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灰色の王国  作者: いちい
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灰色の物語10

 





 あの後時間になってもホールに戻らなかった白茶さん。彼のことが気にかかって、昨晩はあまり眠れなかった。少し遅れて入った朝の食卓だが、やはり今朝も彼の姿はない。椅子の数も、そもそも黄色と赤色、そして私の分の三脚しか用意されていないようだ。


 黄色はまだ幼いから、赤色の方が事情には詳しいだろう。だが、未だ気まずい関係の彼に話しかける気にはなれず、私は敢えて、灰色の魚介類のスープを掬う黄色に声をかけることにした。


「おはようございます。黄色は、白茶さんを知りませんか?」

「知ってるよ。……白茶、もう遊んでくれなくなっちゃった」

「そうなのですか?」


 白茶さんは、とても黄色を気にかけていた。甘やかすわけではないが、適度な距離を保って見守るといった雰囲気で……。そんな彼が、黄色から離れたということが信じ難かった。

 黄色は寂しそうに、スープを飲むわけでもなくスプーンで、ぐるぐるかき混ぜている。


「白茶は使用人になったんだ」


 赤色が溜息をついてスプーンを置き、端的に答えた。


「使用人、というと。緑さんのような存在ということでしょうか?」

「ああ。脱出を諦めて王についたってことだ。だから俺たちとは立場も変わるし、もう仲間じゃなくなった」


 今までは王城の客という立場だったのが、城仕えになった、という認識でそう間違ってはいないだろう。

 赤色はどこかピリピリしているように見える。(とう)さんがいなくなってからずっと不安定だった上に、年長者である白茶さんまでもが抜けてしまったのだ。無理もないかもしれない。


 何と返したらいいのかわからず、私は曖昧な笑みを浮かべて着席した。すると、緑さんがワゴンを押して料理を持ってくる。


「おはようございます、緑さん」


 私の挨拶に、緑さんは目を細めて応えた。


「あら、おはよう空ちゃん。白茶さんのことを話していたの?」

「はい」

「空ちゃんは、彼が使用人になったこと、どう思っているのかしら」

「…………」


 白茶さんの人生は白茶さんのもの。それを他人がともかく言うことはできない。いつもの私であったらすぐにそう言ったはずだ。だが、何故だか喉に乾いたような感覚が貼り付いて、私は何も言えないでいた。

