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歴史・時代小説

『李応』

 天水郡の李応、性格は竹を割ったようにさっぱりとしている若者で、ちょいと武芸自慢の気質あり。近く都で武官試験が行われると聞いて、早速馬を駆って都へ上り庁舎を訪ねるも四、五日待てとのお達し。

 さて、思いがけなく四、五日の暇を得た李応、宿に篭って寝転がっているだけでは時間を潰すに十分でない。何も言わずに宿を抜け出し、都城の辻々を覗いては気が向けば散策、酒を買っては風光をめでつつのらりくらりと歩き回る。程なくして老樹の足元に座り込み天を仰ぐと、空の青さを節くれ立った幹と枝が支えているように見える。なんとも大きな気持ちになり、途端に眠気が襲って一刻程居眠りし、起きては酒瓶が空だと知ると、酒を求めてふらふらと歩き出した。火照った身体の傍らを風が通り過ぎ、どうにも心地良い。

 李応が良い気分で酒店の前を通りかかると、道の端で老人がおいおいと泣いている。李応はどうにも居た堪れず、老人に声を掛ける。

「ご老人、どうしてあんたはそんな風に泣いているんだ?」

 老人は振り返って李応を見るも、涙でろくに前も見えない様子。藁にもすがる気持ちであろうか、李応に事の次第を話すのであった。

「てまえ、とある旦那から金を借りておりまして、その金が積もりに積もって百両となってしまったのです。この歳ですから稼ぎも多くはないので、返せる時に少しずつ返していたのですが、近頃になって旦那はてまえに早く返せとせっついてくるのです。返すあてもなく、もう少し待ってくれと言ったのですが、ならばお前の持っている玉の飾り物を寄越せと言うのです。この玉の飾り物はてまえの爺様が功を立てて殿様から頂いた家宝。手放すわけにはいかないのです。そういうことでてまえはどうしてよいか分からず、ただただ泣くばかりなのです」

 李応は、そう聞くと老人に一つ訊ねる。

「借りた金は返さねぇ方が悪い。あんたに落度があるんじゃねぇのか?」

 すると老人は答える。

「てまえが借りた金は銀五両だけなのですが、利息が三年で百二十両。少しずつ返した金を差っ引いても、まだ百両も残っているという次第なのです」

「なに!? 利息が三年で百二十両だと!? 元金は銀五両だというのにか!?」

「へい、てまえもそれで困っているのです」

 元金がたったの五両だというのに、その利息が三年で百二十両とは高すぎる。李応は皮袋に手を突っ込んで銭を探るも、合わせて一両にも満たない。ほら持って行け、と気っ風の良さを見せることもできようはずがない。

「ご老人、あんたには親戚はいないのか?」

「へい、襄の街に息子が住んでおります」

「だったら借金なんてうっちゃって、襄の街まで逃げちまえばいいじゃねぇか」

「それができないのです。銀五両を借りる時、これも爺様が殿様から頂いた宝刀を担保に供したものですから、その宝刀を残して逃げるわけにはいかんのです」

「利息を百二十両も取っておいて、まだ担保を入れさせたってのか!? おのれ、なんて強欲な野郎だ!」

 李応は老人の言を聞き、かかる悪徳高利貸しの所業に憤慨した。

「どうか御人、この老いぼれのためにお執り成しくださいませ」

 と、老人は李応の裾にすがりつき、またもやおいおいと泣き始めた。

「うむぅ、しょうがねぇ、俺がなんとかしてやるから泣くのはやめな」

 李応が言うと、老人はホッとして袖で目元を拭い、漸く視界も涙で滲まなくなったようで李応の方を見たのだが、李応の風貌が若い荒くれ者と分かると少し落胆したようであった。泣きつく相手を違えてしまったかもしれない、という表情をしていた。併し、李応は心中悪徳高利貸しに怒り心頭。李応が言う。

「その金を借りた旦那ってのは何という名前だ?」

 老人、

「へい、てまえが金を借りたのは劉邦という旦那です」

 と、一際高い塀を持つ屋敷を指して答えた。


 夜。李応は誰しもが寝静まる頃合を見計らい、宿を出て暗闇の中を駆け、劉邦の屋敷の傍へやって来た。物陰に身を潜め、周囲を暫し窺った後、人の気配なしと見て取るや塀に近寄り、袋から自在縄を取り出して塀の上に放り投げる。鉄鉤が引っ掛かり、一つ二つと引っ張って外れないことを確かめると、そのまま自在縄をよじ登って塀に上り、身を伏せて屋敷の中を見渡す。こちらも人の気配なしと見て取るや、鉄鉤を塀の外側に引っ掛け直し、するすると自在縄を伝って下りる。鉄鉤を外して自在縄ともども袋に収めると、抜き足さし足、音も立てず歩く妙技。やがて灯の漏れる部屋を見付けると、身を屈めて窓の下に張り付いた。

