ラプラスの思惑
「ありゃ、もうボス倒しちまったんだな……そっちの可愛い子は?」
迷路から出ると、エルガーとメヒティヒに出くわした。
「ああ、リコリスって言うんだ。僕の……友達、じゃないし、仲間でも、恋人でもない……同級生でもないし、一個下の知り合い」
「ひ、ひどいです……」
リコリスは憤慨していた。彼女からしてみれば、僕との関係性はどのようなものなのだろうか。
「じゃあ、何」
「え……えーっと……」
リコリスは何やらもごもご言いつつ、考えようとしている。
「ミンティ、貴様……メヒティヒ以外に女の知り合いがいたのか……」
「いや知り合いならいっぱいいるから。フレンド登録してないだけで」
普段喋らないけど行事の時だけ喋る子とかいたよね。一言話せば知り合いでしょ? 知り合いと友達の基準が違い過ぎる。
「ふ、ふふ……」
メヒティヒは不敵に笑いだした。
不気味な笑みは邪悪極まりなく、僕達を若干引かせるには充分だった。
「メヒティヒというものがありながら……浮気とは感心せんな」
「誰がいつお前なんかを本命と決めたんだ?」
そう言い返した途端、メヒティヒは背の大剣――確か希望を齎す者――を抜いた。
「おい、大剣を振りかぶるな」
「……剣を収めて欲しくば、その少女との関係をはっきりしてもらおうか」
メヒティヒは大剣でリコリスを指す。リコリスは若干戸惑っているようだったが、すぐに持ち直した。
一つ咳ばらいをしてから、僕は話し始める。
「リコリスは僕のフ……」
「恋人、です!」
高らかに。
意味不明。
唐突すぎる。
「いや、何言って」
「貴様……!」
メヒティヒは僕に剣を向ける。なんで怒りの矛先が僕なんですかね。
「嬢ちゃんも言うようになったなぁ……」
腰元から声がする。ヘッズが十四番目の縄を体に食い込ませながら言ったようだ。
「ミンティこの野郎、隅に置けねえなあ」
エルガーはにやけた顔で僕の肩を突っついた。その腕切り落としたい。
「リコリス……冗談はやめてくれ」
「冗談じゃ、ないですよ?」
リコリスは目を逸らして言った。困ります。
こういうので何人の男子中学生の純情が弄ばれたことだか。女子の皆さんには気を付けてもらいたいですね。
「はいはいお二人さん。それ系は二人きりでやってくれ」
エルガーに茶化され、二人して黙り込む。こういうの。こういうの駄目なんだよ。
「ところでオレから提案があるんだが……」
エルガーがひどく真面目な顔で言った。
地に座り込み、続きを話す。
「ギルドを立ち上げようと思っている。一緒に入っちゃあくれねえか」
「ほう……?」
ギルドとな。確かにエルガーはどのギルドにも属していない。だからといってリーダーになるというのは短絡的すぎやしないだろうか。
「やめといた方がいいぞ。このゲームは開始して一年も経ってるんだ。誰も新規のギルドなんかに入ろうと思わない」
「だから初期メンバーとしてお前らを誘ってんじゃねえか」
エルガーは本気のようだ。一人でもギルドを立ち上げるという眼をしている。なら、どうも言わない。
「僕とリコリスはギルドに入ってるから無理だぞ」
「な!? お前ギルド入ってたのか!?」
「つい先日に創設した」
「ま、まじでか……」
エルガーには悪いが、黒の旅団をやめるつもりはない。
「話は終わりか? じゃあ、僕はこれで」
「待て、ミンティ!」
僕を引き留めたのはメヒティヒだった。
「……なんだよ」
「メヒティヒをギルドに入れてくれ」
* * *
闇夜に影が一つ。
が、それは間違いというものだった。今は夕暮れ時。そして場所は地下――大罪迷宮九十一階層である。
「ここが、大罪へと至る道……」
男は、静かに壁を撫でた。ひやりとした冷たさが、男の手のひらを伝う。