 この感覚は、何なのだろう。


「……わかりません」

「そうなの」


 緑さんは穏やかに微笑しながら、丁寧な仕草で深皿に注がれた海鮮と野菜のスープ、籠に盛られた焼きたてのパンを並べていく。


「何が、おかしいんですか」

「赤色?」


 赤色の手がテーブルを強打する。皿が揺れ、緑さんの手から配膳途中のスープの皿が落ちる。薄灰色のさらりとした汁と具材が床にばら撒かれ、緑色のエプロンを汚した。


「赤君? どうし──」

「緑さん、俺らが右往左往するのがそんなに楽しいですか?」

「楽しい、だなんて思ったことはないわ」


 緑さんはいつもの調子であくまでも穏やかに否定する。しかし、赤色は口元を気難しく引き結び、どう見ても彼女の発言を信用していない様子だ。


 冷静に考えれば、彼女に他意がないことは理解できるはず。ここで暴走しては、後で興奮が冷めてから後悔するのは赤色だ。


「落ち着いてください赤色」

「空色、お前もお前だ。わからないって何だよ! 白茶さんは仲間だったんだぞ。それが、こんなことになって……何も感じないのかよ」

「私は……」


 矛先は私にも向けられた。発憤する赤色。彼に何か言わないとと必死に私は言葉を探すけれど、喉は引きつったようになって言葉を発せない。

 自分でもまだ理解できない感覚に、脳が軋むような気味の悪い心持ちになる。


「何も言わないんだな。あの時も、今も。そういうのって、どうかと思うけどな」

「あ、赤色お兄ちゃん……?」


 黄色が椅子の上で身を縮こまらせて、赤色を怯えた瞳で見上げていた。今まで頼っていた白茶はもうおらず、ただ小さくなって怯えをやり過ごそうとしているのだ。

 赤色は我に帰った様子で、ばつが悪そうに椅子から慌てて立ち上がった。


「……悪い。頭冷やして来る」


 赤色は食堂を出て行った。

 緑さんは困ったように、頬に手を当てている。


「あらあら、困っちゃうわ。空ちゃん、ごめんね。すぐに新しいものを持って来るから」

「いえ、あまり物を食べる気分でもなくなってしまって。申し訳ありませんが、部屋に戻ろうと思います」


 席を立とうと思ったその時、食堂の扉が開く。


「緑さん、何か騒ぎがあったようですが、どうしましたか?」


 穏やかな声でそう言ったのは白茶さんだ。部屋を見渡し、床を濡らすスープと割れた皿を見て、悲しそうに眦を下げる。


「赤色、ですか?」

「そうなの。ごめんなさいね。お掃除をお願いしてもいいかしら?」

「ええ、もちろんですよ。私は『執事』ですからね」


 緑さんが厨房に戻り、私も部屋に戻ろうと扉へ向かう。

 緑さんが料理人であるように、白茶さんは執事の役割を得た。灰色に染まった頭髪に何とも言えない感情がこみ上げる。


「空さん」

「はい」


 呼び止められ、振り向いた私に白茶さんは寂しく微笑んだ。


「申し訳ありません」

「白茶さんが謝罪されることではありません。でも」


 でも、何だろう。こうして白茶さん本人を目の前にすると、思うところもある。

 白茶さんの行き先で見た美しい花嫁の願いは破れ、私は仲間を失った。ああ、そうか、これは……喪失感か。

 だとしたら、この私の感情は。


「……でも、寂しいです」

「申し訳ありません」


 私に『兄様のところに帰る』という目的があるのと同じように、彼には彼の願いがある。誰しもがいつも幸せになれるとは限らない。

 わかっているのに、胸にぽっかりと空いたようなこの寂しさは何なのだろう。


 私は首を左右に振って気にすることはないと示すと、食堂を後にした。


 少し時間は早いが、ホールに行くことにした。虹のアーチとモニュメントの噴水から飛び散る水しぶきが煌めき、涼やかな水音が耳に届く。


 ホールの中央に静かに鎮座する、繊細なレリーフの刻まれた銀の扉。ひんやりした硬い質感のそれを開き、白い光の中に私は足を踏み出した。


 螺旋階段を上った先のアクアリウム。透明なチューブ状の通路に一歩足を踏み入れると、背筋に強い悪寒を感じた。眉を顰めて後ずさりする私の視界の隅で、何か大きなものの影が動く。

 苔むした岩に、海藻や流木。アクアリウムの底で砂が舞い上がり、水槽の下方に置かれたそれらのものの姿は一瞬で、白茶色の砂粒のカーテンに覆われる。そしてその奥から砂とよく似た色のなにかが現れ、アクアリウムの中の極彩色の魚を次々と丸呑みにしていく。魚たちは何かから逃げようとアクアリウムの上方に逃げ惑い、それを巨影が追いかける。


 巨影が砂煙を抜け、その姿を現した。

 それは巨大な鳥だった。流線型の胴体と両翼で水を裂きながら、すさまじいスピードで遊泳。灰色で幅広の(くちばし)は、あっという間にアクアリウム中の魚を一匹残らず(つい)ばんでいった。


 白茶色の鳥は大きなゲップをすると、アクアリウムの入り口にいる私には興味も見せず、水槽を降っていく。そしてその頑丈そうな嘴で砂を掘り、翼で砂をかき、やがて体を完全に砂の下に隠した。


 しん、と静まり返ったアクアリウム。もう魚はどこにもいない。こぽこぽと小さな泡を浮き上がらせて、柔らかな水音が響くばかりだ。


 恐る恐るガラス材の床を踏み、アクアリウムを貫く通路を進んでいく。あの白茶色の鳥が出て来るかもしれないと思う少し怖いが、進まなければただ時間を浪費するだけだ。


 ついに、扉の前にたどり着いた。あれだけ見えているのに近付けなかった、観音開きの白茶色の扉。その金のドアノブをひねれば、降りの螺旋階段が暗がりの中までずっと続いている。


 この先を行くと、今度はどこに繋がっているのだろう。今度こそ……兄様のところに繋がっているといい。そう思いながら、螺旋階段を下った。




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