前編
目の前に映った者は異様だった。少なくとも僕には異様に映る。
ずっと頑なに拒んでいたジャンルだったからかもしれない。故にそれは異様に見えたのだろう。
しかし、それ故に…………。
それは強烈で新鮮だった。
目に映った者だけでなく、この耳を通る音。
沢山の音が入り交じる音楽。機械音。聞きならないような斬新な効果音。
頭の中を揺らす。
揺らす。
僕を揺らす。
爽快なギター音。
心を踊らすドラム音。
そして、一言では言い表せないボーカルの声。
それらの音が混ざり混ざり一つの曲を作る。
震えた。
僕は震えた。
久々だった…………。いや、こんなの初めてだった。
僕は見入っていた。
ステージに立つ彼女らを――。
それが僕、宮野浜登ととあるアニソンバンドとの出会いだった。
***
「今のガンダムは全てに置いて間違っていると思う!やっぱり初代を超える作品なんて未だに登場していない!」
強い口調だ。
まるで、今まさに国の危機を救う前代未聞の改革を行おうとする政治家のような口調。強気で堂々としていて、何処と無く誇らしげな発言だった。
「いやいや、今のガンダムはガンダムで需要はある。ガンダムにこうでないといけないという定義は存在しないのよ。つまりガンダムはフリーダムなんだ」
こちらも負けず劣らず、相手には屈しないとする強気な反論を返していた。
「そりゃそうさ、ガンダムは人類の普遍的なものであり何事にも侵されない神秘の神物だ。だけども今のガンダムにはかつてほどの愛が感じられない」
「それは、このご時世の需要によって変化してしまっただけ!」
「いや、しかしだな――――」
「いやいや、だけども――――」
と、何やら話は一向に纏まらない。
ただガンダムトークが続いていく。終わりが見えない。
まあ、それはそうだろう。
持論に対して持論をぶつけるだけの話し合いに終わりなんてない。ただ永遠にトークは続く。ただ自らの主張をいい相手もまた自らの主張を口にするだけ。意味のない言い合いだと言えばそれまでだ。
この言い争いは果てしない。
そう、まるでガンダムのように。
――――。
しかし、そろそろ頃合いだろう。
ぶちゃけ僕にとってはどうでもいい話だ。会話についていけずに放置されている身にもなってほしい。
「はいはい……もういい加減に練習始めようか」
そう切り出したのは二人の会話を傍観的に、客観的に聞いていたもの。
僕だ。
いい加減二人のガンダムトークに飽き飽きしてきたので終止符を打つ。
僕の声を聞いてかガンダムトークに夢中になっていた両者の口が一旦止まり――――、
「お、もうこんな時間か」
と、ドラムの位置に座っていたイガさんがチラッと室内に飾られた時計に目をやる。
「ああ、そうだね。そろそろ休憩終了だね」
ギターをスタンドに立て掛けて床に座っていた桜が立ち上がりギターを持ち上げて肩にかけた。
「雑談に力が入り過ぎちゃった」
本当に力を入れ過ぎだ。力の入れ所を間違っている。そのやる気を本業に回して欲しい。
現在、見ての通り僕らはバンドのスタジオ練習の真最中だ。
ん?
全然見ての通りじゃない?
今までのガンダムの話で熱を出して語り合っていた馬鹿どもは何だったのかって?
ああ――、気にしないで欲しい。彼らはただの馬鹿だ。
馬鹿なくらいガンダムが好きなのだ。いい歳にもなって何故そんなにガンダムなんてアニメが好きなのかは、僕には良く分からない話だが――。
しかし、バンドマンにとってガンダムは付き物なのらしい。
バンドマンとガンダムは一セット。
よく分からない話だけども実際よくある話だ。
『バンドマンはスタジオ練習の合間に必ずガンダムトークで盛り上がる』
そういうジンクスがある……らしい。
ま、このなんとも言い難い微妙なジンクスが本当かどうかはよく分からないけども。でも、実際、僕の所属するバンドでは僕を除いた二人はガンダム大好きっ子であることは間違いない。異常にガンダム好きで毎回練習の休憩時間にガンダムの話をしている。
そして、僕は毎回その話を一人遠くから聞いている。会話に参加できずにただ傍観するしかない。
まあ、そんなことはとりあえず置いておくことにしよう。
とにかく現在、僕らは次のライブに向けてスタジオ練習中だ。あまり残り時間も無いことだし、そろそろ演奏に集中しないといけない。
「じゃあ、練習再開するか。残り時間からすると後三曲、四曲しか出来ないから飛ばしていくぞ!!」
と、スティックを――
カンカンカン
と、三回のカウントする音が鳴り僕らは演奏に戻った。スタジオ内は再び音に包まれる。
練習再開だ。
僕、宮野浜登は今年で二十歳になる大学二年生だ。
そして、生まれて半分の月日をベースという楽器と共にしてきているベーシストである。
つまりベース歴十年。
物心ついた頃から…………と言うわけではないけども、ガキと言っても言いくらいの年頃からベースを弾き続けている。
始めたきっかけはただそこにベースがあったから。ただそれだけ。別に女の子にもてたいとかそんな風に思って始めた訳では無い。
そもそも十歳の小学生がそんな不純な理由でベースを弾き始めるってのはどうかと思うだろう。なんてませた小学生と思うだろう。少なくとも僕はそう思う。
故にそんな不純な理由で楽器を始めた訳ではない。そこはしっかりと認識して置いて欲しい。僕は計算高いムッツリスケベな小学生だったわけではない。
と……何の話をしているのだろうか。
とりあえず僕がムッツリかどうかなんて話しは置いといて――ベースを始めたきっかけは、ただ家に何となく飾りのように置かれていた楽器に、何処と無く触れてみたのがきっかけと言えばきっかけだったのだろう。あまりよくは覚えていないけどもなんとなく手にとってみた楽器をなんとなくやり始めた――。そんな感じだったと思う。
だけどもまあ――――そんなこんなで僕は今もこうしてベースをやっているわけで。なんとなく手に取った楽器を、なんとなく初めたという理由からしてみれば、よく今まで続けてこれたなと自分でも驚いている。しかも、現にベーシストとしてバンドを組んでさえいる。――変な話だ。
この十年の間にいくつものバンドに所属してきたし、何度となくライブ活動もしてきた。ライブの回数を最初から全部数えていたわけではないけれども、合計したら百回くらいはあるのかもしれない。
沢山ライブ活動も行ってきた。
現在はといと大学のロックの研究サークルで知り合った二人と一緒にスリーピースバンドを組んでいたりする。この十年ベースと共に歩んできたと言っても過言ではない。
しかし――――。
何だろうか。
十年もやっているからだろうか?
日常に溶け込んでしまった僕のバンドとの生活は以前よりワクワクがない。燃え立つような心を轟かせるものが無くなってしまった…………そのように感じる。
だけども、それでも尚僕はバンドを続けていて、ベースを弾き続けている。
今現在も理由なく、なんとなくベースを弾いている。
なんとなく―――ひたすらなんとなくに――――。
しかし、なんとなくといっても勿論バンドが好きなんだと思う。
ベースを弾くのは他の別の事するよりも楽しい。
だから今も僕はバンドを組み、ベースを弾いてるんだろう。そう思う。
ま、実際のところ自分でもよくわからない。確信して言えることは何一つとしてない。
はあ――――と溜息を吐く。
僕はいつまでバンドを組むのだろう。僕は後何年、ベースを弾くのだろう。
ふと、考える。
これは、そんな僕の物語。
***
「来週の日曜はライブか」
と、僕はアイスコーヒーをストローで意味も無くかき混ぜながら呟く。
氷はカランと音をたてながら渦を巻いて回転する。
スタジオ練習が終わった後、僕らはスタジオ近くにある行きつけの喫茶店で雑談をするのが定番化しつつある。
現在もその行きつけの喫茶店にスタジオ練習が終わった後にやってきてぐったりとだらけながら会話をしている。
喫茶店の中はいつも雰囲気のあるクラシック音楽が流れており、店内の広さは狭く、入口から入って直ぐに4人程度座れるカウンター席があり、店の奥にテーブル席が二セットだけ存在する作りになっている。
現在、夜の九時近い時間なので僕ら以外の客は存在しない。貸し切り状態。
しかし、これが夜だから客が少ないといった訳ではない。ここは昼でも夕方でも基本的に客はあまり入っていない。いつの時間帯に入ってもほぼ貸し切り状態だ。
営業はこれで大丈夫なのかという心配はあるが、その心配を除けばこの喫茶店はかなり優れていると言ってもいいだろう。
店内の雰囲気、そして何よりコーヒーが旨い。まあ、まだ二十歳そこらのガキの味覚でコーヒーの善し悪しが分かるかなんて微妙だろけど、少なくとも僕はここのコーヒーは好きだ。
僕らは、その喫茶店の奥のテーブル席をいつも陣取って座り雑談をしている。他愛もないような雑談だ。
しかし、練習の後のアイスコーヒーは堪らないくらい美味く、他愛の無いような意味の無い雑談も不思議と楽しかったりする。
これは僕の些細な至福の一時だ。
「あ、そうそう忘れてた」
すると何かを思い出したように声をあげたのは五十嵐透。
彼はうちのバンドのリーダー……と言うか『おやっさん』的な立場でドラムを担当している人物。
大柄で体格からして柔道でもやっていそうな感じの体形。バンドの楽器で言えばまさにドラム担当が似合っている。外見から判断すると本当に適任と言えるだろう。
しかし、楽器の担当を外見で一概に決めつけるのは良くない。プロドラマーの中には華奢な体つきで細い腕を駆使してドラムを叩くものもいれば、本当にギターを弾けるのかといった大きな指先で器用にギターを弾く大柄なものもいる。
だからやはり一概には言えない。だけれども、まあ、イガさんは体格にあった見た目通りの楽器を担当しているということは確かなことだ。
そして、五十嵐透はバンド内では『イガさん』というあだ名で呼ばれている。「さん」付けで、見た目的にも歳上に見られがちであるが僕らと同じ二十歳。正真正銘の二十歳。おっさん臭い言動や容姿をしているが決して三十代男性ではなく二十歳だ。
ちなみに、ドラムという楽器についてだけども――、ま、ドラムはドラムとしか説明使用が無いわけで、あえて僕なりの解釈を交えたドラムの意見を言わせて頂くとすれば、あの楽器は最高のパーカッション楽器だと言うことくらいであろうか。太鼓とは違う。
よく『あー、ドラムね。知ってるよ。あの太鼓みたいな奴でしょう?』といってくるやつもいるが太鼓とドラムは全く違う。ギターとベース以上に何もかも違うと言ってもいいであろう。
ん?
そもそもギターとベースの区別が分からないって――――。
なるほど、あれか。
ベースは弦が4本しかないから初心者用のギターでしょう?とか言いだす感じか……。
それは困る。非常に困る。僕はまだいいが全国中のギタリストとベーシストたちが怒り出してしまうかもしれない。結構、バンドマン達には過激な人も多いから注意して欲しい。
ギターとベースの違いは勿論沢山ある。
しかし、分かりやすく述べるのであれば、
役割。
その一言に尽きる。
ギターは主にメロディーラインの演奏するのに対してベースはリズムを作る。勿論曲やジャンルによって一概には言えない部分も出でくるが基本的にはギターはメロディー、ベースはリズムと思ってくれて大丈夫だ。
「どうしたの。イガさん」
イガさんの言葉に対して反応したのは佐藤桜。
彼女がうちのバンドのボーカル兼ギターを担当している。
見た目ははっきり言ってチャラい。女性だからギャルっぽいといった方がいいのだろうか。
しかし、軽そうな女に見られがちであるが、実は情に深く優しいやつだ。とくにバンドに賭ける思いはメンバー内で一番と言ってもいいだろう。
まあ、初見だったら彼女は僕から見てもギャルってイメージになってしまうかもしれない。派手な金色に染めた髪の色。それが更に強調されるようにとても長い。正直かなり目立つ容姿をしている。
だけども、そんな桜と僕は付き合いも長い。幼稚園、小学、中学が同じで世間一般的に見れば幼馴染と言えるかもしれない立ち位置だろう。幼馴染の僕の立場から桜を見るとすればとても桜はギャルと言えるような性格ではないと断言できる。どちらかと言えば男らしい性格の持ち主だ。
ちなみにこのイガさん、桜、僕のスリーピースバンドが結成したのは桜がいたからと言っても過言ではないだろう。桜が僕らを引き合わせて生まれたバンドといえる。
まあ、その話は今は置いておこう。
「そういえば次のライブのチケット貰っておいたんだ。すっかり忘れてた」
イガさんはごそごそと自分のバックの中を漁り(あさり)始めて、
「ほら、これがチケットだ」
と、チケットの束をテーブルの上に置いた。
どれどれ……と、僕と桜が一斉にチケットを手に取る。
ライブのチケットには会場名、出演バンド名、会場時間、開演時間が記されている。
「対バン数はいち、に、さん、四バンドか……」
僕はチケットを見つつ出演バンド数を数える。
対バン。
対バンとはバンド用語で対決バンドマンの略である。
『バンドマン達は血に飢えていてルール無用の残虐ファイターみたいなものだ……』と有名なギタリストが言った名言から出来た言葉だ。
…………。
ごめんなさい。嘘だ。
対バンとは対バン形式と言われるもので単独のバンドによるライブではなく複数のバンドが集まって行う形のライブのことを指す。
プロになれば単独ライブで行うことも可能だろうがアマチュアバンドはソロでのライブ公演が難しい。その為の制度みたいなものだ。僕たちのように地元だけ活動するようなアマチュアバンドのライブの大半がこの対バン形式といってもいいだろう。
ちなみにさっきの嘘は初めて僕がバンドを組んだ時に先輩から言われたもので、まだ純粋だった僕は素直に信じてしまった。凄く可愛いと思う、昔の僕。そして凄くアホだ。
「対バン数が四で俺達は三番目みたいだ」
と、イガさん。
「別に何番目でも私は構わないけど」と桜は適当な感じで応える。
本当に適当。粗雑な返しだった。
まあ、バンドを始めたばかりの頃は対バン数や出演の順番をやたら気にしたりするが、ライブに慣れてくると出演順などあまり気にしなくなってくるものなのは確かだ。
故に僕もそんな感じだ。出演の順番なんて特に気にしていない。何番目に演奏しても構わない。
「出演順はどうでもいいんだけどさ――だけど、何?このトリのバンド?」
しかし、不信感があったのだろう。桜が首を捻ってチケットを見詰める。
僕も同意見でチケットに書かれている最後のバンドの名前を見ていた。
何だろう?これは?
