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灰色の王国  作者: いちい
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灰色の物語2

長めです。

 多分、しばらく放心状態だったのだと思う。

 次に状況を認識できる状態になったのは、食堂らしい部屋だった。とんでもなく長い机に座らせられ、目の前には緑茶の入ったカップが置かれている。

 とても飲み物を飲むような気分ではないけれど、暖かい湯気に誘われて一口含めば落ち着くことができた。


 他の人たちは全部で4人。すぐ隣にはあの妖艶な女の人が座り、優雅に紅茶を飲んでいる。緩いウェーブのかかった長い髪は、大部分が藤色だ。左髪の一房が赤い青年は、私から一番離れた向かい側の席でふてくされた顔をしている。

 対面は老紳士。半分ほどの髪が薄い茶色──白茶(しらちゃ)と言うのだろうか。不思議な色をしているけれど、元が壮年であるせいかあまり違和感はない。柔和な顔つきは安心できる類だ。

 視線に気付いたのだろう、微笑んで軽く会釈され、私も小さく返礼した。

 老紳士の隣は対照的な、小さい女の子だった。食堂だというのに黄色い通学帽を脱がず、ちびちびと紅茶を飲んでいる姿は背伸びしているようで微笑ましい。

 壮年と青年の間に女子小学生。隣は妙齢の女性。

 統一感のない面々に疑問が湧いたが、まずは言うべきことがある。


「あの……先ほどは取り乱してしまってすみませんでした。特にそちらの方には」


 目で青年を示すと、彼は「気にしてない」と言った。

 他の人たちも頷き同意してくれる。


「そんなに気にしなくてもいいわよ。みんな一度は通った道だもの。……頭がおかしい人呼ばわりは、ちょっとだけ傷ついたけどね」


 笑み混じりに隣の席の女性が言う。


「もっと凄い人もいたのよ。赤君なんて、白茶を殴っちゃったんだから」

「……赤君?」

「そこの彼のこと。赤色だから、赤君。説明役は持ち回りなのよ。それで、『灰色の王国とかふざけたこと言うな』って。あの時は(とう)が庇って代わりに殴られたのよ」

「藤さん、その話はやめてください」


 どうしようかしら、と含み笑って一頻り赤色をからかうと、彼女は話題を変えた。


「ホールにいた時、直前の記憶が思い出せなかったでしょう。それってほとんどの人に言えることなのよね。だから私たちは色の名前で呼び合っているの。私は(とう)よ。あなたの向かいが白茶、真ん中の女の子が黄色」