 聞こえてきたのは女の声。

「あんた、今日は随分と機嫌がいいじゃないのさ」

「はは、そりゃあ今日は儲かったからな、機嫌がいいのも当然というものだ」

「どうやって儲けたんだい?」

「ほら、この前に韓信どもが趙のじじいの所から奪ってきた娘がいただろう?」

「いたね。あたしはああいう器量のいい娘は嫌いだよ。あんたまさか手を付けたんじゃないだろうね?」

「そんなことをするわけがないだろう。万一手でも付けようものならお前にくびり殺されてしまうよ。でもね、今回はその器量のよさで儲かった。お偉いさんが四百両で買っていったんだ。ほら、そこにある葛篭の中身がその金さ」

 悪い奴は悪いことをする。高利貸しでも飽き足らず、借金の形で奪ってきた娘を売って金を儲けようとは非道にも程がある。李応、ますます劉邦を懲らしめてやらなければ気が済まない。

「こういう日は酒が欲しいものだな。呂稚や、酒を取ってきてくれないか?」

「そうね、だったらあたしも一緒に飲ませてもらおうかしら」

 と、女は酒を取りに行くのか、部屋を出て行った。

 李応は部屋の中をチラリと覗く。燭台が部屋の入口と窓際に一つずつ置かれている。窓際の燭台は李応の位置から手の届く距離にある。李応、入口の側に回り、劉邦に気付かれないように注意しつつ、サッと燭台の灯を消す。劉邦は、おや、灯が消えてしまったか、と入口の燭台を見るも、その時には李応、早くも窓の下に戻っており、フッと一息で窓際の灯を消すと、部屋はもはや暗闇。

「おい呂稚、火を持って来てくれないか?」

 劉邦は灯が消えてしまったために火を求めて部屋を出て行った。呂稚や、呂稚や、の声も徐々に小さくなっていく。李応は部屋の中に入り込み、葛篭の中身を確かめると、袋が四つ収められている。袋一つで百両といったところ、李応は袋を一つ取り出して、後はそのままにして葛篭を元通りにすると、部屋を抜け出して塀際まで音もなく走る。袋を適当な中木の枝に引っ掛け、さて老人の宝刀はどこにあるのか、と思案する。再び屋敷のあちこちを探し回るも、蔵の数が多いために逆に見当がつかない。屋敷の角を曲がろうかという時、人の気配を感じると、ヒラリと飛んで屋根に上り、身を伏せて庇の陰に隠れる。人の気配は男二人。堂々とした体格からして、用心棒ではないかと思われた。

「劉邦の旦那は今日も四百両の大儲けだ。少しは俺たちの給金も弾んでもらいたいものだな」

「はは、そうは言っても韓信の兄御、俺たちはそっから金をもらってるんですから同じことですぜ」

「彭越よ、今日売った娘だって俺たちが脅して奪ってきたのだぞ? 俺たちの手柄があってこそなのだから、特別に金をくれたところで罰は当たるまいよ」

「兄御、もっと金をくれってのは尤もですが、そういうことは言いっこなしですぜ」

 と、彭越は去って行った。残された韓信、内心不貞腐れている様子。この韓信という男、どうやら主である劉邦に不満があるらしい。彭越が去っても猶、韓信はその場に留まっている。李応が音もなく地に下りると、人の気配を肌で感じた韓信は、こちらも音を立てぬよう、やおら刀を抜いて身構える。併し、それも遅しといった態で李応は韓信に拳を一発食らわせ、地に倒して取り押さえると、韓信の刀を奪って韓信の首筋に刃を当てる。

「大声を出すんじゃねぇぞ? 大声を出せば次の瞬間には首と身体が別々なんてことになるからよ」

 韓信、突然のことに恐々として身体を強張らせ、李応に言われた通り大声を出さずにいる。李応、

「今から俺が訊くことに答えろ」

「わ、分かった」

「あんたのとこの旦那が金を貸した時に担保を取ってるだろう? それはどこに保管してあるんだ?」

「そ、それは目の前にある……そこの蔵に保管してある。金目のものは全部そこの蔵に入っている」

「鍵はどこにある?」

「鍵は旦那の奥方の部屋だ」

 訊くべきことを訊き出した李応。さて韓信を始末して事に取り掛かろうかと思う中、かかる韓信の悪心を利用してやろうと思い付く。

「俺が一人でやるには手間が掛かる。なあ、あんた、俺と手を組む気はないか? あんたはこの屋敷のことをよく心得てるんだろ?」

 すると韓信、願ってもないことと二つ返事で承諾。早速韓信は奥方の部屋に忍び込み、蔵の鍵を盗み出して李応に手渡す。蔵を開けて中を見るも、李応にはどこに件の宝刀が収められているか見当もつかない。李応、韓信にかくかくしかじかと宝刀の在り処を聞き出すと、葛篭の中身を検めて宝刀を取り出して懐に収める。