そう思わせるのには十分にインパクトがあるバンド名であった。
『メトロ☆ぽっぷ~星空の旋律~』
度肝を抜かれた。
何だこのバンド名は―――。
メトロとぽっぷの間の☆はとか、何でぽっぷは平仮名とか、~以降のサブタイトルみたいなものはなんなのかとか、色々とツッコミ所が多い。
「…………」
「ふざけたバンド名だね……」
「そう――だな。そう感じるのも仕方ないよな」
桜の意見に僕は同意する。
しかし、
「ま、そう言ってやるな。バンド名ってのは自由に各々が決めるものだろう。もしかしたら俺らのバンド名だって知らないところで文句言われてるかもしれないぞ」とイガさん。
大人の対応だ。
たまに、この人は本当に僕らと同い年なのかと思わせられる時がある。見た目もそうなのだが中身も何か成熟しきっている感じがする。まあ、中身が出来ていると言えば聞こえは良いが、同時におっさん臭いとも言える。
ちなみに僕ら三人のバンド名はというと――――。
『モニュメント』
これは,桜が一人で命名したもので僕とイガさんは一つ返事で同意したもの。
僕個人の意見になるがバンド名ってものは他人に覚えてもらえるように分かりやすく出来ていればそれでいいと思う。まあ、長い名前のバンド名でもインパクトが十分にあれば覚えやすい。その点このメトロ☆ぽっぷという名前はインパクトは十分だ。サブタイトルまでは覚えきれないものの『メトロ☆ぽっぷ』の部分は結構すんなり頭に入りやすい。
「確かにふざけたバンド名ではあるけども、まあ、このネーミング的にはアニソンバンドだろうな」
と、苦笑いをしながらイガさんが口を開く。
「ああ、なるほど、アニソンバンドか――」
アニソンバンドというのは勿論アニメソングバンドの略。やたら効果音が多くてごちゃごちゃとした感じがして正直な話、僕としてはあまり好きなジャンルではない。
「アニソンバンドって最近やたら増えてる気がするなー。あまり興味があるジャンルじゃなかいからどうでもいいんだけど」と桜も僕と同じようなことを考えていた。
「桜はガンダム好きな癖にアニソンには興味無いんだな」
僕はふと疑問に思い尋ねてみる。
桜は女性だというのに大のガンダムファン。そして、イガさんもまたガンダム大好きっ子。桜とイガさんは暇さえあればよくガンダムの話をしている。
そして、その度に僕は一人はぶられたような疎外感を受けている。かといってわざわざ話を合わせるためにガンダムを観ようとは思おわない。まあ、二人にはかなり後押しされるのだけども――。
「私の場合、アニメはガンダム以外には観たこと無いんの。興味があるのはガンダムだけでガンダム以外には興味がない。勿論、ガンダムの曲を演奏するアニソンバンドなら興味があるけど」
「俺も桜と同じだ」
と、イガさん。
「ふーん……そんなものなのか」
「そんなもんだ。浜登はアニソンにはこれっぽっちも興味がなさそうだけどな。お前は間違いなくアニソンとは無縁そうに見えるな。ガンダムすら観ないし」
ガンダムは関係無いだろうと思うけど。
でも――――。
「確かに……そうだな」
確かに、僕はアニメなんて全く観ないし、アニソンなんて全く聴いたことが無い。
度々、オリコンの上位に顔を見せる可愛らしい女の子の絵のジャケットを見るたびに日本の音楽は何処に行くつもりなのだろうかと不安になる時がある。
それに加え、漫画も然程見ないし、ゲームだってそんなにしている方でも無い。日本のオタク文化とは程遠い所にいる存在であると断言できる。
「ま、こんなふざけたようなバンド名をつけるようなバンドだから大した腕前じゃ無いんだと思うよね」
と、桜。それに対して、
「いやいや」
と、桜の言葉に否定したのはイガさん。
「知り合いにアニソンバンドやっている奴がいるがそいつの腕はそれなりにあるぞ」
「それはイガさんの知り合いだからでしょう?イガさん、ライブで対バンしたバンドマンたちの中でもそれなりに演奏が上手い人達としか関わろうとしないじゃん」
イガさんは話す相手を選らぶ。利益にならない人とはあまり関わろうとしない。
「そうかもしれないが、何でも一概には言えないということだよ」
「ま、そうだろうけどさ」
また適当に流すような感じで桜が言う。そして、
「まあ、そんなことより私の新しいエフェクターの話だけど―――」と桜は話題を変え自分の買ったばかりのエフェクターの話をし始める。
そうやって話を変わり変わりさせながら、僕らは喫茶店の閉店の時間までゆったりと会話する。
アイスコーヒー一杯で何時間も居座る客って迷惑だろうな……そう思いながら僕は毎回申し訳なさそうに、帰る時に会計に五百円玉を差し出す。
これが僕の日常。スタジオで練習して、喫茶店で次のライブの話をする。これの繰り返し。
どこにでもいそうなバンドマンの光景であろう。
***
スタジオ練習の翌日。この日は、バンドの練習もなく大学の授業も午前中一限目のみとかなり暇なスケジュールだった。
暇。
いきなりだが暇な人、暇人には二つの種類があると思う。
一つ目は、あらかじめ何でもテキパキとこなしてく性格の為に仕事や課題が常に手元に残らない人だ。この人の場合、一見暇そうに見えるが視えないところではしっかりと頑張っている。
二つ目は、何も仕事を作らない人。つまりは無気力。何もしようとしない。故に何も仕事や課題を持つことは無い。ニートなどがこれに当たるだろう。
ちなみに僕はこの二つのパターンで分類するとしたら前者でも後者でもある。こう見えても結構真面目で受け入れた仕事はさっさと済ませる。夏休みの宿題を一日で終わらせる人間だ。しかし、自分からは率先して仕事を増やそうとも思わない人間でもある。暇であるならとことん暇を満喫する。仕事が無いならいっそニートでも構わないと思えるくらいに無気力だったりする。
ま、何が言いたいのかが自分でも分からなくなってきたから話を中断しよう。
ん?
ちょっと自由過ぎると思うって?話を勝手に始めたり辞めたりするなって?そもそも、自分で自分を真面目とか言うなって?
うん、それはすまない。謝ろう。所詮は暇人の戯言だと思って聞き流してくれてもかまわない。
まあ、とにかくだ。今は自分でも何なのか良く分からない事を頭の中で考えるくらいに暇だった。
超暇。
さて――、どうしたものかと考える。
とりあえず一限だけ授業を終えた後の僕は、そのまま家に帰るのもなんだったので繁華街を当ても無くうろつくことにした。
繁華街は基本的に人が多く集まる場所である。そして、僕は人混みは苦手だ。
だけども、今日は平日の昼間と言うこともあって、辺りには然程人間は多くなかった。これが土曜、日曜、祝日となるとそうはいかない。ここは気持ち悪いくらい人混みになっていることだろう。
暇な大学生は平日に外を出歩けるので都合がいい。
しかし、平日の昼間に街をうろうろしているような大学生がいるから日本の大学は入るまでだけが厳しくて、入ってしまったら半ニート生活のようなものとか言われるのであろう。大学は勉強の場ではなく遊びの場という世間の認識が確定しつつある。全く、どうしたものだろうか――。
まあ、現に平日の昼間に街をふらついている僕が何か言えるような立場ではないのだけども。
と、
僕はふとCDショップの前で立ち止まった。
僕の目に留まるものがある。
看板だ。CD広告の看板。
そのCDショップには、でかでかとアニメの絵であろう看板が展示されていた。可愛らしく、何処と無く不健全な感じの女の子の絵である。
アニメソングのCD広告だろう。
「アニソンね……」
昨日のイガさんたちとの会話が脳裏に浮かぶ。
思わず「はぁ…………」と、ため息を洩らす。
ま、確かに、こんなアニメのCDが本当に馬鹿売れしてオリコンに入ると思うと馬鹿らしく思えてしまう。
他の腕のあるバンドのCDが売れないと思うと非常に悲しい。
イガさんが前に言っていたが現在の日本のオリコントップ10には頻繁にアニソンが顔を出しているらしい。ま、僕はオリコンのチェックなどしないのでその話の真偽は分からないけども。
「アニソンなんてたいしたことない――か」
昨日、桜が言っていた言葉をぼそりと呟いた。
見方によっては思わず愚痴を溢しているように思えるかもしれない。
そして、その安易な呟きによって、
「そんなことありませんよ!!」
第三者が喰いついてくるなんて、僕は全く予想もしていなかった。
凛とした少女の声。
いきなり声をかけられ何事かと目線を隣に移すと、いつの間にか隣に少女が食いつくように僕に訴えかけている。
「はい…………?」
突然のことに呆気をとられたような抜けた声をあげてしまう。
口を挟んできた少女はなんだか物言いたそうにこちらを見上げている。僕はその少女を再度じっくりと見直した。
その少女は少女なのだが、ただの少女と呼ぶには少し言い足りないスペックの持ち主だった。美顔、美白で綺麗に肩辺りで整えられた茶色の髪の毛、引き寄せられるような碧眼、スタイルもスラッとしている。そう正に美少女と言えるだろうというスペックの持ち主。
見た目的は僕よりは年下。高校生ぐらいだ。
高校生の茶髪碧眼美少女。
絵にかいたような美少女がそこに立っていた。見とれてしまうほどの美少女。しかも、碧眼であることからどうやら純粋の日本人では無いように思える。ハーフか何かだろう。まるで人形のようだ。
しかし―――、
「えーっと……今なんて?」
とりあえず、僕はとりあえず少女がいきなり僕に声掛けた言葉を聞き直すことにした。
「だからたいしたことなくありませんよ!」
「えっと……ごめん何が」
更に聞き返す。
「アニソンです!さっきアニソンを馬鹿にしたようなことを言ってましたでしょう!アニソンがたいしたこと無いとかこうとか。アニソンはたいしたこと無いことは無いんですよ。たいしたことあります!凄いんです!知ってますか?」
少女は強く熱い口調で語りだす。
何だ、この娘――?
非常に怪しかった。
とりあえず僕の知り合いでは無かった。記憶に無い。赤の他人である。
赤の他人が街でいきなり話掛けてくるなんて、悪徳セールスマンか宗教勧誘のどちらかぐらいのものであろう。しかし、こんな可愛らしい悪徳セールスマンがいるだろうか……。
うむ、いないだろう。となると、宗教勧誘の人か?
僕は首を捻る。
「いや、知らんけどさ……てか、君誰?」
「そんなの誰でもいいじゃないですか!そんなことよりも今の話はアニソンについてです!」
「え、いや……」
誰でもいいわけ無いだろう。僕は焦った。
自己紹介よりもアニソンの話題を持ってこようとするなんて―――大丈夫か、この娘?
「お兄さん、貴方は今とんだ失言をしました。アニソンを侮辱する世界的暴挙と言うべきでしょうか?いえ、世界的A級犯罪とも言えるでしょう。アニソンはたいしたことないなんてことは無いです。あります!アニソンは音楽の根本的なところを支えている柱といえるでしょう」
美顔が迫るように訴えてくる。しかし、その訴えは異常だと思える。
アニソン愛。といえるだろう。彼女の言葉を聞く限りかなりアニソンに対しての熱意が強い。
「すまん、アニソンの悪口言っただけで犯罪になるのか?」
「ええ、死刑に値しますね」
「死刑か――――」
それは―――……またなんとも奇抜だ。
「死刑です」
再度繰り返して彼女は言う。
見ず知らずの美少女がいきなり話かけてくる。という展開は男の僕としてはかなり嬉しいものでありうるが……しかし、どうやらこの娘はどこかの宗教者のように、一般常識から抜け出た異常なアニメソング好きのようだった。
異常な愛。異常な執着心。
これで相手が男だったらすぐさま話を聞かずに立ち去りたいところであるが、相手は美少女。それにアニソンといっても一応音楽の話であるし、音楽をやっているものとして音楽の話なら嫌いじゃない。
それになにより、今日は用事もこれといって無い。
暇という条件が重なり、僕はしばらくこの少女と話を続けることにした。
「とりあえず、異議あり」
「異議はお断りします」
すぐさま返答がきた。
ふむ―――、異議が認められないとは斬新な裁判だった。
これが俗に言う言論の弾圧というものであろう。
しかし、困った。いきなり死刑宣告されて、かつ異議が通らないとなると……。
「なら弁解を申し上げる――僕は別にアニソンについてそんなに悪く言うつもりで言ったわけじゃない」
「ふむ、弁解を聞きましょう」
今度はすんなりと通る。面白いくらいに現金な子であるようだ。
助かった。
「えーっとな、そう僕は別にアニソンというものが嫌いなわけでは決してないんだ」
「でもさっきアニソンなんてたいしたことないと侮辱しました」
嘘つき!といった目つき。
「ああ、あれはノリだ」
「ノリですか?」
本当にノリに近いだろう。寧ろ、これは冤罪だ。
さっきのは桜が昨日言っていた言葉を思い出して、つい口に出してしまったがために起きたトラブルなのだ。僕の中でアニソンは聴きにくいものであるとは思うが、特別に嫌いというわけでは無かった。
「そうだ。アニソンを侮辱したわけではない。ただ、あまり聞いたことがないジャンルであるのは確かで、自分から好んで聞こうと思っていないのは確かだ。しかし自分でも、あまり聞いたことが無いのにたいしたことないっていうのもどうかと思ったよ。すまんな」
と、僕が言うと、
少女は「ふふっ」と不気味に微笑んだ。
その後、
「いえ、分かれば良いんです。私こそいきなり変なこと言ってすいません」
極端に冷静な態度をとって頭を下げてくる。
本当に極端に元金な子だ。
なんかこの娘怖いな――――。そう思う。
「あ、いや……分かってくれたなら別に構わない」
「そうですね。今の弁解を含めて刑を軽くしましょう」
「え、それでも完全に許してはくれないというのか!」
「はい、何故ならお兄さんは重大な間違いを起こしているからです」
「重大な間違い?」
「お兄さんはさっきアニソンというジャンルがどうとか言ってましたよね?」
「うん―――言ったな」
僕は頷いた。
それのどこが間違っているというんだ。
「そこが大きな間違いなんです。アニソンというジャンルはないんですよ」
「どういうことだ?」
意味が分からない。
「まあ、お兄さんみたいな人が不思議がるのは当然かもしれませんね。でも、アニソンというジャンル分けは可笑しいんですよ。そもそもアニソンっていうジャンルは無いんです」
彼女の言っていることに引っかかった。というか意味が分からなかった。
「ん、いや、でも最近CDショップに行ったら普通にアニソンって書いてあるコーナーを良く見かける気がするが―――?」
そう、今CDショップに行ってみれば分かるが、結構どこのCDショップでもロック、ジャズなどのジャンルに交じれてアニソンコーナーというものが存在する。
そして、何故か分からんが徐々にコーナーが拡大している気がする。数年前まではアニソンコーナーなんてものはCDショップに存在すら無かったのにここ最近のスペース拡大は目まぐるしく思える。代わりにロックコーナーやメタルコーナーが徐々に減ってきているのは僕としてみればやはり寂しい。
「だからそれ自体が間違っているんです!CDショップの陰謀とも言えるかもしれませんね。ちなみにアニソンってなんの略か知ってますか?」
熱弁に更に火が灯った。
「そりゃ、アニメソングの略だろう?いくらなんでもそれくらいは分かる」
「そうですね。正解です。アニメソングということは、アニメの歌または曲のことを指してます。言い変えるとアニメの歌なら全てアニソンなんですよ。アニメの歌や曲にはロック調の曲もあるし勿論ポップ、ジャズ、テクノっと色々と使われているんです。様々なジャンルが集まっているのにアニソンという別のジャンルが存在するのは可笑しいと思いませんか?」
「あ、言われてみれば確かに」
なるほど、と思わず何故か感心してしまった。
ロック調の曲はどこまででもロックであることには変わらないしジャズ、テクノ、ポップもそうであろう。ロックバンドでアニソンを歌っているバンドをいくつか知っている。そのバンドは間違いなくロックバンドである。が、その曲だけはアニソンに属する。
しかし、やっぱりその曲はロック調でありジャンル分けするならロックになる。決してアニソンってジャンルにはならない。
「故にアニソンというジャンルは存在していないのです!」
誇らしげに少女は言い張った。アニソンの豆知識みたいなものをとても堂々と誇らしげに言って満足そうな笑みを浮かべている茶髪碧眼少女の姿がそこにはあった。
何故だか知らないけどこっちが恥ずかしくなりそうだ。
「なら、でもなんでCDショップとかでアニソンが、あたかもそういうジャンルがあるかのように分類されているんだ?」
「ああ、それはおそらくですね――。アニソンの需要が目まぐるしいからです。今の日本に置けるオタク文化の発展は凄まじいものです。特にアニメの発展は群を抜いてます。だから、オタクが買い物しやすいようにアニソンというジャンルコーナーを設けてるんです」
なるほど――。
この国はオタクに優しいようだ。
そして、更に少女は続ける。
「アニメが進化すると同時にアニソンも日々進化しつつあります。ですから、アニメソングという確立したジャンルへとなりつつあるのかもしれません」
「ふーん、なんかその話だとアニソンは既にジャンルとして独立してもいい気がするが」
「いえいえ、ですが、やっぱりアニソンはジャンル確立は不可能なのです」
ん――。僕にはまだよく分からない話だった。
「ま、アニソンがジャンルでは無いということは十分伝わったよ。しかし、さっきから思っていたんだけども、その格好は高校生だよな?」
僕は少女の着ている服装を見ていった。
「はい、そうですよ。私はぴちぴちの18歳です。高校生以外の何に見えますか?」
彼女は紺のセーラー服を着ている。
それは聞かずにも分かることだった。
まあ、自分でぴちぴちの18歳というのはどうかと思うが、確かにぴちぴち、青春真っただ中にいることはまちがえでは無いので、あえて指摘しないでスルーすることにする。
「なら、その高校生がなんでこんな時間にこんな所にいるんだ?」
途端、彼女の動きが制止した。
現在は平日の昼間だ。普通に考えたら今は学校の授業中のはずだ。
「お前、さぼりか?」
「――――――」
僕の言葉が的を得たのであろう。彼女は固まる。
「「―――――」」
僕もしばらく何も言わずに黙る。両者無言が続き、
そして、
「―――――ふふっ、天に仕えし我が肉体であれば、神の導きの声ぐらい聞くにたやすい。我は神の声に導かれ気がつくと古より続くこの店へと―――」
何故かいきなり邪気眼女へと豹変した。
――ビックリした。
いきなり壊れたかと思った。
言っていることが良く分からない。
てか、正直―――かなり退いた。
「あのさ、古よりって……たぶんこの店そんなに古くないと思うぞ。僕が高校入学したときにはまだできてなかったし」
多分築5年くらいの歴史だ。
「なっ!!!」
しかも、今思わず『なっ』って言ったよ、この人。素に戻った。
随分薄い邪気眼のようだ。
だけども彼女はすぐに取り接ぐろい。
「くっくっくっ、我と人間風情では同じ空間におろうとも感じる時の流れが違うのだ!!」
っと、また訳のわからん事を言う。人間風情って一体何さまのつもりで話しているのだろうか?