装備は軽めのプレートアーマーに、一本の両手斧。長髪の、女性と見間違うような顔立ちの戦士。
「そんなにゲームに入り込んで楽しい?」
その男の後方に、影。ピンクのローブを身に纏う、槍使いの女性プレイヤー。その眼は、まるで廃棄物を見るようであった。
「楽しい、とは思えません。ただ……世界に同調してしまうのです」
「やっぱり変な奴ね、アンタ」
女は心底面倒だという表情で、手頃な岩に腰かけた。その視線は宙を彷徨い、ひどく退屈そうだ。
「まだ僕達では大罪に適合できないようです。戻りましょう」
「……ほんと、どうなってんのよこのゲームは……」
男が道を引き返したので、女が怠そうな動作でついていく。
「プレイヤーの深層心理を読み取るなんて、ゲームの範疇を越えてない?」
女の言葉に男の返事は続かず、迷宮には反響する声だけが響き残った。
* * *
「やっぱりここのパンは最高だ。欲を言えば種類が欲しいが」
「馬鹿言うな。ここは三十年間こいつ一筋だ」
僕は手に持った細長い楕円形のパンをまた一齧り。口いっぱいに広がる麦の味と、ほのかな酒臭さが鼻腔をくすぐる。
「これにまさる食べ物はダーリィの料理だけだな」
「まったくですね~」
「いや、俺はこっちの方が好きだぞぅ」
僕の隣で、リコリスとヘッズがもきゅもきゅとパンを食していた。ちなみに、十四番目の縄は解いてある。
「もう十五の町の地図がつくられてますよ」
リコリスは半透明のウィンドウを表示していた。
「……何それ」
「ミンティさん知らないんですか? 今朝アプデで追加された機能ですよ? シックス・センスに関連した情報だけを集めるというものです」
初耳だ。僕は朝からログインしていたというのに、知る由もなかった。
「へぇ、他には何かある?」
「他ですか……あ、十五の町に意味深なNPC発見。大罪を言及……なんでしょうかね?」
「……」
僕は思わず口をつぐんでしまった。
一般に、大罪迷宮、断罪迷宮の存在は秘密にされている。それはトッププレイヤー間における暗黙の了解であり、誰一人としてプレイヤーは話さなかった。
だが、この世界の住人たるNPCも存在を知らない、という確証はない。ヒントとして、或いは伏線として話をするだろう。
「……ミンティさん?」
「ああ、大罪……ね」
リコリスは当然知らない。
正直言って、大罪迷宮を仄めかすのはまだ時期尚早だ。レベル50は要求されるあのダンジョンに、20や30の一般プレイヤーが突撃しても無駄死にするだけだ。
「大罪って言えば、七つの大罪だよな」
「傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲……ですよね」
「使い古されたネタだけど、やっぱり良いと思っちゃうんだ」
「そうですかね?」
リコリスはあまりロマンを求めないようだ。
ヘッズは黙って話を聞いていた。一介のAIは、僕が隠そうとしていることをどう思うのだろうか。
ふと、思う。感情とは、微妙な反応の連鎖だと。そうするなら、突き詰めた人工知能というものは、人と変わりない。只、細かさが違うだけ。
一年間やってきた父の作ったゲームに、漠然とした不信感のようなものを、僕は抱いてきたもかもしれない。
* * *
その時、ラプラス――古海凛子は、町を一望できる展望台に一人、佇んでいた。その光景は一つの芸術のようで、彼女自身が普通と違う人間だったのだ、ということを感じさせる。
静かに、決意をしていた。
「やるしか、ない……」
ミンティを殺す。
それが彼女の為すべきことであり、最優先事項であった。
どうなっちゃうんでしょうか。
メヒティヒさんはまだ黒の旅団に入ってません。