 藤さんは曲げた人差し指を唇に当てた。


「あなたは……青かしら」

「…………空がいいと思う」


 か細い声で言ったのは黄色だった。両手をテーブルの上で組み、俯いている。深く被った通学帽の下、灰色の前髪の奥から、怯えたような瞳が私を見上げた。


「空色の……空」

「そうだね、いいんじゃないかい。倉屋敷さんはどうですか?」


 黄色を見ながら孫を見るような優しい微笑を湛えていた、白茶さんが尋ねた。


「それが決まりだというなら、異存はありません」


 違和感が残るほど突飛な名前であれば反対したけれど、許容範囲内だ。

 黄色が少しだけ顔を上げる。長めの前髪の下から覗く幼い顔が、私に微かに微笑みかけてくれた。

 妖艶な女性が藤。小学生が黄色。老紳士が白茶で、青年が赤色。


「橙さんという方は、ここにはいらっしゃらないのですね」

「ええ。私の弟なんだけど、具合が悪いみたいなのよ。それからもう一人、料理番をしてくれてる緑がいるわ。今も台所にいると思うけど……」


 歯切れの悪い藤さんの後を繋ぐのは黄色だ。


「……緑は仲間じゃないんだよ」

「黄色、そういう言い方はよくないですよ」


 優しく嗜める白茶さんに、黄色は口を尖らせながら言い訳する。

 白茶さんから目を逸らすあたり、悪いことを言った自覚はあるみたいだ。


「……だって、緑はもう帰れないもん。髪が全部灰色なんだもん」


 タイムリミットは色を失うまで。色をなくしたら死んでしまうのかと思っていたけど、そうではないのだろうか。


「灰色になるとどうなるのですか?」

「現実には戻れなくなる。死にはしないし何も変わらない。ただ」


 赤色は決まり悪そうな顔になると、歯切れ悪く続ける。


「……お前がここに来る前な、灰色になった奴がいたんだよ。雪っつう、白い女子高生。それがある日消えた」

「消えた?」

「俺らはこの灰色の城に客室を充てがわれてるんだが、ある日急に部屋から消えた。灰色の王に訊いても、『消えた』の一点張りだ」


 神経質そうに赤色はカップの取っ手を指でなぞる。


「灰色の王と会う機会もそのうちあるだろうが、あいつの見た目に気を許すなよ。あいつほど嘘つきで信用ならない奴はいない」

「赤色君の言うことは極端ですが、あの子が油断ならないのは事実です。空さんもお気をつけて」


 穏やかな気性の白茶さんまでもが注意を促してきた。

 重い空気が食堂に立ち込め始める。それを崩すように、藤さんが手を叩いた。

 何事かと注目する私たちに、彼女は明るく言い放つ。


「はいはい、辛気臭いのは終わりよ。それにほら、皆も今向こうがどうなってるのかとか、時間とか知りたいんじゃないかしら?」


 この一言で空気が変わり、思い出したように皆から質問が飛ぶ。

 ここでは現実の様子は、虹の噴水という場所で時折見える断片からしか見られないらしい。それもごく一瞬だったり、意味のないどこかの田舎町の風景だったりすることも多く、特に自分がここに来てからどのくらいの時間が経っているのかに興味が集まった。

 現実のことをひとしきり話すと解散になり、私は藤さんに部屋に案内してもらうことになった。

 灰の城というだけあってシャンデリアや蝋燭、果てはそこに灯る火まで灰色一色の内装は気が滅入って仕方ない。灰色の毛足の長い絨毯が帯のように長く続く廊下には幾つもの客室の扉があったが、藤さんは2階の一番手前の扉の前で止まった。


「あなたはここを使うといいわ。部屋は見ての通りたくさんあるの。でも、あまり階段から遠いとホールに行くのも一苦労でしょう? トイレとバスは部屋にあるし、基本的な物なら化粧品も揃っているから心配はないと思うわよ」