ま、しかし―――、
「要するにさぼりだろう」
「うっ!」
少女は低く唸る。
「まあ、さぼりくらいでとやかく言うつもりはないけど、一応理由を聞こう。なんで学校さぼってこんなところにいるんだ?」
「そ、それは……」と、口ごもって彼女はもぞもぞとしている。どうやら邪気眼キャラの効果は切れたようだ。
内心安心する。ずっとあの喋り方で話されでもしてみろ。通りすがりの人から僕まで痛い目で見られてしまうかもしれない。
「で、それはなんだ?」と返事を求める。少女は少し言い難そうな様子で、
「それはですね……今日は魔法執事マルマのCDの発売日だったんです」
そう言った。
「はあ?」
僕は思わず変な声を上げてしまった。
これはまだ邪気眼キャラの効果が残っているのであろうか?と、思ったが見た感じどうやら違うらしい。素で話している。
「えーっと、ちょっと待て――なんだそれ?」
「アニソンのCDです」
「うん、そうだろうとは、思ったけど、それだけのために学校を休んだのか?」
ちょうどこの目の前の看板に『魔法執事マルマOP・EDテーマCD、十一月二十二日リリース』と書かれている。ちなみに今日は十一月二十二日でちょうど、この看板のCDの発売日と重なっている。ということは彼女はこのCDを買いに来たのだろう。
でもしかし……そんなCDを買うためにわざわざ学校をさぼるなんておかしいだろう。と僕は思う。
「それだけのためって、お兄さん酷いです!私が今日と言う日をどれだけ楽しみにしていたのか知らないんですか?」
「えっ?まあ、そりゃあ……、知らんな」
つい十分前には顔も知らないような赤の他人のことなんて知るわけ無いだろう。
「酷い……お兄さんに汚されま――――」
「ちょっ!」
咄嗟に少女の口を封じる。
いきなりなんてこと言うんだ、こいつ―――危ない。今更だけどこの娘は凄く危険だ。
幸いにも辺りに人がいなかったからまだしも、もし誰かに今の会話を聞かれていたらもしかしたら僕は通報されていたかもしれない。
なんだかんだで、日本という国は幼女と少女には甘い。
え、幼女と少女は似たようなものだろって?
いや、それは違うよ。幼女と少女では全く違う。需要とか。
「はあ、まあいい。で……これを買ったのか?」
まあ、これは聞かずにもこの満面の笑みを見れば分かることだった。この屈託の無い笑顔は凄い可愛いらしくみえる。ある意味驚異とも言えるだろう。
「はい、実用と保存用と鑑賞用と布教用で四枚買いましたよ!」
「…………はぃ?」
またも何を言っているのかが分からなかった。
「えーっと、何枚買ったって?」
「だから四枚です」
「何のために?」
「だ・か・ら実用、保存、鑑賞、布教のためですよ」
「…………」
まあ、もしもCDに何らかの拍子で傷が入って再生できなくなったとか、何処かに無くしてしまったときの為に保存用を買うのは百歩譲ってありだと考えよう。
しかし。
「鑑賞用と布教用の実用性がいまいち分からないんだけども」
「えっ、分からないんですか?」
そんなあり得ないものを見るかのような目でこっちを見ないで欲しい。それにこの場合あり得ないのは僕ではなくそっちのはずだ。
オカシイナ…………。
そんな僕を見てか見ないでか分からないけど、とりあえずアニソン少女は説明を始める。
「鑑賞用は飾ってインテリア風に見て楽しむんです」
「CDをそんな風に使わなくても、それならポスターとか絵を買ってきて飾っておけばいいじゃないか」
CDをインテリアとして扱う意味がいまひとつ分からない。
CDは再生して楽しむものだ。インテリアとして使われるCDは本来の役目をまっとうしていない。CDが可哀想だ。
「まあ、それはそうですけど、中には別にアーティストも曲も何も知らなくてもジャケットだけ見てからジャケ買いする人もいるじゃないですか。その人にとっては中身の音楽よりジャケットに需要があるんですよ。ジャケットがかっこ良かった。ジャケットが可愛かった。そういう目的で買う人にとっては中身はあまり関係ないんです。飾ってこのCDいいなって思えたらそれだけで幸せな気分になるんです」
「そうか?そんなものなのか?」
僕にはジャケ買いする人の精神もよく分からないんだけども。
「そうです!そんなものなんです!」
「…………うむっ」
強く押されてしまい、とりあえずそう言うことにしておこう。
「なら布教用ってのは一体なんだ?布教用ってほどだから布教するんだろうけども」
「そうですね。布教用は布教の為です。やっぱり多くの人に自分の選んだ名作、名曲を知って貰いたいじゃないですか!だから布教用は友達への貸出し用です。友達に貸して貸して貸していって、そうするとネズミ算的に何百、何万の人にこのCDが行きわたるという作戦です」
「そのネズミ算はかなり無理があると思うぞ」
なんせ布教用CDは一枚しかないのだから。どうやったらネズミ算になるのだろうか?
CDが無性生殖で分裂を行うのであれば可能かも知れないけども。
「そうですか?無理ありますか?」
本気で首を傾げている様子を見るとどうやら本気でそう思っていたのであろう。
どうやら結構な馬鹿のようだ。
「でもまあ、とにかく布教用は皆に知って貰うのが目的としたものです」
「…………友達に知ってもらう為にそこまでしなくてもいいだろう」
金が勿体無いと思う。というか頑張り過ぎだ。
「いいえ、これくらい普通ですよ」
しかし、彼女から言わせれば、どうやら普通らしい。何を基準に普通と言ったらいいのかはこの場合分からないが、同じCDを四枚買ってるなんて僕には普通だとは思わない。思えない。異常だ。
もし乱視の人が間違って四枚手にとって、そのまま買ってしまったのならまだしも…………と思ったが、それもありえない話だ。普通に手に取った瞬間に気付く。
「あ、良かったらお兄さんも聞いてみますか?」
「いや、遠慮しておく」
「何で即返事で断るんですか!?」
「だってアニメなんか別に興味な――――グハっ!!」
あろう事か会話の途中で僕の溝内に頭突きが入った。
「え、興味あり過ぎて困るって感じですね。てへっ!」
てへっじゃない、てへっじゃ…………コイツ、いきなり頭突きなんか喰らわせやがって!
しかも、綺麗に溝内を狙っているところに悪意が感じられる。決して偶然では無い。これは故意だ。
少女は溝内を押さえて痛みを堪えている僕に特に気にした様子も見せずに、
「はい、じゃあコレをお兄さんにお渡しして起きますね」
と、ポンッと僕の手の平にまだ未開封のCDを手渡す。
「てっ、おい、いいのか?これまだ未開封じゃないか」
「いいんですよ。私は利益を求めずキリスト教を布教しに来たザビエルみたいなものですから」
「いや、ザビエルもなんの利益を求めず日本みたいな東の果ての国までわざわざ来たわけじゃないと思うぞ。よく分からないけど……」
それにザビエルはいきなり頭突きなんて咬まさないと思う。あんな優しそうな顔してるし…………それに頭突きでもして残り少ない髪の毛が抜けたら帰路の途中ショック死で死んでしまうかも知れんだろう。
「なら遣唐使です!小野妹子です」
「お前は何年生だ。小野妹子は遣隋使だ。今時なかなか間違えないだろ…………」
小野妹子の性別を女性と間違う高校生はいても、小野妹子が遣唐使だと間違える高校生はなかなかいまい。
「なっ!?」
少女は一瞬、何だと!?というような険しい表情を見せるがあわてて直ぐに取り次ぐろう。
そして、僕の中で彼女の認識が馬鹿と確定した。本気で間違っていたのか――。
非常に勿体無い。黙っていればかなり可愛いほうだと思うのに――。
「そんな細かいことを気にする男は嫌いです。それに、それくらい知ってますから!ただお兄さんを試してみただけですから!」
と、百パー嘘だと分かるような発言を返してくる。
そして何気にイラつく発言だった。
「と・に・か・く!いいからこれを聴いてみて下さいよ。騙されたと思って」
「クソッ、騙された!?」
「えっ!あれ?まだ速くないですか!?その反応はまだちょっと速くないですか!?それに私は騙してません!!なんせ私はザビエルのように清い心の持ち主ですから」
また再び登場、ザビエル。
もしかして、この娘はザビエルが好きなのかな?
変な趣味だ。変わっている。
まあ、でも確かに宗教者っぽい所がある。いきなり見ず知らずの僕に話しかけてくる所でそう強く思わされるし、あと布教用のCDも買うし、そのCDをいきなり僕に貸そうとしてくる……うん、まるでアニソンという宗教を広めている人みたいだった。アニソンの伝達者のつもりであろうか?
「よし、ならもし聴いてみて僕の好みに本当に合わなかったらどうする?」
「ど、どうするって…………んー、なら……責任とりましょうか?」
「ほう責任とは?」
「AでもBでもC、どんなプレイでも受けて断ちましょう」
「ぶっっっっっっ!!!!!」
勢いよく噴いた。
「それ意味は分かって言ってるのか?」
「はい、もちろんですよ。私、脱ぐと意外と凄いんですよ」
僕は再度少女の体の一点に目線を移す。
て!…………何をやってるんだ!僕はこんな見ず知らずの少女に!
危うく本当に通報されても可笑しくない状態になるところであった。
「ああ!分かった!ならとにかくコレを聴けばいいんだろう」
「はい!是非原稿用紙三十枚程度で感想文を提出して下さいね」
たった一枚のCDで原稿用紙三十枚ものレビューを書ける奇才があるのなら僕はとっくの昔に音楽雑誌のライターの道に進んでいることだろう。
「普通に考えて無理だろ…………」
「あ、冗談だと思ってますね。でも全部が冗談ってわけじゃないんですよ。お兄さんならこの道に踏み込む 才能があると思って貸しているんですよ」
何故か急に含みのある笑みを見せる。
「この道…………?」
とは、どの道のことだろうか?何を言っているのかさっぱりだ。
「とにかく、ちゃんと聴いて下さいね。それじゃ、私はこれで。また会いましょう!」
「あ、ちょっと待っ…………!」
引き留めようとした時には一足遅く、少女は急いで僕の目の前から去っていった。
意外に滅茶苦茶足が速い。もう視えないところまで彼女は行ってしまっていた。
「えーっと……何だったんだ?」
手に残るCDに目をやった。
「つーかこれ、どうやって返せばいいんだよ」
僕は少女の名前も知らないことに気がついた。まるで北風小僧みたいな少女だった。
***
数日が過ぎてモニュメントでのライブの日。
ライブの当日は基本的に出演するバンドマンはリハーサルの為にライブ開演時間より数時間ほど前に集まるようになっている。
そして、楽屋に入り自分達の出番が来るまで、バンドによって様々に時間を使用している。衣装合わせや、曲順の確認、仮眠、食事を取る者も中にはいたりする。
僕らのバンドはというと服装も特にこれといって皆で合わせたりしない。それぞれが適当に着たい服を着てくる感じだ。というか服装がどうこういう以前に、ライブだからと言って特に気合を入れて望んだりはしない。
リハーサル前にそれぞれライブハウスに到着してリハーサルまで適当に雑談でもしながら時間を潰す。
そして現在イガさん、桜、僕らは三人集まって楽屋に待機中だった。
「イガさん、今日のライブの対バン、知り合いのバンド一つも無かったね」
楽屋に用意されている椅子に剃るように座って僕は言った。
「そういえば確かに珍しいな」
この箱はうちらのバンド、『モニュメント』ではよく使用している箱である。故に、僕たちは常連バンドで結構顔見知りのバンド仲間も多い。が、今日はやたら辺りは知らない顔のバンドマンばっかりだった。
ちなみに箱というのはライブハウスのことを指す。
ライブハウスは場所によって色々とあり、コピーバンドを専門とした初心者バンドでもライブのしやすいライブハウスや、オリジナル楽曲を専門とした上級者向けのライブハウス、更にはアコスティックなライブを専門とした雰囲気のあるバー風のライブハウスまで存在する。
それぞれのバンドが現在の実力に供なったライブハウスを選び、そこでライブを繰り返して成長する。
バンドにとってライブはかなり重要なものであり、ライブこそがバンドマンにとっての最高の至福とも言えるのかもしれない。
ちなみに、僕らのよく利用する箱は『ライブステーション』という名前で、初心者から上級者までライブがしやすいようにコピー楽曲でもオリジナル楽曲でも演奏可能なライブハウスとなっている。広さもそこそこ広い。
「そういえばあのバンドってどこかな?」
「あのバンド?」
「何だったっけ?アニソンバンドみたいで痛い名前のバンド名のところがあったじゃん」
楽屋の隅の方で漫画を読んでいた桜も僕らの会話に参加してきた。
「あ、メトロなんとかってところだったか?」とイガさん。
「そうそう。見たところ周りにアニソンバンドっぽいバンドさんが見当たらないんだけど」
楽屋内を見渡しながら桜は言う。
「まだ来てないだけじゃないのか?そのうち来るだろう」
そんな事を言っていると――
楽屋の扉が開く。
話をすれば何とやらといった感じだろう。
おそらくメトロ☆ぽっぷの登場だ。
「ふぅ……なんとか間に合った!!」
そう言いながら駆けこむように中へと入ってくる集団。
僕は、その集団に目をやった瞬間思わず椅子からずり落ちそうになった。
思わず「えっ!」と驚きを口にする。
椅子にきちんと座りなおしてもう一度先ほど中へ入って来た集団に顔を向ける。驚くのも無理はないであろう。
何故なら、たった今楽屋へと入ったバンドマンたちは非常に個性的な格好をした姿をしていたからだ。少なくともこの楽屋に現在いる4バンド中一番目立っているのは誰がどう見ても明らかであった。
そのバンドの人数は三名で皆女性。
ガールズバンドだけでも目を引くのだが、やはりなんと言っても衣装が凄かった。
ゴシックの黒と白をベースにしたフリフリの格好に赤い髪飾り。
ナース服。
そして巫女の格好をそれぞれ着た少女たち。
今から何が始まるのかと思ってしまう。ナースと巫女なんて異種同士のコラボレーション。隣合っている だけで違和感がする。
今日はライブだ。今から始まるのはライブ演奏だ。それは間違いない。
しかし――――何だ?
こいつらは?何をしに来たんだ?
来る場所を間違ったんじゃないのか?
