、控室。行き止まりで最後だ。なのになんで開かないのか、わからないんだ」

「何か心当たりは?」

「…………」


 赤色の濃灰色の瞳が揺らいだ。

 この目は何度も見たことがある。真実を言い当てられたか、迷っている人間の目だ。


「あるのですね。だから……罰だと?」

「…………そうだ。俺は」


 ホールに満ちた静寂を裂く言葉は、酷く落ち着いていた。


「俺は、帰りたいと思えない。あんなこと思い出して、まだ帰りたいと思えるはずがない。だから」


 堅く閉ざされた簡素な造りのドアに掌を当て、曖昧に口を閉ざした赤色の言葉を継ぐ。


「だから罰だと思った」

「矛盾してるようだが、帰りたくないわけじゃないんだ。帰りたいけど、帰る資格がない。そう、思ってる。きっとこれが消えない限り、このドアは開かない」


 わかるんだよ、と彼は呟く。


 彼の心に(わだかま)る罪。それは彼にしか理解できない。語られない言葉を知る術はない。

 赤色にはわかっても、私には決して知り得ない。

 彼の事情を暴きたい、あるいは罪には罰をというような、在り来たりなヒロイズムを振りかざすつもりはない。彼の過去は彼のものであり、例えばそれが私の人生において及ぼす影響は限りなくゼロだろう。

 だから、これは純粋な興味だ。

 赤色のような良くも悪くも純粋な人間が犯したという罪を、ちょっと知ってみたくなっただけ。


 他人の繊細な部分にそんな感情を抱くなんて悪趣味だと自分でも思うけれど、彼にはわかって私には分かり得ないその罪とやらは、私を強烈に惹きつけた。

 水底から見上げた、あの美しいプリズムのように。



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