白茶色の物語4
ギィ、と軋んだ音を立てる扉を開くと、教会の中には、古い映画のように色褪せた光景が広がっていた。
外観よりは狭く感じる屋内には、赤や青、緑といった鮮やかなステンドグラスをすり抜け、光が降り注いでいる。色のついた光は、灰色に慣れ親しんだ目には少しちりつくように感じられた。
木製の素朴な椅子には着飾った人々が笑顔で参列し、説教台の前で背を向けている花嫁と花婿を祝福している。
けれど、そのどれもがセピア色に色褪せ、人々は血の通わない人形のように、ぴくりとも動くことはない。
ただ一人、花嫁だけが、目に痛いほど真白なウエディングドレスのたっぷりとした襞を揺らし、振り返った。
毛先だけを内側に巻いた髪は胸を過ぎるほどで、彼女の卵型の顔を綺麗に縁取っている。
顔に浮かぶのは、痛々しいくらいに澄んだ笑顔。
鐘の音が、ぴたりと止んだ。
静寂。時間は最早、止まっていた。
「君が、僕の約束の相手ですね」
確認の形ではあっても、彼は確信している。そんな口ぶりだった。
「君との約束、守れなくなってしまいました。申し訳ありません。もう……今の私には、約束の内容も、君の名前すらわからないのですよ」
寂しそうに微笑む花嫁。時間が動き出す。教会の鐘が大きく一度、鳴り響いた。
白茶さんは、彼女とそれ以上対話しようとせずに行ってしまう。白茶色のスーツの背中に、花嫁が何かを言いかける。
それは──それは、白茶さんが聞かなければならない言葉だ。
私は彼を呼び止めようとしたが、彼女は白の長手袋で覆った人差し指を口の前で立てた。優しい色の紅を塗った唇が、動きだけで伝える。
届かない言葉を。
『今のままのあなたを、愛していました』
音がなくても。声が大気を震わせなくても。
わかる。聞き間違えるはずがない。
頭に響くこの声は、彼女の心が届けているのだろう。
背中を向けた白茶さんにはしかし、それを知覚することができなかった。
知ろうとしなければ、人の心なんてわかれはしないのだ。自分の心さえままならない、私たちなのだから。
花嫁の輪郭が崩れ、純白の衣装は白茶色に濁っていく。花嫁はすっかり、チョコレートのように窪みのあるデザインの、白茶色をした扉に変わってしまった。
参列者は黒い靄に変わり、風に吹かれて前から順に退場していく。一番最初に消えた花婿は、いやに身なりのいいがっしりとした体型の、彼女より一回り以上は年上な男性だった。
風は強く吹きすさび、私の体は教会の外に押し出された。目前で閉ざされた扉の真下の地面から、するするとクローバーの蔓が伸びて教会に絡みついていく。
煉瓦の教会はなすすべもなくクローバーに表層を呑み込まれ、扉は固く閉ざされた。釣鐘にも蔓が入り込み、これでは二度とメロディーを奏でることなど叶わない。
緑にすっかり包まれた建造物を前に、クローバーの花言葉を思い出した。社交術や礼法の一環として教え込まれた知識の一つだった。
綻んだ蕾の色は、白。ごく小さな針のような花弁が無数に集まり、小さな房飾りといった様相を呈している。シロツメクサの花言葉は約束、復讐、それから『私を思って』。
ずっとそのままでいて、とたった一つ願った彼女は、白茶さんに変わらないでいてほしかったのかもしれない。いつまでも、いつまでも。彼女の愛した彼のままで、自分のことを思い続けてほしい。
それは約束であり、彼女なりの復讐だったのだろうか。
彼のことを憎からず思っていた彼女を、連れ出して逃げてもくれないで、祝福の言葉を告げた白茶さんへの。
わからない。
時の流れで曇りのある屋根の十字架の遥か上方、空は相も変わらず雲で白く濁っている。この雲はきっと、今日も明日も明後日も、晴れることはないだろう。
白い光が辺りに立ち込め、私は目を閉じた。
◆◇◆◇◆
そう、僕はこれでいい。
教会に背を向けて歩き出す白茶に、声をかける人がいた。
「待て」
道を塞ぐように立つのは、この世界の王。灰色のマントを引きずり、王笏と王冠を身に付けた幼い少年だった。
「驚きました。こんなところにも来られるのですね」
白茶はいいながらも驚いていた。こんな姿をしていても、王は王ということだろうか。彼はいつも気付けばそこにおり、いつの間にか消えている。だが、扉の先で会うのはこれが初めてだった。
王は世間話に付き合う気はないのか、率直に言う。
「おまえは、残るのか?」
「ええ」
「ならば棄てよ。その身に纏う色を捧げ、永遠を取れ」
白茶は眉を顰めた。
「色を棄てれば、このままここにいることができる。忘却の幸福は永遠となる。だが代償として、二度と元の場所に戻ることはできなくなる」
それは彼自身、望むところだった。元の場所に帰るつもりはなく、かといってこのままここにいれば、髪が灰色になりきるといずれ消えてしまうかもしれない。
雪がそうであったように。
けれど、白茶が残ることを望みだしたのはかなり前のことになる。なぜ今なのだろう。最奥に辿り着くことが条件なのか?
白茶は困惑しつつも、考える。
以前、王はホールに現れたと聞く。それも、空色の疑問に答えるために。今まで王が自分から出向いてそのようなことをしたのは、一度もなかったにもかかわらず、だ。空色が関わると、途端にこの幼い容姿の少年は、らしくない行動をとり始める。
「空さんは、王にとって何なのですか?」
「……おまえが知る必要はない」
灰色の王が長い王笏で地面を一突きすると、彼の身の丈を優に超える、灰色の扉が白茶色の土からせり出し現れた。王は扉の向こうに姿を消した。