そう思ってしまうくらいに異様な格好を彼女たちはしていた。
そして、呆然としている僕に声がかかった。
「ねえ、浜登、あそこのバンドどう思う?」
声をかけてきたのは桜。
桜も僕と同様に呆気に取られた様子だった。とりあえず、僕に感想を求めてくる。
しかし、困る。
「どう思うと言われても…………」
正直、何とも言えないだろう。
ただ言えることは、格好が凄いね、とだけだ
「一応初対バンなわけだし声をかけるべきだろうか?」
戸惑う…………。
礼儀的には声をかけるべきだろう。しかし、何から突っ込んでいいのやら…………じゃなくて何と話しかけていいのかが今一つ分からない。困る。
すると、
「あの」
戸惑う僕らにゴシック姿の少女が近寄ってきた。
「私たちは『メトロ☆ぽっぷ』といいます。今日はよろしくお願いしますね」
向こうから先に声をかけてきてくれた。
「はあ…………」
と、僕。
やっぱりこのバンドがメトロ☆ぽっぷだった。何となくと言うか……絶対ここがそうなんだろうなって雰囲気はしていた。
僕らのバンドを除く残りニバンドは何の変転も無さそうな普通の格好をした普通のバンドだった。
『メトロ☆ぽっぷ』なんて変わった名前のバンドは、この意味の分からない仮装集団なのだろうと楽屋に入ってきた瞬間に予想ができた。
バンド名も異様、格好も異様と、バンド名と格好がまさに一致する。
「えーっと、こちらこそよろしくお願いします」
と、それぞれ僕、イガさん、桜は挨拶を返す。とそこで、
「ん…って、あ、あれ?」
僕は一瞬戸惑った。
「…………あれ、お前は?」
何故なら、そこには見かけた顔があったからだ。肩まで伸びた茶色の髪に碧眼の少女。間違いなかった。
「あの時のアニソン少女!」
紛れもなく先日、無理矢理僕にCDを貸していった少女がそこにはいた。最初、ゴシックの服装を着ているから誰だか分からなかった。
「あ、お兄さん!やっほーです」
と、陽気な笑顔でフリフリと手を振る。
「え、何でお前がここに?」
素で意味が分からないのだけれども。
「嫌です。言ったじゃないですか。私もバンドやってるって」
瞬時に僕は頭の中であの時の回想を流してみる。しかし…………。
「言ってねーよ。そんなこと!」
聞き覚えの無いことだった。
「あれ、可笑しいですね。言ってませんでしたっけ?」
わざとらしく少女は微笑みながら言う。
「頭突きされた時に僕の記憶が消えてないのであれば絶対に聞いてない」
「頭突き?はて、何のことでしょうか?」
「…………」
駄目だ。どうやらコイツの頭の中ではあったことなかったこと、全て良いように変えられているみたいだ。
すると、
「ね、その娘知り合いなの?」
横から桜が声を挟んでくる。
「ん……まあ、知り合いと言えば知り合いだろうな」
と、僕。
続けて、
「はい、お兄さんは私の大事な物(アニメソングのCD)を貰ってくれた只ならぬ仲です……」
と何故か恥ずかしそうに顔を桃色に染めて言う茶髪碧眼少女。
「ぶっっっっっっ!!」
その瞬間僕は噴いた。そりゃあもう……思いっきり。
何を言ってくれちゃってるんだ。この娘は!?
何ソノ説明ノ仕方?
CD貰ってないだろう!?借りてるだけだろう!?というつっこみ。と、それ以前に、何だその言い回し方は!!何故そんな言い回し方をするんだ!誤解を招くだろう!というつっこみが同時に起こる。
そして、案の定。
「えっ、浜登……どういうこと?」
桜の僕を見る目線が急に冷たいモノへと変わった。
しかし、それと同時に桜は何故か焦ったよう表情と、強張らせているような表情をしているようにも見える。なんでそんな表情をしているのかは分からないが、彼女なりに退いている様子の表れなのかもしれない。僕はあろうことか幼馴染に退かれてしまった。
これもまた冤罪なのだけれど。
「浜登、お前いつの間にこんな可愛い女なんて作ってたんだ」
イガさんも何やらとんだ誤解をしているみたいだ。うん、まあ、さっきの話を聞いたら、そりゃ誤解するのも頷けるが。
「いや、みんな誤解してるって、僕がこの娘に会ったのはたまたまで、今日会ったのを含めてまだ二回目だから!」
誤解を解こうと説明する。しかし、あわてて説明したので色々と言葉が足りてないような文章になっている気がする。
「浜登―――初めて会っていきなりやっちゃったのか?」
案の定、またも誤解をされる。しかも、更に変な風に誤解を生んでしまった。
「違う!!」
違うよ。イガさん。僕はそう言いたい訳じゃないんだ!
言葉って怖い。
「そうじゃなくて、この間その娘とCDショップでたまたま知り合って色々あってCDを借りることになったんだ。その娘の言う大事な物は借りたCDで、別に貰ったわけじゃなくただ借りてるだけ、特にその娘とは特別な関係なわけじゃないから!」
必死に弁解する。そりゃあ、必死だった。
このままでは僕の今後の立ち位置が危ういものになってしまう。
「そうなのか?」とイガさん。
「そうだよ。そもそもまだ名前も知らないし」
「あ、でも私はお兄さんの名前知ってますよ」
意外なことを茶髪碧眼少女は口にする。
「え、何で?」と、勿論僕は驚いた。
「浜登さんですよね」
「そう…だけど、何で知ってるんだ?」
確か、お互い名前を名乗ってはいないはず。
「私、浜登さんのことずっと昔から見てましたから」
「えっ?」
予想外の少女の言葉にドキッとする。
ずっと見ていた?何を?いつ?何の事?ワケが分からないんですが?
と、動揺している僕を見てか、
「ふふっ」
笑った。笑われた。少女は笑った。
「冗談です。本当はさっきから回りの御二方が浜登って読んでいたから知っているんですよ」
可愛らしく舌をちょこっと出して悪戯っぽく微笑する。
「…………」
「ははっ、一本取られたな浜登」と、肩をポンッと叩いてくるイガさん。
何か凄く恥を掻いた。
くそっ、こ、この女!舐めやがって!と怒りが込み上げてくる。
「ならお前の名前は何だよ」
ぶっきらぼうに言葉を吐く。
「人に名前を尋ねる時は先に自分から名乗るものですよ」
「いや、お前は僕の名前もう知ってるんだろ」
「知りませんよ」
「嘘つけ。浜登ってもう知ってるだろう」
「苗字はまだ知らないです。それにどのような漢字でどのように発音すればいいのかが分からないじゃないですか」
あれ、名前を名乗るのって、そんなややこしいことしないといけないんだったけ?ああ、言えばこう言って面倒くさいな、この女。
「…………名前は宮野浜登だ。宮は宮司の宮、野は野原の野って書いて、浜は浜辺の浜で登は登る。発音は好きに呼んでくれ」
しぶしぶといった感じに馬鹿丁寧な自己紹介をした。こんな親切な自己紹介は生まれて初めてだった。
「宮野浜登さんでしたか。素敵な名前ですね」
しかし、率直に素敵な名前と言われ、どうも照れ臭くなる。
「で、あんたの名前は……」
「はい。私は一条瞳です。一は青銅剣子鉄一文字の一、条は新ブリリアント帝国条例の条で、瞳はサイキスの加東瞳と同じ瞳です。発音は瞳の“ひ”にアクセントがあるとサイキスの主人公、中田猛が加東瞳を呼ぶときのアクセントと同じになるので嬉しいです」
「…………」
意味が分からん。
「お前は何を言っているんだ」
言っていることの意味がよく分からない。新ブリリアント帝国条例ってなんだ?普通に説明するなら条例でいいだろう。まどろっこしいし、何より知らない単語がいっぱい出てきた。
勿論、僕以外にもイガさん、桜の二人も何の事かよく分かっていない様子で頭の上にクエスチョンマークを出していた。
「何を言っているって、勿論自己紹介ですよ」
「勿論僕も自己紹介ってことは分かってるよ……僕が分からないのは新ブリリアント帝国条例とか意味分からん単語が沢山出てきてたろう。それは何なんだと言っているんだ」
「新ブリリアント帝国条例は端午じゃないですよ」
「…………そっか」
うん。もうまともな会話にならないな。そう思いうんうんと深く頷いた。
今の文脈からどうやったら単語を端午と間違えるのかが不思議だ。端午ってあれだろう端午の節句とかいうやつだろう。普段生活のなかで全く使わないような単語だろう。何故取り間違えるんだろう。この娘、ある意味天才なのかもしれない。バカの。
そんな事を思っていると、
「新ブリリアント帝国条例は進撃のルタージュに出てくるブリリアント帝国の新しい条例のこと…………」と、説明が入った。
しかし、加えて説明をしてくれたのは瞳ではなく、彼女の後ろにいた少女の一人だった。
「えっと君は?」
「―――――私は三ノ宮奈津子です」
と、名前だけを端的に名乗る少女は身長は割りと高くロングヘアーで髪が腰の辺りまであり淡い黄色髪の毛をしている。顔も整っており彼女も瞳と同じように美少女といえるだろう。
しかも、しかもだ。
現在、彼女は巫女の衣装を着ている。美少女の巫女衣装は言葉にしがたい。
この瞬間の為に生れてきてよかったと思えるくらいに最高の姿がそこにはあった。
ま、だけども彼女の新ブリリアント帝国条例は進撃のルタージュのなんたらこうとかという具体的な説明を受けても僕にはなんのことだかさっぱり分からん。むしろ謎の単語が更に増えただけだった。
てか、この際、ルタージュとかはもうどうでもいいや。自己紹介は名前が分かったならそれでいいと思う。
「なっちゃんは私のバンドのギター担当なんですよ」
三ノ宮さんの自己紹介に補足をいれるゴシック碧眼少女。
「んで、こっちにいるのが」
「永野四季です。ドラムです!今日はよろしくっす!」
三ノ宮さんの自己紹介とはうって変わって明るい口調で名乗る少女。短い黒い髪に明るい感じの笑顔が凄くマッチしていてとても可愛らしい感じの少女だった。
彼女もまたナース服のコスプレをしている。これもまたナイスなくらいに可愛らしい。
三ノ宮さんが綺麗で可憐な女の子とすれば永野さんは明るく元気な可愛らしい女の子という感じだった。
「ああ、こちらこそよろしく」と、僕。
その後に、
「五十嵐透だ。ドラムをやってる」
「佐藤桜……ギターです」
と、イガさん、桜が続けて挨拶を返した。
しかし、何故だろう。さっきから桜はやや不満があるような感じで、ご機嫌斜めであるように思える。
なんだろう?体調でも悪いのかな?
「改めて今日の対バンよろしく頼むな」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
イガさんと瞳がバンドを代表した感じで挨拶を交わした。
「そういえば、さっきから気になっていたんだけど」
僕はふと疑問を口にする。
「そっちのバンドにベースはいないの?」
彼女たちのバンドの構成はギター、ドラム、そしてボーカルの組み合わせ。ベースが見当たらないのが疑問になる。
それに対して、
「私たち、ベースレスバンドですから」
という返答が返ってきた。
ベースレスバンド。名前の通り、ベースがレス。ベース無しのバンドのこと。
「ほう、ベースレスバンドは珍しいよな」と、イガさん。
「ベースなかなか見つからなくてですね、とりあえずはベースレスバンドという形をとっているんですよ」
「へぇ、なるほど」
僕もイガさんと同様に感嘆の声をあげた。
僕が今までバンドやってきた間でドラムレスで代わりに機械で代用する打ち込みのバンドや、ギターがいないバンドはたまに見かけることもあったがベースがいないバンドは初めての気がする。
ベースはバンドにとってかなり重要な部分だ。いるといないとではかなり変わってくるであろう。
ベースはバンドの心臓だって言うくらいだ。バンドにとってベースは必要不可欠な楽器と言っても過言にはならないだろう。
ベース無しの演奏がどのようなものか気になるところだ。
「宮野さん―――」
すると、今度は僕の名前を呼ぶ声。
それに僕は反応する。
「えーっと、三ノ宮さんだったよね」
僕の名前を呼んだのは巫女の姿をしている三ノ宮さんだった。
「はい、えっと――――……」
「?」
「お、おひ、――――お久――――」
「ん?」
「あっ―――いえ、何でもないです。今日は宜しくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしく?」
と、途中まで何か言いたそうだったようにも見えたが、三ノ宮さんは挨拶だけを交わして僕から離れて行った。
はて、なんだったのだろうか?僕は首を傾げる。
その様子を見て、
「あれ、なっちゃんが他人に声をかけるなんて珍しいですね。浜登君、なっちゃんに何かしました?」と瞳が声をかけてきた。
「何かって、なんだよ」
「それは言葉に出せないような――――」
「ような?」
「破廉恥な行動です」
「うん。お前が僕に対してどういう対応をとって欲しいのか良くわかった」
「分かってくれましたか。でしたら、今後私にはもっと優しく愛想よく接してくださいね」
「ああ、意地悪く、無愛想に接して欲しいんだよな」
僕は天邪鬼のように真逆の言葉で返したが、
「へへへっ、よく私がドMであることわかりましたね」
あれ?
何故か帰ってきた言葉が嬉嬉していた。
「ごめん、もう普通に接します」
貴方の性癖にはついていけません。
「そうですか残念です」と本当に残念そうな顔をして―――、
「―――でも、まあ、私は別にドMじゃないんですけどね」
ごめんなさい。殴ってもいいですか?
生まれて初めて真剣に異性を殴りたいと思った瞬間だった。
そんな感じで楽屋で対バンの人達と話したりしながら時間を潰しながら過ごしているうちに時間はあっという間に過ぎて行った。
そして、全てのバンドのリハは無事に終了していよいよライブが開演する。
最初のバンドはロックバンドだった。
少し演奏を聞いた感じでは、所々怪しい感じにリズムがずれたり、ドラムが走っていたりしていたが全体的に見て割と整えられている良いバンドだった。観客席はというと、今夜は客もかなり入っていて盛り上がっている様子だ。一番目に乗りの良いロックバンドから始まったのは正解だったかもしれない。
二バンド目に登場したのはジャズっぽい感じのバンドだった。激しいロックバンドの後だったのでジャズの繊細で綺麗な音色がより際立つ。普通に上手だ。安定感も十分すぎるくらいにある。
一番目、二番目のバンドが終わって、あっと言う間に僕らのバンドの出番がやってくる。僕らは二番目のバンドさんと軽く挨拶を交わして入れ替わりでステージへ入る。
いつもの調子でステージに立ち、セッティングを終わらせる。
そして全てのセッティングが終了した時点で降りていた幕が上がった。
モニュメントの演奏が始まる。
―――――――――――。
そして、演奏は終了する。
幕が下がる。
―――――――――――。
呆気ない。
そういう表現が一番合っているかもしれない。
上手く演奏ができたし、それなりに客も楽しそうだったが僕としては気が付いたら呆気なく演奏は終了していた。ここ最近のライブはいつもこんな感じだ。
ライブを楽しめてない。
何故かは分からないが何かが物足りない。そんなライブになってしまう。
僕らはライブを終了してそそくさとステージから降りた。ステージから降りて、そのまま楽屋へと退き下がる。楽器をケースに直して、いったん椅子に腰を降ろし、
「さて」、と楽屋で一息ついてすぐに僕は椅子から腰を上げた。
「なんだ、もう演奏観に行くのか?」
イガさんは依然椅子から立ち上がらない様子で僕に声をかけた。
「最後のバンドは気になってね」
「ああ、あのアニソンバンドは俺も気にはなるが少し休んでからじゃないとな―――。さすがにライブ後すぐは体力的にきつい」
イガさんはおっさんのようなことを言う。こんな様子を傍から見れば、まず20歳には見えないだろう。
「じゃ、僕は先に行ってくるよ」と言うと、
「あ、待って。私も行く」
桜は僕を追うように立ち上がった。
「うん、じゃ行こうか」
僕らは楽屋を出て会場へと向かった。
僕らが会場に着いた頃には幕は既に上げられていた。僕は観客の中を掻きわけてステージの中心がくる位置まで突っ込んでいく。
観客が多い。ぱっと見た感じ百人は入ってそうな感じであった。
百という数字が多いのか少ないのかと言うと、まず少なくはない。どちらかと言えば多い方である。
プロのバンドやコンサートを見なれている人はたった百人じゃないかと思うかもしれないが、僕らはプロでは無い。
アマチュアの地元バンドのライブで百人の客を導入できれば見事なものだと言っても良いであろう。
ふと、目線を上げると、ステージ上には既に異様な格好の三名の女性が存在する。
最終確認を終えて今まさに演奏を開始しようとしている感じである。
そして、三人がそれぞれ目線を配らせて、同時に頷く。
演奏が開始された。
その瞬間に見に来ている観客の一部が一斉に動きを見せる。
最前列の客が皆が皆同じ動きをした振り付けの踊りを始める。
「うわっ、すごっ!何アレ!」と隣で桜が声をあげた。
確かに凄い。体育祭などの創作ダンスのようなものをいきなり観客が踊り始めるのだから驚くのは無理もない。
予めこのライブの為に練習していたのだろうか?
