表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

視線が怖い

作者: 東堂柳

 電車の中というのは、俺の最も苦手な場所の1つだ。しかし、生きるためには仕事をしなければならないし、仕事をするためには電車に乗って仕事場へ行かなければならない。車でもいいが都心では混雑がひどく、予定が狂ってしまうので、やむなく電車を使うしかないのだ。

 金が貯まったら、こんな仕事早く辞めて、田舎へ帰って農業でも始めたい。今はそう思ってる。しかし、今の給料では、そんなことはいつになるのやら。まだまだこの辛い生活が続きそうだ。


 最寄りの駅から、電車に乗り込む。既に車内は満員で、冷房はついているものの、ほとんど意味がない。もう入るスペースなどないのに、あとからあとから続々と人がなだれ込んでくる。そのせいで妙な体勢のままドアが閉まり、電車が走り出した。この狭い空間に、異常なまでの人口密度。身体がぶつかるどころか、押し付けられている。息が詰まる。だがそれだけが苦手というわけではない。

 視線だ。

 周りの視線が気になるのだ。俺を見るその視線が、鋭く突き刺さっている。そんな気がしてならないのだ。四方八方から冷たい視線が集中し、俺の心を押し潰す。徐々に息が上がり、呼吸が荒くなる。視線を気にして目線を逸らすと、他の視線とぶつかる。それを繰り返し、あたりをきょろきょろと見回していると、さらに多くの注目を集めてしまう。明らかに挙動不審なのはわかってはいるが、どうしても耐えられないのだ。吐き気が込み上げてくる。

 気にするな。視線なんて気にすることはない。

 自分にそう言い聞かせ、目をつぶって頭を振る。自分に降り注ぐ視線を振り払うように。だが、その代わりに俺の脳裏にいつかの嫌な記憶が蘇ってきた。


 満員電車で突如掴まれた左腕。

「この人、痴漢です!」

 女性のヒステリックな声。人が多すぎて逃げようにも逃げられず、俺へ車内の全視線が集まる。

 カメラのシャッター音。ひそひそと話し合う声。

 

 その全てが忌々しい記憶で、俺はどんどん気分が悪くなっていった。

 心臓の鼓動が早まり、頭が回る。眩暈。目の前が歪んでいく。

 近くの携帯を使っている人間が、掲示板に俺のことを書き込んでいるのではないか。

 ドアの近くで話している2人組が、俺の悪口を話しているのではないか。

「何あの人、気持ち悪っ」

「あっち行ってくれないかな」

 そう聴こえたような気がする。幻聴なのか、現実なのか、俺にはもう分からない。

 もう限界だった。パニックになってしまう。自分を抑えることができない。

 その時、電車が目的の駅に到着した。

 俺はホッとして、急いで電車を降りる。ホームで息を整え、どうにか落ち着いたところで会社へ向かう。もうこんな生活、これ以上続けたくなんてなかった。


 結局この日は体調が優れず、早退することになった。

 電車の中はかなり空いていて、朝や夕方とは大違いだ。席が空いていたのでそこに腰かける。

 これなら大丈夫だ。

 そう思ったが、前の席に座っている男の視線が気になった。どうも俺のことを見ている気がするのだ。

 俺はこのままこの視線に屈したくなかった。もう、こんな苦しみを味わいたくなかった。俺は勇気を振り絞り、男の顔を見返した。

 すると、どうだろう。さっきまでの鋭い眼光は、途端に勢いをなくし、男はきまりが悪くなったのか、怯えたように視線を宙に泳がせて辺りを見回し、そのまま携帯を取り出して下を向いた。

 予想外にうまく視線が外れた。

 俺は今度はドアの近くに立ってこっちを見ている男のほうを向くと、やはりその男も同じような行動をして、視線をそらした。

 

 俺だけではなかったのだ。みな、怯えているのだ。視線に。

 いったい何をそんなに怯えているのだろう。少し肩の荷が降りた。そんな気がする。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