「はい」

「じゃあ夕食でね」


 綺麗な微笑と甘すぎない香水の匂いを残し、藤さんは向かいの部屋に消えた。

 部屋に入ろうかと思ったところで、上の階から赤色が降りて来る。

 左右を確認し、誰も来ないことを確認すると彼は小声で囁く。


「よし、ちょうどいいタイミングだな。空、ちょっとこっち来てくれ」

「何の用ですか?」

「馬鹿、大きい声出すな……バレるとまずいんだよ」

「でも…………」


 他の人の視線を恐れる様子はどう見たって怪しい。

 せめて用件を聞かないと判断できない。こんなわけのわからない状況だ。迂闊な行動は避けたい。それに……まだ私は赤色を信用しきってはいないのだから。


「ああもう、面倒な奴だな。部屋入るからな」


 赤色は宣言すると私の手首を掴んで、あろうことか部屋に押し入った。

 彼の背中で、バタンとドアが閉まる。


「何するんですか」

「いいだろ、どうせまだ私物とかないんだから。見られて困るものもない」

「そういう問題ではありません」


 夫でもない男性と二人きりになるなんて、淑女としてあるまじきふるまいだと教えられてきている。

 批難を込めて睨むと、赤色は雑に謝った。


「悪かったって。食堂にいなかった橙のことで話さないといけないことがあるんだよ。藤に聞かれたくないんだ」


 不意に、扉の外から藤さんの声がした。


「空ちゃん、どうかしたの? 大きな声が聞こえたけど」


 赤色は焦ったように首を横に振っている。話すなということだろう。その顔が追い詰められた鼠のようであまりに悲惨だったので、私は嘘をつくことにした。


「……大丈夫です。部屋に虫が入っていたので驚きましたけれど、もう追い払いましたから」

「そう?」


 藤さんは部屋に戻ったようだ。ドアが閉まる音が微かに耳に届いた。

 赤色はほっと肩を撫で下す。


「それで、話というのは?」

「ああ。藤と橙は同一人物なんだ。……多分」

「多分?」

「藤と橙は必ず同時には現れない。一日置きに部屋から出てくる。それぞれの色も性格も全然違うのに、顔が一緒なんだよ。最初は俺も変装してからかってるんだと思ったんだが、違うんだ。こっちには、たかがカツラでも色付きの物なんかない」


 私は藤さんの部屋の方に目を向けた。薄い灰色の壁紙を、濃灰色で大胆な蔦模様が踊っている。


「それで、藤と橙にはお互いでいる時の記憶がないみたいなんだ。だからそこを注意しろって言いに来た。それだけ。知らないと混乱するし、無駄に騒動になるといけないだろ」


 確かに、藤さんの部屋から知らない女性が出てきたら驚くだろう。


「わかりました、気を付けます。教えてくださってありがとうございます。ですが今後断りなく部屋に押し入るのはやめてください」

「わかったって。ああ、あと、夕食は7時だ。そこに時計があるだろ。ここじゃ食事の時間は決まってるから遅れないように気をつけろよ」

「はい」


 話はこれで終わりかと思いきや、赤色は落ち着かない様子で視線を彷徨わせた。それから私を見つめて、少し声のトーンを落とす。


「俺、さ。お前の一個前なんだ」

「…………?」

「ここに来たの」


 それにしては……。

 私は赤色の髪を見た。灰色の侵食率はおおよそで藤が30%、黄色が50%、白茶が60%、中でも赤色は90%を超えるだろう。計算が合わない。

 赤色は私の視線の意味に気付いてか、自嘲する。


「色がなくなる速さは人によって違う。その辺は灰色の王に聞けよ。嘘つきだが、一番ここに詳しいのはあの玩具の王様だからな」


 口元だけでちょっと笑って、彼は言葉を切る。


「つまり何が言いたいかというとさ……あまり抱え込むなよ。いきなりこんな所にいて、わけのわかんないこと言われて。混乱する気持ち、少しはわかるから」


 赤色は今度こそ、気遣わしげにしながら部屋から出て行った。

 一人になり、広すぎる部屋を見渡す。

 手前の方にテーブルと椅子が2脚。左手には扉があるから、水場があるのだろう。奥にはワードローブやベッド、作り付けの棚がある。

 いきなりのことに戸惑いはあるものの、疲れてはいない。ベッドには向かわず、椅子に座った。灰色の部屋。窓から見える景色もまた、灰色の曇り空だ。窓枠には薄く灰が積もっている。

 赤色の気遣いは有難かったけれど、的外れでもあった。この状況にも初めは困惑したが、もう適応している。今の私の頭を占めるのは、たった一人。糺兄様だけなのだ。


「兄様……心配してるかな」


 糺兄様と私は血が繋がっていない。私は前妻の子で、兄様は後妻の連れ子。屋敷に来たのは1年ほど前になるだろうか。

 倉屋敷の家は華族の血を引く、政界に食い込む家系だ。何より血を重んじることから、連れ子である兄様は周囲と上手くいっていなかった。それでも懸命に努力し、血ではなくその才覚が認められるまでになったのだ。

 尊敬しているし、敬愛もする。

 心配をかけたくはないと思う一方で、心配してくれないのも寂しいと思う。

 糺兄様なら──。


 耳の奥で、水の音が聞こえた気がした。



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