いくらなんでも練習無しでぶっつけ本番で同じ振り付けで踊りを始めること何て無理だろう。しかし、観客は一人一人赤の他人のはずだ。なのに皆同じ動きを見せている。
考えるほど謎な現象が起こっていた。
異様だった。
熱狂的なファン。
バンドマンとしてみればこれだけの数のファンがいてくれるだけでもかなり心強いであろう。
しかし、ファンなんて簡単にできるものではない。
ファンを作る為には派手な衣装や派手な演出も必要だけども、勿論バンドとしての技術。それがあってこそのものだ。一番は技術。実力。演奏力。それが無いならファンなんて出来ない。
そしてこのバンドには――――
それがあった。
――――凄い…………。
僕の心は揺れる。
あっと言う間に聞き入ってしまっていた。
このバンドは凄い上手い。舐めていた。格好だけのバンドだと思い込んでいた。女の子のガールズバンドということで舐めていた。今、思えば楽器の演奏に女子や男子の性別なんて関係ない。無関係といってもいいだろう。
格好をビシッと決めて下手くそなバンドなんて何十、何百と見てきたが故にそう思ったのだろう。
しかし、彼女達は格好だけの下手くそな連中とは違う。丸きり違う。
レベルが異様に高い。
驚くほどに。
まずドラム。
ドラムの技量ならイガさんよりも遥か上を行っているだろう。女性のドラマーとは思えないくらいしっかりとした音が出ていてスネアの抜けの良い音が気持ちがいい。
繊細なドラムだった。
ギターはというと鮮やかさが際立っている。
多音色のエフェクターを駆使しているのだろう。聞きなれないような音色が入っている。速弾きも正確で安定感が高い。
エフェクターの使い分けの旨さは僕の知るギタリストでは一番とも言ってもいいくらいだ。プロでも中々いまい。
そしてボーカル。
何なのだろう。よく分からない歌詞によく分からない甘い声色。頭を揺らすよう…………まるで電波のような。
そう電波だ。これは電波。
人間はこんな声を出せたのかと思うような声だ。
しかし、そんな電波のような声だけど何故だろうか?
引き寄せられるような…………魅入ってしまうような…………心を揺さぶる何かがあった。
それはボーカルだけでなくバンド全体から出ているのだろう。
このバンドは一人一人が技術が高い。安定感もある。
だけどそれ以上に…………それ以上に観客の心を掴むような何かがある。
久々だ…………。
久しぶりの感覚だった。
わくわくが止まらない。
最近はライブを観ても楽しさがいまいち伝わって来ないことがあったりした。
この感覚は懐かしい。
僕は今、このバンドにときめいているのだろう。
しかも――――。
このバンドにはベースが無い。ベースが無いのにこの迫力。驚いた。驚きを隠せない。僕のステージを見つめる目は揺るがない。ただステージを見つめる。そこから離れない。
演奏が止む。
只今、三曲目が終わったところだった。
三曲がもう終わったのか?と思うほどの感覚だ。
「こんばんわ!!」
ここで始めてMCが入った。
ボーカルの元気な声が会場に響いた。
「私達、メトロ☆ぽっぷです!初めての方は初めまして!ご存知の方はお久しぶりです!」
オーソドックスの挨拶が入る。
「と、言っても私達ですね。ライブはこれでまだ二回目のライブなんですよね。ご存知の方はあまりいらっしゃらないですよね。えへへっ」
可愛らしく笑みが溢れる。
会場の前列の客から「可愛い!」「笑顔が素敵だ!」などの声援が飛んだ。
二回目のライブ。それでこのクオリティーには正直驚く。そして何より前列はほとんどこのバンドのファンだろう。たった二回のライブでこれだけのファンを作れるバンドなんてなかなかいまい。僕が知る中では少なくとも存在しない。
「しっかり演奏が出来てるか不安なんですけど最後まで頑張って演奏します!」と、MCが終わって次の演奏が再開………… すると思ったが、
「あっ!そういえば最後に一言!!」
何か大切なことを思い出したように再び口を開いた。
「私達、見ての通りです。ベースが不在です。ベースを募集しています。良かったら私達と一緒にアニソンやりませんか?」
ベース募集…………。
その言葉に心臓がドクンと揺れた。
「それじゃ今度こそ!最後まで聴いていって下さい!!それじゃ、行きますよ!!」
演奏が再び開始された。
僕は胸の高鳴りを感じながらステージに目を釘付けになっていた。
その日予定されていた全てのバンドの演奏は終了した。
ライブ終了。
僕らは楽屋に戻って他のバンドさんたちと会話をしていた。ライブ後の楽屋では良くある光景だ。バンドとバンドの繋がりはバンド活動をするうえでは重要なものだ。
知り合ったバンドさんが企画したライブに呼んでもらったり、逆にこちらがライブを企画して出演バンドを呼んだりするのに必要だからである。バンドの交流はとても大事だ。そして、なによりも他のバンドの人との会話は非常にためになる。違う感性のバンドの意見は新鮮だ。
現在、イガさんと桜は他のバンドの人たちと何やら話しこんでいるみたいで僕は一人離れたところに座っている。
「皆さん、お疲れ様でした!」
すると、元気のいい少女の声。
最後のトリバン、メトロ☆ぽっぷのメンバーが演奏に使っていた楽器を片手にしてステージから引き上げてきた。
「「「おつかれさま」」」、「「「おつかれ」」」と楽屋にいる人間がそれぞれに言う。
僕もまた「おつかれさま」と少女たちに向けた。
すると、その様子を見たのか、茶髪の碧眼少女がこちらへと、とことこ寄ってきた。
「お兄さん!」
凛とした声。
「へへへっ、私たちの演奏どうでしたか?」
「どうも何も―――良かったんじゃないのか?」
「ほんとうですか?ありがとうございます」
無邪気な笑顔で笑う。
「お兄さんたちも格好良かったです」
「はいはい―――」
僕は適当に相槌をうつ。いくら他人に褒められようが、自分では納得のいくような演奏は出来ていないのであまり嬉しくない。
正直完敗だ。美味しいところを全て持っていかれてしまった感じだ。
対バンが本当に対決バンドマンの略なら三対〇の判定負けと言った感じであろう。
「あれって全部アニソンか?」
「そうですよ。当り前じゃないですか。アニソンバンドですから」
「ま、そうだろうけど――――」
正直僕はアニソンを舐めていたのだろう。今日、僕が見た演奏は凄かった。格好いいとも思えるギターのリフが沢山あったし、ドラムも凄いと思った。何より―――、
「楽しそうに演奏するんだな」
とても活き活きして演奏していた。とても楽しそうに思える。
「そうですよ。ライブは楽しいですよね!」
とても羨ましいと思える。
一方、僕は今日のライブは楽しかったかと聞かれれば正直分からい。
多分……あまり楽しめてない。
自分のライブを演奏しているときよりもメトロ☆ぽっぷの演奏を観ている時の方が楽しかった気がする。
そう彼女たちのライブは楽しかった。
「あ、そういえば、話変わるけど借りてたCDはいつ返せばいい?」
「CDですか。いつでもいいですよ。てか、もう聴きました?」
僕は首を振る。
「いや、まだだ」
「早く聴いてみてくださいよ!すーーーーーーごく良い曲ですから。涙が出ますよ」
「はいはい」と僕。
「まあ、返すのは別にいつでもいいですけど。あ、なんなら連絡先を交換しときましょうか?」
そしたら、いつでも返却できますし――
と、少女はポケットから携帯を取り出した。
「了解」と僕も同様に携帯を出し、赤外線送信でお互いの連絡先を交換した。ものの一分もかからない。赤外線送信とは便利なものだ。
「はい、これでいつでも連絡出来ますね。夜眠れないときとか」
「そんな親密な関係にいつの間になったんだ?」
そんな覚えは無いんだが。
「でも本当に、いつでも連絡してくれても大丈夫ですよ」
「分かった。えーっと、一条さん―――」
「瞳でいいですよ」
「分かった。瞳」と言うと、
「へへへっ」と、嬉しそうに笑う。
「改めて宜しくお願いします、浜登君」
何故か年下の女の子に君付けで名前を呼ばれることとなった。そして、僕にとって色んな意味で刺激的になったライブは終了した。
***
ライブから帰った後、僕は自室でしばらくぼーっとしていた。
ライブ後の打ち上げにも誘われたが、どうもライブ後無気力で行く気分にはなれなかった僕は真っ先に自宅に帰り今にいたる。
そして、ぼーっとしてた状態から思い出したようにCDプレーヤーを再生させ始める。
再生させたのはとあるCD。
そのCDのジャケットは謎のステッキを持って、執事服を着ている美少女の絵。とてもシュールに思える。美少女はピンクの髪色。ステッキは魔法の杖見たいにも見える。しかし、何故か執事服を着ている。執事服というフォーマルな格好をしているというのにはだけた胸元や、ズボンでは無く丈の短いスカートとうことで妙にエロい。
まあ、ジャケットについてはもうあまり触れないようにしよう。僕がいくら考えたところで理解することは不可能であろう。
勿論だけど、このCDは僕の所有物ではない。
この所有者は瞳である。
借りてからまだ一度も聞いていなかったので、これが初視聴になる。いや、寧ろつい先ほどまでは、まだ包装もされていたので初開封でもある。
これから流れるものはアニメソング。
今まで自分には縁の無いものばかりと思っていた音楽だ。
しかし、今は多少なりとも興味をもって聞いている。理由は今日のライブであることには間違いないであろう。
今日のアニソンバンド『メトロ☆ぽっぷ』の演奏は凄かった。ただ、凄い上手いバンドは何度となく観てきたけども、あの娘たちが魅せたライブはまた違う意味の凄さがあった。
観ていて楽しかった。
故にアニソンに興味を持ったのかもしれない。
そう思い僕はCDプレイヤーを再生する。
瞳から借りたアニソンのCDは強烈なインパクトがあった。
歌詞の内容は全く意味不明で理解ができないのだけれど、曲そのものに衝撃を受けた。コーラスがかかったようなギターサウンドや空間系の歪みのようなサウンド。ベースでいえば飛び弦、スラップを駆使してありとても珍妙な曲に出来上がっている。
曲が終了。
そして、もう一度再生させる。
いつの間にか何度も通してCDを再生させてしまっていた。
そして、いつの間にか僕の手にはベースが握られている。本当にいつの間にかって感じだ。
ごく自然に体が勝手にベースを握っていたのには自分自身でも驚いた。
と、同時になるほどと思ったことがある。
今の僕の中でのアニソンというものに対する興味の大きさ。それは決して小さなものではないということだ。
大きい。拡大しつつあるのだ。恐らくあのライブを観てからずっと次第に――――。
そして、想像する。
想像している。想像してしまっているんのだ。
あの演奏にベース音が加わったらどうなるのか。一体どんな音楽が出来上がるのか。
それは凄く興味があることであった。
そう僕のアニソンに対する興味は膨らみつつある。
「アニソンか――」
僕は呟いた。
そして僕の手はいつの間にか携帯電話を握った――――。
電話?
僕は何がしたのだろうか。一瞬そう思ったが、答えは簡単に思いついた。
『浜登君から先に電話をかけてくるなんて意外でしたね』
と、電話の先で妙に嬉しそうな瞳の声がしてきた。
『私の予定では最初にコールするのはこちらからで、それは悪戯電話だったんですがね』
どうやらコイツに連絡先を教えたのは失敗だったかもしれないな。と、僕は悔やんだ。
「悪戯電話の予定なんて立てるな。小学生か」
『小学生とは酷いですね。悪戯は女の子の特権なんですよ』
「悪戯に特権なんてあってたまるか!」
『でも、なんだかんだ言っても浜登君も悪戯されるの好きでしょう。ふふっ』
「――――…………」
僕は何も言わない。
『い・た・ず・ら・し・ちゃ・う・ぞ!』
「――――…………」
僕は何も言わない。
『トリック・オア・なんとか!』
トリートと言いたいのだろうか?それは違う。意味が違う。
なんで僕がお前にお菓子をあげないといけないのか?理解ができない。
「――――…………」
勿論、僕は何も言わなかった。すると、
『もう!なんで無視するんですか?』
ここまで無視する僕に対して瞳が崩れる。
『放置プレイで無言電話なんてゾクゾクするじゃないですか!』
ヤバい!こいつ頭が可笑しい。
「すまん、ただ電波の入りが悪かったんだ」
急いで話を再開させる。
『ん?そんなんですか?まー、どうでもいいですけど』
「どうでもいいのか?」
『はい、私は寛大な心の持ち主ですから』
「そうか――――」
僕の知る寛大の意味と彼女の言う寛大の意味は違うのかもしれないな。
『あ、でも、真面目な話で浜登君から先に連絡があったのはビックリしましたよ。何です?私の好感度を上げて一条瞳ルートに続行ですか?』
何やら訳の分からないことを言い出す。
「よく分からないけど、多分違うと否定しておくよ」
『あら、残念。なら、どうして電話をかけてきたんですか?』
僕が瞳に用があるとしたら一つしかない。
「ベース募集中て言ってたよな」
『あ、『メトロ☆ぽっぷ』のことですか?はい、ベース募集中ですよ。何ですか、まさか浜登君がベースをやってくれるんですか?』
瞳は冗談を言うように陽気な口調で言う。
というか、もう瞳の僕への呼び方は『浜登君』でいつの間にか定着しているようだ。
まあ、別に文句は無いけども。
「ああ、そんな感じかもしない。少しアニソンに興味が湧いてきたんだ」
と、僕は言った。
『えっ?』
途端に素の声で疑問符をあげる瞳。
『えぇぇぇぇぇぇぇぇ?』
そして驚きの声に変わった。
『えっ?浜登君が?アニソンに?』
そんなに衝撃を受けることではないだろうに――――。
『くぁwせdrftgyふじこ』
「落ち着け……」
日本語になっていない。文字化け状態だ。壊れてしまったようだ。
『だって浜登君がですよ!落ち着いていられようか!いや、落ち着いていられない!』
僕がアニソンに興味を持つことがそんなに可笑しいことなのだろうか?何やら遠まわしに馬鹿にされているようにも感じ始める。
『あの、えっと――、本当ですか?』
瞳は確認するように問う。
「いや、嘘だ」
『あ、なんだ、嘘でしたか。ビックリさせないで下さい。なら、それじゃあ、おやすみなさい』
「いや、冗談だよ。そして勝手に切るな」
『てか、そんな冗談いりませんよ!笑えません』
「笑って欲しくて言った訳じゃないからな」
『なら、なんの為に冗談ついたんです?』
「単に困らせたかっただけだ」
と、僕は真面目に答える。
『そんなくだらないことを真面目な口調で言わないで下さい!てか、なんですかこれは?真面目な話じゃなかったんですか?』
「そう真面目な話だよ。ぶっちゃけアニソンバンドに良かったら僕を入れて欲しいんだ」
『うわっ!するっと何か核心的なことを言ったよ!この人!ああ、なんかこっちがドキドキしてきました。あれですよ。告白された感じですよ。電話で告白って微妙な気もしてたんですけど、これはこれで緊張感あるんですね!』
テンション高い。興奮し過ぎている。
「どうどう」
『なんでまるで馬を宥めるような台詞をいうんですか?』
今のでよく分かったなと思う。ハイセンスなツッコミだった。
『あー、ならこんなことを電話で話すのもアレですね。やっぱり告白は面と向かった方がいいですよ。直接会って話しましょう。明日の夕方は空いてますか?』
「ああ、大丈夫だ」
ちなみに、一応言っておくが僕は告白する気はさらさらないよ。いや、告白と言えば告白になるのかもしれないが。それは恋愛要素は全く含まれていませんので気をつけていただきたい。
『なら明日の夕方、んー、5時ぐらいでいいでしょうね。5時に北高の近くの喫茶店に来てください』
僕は了解の返事を出して、電話を切った。
そして、再度CDプレーヤーを動かしてもう一度だけ視聴し、僕は眠りについたのだった。
***
北高の近くの喫茶店。それは僕らがよく行くスタジオの近くの喫茶店だ。モニュメントでいつも使っている喫茶店。
僕は相変わらずこの日も一番奥のテーブルに座って来客が訪れるのを待っていた。
「ごめんなさい。待ちました?」
瞳がやってきたのは僕が来てから間もない時間だった。
「いや、大丈夫。全然待ってない」
僕はやって来た瞳の姿を見て言う。
ちなみに瞳の服装は制服姿であった。おそらく北高のものである。
「と、言いつつも一時間ぐらい前から実は待っていて、私が来るのを今か今かと首を長くして待っていたんじゃないですか?」
にひひっと瞳は笑いながら言う。
「なんで僕が初めて出来た彼女とのデートみたいな展開でお前を待っていないといけないんだ?僕が来たのはほんの5分前だ。全然待ってない」
「えっ、嘘ぉぉ?」
瞳は大げさにリアクションをする。相変わらず変な奴だ。
「ああ、もう、いいから座れ」
「はーい――――」
と、瞳は言われるがまま僕の真向かいの席に腰をおろした。
「何か頼みます?」
「ん、ならコーヒー」
「分かりました。ヘイ!マスター!コーヒー二つ!」
それに対してカウンターにいるマスターは無言で頷いた。
女子高生が元気に手を上げて注文を頼む姿。とてもシュールに思える。まるでラーメン屋でラーメンを頼んでいるかのような光景だ。念の為に言っておこう。皆が忘れないように定期的に呟こう。
一応、この女子高生は茶髪碧眼の超美少女である。
「なんとういか……。お前凄いな」
「へ?そうですか?」
いろいろと規格外な行動をする。ヘイ!って手を上げて注文する女子高生はなかなかいまい。一応、今の時間帯、店の中には僕ら以外の客が存在しているんだが、それさえも気にしない様子だった。
羞恥心というものは無いのであろうか?
