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灰色の王国  作者: いちい
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灰色の物語3

 

 夕食の席で緑さんを紹介された。

 美人というわけではないけれど、独自のテンポを持った面長の女性だった。彼女はここでは一番の古株にあたるらしい。

「もうおばさんなの」と、おっとりと微笑んだ彼女の髪は右耳の下で、シュシュでまとめられている。その色は完璧な灰色だ。


 本日一番の衝撃が私を襲ったのは、食事が運ばれてきてからだった。


 のんびり笑顔の緑さんが押す、灰銀色のワゴン。その上段のバスケットに載っていたのは、薄灰色のパン。


「今日のは上手く焼けたの」


 バスケットの中に詰め込まれた何の変哲もないフランスパンは、喋っていた。はっきりと聞き取れないものの、ボソボソコソコソ、小声で頻りに何か言っている。

 食卓を緊張が包む。

 唯一緑さんだけがマイペースに、皿を並べていく。


「……緑さん」

「うん?」


 目の前に置かれた皿を見る。色が灰色なので不安だけれど、匂いは普通のビーフシチューだ。少なくとも喋ってはいない。


「…………」


 笑顔の緑さんに、何を言っても無駄なような気がしてきた。少なくとも悪意は感じ取れない。

 家の付き合いで散々鍛えられたのだから、この感覚は信頼できる。

 もしかしてこれは……新人への通過儀礼?

 だとしたら動じてはいけない。これは試練なのだから。

 さりげなくテーブルの面々の表情を観察する。食卓に手をつける様子は見られず、じっと様子を窺われている。

 やはりこれは、試されている。

 私は冷静さを意識しながら、パンに手を伸ばした。ついで、探りを入れる。


「皆さんはいただかないのですか?」

「あー、いや……」


 赤色は私の手元を凝視している。

 手の中でなおコソコソ言い続けるパン。最悪、毒物ではないだろう。食卓に出ているくらいだから。


 ゆっくり千切った瞬間、小さめの断末魔のようなものが聞こえた気もするけれど、臆したら負けだ。一口大にしたそれを咀嚼し、パンを一度皿に置いてからサラダにフォークを突き刺す。

 プチトマトもレタスも細切りの人参も、色は不気味な灰色でも味と食感は同じだ。不思議な感覚だった。

 赤色が息を吐き、緊張が緩んだ。皆がスプーンやフォークを手に食事を始めるけれど、パンには誰一人として手をつけない。

 緑さんはキッチンかどこかに去っていったため、別室だ。


「俺、緑さんのパンを無表情で食べる奴、初めて見た……。あの妙な断末魔、よく気にならないな」


 げっそりした声で赤色が言った。

 皿の上の一口分だけ千切ったフランスパンを見る。私は何か勘違いをしたのかもしれない。


「……新人への通過儀礼ではなかったのですね」


 ちょっとだけ強がって無理をしたのに、損した気分だ。


「あながち間違いでもないわ。ここの食べ物、何でか喋るのよ。調理するときも騒ぐし命乞いされることもあって、緑以外に料理はとてもじゃないけど無理。でも、パンだけは調理済みでも喋るのよね……」


 藤さんの声に生気がない。感情の篭り具合からするに、実体験なのかもしれない。

 私は残りのパンに手を伸ばし、また千切って口に入れた。

 2度目は悲鳴はないらしい。新発見だ。


「…………うわ」


 信じられないものを見るような目をする赤色。


「残すのも失礼でしょう。それに食べられるものであれば、このくらいは大したことではありませんよ。食事会では凄いものが出ることもありましたから」

「凄いもの……喋るパンを受け入れられる空が言う、凄いもの……」


 一体何を想像しているのか、黄色ちゃんが虚ろな目をしている。


「エスカルゴなどは意外とグロテスクですよ」


 エスカルゴの見た目はそのまま、ソースがかかった巨大カタツムリだ。オプションとして野菜やら葉っぱやらがつくことはあるけれど、基本は変わらない。

 詳細は食事の席だから、語らない方がいいだろう。お互いのために。


「もしや空さんは、あの倉屋敷家の方ですか?」


 スプーンを手に白茶さんが訪ねた。

 我が家では食事は無言で行うのが通例でありマナーでもあったから、口を開くのはややためらった。けれどきっと、ここではそれが通常なのだろうと思い直す。

 口の中の食べ物を正確に10回咀嚼して飲み下してから、私は口を開いた。


「はい。私は倉屋敷家当主の娘です」

「……やはり。そのお年にしては社会情勢に詳しいものだと思っていたのですよ。道理で。失礼ながらお年はお幾つで?」

「20になったばかりでした」

「では、ゆくゆくは政界に出られるのですね」

「…………いえ」


 答え辛い質問に、私は少しだけ返答を悩んだ。所詮この場限りの付き合いになる人たちだから、当たり障りのない範囲で答えておけばいい。

 ここでどう答えたとしても、私の運命は何一つ変わりはしないというのに。


「私には兄がおります。兄の手伝いをし、いずれいいご縁が見つかれば、その家に嫁ぐこととなるでしょう。ここから戻れればのことですけれど」


 女性政治家というのも最近ではちらほら見かけるようにはなっている。けれど、女では今の時代、まだ力がない。圧倒的な人を率いて誑し込む、カリスマ性。リーダーシップ。導いてくれる存在としての威厳。

 倉屋敷の家に産まれたからには中途半端は許されない。まして、私には社交のマナーや会話術はあってもそちらの才能はなかった。

 けれど、この血統には価値がある。

 金がある家か、血筋を重んじる家。どちらか利用価値の高い家に嫁ぐことは、確定した未来だ。どの道後継ぎさえ産めば用無しの、形だけの結婚になるのは見えている。

 せめて年齢の差が30以内に収まってほしい。強いてあげるなら、希望はそのくらいだ。

 お前は家のためにいるのだと、物心ついた頃からさんざん言い聞かされて育ってきた。それは至極当たり前の展望で、疑問に思うこともなかった。

 兄様に出会うまでは。

 だからこそ兄様は、私にとって一番大切な存在。兄様の役に立てれば、それ以上の幸せはない。


「……早く(ただす)兄様の元へと帰りたい」


 思わずそう零す。皆からのこの言葉への追及を笑顔で退けると、私はここでの生活の話を引き出すことに専念した。



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