「今は学校帰りか」
コーヒーが運ばれてきて、僕は会話を始める。
「それは秘密です」
「秘密にする必要がどこにある?」
というか、現に学生服を着ているのだから普通に学校帰りのはずなのだけども。
「必要がある無いに囚われていたらつまらない人間になりますからね。だから、私は、決して必要の無いようなことでもまるで必要不可欠のように話をし、必要不可欠なものでもまるで必要の無いように話をするのです」
「それって意味無いだろう……」
というか、天邪鬼過ぎる。そして相手にするのが面倒臭い。
「ま、いい。今日の要件を単刀直入にいうよ」
馬鹿みたいな話を長々と付き合っていられないと思いそう切り出したが。
「て、私の話をすぐに流さないでくださいよ!」
と、僕の言葉を必死に遮る瞳。こいつは何がしたいんだろう。
「今の話を続ける必要がどこにある」
「だから必要がある無いに囚われていたらいけないんです。意味の無い話をまるで、あたかも意味のあるように会話できてこそ一流の話術師になれるんですよ!」
「いや、僕は一流の話術師になる気なんてさらさら無いぞ」
これは、バンドの話だろ?早く本編を進めさせてくれ。読者もがっかりだぞ。
「ふむ、もしかして浜登君は話術師では無く一流のツッコミ担当を目指してるんですか?」
「多分どちらでもない」
それに一流のツッコミ担当ていうものはおそらく存在しない。
「ふむ、そんな正直者の君にはこの金の――――」
「もういいから!!」
僕は瞳のボケを途中で遮った。しかし、何故だろうか。金のに続く言葉は一体何だったのだろうか?と今更だが非常に気になる。金の―――何!
はあ――、僕は心をいったん落ち着かせるためにコーヒーをぐいっと飲む。
そして、やっと本題に入ることにした。まどろっこしい表現はせずに担当直入に、
「僕をバンドに入れて欲しい」
意を決して僕は言う。
「だが断る!」
「ありがとう、一緒に頑張ろ…………て、あれ?断られた!?何故!?」
「何故って……そりゃあ、浜登君がさっき何て言ったのか聞いてませんでしたから」
ケロッとした感じで瞳は答える。
「いや、聞いてないのに速攻で断らないで欲しい」
「なんて冗談ですよ。ちゃんと聴いてました」
今の冗談はたちが悪い。瞳の話を打ち切った腹いせであろうか?
そうだとしてもやはりたちの悪い。思わず殴ろうかと思ったんだけど。
と、拳を握った手を我慢して引っ込める。
「いや、断るわけじゃないんですけど、浜登君はもう一つバンド組んでるでしょう?大丈夫なんですか?」
「僕のことを気にしてるなら問題ない。僕は一番多いときで6バンド掛け持ちしてた時もあるから」
「6バンド?凄いです!!」
そんなにストレートに凄いと言われる。
なんだかんだで、やはり嬉しかったりもする。が、
「よくスタジオ代ありましたね。浜登君って意外とお金持ちなんですか?」
凄いって金の話なの?
さっきの嬉しい気持ちで一杯になってたのが一瞬で消し去った。返して欲しい。
「でも本当に何でいきなりうちのバンドなんかに入ろうと思ったんですか」
急に真面目な質問で返してくる瞳。
何でって…………と、僕は考える。
「だって浜登君ってアニメ見ないんですよね。アニメも観てないし、アニソンも特別聞くわけでもなんですよね」
「そうだけど何で知ってるんだ?」
「それくらい、初めて会った時の浜登君の様子を見てれば分かりますよ。オタク関係の何かに携わっているかいないかぐらいは簡単に見分けれます」
私を誰だと思っているんですかといった様子で胸を張る瞳。
ま、確かにそれは凄い洞察力だとは思う。
「でも、なら尚更何で急にアニソンバンドに入りたいなんて思ったんです?オタクじゃないならアニソンにも興味無いでしょうし。それに浜登君のベースの腕前を観る限りでは、わざわざうちのバンドに入ろうとは普通思わないはずですよ。私たちなんかよりも、もっと上手いバンドに入りたがるはずです」
と、言って瞳は一度コーヒーカップに口を付ける。
なるほど――。
瞳は僕のベースの腕と、自分たちの、メトロ☆ぽっぷというバンドの腕が釣り合っていないように感じているのかもしれない。自分たちの演奏がまだ下手だと思っているのかもしれない。
ま、まだ二回のライブ経験しかないバンドと言っていたから、そう思ってしまっても仕方ない。自分たちの腕前に自身が持てないのもまだ仕方ない話なのだが、
それは違う。
実際、彼女たちはかなり上手い。とても、という形容詞で強調してもいいぐらいだ。そもそもメトロ☆ぽっぷが下手で全くまともに弾けていない御遊戯バンドなら僕はこんなことを言い出したりはしない。
まあ、でも――しかし。この場合、僕がメトロ☆ぽっぷへ入りたいと思った理由は正直上手い下手は関係無いと言ってもいい。関係無い。技術の問題なんて全く関係ない話だ。
何で僕がこのバンドに入りたいと思ったのか――。
それは核心的な質問だ。故に答えるのは難しい。
なんで、アニソンバンドをやろうと思ったのか。
なんで、メトロ☆ぽっぷに入ろうかと思ったのか。
それは言葉にし難いものだ。
あえて言うのであれば……、
「見つけられるような気がしたんだ」
そう。このバンドに僕は惹かれたんだ。久しぶりの楽しいライブ。
心が見ているだけで揺れるような何かを感じた。
あの演奏を見て恋焦がれってしまったのかもしれない。
「見つけられるって……何をですか?」
瞳は更に問いかける。
何を―――と言われても自分でも、実際のところ分かっていない。
「んー、忘れていた何かを――――?」
「くさっ!なんですか?そのセリフは?今時そんな臭い台詞、アニメの主人公でもいいませんよ」
馬鹿にしたように瞳は笑った。
うるさい!
確かに自分でも言っていて恥ずかしい。
でも、本当に何でアニソンなんてやりたいかと言ったらそれしかないのだ。
何か僕の中に漠然としているもやもや。最近のライブでの呆気なさ。演奏が上手くいって無いわけではないが楽しさも無い。毎日の変転の無い日常。
そんな色んなものをひっくるめて、僕に足りない何か。忘れてしまっている何か。
それを見つけられるような気がしたのかもしれない。このバンドで。
だから、
「よく分からないけど、とにかく、このバンドに入ってベースをしたいっていう気持ちになったんだよ!」
僕はぶっきら棒に、かつ力強くそう答える。
とにかく、あのライブを見て僕に足りない物を見つけた。
だから自分もあの中に入りたいと思った。それ以上もそれ以下も無い。
「…………」
馬鹿にしながらも瞳は僕の目から話さず凝視していた。青色の瞳がこちらをじっと見つめている。
僕も瞳から目線を放さない。
お互いに顔を見つめあった。
「…………」
「…………」
両者、沈黙が続き、
「わかりました」
先に口を開いたのは瞳。ゆっくりとした口調だ。
「バンドメンバーにも伝えておきます」
「ほ、本当か。ありがとう」
「いえ、実際私達もベースが欲しかったところですから。断る理由もありませんし、浜登君ほどの人がベースに入ってくれるなら助かります」
「まあ、僕が役に立つか分からないけど頑張るよ」
「いえいえ、浜登君なら大丈夫です。浜登君が入るなら万事休すです」
「――――そうか。僕が入ったことにより万策尽きるのか」
それは一大事なことになるな。大変だ。
「ん?万事休すじゃなかったですか?では、言い変えましょう。鬼を解剖です!」
「それは怖いな――」
鬼に金棒と言いたいのだろうが、鬼を解剖してどうするというのだ。
「ん?鬼にカネボウでしたか?」
「いや、多分どっちも違う。てか、お前は馬鹿だな」
「親以外の人から馬鹿って言われたのは初めてです」
「そっか―――日本人って皆良い奴ばっかりなんだな」
しみじみとそう思うよ。
「浜登君は少し意地悪なきがしますぅ」
頬をぷくっと膨らませる、瞳。表情豊かな奴だ。
「それはすまなかったな。意地悪なんて初めて言われたよ」
「そんな心がこもって無い感じに謝られても許しません。それにしても日本人は優しいですね」
日本人が優しいのに関しては本当に同意見だった。
「それはそうと瞳」
「話を変えて逃げないでください!」
瞳の口が破裂しそうなくらい膨れ上がっていた。
うん、あまりからかうのもやめておこう。
「これからメトロ☆ぽっぷに僕は入るわけだけど、とりあえず僕は何をしてくればいいんだ?」
「何を――て言うと、つまりどういうことですか?」
「練習曲だよ。僕は何を練習しておけばいいのかって話だ」
「あ、それじゃ、とりあえずマルマのOPとEDの二曲を次の練習までにやってきて下さいよ」
マルマのOPとEDというと初めて瞳に会ったときに借りたCDに収録されていた曲だ。
「あの二曲を練習すればいいんだな。分かった。でも、たった二曲でいいのか?」
「そうですね、いきなり多い数をやってくるのは大変でしょうし、とりあえずは二曲でいいです」
「そっか。そういえば譜面とかは無いの?」
「譜面無いと駄目な人ですか?」
「いや、たぶん耳コピできると思うけど」
耳コピとは耳コピーの略で文字通りの意味だ。譜面を使わず耳で楽曲を聞きとること。曲を聞いて頭に譜面を作り上げていくような感じだと思ってくれればいい。まあ、難しそうな感じはするがずっと楽器をやっていればいつかは出来るようになっていく技術だ。経験がものをいう。
ちなみに絶対音感をもっている人は初めて聞いた曲をそのまま譜面に採譜していくことも可能だが僕は絶対音感持ちというわけじゃないので何度も曲を聞いて手探り手探りしつつ音を拾っていく。勿論、これは簡単では無いし時間もそれなりにかかってしまう。
「なら、それでよろしくお願いします」
「了解」
勢い良く返事をして、僕はアニソンバンドの第一歩を踏み出した。
***
と、思ったけど…………。
「これは結構…………」
キツかった。
現在、夜の十一時を回っていた。
僕はというと自分の部屋の机についてヘッドホンとベースを装備している。
そこまではいつもと一緒。いつもの僕の夜の風景とも言えるであろう。
しかし、問題はこのヘッドホンから流れている曲にある。
流れているのは勿論バンドでやるアニソンだった。
アニソンを夜中に何度も何度もヘッドホンで聴いてる自分って一体なんだろうか?
コレって結構危ない感じなのではないだろうか?
それに、このアニソンのボーカルの声がまたなんとも言い難い。
何処から声を出しているんだろうか?何でこんな甘い感じの声が出るのか?
深夜のせいもあるだろうが、この声を聞いていると何だか頭が可笑しくなりそうだ。
ボーッとなって通り過ぎ頭がトランス状態になる。
「はっ…………!」
いかん!いかん!
自ら頬をバチンと叩く。
痛っ…………。
「はぁ…………」
練習の前にまずアニソンを聴くのに慣れないといけないような気がする。このままだとまともに練習もできない。
ヘッドホンから流れ出る音楽をいったん停止させた。
とりあえず瞳にメールでお勧めのアニソンでも教えて貰うか。
とそう思い、携帯を片手に持つ。そして簡略的に用件を打ち終えて。
「――――送信っと」
メールを送信する。
すると、ほぼ同時に、
トゥルルルル!!トゥルルルル!!
携帯が鳴った。
「もしもし……」
『浜登君!何?何なの?どうしたの?お勧めのアニソン教えてっていきなり!もしかして覚醒しちゃった!覚醒しちゃった!』
電話の主はもちろん瞳。しかし、いきなり電話がかかってくるからかなりびっくりした……心臓に悪い。
そして覚醒ってなんだ?いきなり訳が分からん。夜だというのにこいつのテンションは変わらずして高いようだ。
「一体何を覚醒するって言うんだ」
『そりゃオタクの道』
「それは覚醒したくないな」
断固遠慮願いたい。
『でもお勧めのアニソンを教えて欲しいってことは少しはアニソンに興味を持ったってことでしょう』
「まぁ――そうなるな」
そもそも、アニソンバンドに入ろうと決めた時点から僕のアニソンに対する興味は少なくない。
ただ今までアニソンを聴く機会が無かったし、アニソンに対しての妙な偏見を持っていたといえば持っていたから今までアニソンを聴かずにいただけのことだった。僕は基本的に音楽であればなんでも好きな方だ。
こういうのを雑食というのかもしれない。
『ふふっん、へへっ』
何故か嬉しそうに不気味な微笑みをする。
『やっぱり浜登君は素質があるよ』
「そうかい」
とりあえず適当に流す。
「で、何かお勧めのアニソン無いか?どうもこの手のアニソンに免疫が無くてな。ぶっちゃけ結構聴くだけで苦労する」
『そうですか?私は聴きやすいですけど。むしろ、アニソンを聴きながら快眠できます』
「そうか……」
それはある意味凄いな。
まあ、でも中にはメタル中毒者はメタルを聴きながらじゃないと眠れないとかいう変わった症状を起こすものもいるらしい。この場合はメタル中毒では無くアニソン中毒だけども、まあ、あまりに好き過ぎるがゆえにそんなことも稀にあるのであろう。狂愛者ならではの症状だ。
しかし、
「お前はそうだろうけど僕は聴きなれてないからそうはいかないんだ。なんていうか……このボーカルの声に抵抗があってな」
『ああ、マルマのOPは電波ソングだからね』
電話の向こうで瞳が納得した。
「電波ソング?」
『うん。電波ソング』
聞きなれない用語がまた出てくる。
確かに、このボーカルの声は普通では無い。電波っぽい。
でも、この場合の電波の意味はおそらくそんなことでは無いのであろう。
『電波ソングは「意図的に下手に唄った声」「意味不明な歌詞」「一般への受け入れられなさ」「奇異なサウンドエフェクト(リズムが崩れている)」「一度聞いたら頭から離れないほどのインパクト」などを特徴に持つ音楽を指すインターネットスラング・サブカルチャー用語のことを言うんだよ』
瞳が電波ソングについて説明する。が、
「やけに詳しく、しかも……どこか定型文っぽい説明だな」
『だってウィキにそう書いてあったから』
「てっ!Wikipedia参照かよ!!」
(注)下線部はWikipedia参照しております。
て、何で僕が注意書の断りをしないといけないんだ。
「でも何だ。このわざと下手に歌うってのは……下手に歌う必要なんて普通無いだろう」
自虐精神が故のドMなのか?
『チッチッ、読みが甘いよ。そんなんじゃ、敵は木星から月まで攻めてくるよ!』
「なるほど、つまり敵は木星人なんだな」
とりあえず突っ込める所だけ突っ込んでおいた。
『とにかく、下手に歌うということはただのマイナスポイントだけじゃないんですよ。わざと下手に歌うのは案外高等テクなんです』
そう瞳は夜中なのに熱くなった口調で熱弁するが、今一つピンとこない。
「下手に歌うならわざと音を外せばいいんだろう」
『さすが浜登君!その通りですよ!わざと音を外せばいいんです。ですけど実際にアニソンを聴いてそんなに下手くそって感じがしましたか?』
「うーーーーん……」
実際に聴いた電波ソングを思い返す。
「そんな最悪に下手くそって訳じゃないな」
しかし、何故か普通の曲とは違う変な感じがしてしまう。
『そうですね。マルマのOPの歌い手さんも実際はもっと上手いんです。だけどわざと外してる。もともとは音を外さず上手く歌えるんですけどある部分を所々韻を踏む感じで音を外して歌うんです』
「あ、なるほど――――」
だからあんな風なメロディに対して不快をあまり感じさせずない曲が出来上がるのか。
『さすが音楽経験者だから察しがいいですね。浜登君が思っている通りだと思います。わざと音を外している部分が韻を踏むので、負荷かいを持たせること無く音楽を作り、かつリズムも面白い感じの歌が出来上げるんです。その感じがユニークで一度聞いたら何回も聞きたくなるような魔性の音色にするんですよ』
「ふむっ……」
なるほど。確かにそう思うと奥が深い。
「もう少しこのマルマのOPとやらを聴いてみようと思う気になってきたよ」
『そうでしょう。そうでしょう』
瞳は凄く嬉しそうだった。
『あ、そういえば私のお勧めの曲でしたね』
「ああ、それはもういいよ。課題に渡された曲をしばらく聴いておくから」
『なっ!!』
電話の奥で何か大きな音がした。どうしたんだろうか?音からすると椅子の上から落ちたと推測する。
「そういうことだから、じゃあな」
『ちょっと待てぇぇえい!!!』
電話を切ろうとする僕に瞳が大声を上げた。
本当に夜なのに元気な奴だな。
「あー、あまり興奮すると眠れなくなるぞ」
『それは女の子と夜電話している男性の台詞として如何なものかと思いますよ』
「女の子――――?」
『今、女の子という部分で首を捻りませんでしたか。ていうか捻りましたね』
何を根拠に……まさか僕を監視しているわけではあるまい。
『私だって女の子なんですよ。何故なら私は今、お風呂上がりでブラを左手に持って、右手にはパンツを持ってます』
なんだ?その状況は……。
もしかして、電話開始から今までずっとそんな格好をしていたのだろうか?
とりあえず、早く履けよ。と思ったが、この返答はいささか可笑しなものかもしれないと思い、言い留まる。
ん、ていうかもしや、これは僕を試しているのか?この女に、僕は試されているのか?
なら、こんな時の正しい返しは――――。
「えっと…………受話器はどうやって持ってるんだ?」
『ち、ちがぁぁぁぁあああああう!!!』
瞳の中で何かが噴火した。どうやら、選択肢を間違えたようだ。
『そこは‘『なんてこった全裸じゃないか!!ふっほほい!』’でしょう』
いや、それも違うと思う。てか、ふっほほい!って僕のキャラと違う。キャラ崩壊が起きるぞ。
「はぁ、全くお前は何がやりたいのさ」
呆れた僕が言う。
『あ、いや……なんですかね』
電話先の少女が戸惑ったような声をあげた。
『いや――――何て言うか私も今日はテンションが上がってるんだと思います。ほら、だってやっとベースが加入してバンドとして全ての楽器が揃ったんですから』
何だかんだでバンドの全てのパートが揃うことは嬉しいのだろう。
バンドの基本構想はやはりギター、ベース、ドラム、ボーカルなのだ。一つ欠けているバンドと全て揃っているバンドとでは音楽の幅はかなり違う。全く別のものと言ってもいいだろう。
『それにまさか浜登君がベースやってくれるとは思って無かったですし』
「それは別に僕じゃなくともいいんじゃないのか」
『そんなことないです。浜登君だからまた凄く嬉しいんです』
「過剰な言い方だな――」
『何なら御礼に今から歌を歌ってあげたいくらいです。電話で電波ソングってこれぞまさしく本当の電波ソングって感じがしますね』
「いや、わざわざ歌わなくていいから…………」
『でも、本当に浜登君で良かったと思ってるんですよ…………浜登君は鈍感過ぎます』
「ん、何か言ったか?」
最後の方が小声でゴニョゴニョとしか聞こえなかった。
『いえ、何でもないです』
「そうか、ならいいけど。じゃ、電話切るな」
『はい、おやすみなさいです』
ピッ…………――――。
携帯を机に置いて、一息着いた。
「もうひと頑張りするか」
僕は再びヘッドホンをつけてベースをからう。
***
今日は僕にとって初のメトロぽっぷでのスタジオ練習の日だった。
メトロぽっぷで使っているスタジオはモニュメントで使っているスタジオと同じスタジオということを聞き、そのおかげでベーアンの心配は全くする必要が無くなった。
因みにベーアンというのはベース・アンプの略。アンプというのはアンプリファイアの略で楽器の出力を上げる機械のことだ。
メーカーなどによってアンプは使い勝手が違う。勿論使いなれたベーアンの方が使用するには都合がいい。スタジオが変われば取り扱っているベーアンも違うので色々と困るのだけど、スタジオはいつものスタジオ。何も心配はいらない。
僕はスタジオを借りる予定時刻10分前に到着。
「――――おはようございます」
僕が着くより先に一人の少女が店の前に立っていた。
「あ、おはよう――――」
と、僕も挨拶を返す。
ぼくよりも先に到着していたのは三ノ宮さん。淡い黄色の髪が腰のところまで伸びている少女がそこには存在した。以前会った時は巫女衣装を纏っていた少女。
現在は私服姿だ。普段着まで、さすがに巫女姿ということは無かった。巫女衣装はあくまでステージ衣装ということだろう。
安心な気持ちと少しばかり残念な気持ちが起きる。
「今日からよろしくな」
「はい、一条さんから話は聞いています。ベースをやって貰えるのはこちらも助かります」
特に感情が入っている感じもなく、何処と無く事務的な受け答え方だ。
瞳の出会ったときの第一印象は明るく気さくな可笑しな奴だったのだけども、三ノ宮さんはその逆を感じさせる印象がある。
礼儀正しい感じだけどもどうも近寄りがたい感じだ。
しかし、バンドを組むに当たってそんな近寄りがたいとか苦手とかのイメージを持つわけにはいかない。ホラ、よくバンドマンが解散する理由の一つに、
音楽性の違い。
と、よく口にしているバンドマン達が多い。しかし、実際は多分音楽性の違いは表面的な言い訳で裏ではメンバー内のいざこざがあっていた…………とか言うことはよく耳にする。
バンドで何だかんだで大事なのは技術云々(うんぬん)、コミュニケーションだったりする。
まあ、それもそうだろう。バンドは一人で行えるものでは無いのだ。団体競技と同じ。
皆で行うもの全てでコミュニケーションというものは必要不可欠の要素になりうる。
「なあ、三ノ宮さん」
とりあえず、声をかける。
やっぱり会話をして楽しんで仲を深めるのが一番だろう。
「何です――」
しかし、とにかく会話をしようと思って考え無しに声をかけたので早くもこの後に続く会話を詰まらせる。
「あ、いや、たいした用じゃないんだけど、三ノ宮さんって何処高校なの?」
咄嗟に思いついたことが何処高校かという質問って自分でもどうかと思う。
なんか初めてネットを通じて知り合ったメル友の会話みたいだ。
『君、名前何?何歳?何処高?何処に住んでるの?』みたいな定型文ぽい。
「えっと…………本気で言ってますか?」
何故かありえないという表情で僕を見てくる。
あれ?高校の名前を聞くのはそんなに駄目なことだったのだろうか。ま、確かに凄く低レベルな質問だからな。
「あ、いや、別に答えたく無いならいいんだ。よく考えたら瞳の高校も知らないし……ん、いや知ってるか。そういえばあいつ北高だったな。えーっと、もしかして瞳とは同じ高校だったりするの?」
「…………」
何だろうか。三ノ宮さんの目線がどんどんキツいものへと変わっていっている気がする。怒っているような感じだ。
「えっと…………」
こんなときはどうするべきか――――。
考える。
ん、嫌――そんなことは決まっている。
「なんかよく分からないけど、ごめんなさい!」
こんな時はとりあえず謝るしかない。
僕はとりあえず全力で謝った。
「何で謝るんですか?」
「いや、何となく」
「別に謝らなくていいですよ。それによく分からないのに謝らないで下さい。不愉快です」
「は、はい…………」
なんか本当に申し訳ない。
「私が何で不機嫌になっているか宮野さんには分からないでしょうね」
「ごめんなさい……」
「だから謝らないで下さい!」
会話で楽しくコミュニケーションを取る作戦が見事に崩壊した。なんか嫌われてるみたいにも思える。
「宮野さん」
「はい!何ですか?」
「なんでそんなに畏まった感じの態度になるんですか?」
「い、いや…………なんでだろう?」
「……はぁ、まぁいいです。ところで宮野さん、私っていくつに見えます?」
いくつ…………って、歳の事を言っているんだろうか?
それとも――――
三ノ宮さんは僕が極度の乱視だと勘違いして、僕の目には三ノ宮さんが何人に見えているのかを尋ねているのだろうか?
――――と、考えを巡らせてみたが。うん、間違いなく後者では無いよな。と言うことは、三ノ宮さんは僕に、自分の年齢が何歳なのかを訪ねているわけだ。
「そりゃ、瞳と同じ歳だよね。――――ん、あれ?瞳って高校何年生だったけ?二年?いや三年?なら17歳か18歳らへんじゃないのかな?」
僕は言う。
「へぇ…………18歳ですか」
静かに呟く三ノ宮さん。その言葉は何故かトーンも低く気持ちが特に何も入ってないような酷く冷たい感じがする。
なんか怖いんですが。
「私ってそんなに幼く見えますか?ま、18歳も20歳もあまり変わらないんですからどうでもいいんですけど…………まさか同じ高校のときのクラスメートの顔を忘れているとは思いませんでした」
三ノ宮さんはぶつぶつと呟く始める。18歳、20歳、変わらない…………とかまでは聞き取れることが出来たがそれ以降は声が小さくて聞き取れない。
「あはははっ、もしかして三ノ宮さんって20歳なの?」
「何で笑いながら言うんですか?」
「いや、何となく…………」
笑って誤魔化さないとまた怒られると思った――とはさすがに言えない。
「ま、そうですよ。私は宮野さんと同じ20歳です。しかも……高校も」
「高校も?」
「いえ、いくら鈍感でもいずれ気がつくと思いますからいいです」
ん?鈍感?なんなんだろう?三ノ宮さんって何か不思議だ。
「それにしても三ノ宮さんと同じ歳だったんだね。初めて知…………」
ガツンっ!
物凄い勢いで持っていたエフェクターを入れるハードケースを素手で叩く三ノ宮さん。
「……ったよ……。て、三ノ宮さん?大丈夫!」
ドスッと、今度は軽く再度エフェクター入れを叩いて、
「蚊がいました」
「あ、蚊!蚊ね!蚊がいたなら仕方ないよね」
苦しい嘘に対して、必死に僕はフォローをする。第一、蚊なんて、こんな雪が降る時期にいるわけが無いのだけれども。
しかも、ハードケースを素手で殴るって、あれは絶対に痛い。凄く痛いはずだ。大丈夫なのかな……?
なんか色々と怖かった。
「あー、ところで三ノ宮さん」
とりあえず、この話題から離れる事にしよう。
「何ですか」
「三ノ宮さんもアニソンバンドやってるならアニメ好きなんだよね?」
「ま、そうですね。一般人よりはかなりアニメを観ている方だと思いますよ」
「あ、やっぱり、そうなんだ」
しかし、正直全くそんな風には見えない。どちらかと言うとアニメなど全く興味無いような感じの人間に見える。三ノ宮さんと瞳は同じ美少女でも分類は全く違う。瞳が可愛い系なら三ノ宮さんはお嬢様系美少女だ。そんなお嬢様系美少女がアニメを観て楽しんでいる様子はなかなか想像しがたい。
「でも、宮野さんもアニメ好きだなんて意外でした」
「あ、えっーっと……」
三ノ宮さんの台詞に言葉を詰まらせた。
言い難い。非常に話憎かった。
『実は僕はアニメとか全然興味無いし、観ても無いんだよね』って同じアニソンバンドのメンバーに言うのは非常に言いにくい。
「宮野さん、どうしたんですか?」
「いや、何でもないですよ。ノープロブレム!」
「いや、明らかに変ですよ」
「変?ははっ、宮野浜登の編!」
「……大丈夫ですか?」
可哀想なものを観る目で三ノ宮さんは言う。
「大丈夫だよ。ただ初めてのアニソンバンドの練習で気合が入っているのかな?」
「なら、いいですけど・・・・・ところで宮野さん。宮野さんの好きなアニメって何ですか?」
へ、好きなアニメ?好きなアニメってなんて答えれば良いんだろうか?どんどん追い詰められている。困った。
「えーっと、ガンダムとか?」
「何故に疑問形で答えるんですか?」
咄嗟に思いつくものがそれくらいしかなかったからです。とも正直に言えない。
というか何で僕はアニメ好きでは無いことを三ノ宮さんに隠しているんだろうか?正直に言えばいい話なのに。
「でも、確かにガンダムは名作ですよね。私は初代よりも最近のガンダムが好きなんですよね。宮野さんはどうですか?」と、聞かれた時点でもう観念した。
「ごめん!実は僕、今までアニメ全く観たこと無いんだ!だから好きなアニメがガンダムだなんてのも嘘なんだ!」
仕方なく正直になる。
「え?」
三ノ宮さんは驚く。
「観たこと無いって本当ですか?」
「うん」
「えーっと、ならなんでアニソンバンドに入ったんですか?」
まあ、そりゃ、そう思うよな。当然の返答だった。
「えーっと、アニメは全く観たこと無いけどアニソンには興味があるんだよ」
まあ、それもごく最近―――ていうかつい先日の話なんだけども。
「つまりアニソン好きってことです?」
「あ――嫌……ん、別にアニソン好きって訳でもない―――かな?」
「また何か曖昧ですね」
「……ごめん、怒ってる?」
アニメを好きで無い人間がアニソンバンドをするなんて馬鹿らしいと思われたかもしれない。アニソンを舐めていると思って非常に不愉快に思われたかもしれない。
「いや、でもアニソンバンドを馬鹿にして入った訳じゃないからね。この前のライブ観て本当に凄いと思ったから入ったわけであって――」
なんか言い訳がましいことを言っているな、僕。
「本当にごめんなさい」
僕はもう一度謝った。が、
「いえ、別に謝らないで下さい。どうせそんなことだろうと最初から私も思ってました」
「えっ?」
予想外の答えに変な声を出した。
「一条さんにこの前のライブで対バンした『モニュメント』のベースさんがうちのバンドに入ってくれると聞いて私は嬉しかったんですよ。宮野さんのベースはこの前の四バンドの中では一番上手かったですし」
と、三ノ宮さんはどうやら僕のベースの腕前を評価してくれていたみたいだ。しかし、この前のライブの僕の演奏なんてそんなに凄いものではなかったし、四バンド中一番の腕前と言われても、四バンド中ベースがいたのは三バンドで実質三人中の一番であって、特に凄い数字とも言えない。だけど、
「だから別にアニソンに興味無くても今はまだいいですよ」
三ノ宮さんは僕のバンド加入のことを許可してくれているみたいだった。
「なんかごめんね。本当」
ガツンっ!!
またも、ハードケースを素手で殴る三ノ宮さん。
結構なハードパンチャーのようだ。軽快な良い音を出す。
「だから、これ以上謝らなくてもいいです。次に謝ったら頭蓋骨を吹き飛ばしますよ」と、冗談とも言えないような恐ろしいことをいう。
「今はまだアニソンやアニメにあまり興味無くてもいいです。でも――」
すると、三ノ宮さんはこちらを見て、
「いずれはちゃんとアニメ好きになって貰いますからね」と笑顔で言う。
僕はその笑顔に見とれて「はい」と頷くしかなかった。
***
そんなこんなしているうちにスタジオの予約していた時間になり僕らはスタジオの中へと移動した。
しかし、時間内にスタジオ入りしたのは三人。
僕、三ノ宮さん、永野さんである。永野さんはスタジオ入りするジャストタイミングでやって来たが、
残り一人はというと――――。
「はあぁー!セーフ!」
勢いよく扉を開いた。
ちなみに全然セーフじゃない。僕らがスタジオ入りしてから、かれこれ30分ほど時間が経過している。
遅刻だ。大遅刻である。
「はあ、良かった、よかった。ギリギリ間に合ったよー」
と、言いつつ平然とした態度で近寄ってくる。
「――どこがギリギリなんだ?」
勿論僕は突っ込んだ。スルーする訳がない。
対して、遅刻してきた少女は何も無かったかのような平然とした顔で、
「やだな浜登君は。浜登君、サッカーの試合の延長戦の時間って何分あるか知ってる?」
と何の脈絡もないことを言い始めた。
「はあ、サッカー?」
何を言い出すのかと言えば、いきなりサッカーの試合の延長戦の時間を尋ねてくる瞳。
どういう意味合いで言っているのかがさっぱり分からないけども。
「延長戦は前半15分、後半15分の計30分だったはずだが?」
僕は答える。きっちりと答える。
「うん、その通り。で、今の時間は?」
僕は自分の時計を確認して、
「10時31分――――」
「ねっ」
「…………おい、何が『ねっ』なんだ?」
どうやらサッカーはなんの意味も無かったらしい。今の無駄なやり取りの時間を返して欲しい。
「いや、浜登君!そんなに怒らないでよ!冗談だよ。ごめんね。遅れてすみませんでした」
瞳は僕らに向けて頭を下げた。
「瞳ん、要らないことを言わずに最初から謝れば良かったのに」
と、ドラムの定位置についていた永野さんが笑いながら言う。
永野四季さん。この前のライブの時はナースのコスプレをしながらドラムを叩いていた人だ。
現在は可愛らしいTシャツにショートパンツと動き安そうな格好をしてドラムの位置に座っている。
「それに宮野さんも瞳んの遅刻は毎度のことだから気にしてたら切りがないよ」
「毎度?」
どうやら彼女は遅刻の常習犯らしい。
「いえいえ、それほどでも」
と、後頭部を撫でながら照れている瞳。
しかし、全く照れる要素が無い。どちらかといえば恥を知ってほしい。恥を。
「でも、いつもみたいに私を除いて先に初めてくれれば良かったのに」と瞳。
「せっかく、四人になって最初のスタジオだから全員揃ってからほうがいいかなーて思って今回は待ってたんだよ」
「あー、そうなんだ。ごめんね、四季ぽん」
「いいよ、いいよ。ボクは全然気にしてないから」
と、永野さんが答える。
瞳を待っている間に永野さんとも少し会話してみて気付いたが彼女は一人称をボクという。自分の事をボクという女性がいるということはたまに耳にしていたが実際に出会ったのは彼女が始めてだ。
自分のことをボクと呼ぶ少女の姿は新鮮であった。
まあ、しかし、三十分も待たされて全然気にしてないのは凄い。世の中では二時間待ち合わせ時間に遅れるやつもいるが、二時間平気で待つものもいるらしい。どうやら彼女は二時間待っても平気な人間なのかもしれない。凄くおおらかだ。
ちなみに、僕は途中からずっと苛々(いらいら)していた。みみっちいと言うな。この場合はやはり遅れてくる奴が悪いのだ。
「いやいや、しかし、浜登君、よく逃げずにやって来たね」
あらかじめ果たし状を送っておいて、今から決闘でも始まるのかのような台詞を瞳が言う。
「いや、逃げる要素無いだろう」
「私に怖気づいて逃げ出すかと思ったぞい」
「いや、ぞいって―――」
何キャラだよ。反応に困る。
「ま、歳は浜登君の方は上でも、一応このバンドでは私の方が先輩って立ち位置になるからね。とりあえず、ジュースを買って来てくれたまえ」
「なんだ、このバンド?凄く嫌なバンドだな」
こんなもう、滅茶苦茶だ。こんなバンド初めてだ。
「ボクのも頼みます!」
と何故か永野さんも便乗してくる。
「お前らふざけるなよ」
勿論、怒った。笑いながら。
「およ、浜登君!目が笑って無いよ?顔は笑ってるのに」
「アレだね。複雑な心境ってやつだね」
「おお、四季ぽん、あれか!彼女から振られてしまって凄く辛いはずなのに、何故か顔は笑ってしまうみたいな感じの?」
「違うよ、瞳ん。ネタに滑ってとりあえず笑ってみたものの、その笑顔が逆に寒いみたいな感じだよ。きっと」
「ああ、そっちか!」
ああ、そっちか!じゃない。
「どっちでもねーよ!」
僕は再び怒って反論する。
そして、そんな僕らの会話を遠目に見ながら、
「どうでもいいけど…………早く練習しないの?」
と、呟いたのは三ノ宮さん。
「「「…………はい、ごめんなさい」」」
三つの頭が同時に下がった。
そうやって、僕らの記念すべき第一回目のスタジオ練習が始まった。何かもう始まりはぐだぐだだった。
僕は何でこんなバンドに入ったんだろう?不安になる。
「よし、準備いいよ!」
マイクのコードを繋ぎ終えて瞳が合図する。
瞳が来るまでにチューニングやらの準備を終わらせておいた僕らはその合図と同時に楽器を持ち上げる。
説明するまでも無いだろうが。
僕、ベース。
三ノ宮さん、ギター。
永野さん、ドラム。
そして、瞳がボーカルの位置につく。
「宮野さんはもういきなり演奏に入っても大丈夫かしら?」
僕の隣でギターを持った三ノ宮さんが声をかけてくる。
「うん。細かい所は不十分な所もあるけど一応通せるように練習して置いた」
「ならOPの方を一度通してみましょう」
「了解」
「かしこまるまった!」
「オッケー!」
と、三人が同時に返事をする。
ただし、瞳の返事だけは日本語として意味を成してない。
まー、本気で間違えているわけじゃあるまい。畏まりましたを畏まるまったと間違えて覚える人はいまい。たぶん、咬んだんだろう…………うん、そういうことにしておこう。
「ドラムのカウントからいくよ!」
全員の目線が永野さんへと集まり、
カンっ、カンっ、カンっ、カン
四回のスティックカウントが鳴り響いた後に演奏は開始される。
イントロに激しいドラムロールとギターのライト・ハンド・ハーモニクスの混じったリフから始まるこの曲。
勢いのよくアップテンポの曲だと言える。
ベースはイントロでは落ち着いていて基本的なルート弾き。イントロでは目立たずにギターのハーモニクス を活かすようにして弾くことが大切だろう。
そして、イントロが終わりいよいよ――――。
ボーカルが加わる。
その瞬間、僕は瞳に目をやった。
瞳もどうやらこちらを見ていた。
クスッと、微笑み、どうやらこちらに『さぁ行くよ!』と言ってる様子に見えた。
そして、瞳の口が開いた。普段に会話をしている声とはまた別の声にも聞こえるような綺麗で優しい声だ。僕らの演奏に溶け込むように――――。
ギターは様々な音を出していた。
所々、効果音みたいな者を出すためにエフェクターを踏み変える三ノ宮さん。とても器用だと関心してしまう。
ドラムは8ビート。
永野さんの細い腕からはなかなか想像つかない力強いドラム。
そのリズムに合わせるように僕はベースを鳴らした。
正直、この曲のベースは単純に簡単なものではなかった。コピー楽曲だからスグに演奏できるだろうと思っていたのだけども、それは間違いだった。予想以上にかなりレベルが高い曲だ。
このOPだけでなくEDの曲もそうだった。確かにこの二曲だけの感想を言わせて貰うなら、アニソンはたいしたこと無いなんて、言えたものではない。初心者が簡単に演奏出来るものでは無い。
どちらかと言えば上級者向けの曲になる。
僕らの演奏は進んで行く。演奏は進む。止まらない。
しかし、まだまだぎこちない。
初合わせだから手探り手探りの感じは否めない。
皆、合わせるためにチラッチラッと顔を上げて他の楽器を確認しているのが分かる。
僕なんかまだまだ練習不足過ぎて所々、つっかえてしまう。
だけども――――。
これは――――。
楽しかった。うん。その言葉に尽きると思う。
瞳と目が合う。
瞳は歌いながら笑みを作った。生き生きした笑み。
永野さんとも目が合ったときは『オマケだよ!』と言った感じだったのだろう。アレンジを加えシンバルを叩き手数を多くする。
そして三ノ宮さんと目が合ったときは…………。
何故か顔を赤く染めてスグに顔を叛けられる。どうやら三ノ宮さんには嫌われているようだ。
しかし、それなら演奏では嫌われないように頑張らないといけない。
初スタジオの初合わせ。
こんなにも楽しい練習が出来るなんて久しぶりだった。
たかがスタジオ練習がこんなにも楽しく感じてしまう。
僕はその時点でわくわくが止まらなかった。
***
メトロ☆ぽっぷの初スタジオが終了して僕らは4人で喫茶店へとやってきた。
新しいバンドでの活動だが結局やっていることは前と変わっていない。
スタジオ練習の後に喫茶店で休憩。これはもしかしたら何処のバンドでも同じことなんだろうか。
勿論、僕らが座ったのは奥のテーブル。
いつもは三人で座るテーブルを四人で座るのは新鮮だった。ただでさえ狭い空間なのにより狭くなった気がする。
ちなみに僕の右側に三ノ宮さん、左側に永野さん、正面に瞳の陣形だ。
「何か頼みますかい?」
気さくに、そう訪ねたのは永野さん。
「あ、ならコーヒーを」
毎回のようにコーヒーを頼む。今思ったら、僕はこの喫茶店でコーヒー以外のものを頼んだことが無いような気がする。
「コーヒーだけですか?せっかくお昼時なんですから何か他にも頼めばいいのに」
確かに昼食にするのにはちょうどいい時間だった。
「皆、何か食べるのか?」と僕。
他三名の注文を様子見ることにする。
「私はパスタ!日本人の主食と言ったらパスタですよ!」と瞳。
そっか、お前はもう米を食うな!と言ってやりたい台詞だった。
「なら私はエビピラフを」
「あ、ボクも同じので」
と、女性方三名は普通にここで昼食を済ませる感じみたいだった。
「なら、僕も何か食べようかな」
と、メニューを眺める。
しかし、いつも決まってコーヒーしか頼まないからいざこうやってメニューを見てみると迷ってしまう。そしてこの喫茶店が以外とメニューの種類が多いことに気付いた。
喫茶店の定番的なメニューのパスタの種類も多いし、チャーハンやピラフなど結構種類が揃っている。しかも、中には塩カルビ丼とか鍋焼きうどんなどの喫茶店にそぐわない感じがするメニューも存在している。
しまいには、これだ―――『卵かけご飯』。度肝を抜かれた。ここは定食屋かと突っ込みたくなる。ちなみに値段は百五十円。
「あ、なら僕もエビピラフで――――」と、決めるのが面倒くさいので三ノ宮さんたちのメニューと同じものを選ぶ。
すると、
「なっ!浜登君、裏切りですか!」
また瞳が訳の分からないことを言い始めたので、はあ、と溜息をついた。
「僕がいつお前の仲間になった」
「えっ?その台詞も可笑しくないですか?普通、『僕がいつお前を裏切った…………俺はお前だけは裏切って無いぜ、いつもお前の味方だよ。キラン』って感じの台詞を吐くところでしょう」
「うるさいな」
「うるさいってなんですか!」
うるさいはうるさいだ。言ったままの意味である。
「で、今度は一体何だ」
「一体何だって台詞はこっちの台詞ですよ!何やってるんですか?何でなっちゃん達と同じメニューにしれーっとしてるんですか?」
「何でって、同じだと悪いのか?」
「悪いですよ。チョー悪いです!浜登君もなっちゃんたちと同じメニューにしたら私が一人だけ別メニューになっちゃうじゃないですか?」
「それがどうした」
「それがどうした?信じられません!それが正常の人が言う台詞でしょうか?いいえ、違いますね。違います。浜登君は可笑しいです。狂ってます。悪魔です!」
僕にはコイツが何をどうしたいのかが分からない。
「何で私が一人パスタなんか食べないといけないんですか!?意味が分かりません!浜登君が一人で悲しくパスタ食べてればいいじゃないですか!私はエビピラフを食べます!」
「おい、日本人の主食は何だったんだ?」
「浜登君は馬鹿ですか?勿論米に決まってます!」
「……もう勝手にしろよ」
僕は最終的には投げ捨てた感じになった。ついていけない。
そんな様子を永野さんは引き笑いで見守り、三ノ宮さんはというと…………うん、特に気にした様子を見せずに座っていた。
結局、僕はパスタ。キノコの入った和風パスタを食べ、他の三人がエビピラフを食べることになった。
何だかんだでキノコの和風パスタはレベルが高かった。そこら辺のパスタ屋のパスタとタメはれるぐらいに完成度の高い味である。そんな感想を口にするとまた瞳に何やら変なこと言われそうで面倒臭いので口にはしないが。
「そういえば永野さんって何でドラムを始めたの?」
ふと疑問に思ったことを口にしてみた。
「ん?何でといいますと?」
永野さんは食べていた手を止めて対応してくれる。
「いや、女性のドラマーはやっぱり珍しいからね。何か理由があったのかなって思って」
女性のドラマー人口は増えつつあると言ってもやはりギタリストやベーシストほど多くない。何か理由があってドラムを始めたのかと思ってしまう。
「確かにドラムやってる女性の人は少ないよね。ボクがドラムを始めた理由ね―――」
と腕を組んで考えている。
「これは理由と言っていいのか分からないけど、しいて言うならドラムが一番私に合っていたからかな」
「ドラムが一番合っていた――――というと?」
「特に深い意味は無いよー」と、にっこりと笑い。
「何か楽器をやりたいと思ってボクも最初はギターを初めてみたんだ」
意外な答えが返ってくる。彼女は以前はギタリストだったようだ。
しかし、既に無邪気にドラムを叩く姿を観てしまった後では、彼女のギタリスト像は浮かんでこない。
先入観というものはやはり強力だ。
「だけどギターの細々した手の動きってイライラするでしょう?だから次はベースを弾いてみてコレもまた同じ理由で向いて無いって分かって、最後にドラムって感じだったかな」
「沢山チャレンジしてみたって訳だな」
「ん?チャレンジというか適正検査みたいな感じだよ。一応全ての楽器を一通りやってみないとどれが本当に自分にとって一番合ってる楽器か分からないでしょう?だから全て試してみたの」
「なるほど――――」
ドラムがやりたいって思ってドラムを始めたというよりは何かやりたいと思って始めたら一番しっくりきたのがドラムだったといった感じだろう。
「まあ、ドラムを叩くのは楽しいし、気持ちがいいからね。だからドラマーになったんだろうね」
笑顔の永野さんはとても爽やかだ。
「そうそう、四季ぽんがドラムを叩いてるのを見るとこっちまで楽しくなってくるんだよね」と瞳。
「確かに同意見ですね。四季ちゃんのドラムは非常に優れてますからね。頼りになります」
そして三ノ宮さんもそう評価した。
「嫌だな、みんな。照れるじゃないか」
永野さんの笑みは次第に照れ笑いに変わる。
「照れてる四季ぽん、可愛いな」と瞳。
「いやいや瞳んはいつでもキューティクルで可愛いぞ」
「四季……ぽん……(ぽっと頬を赤らめる)」
「瞳―――……(ぎゅっと手を取り合う)」
「―――お前ら何してるんだ?」
手を握り合い、見つめ合う少女たちの図柄。
異様だ。
僕は呆れてなにも言えない。……ま、突っ込んだけど。
「しかし、三人とも仲がいいんだな」
「うん!」
「そりゃあ勿論!」
「そうですね」
三人とも同じような返事をする。
この三人、本当に仲が良いなと思う。バンドによって仲が良いバンドと仲があまり良くないバンドはやはり存在するものだ。一緒に楽器を演奏するからには仲が良いことは凄く大切なことであると思う。
僕、イガさん、桜も彼女たちと同じくらい仲の良いバンドに見えるだろうか?
ふと、そう考えていると。
「でもこれからは四人だよ」
そう言ったのは瞳。
「四人で楽しくバンドやっていこうね」
屈託の無い笑顔で瞳は言った。
「そうだよ!宮野さんももうメトロ☆ぽっぷの仲間になったんだしね」
「バンド内の統率を乱さないで下さいね」
永野さん、三ノ宮さんも続けて言った。
そうだ。
僕も既にこのメンバーの一員なんだ。そう再確認する。
「うん、頑張ろう」と僕。
「へへっ、なら改めて――――」
「「「「よろしくお願いします!」」」」
四人の声が重なった。