「俺は外で見張っている。韓さんは好きなものを物色してくれ」

「むぅ、かたじけない」

 李応は蔵から出ると、見張りをするでもなく蔵を離れる。枝に引っ掛けておいた袋を回収し、忍び込んだ時と同様、自在縄を使って塀を越え、そのまま劉邦の屋敷を後にしたのであった。

 韓信、宝物を袋に詰め込み蔵を出るも、李応の姿が見付からない。不審に思うも、まあよいわ、と思いつつどこぞへと消えて行った。

 それから一刻程経って、彭越が夜回りで蔵の前まで来ると、蔵は誰かに開けられた跡がある。賊に入られた! と驚き、相方である韓信を探すも見付からない。

 ――さては韓信の兄御が賊ということか。そうだとすると、俺にも火の粉が降りかかるやもしれん――

 身に危険を感じた彭越、劉邦が今日儲けた四百両の金を盗んで逃げてしまおうと思い、劉邦の部屋へと忍び込む。葛篭を開けると袋は三つ。一つ足りないと不思議に思うも、懐に三つねじ込んで、葛篭はそのままにして部屋を抜け出すと、これまたどこぞへと消えて行った。

 朝。劉邦が目覚め、寝室から部屋へやって来ると、葛篭は開けられて空の中身が覗いている。

「しまった! 賊に盗まれた!」

 と大声を上げると、今度は呂稚が騒々しく部屋へ入って来る。

「あんた! 蔵が開けられて中身が盗られちまったよ!」

「なんだと!? 蔵の中身まで盗まれただと!?」

 劉邦、蔵まで行くと、荒らされた中身を見て愕然とする。韓信はどこだ、彭越はどこだ、と用心棒の名を呼ぶも、返事はどこからも聞こえない。

 ――盗んで行ったのは韓信と彭越か! おのれ、恩を仇で返しおって!――

 劉邦はしょうことなく、ただ悔しがるばかりであった。


 昼。李応は老人と共に茶楼に行き、二階に上がると別々の席に座った。給仕が李応に注文を取ろうとするも、李応は、あとで注文する、と言って給仕を追い返す。暫くすると、階下より劉邦が来て、老人の前に座るやいなや、早速金の催促を始めるのであった。

「さあ、早く金を返してくれ。こちらもよんどころない事情で金に困っているのでな」

 と劉邦。

――盗人が入って金を持って行っちまったんだ。そりゃ金に困るだろうよ――

李応、内心で嘲笑う。併し、金に困る劉邦は執拗に老人を急き立てる。そこで李応、すくっと立って老人と劉邦に歩み寄る。

「あんたたち、一体どうしたっていうんだい?」

 と李応が訊ねると、劉邦はかかる老人に金を貸し、その金額は銀百両になっていると答える。そこですかさず老人が窮状を訴えると、李応は懐から袋を出して机に置く。

「だったらその借金は俺が肩代わりしてやろう。この袋の中に百両入っているから確かめてくれ」

「それはありがたいことですが、あなた様は一体どういうお方で?」

 と老人。

「俺は安京の玉商人の使いでな。旦那の命で大黄河の上流まで玉を捜しに行く途中なのだ。うちの旦那は元より道楽でやっているようなもの。玉よりも、人助けの一つでも土産話で持ち帰った方が喜ぶようなお人なのだ。だからご老人、気にする必要はないよ」

 と、少々台詞めいた口調で李応が言う。劉邦、どうにも胡散臭さを感じつつも、金を払ってくれるなら文句は言わぬといった態で袋を受け取ろうとする。そこで李応、さっと袋を引いて劉邦に訊ねる。

「ところで、この借金は担保があるのかい? 俺がご老人の代わりに払う以上、ご老人への求償権と共に担保もこちらに移してもらわないと困るんだがね」

 すると劉邦はギクリとして、バツが悪そうに黙ってしまう。担保に供された宝刀は、昨夜李応が盗み出しているのだから劉邦の手元にあるはずもない。劉邦が担保を返せないことを分かっていつつ、敢えて訊ねる嫌らしさ。

「どうしたんだい、劉邦さん? 担保はあるのかい?」

「いや、その、実は担保に供してもらった宝刀なのですが、盗賊に盗まれてしまったためにお返しすることができないのです」

 と劉邦が答えると、李応はすかさず声を荒げて言い返す。

「つまり担保は返せないと言うのですか!? 担保とは質、金を返したら質草を返すのが道理というものだ! 盗賊に盗まれたのはあなたの責任なのだから、きっちり代償を支払ってもらわないと困る!」

 李応は苛立たしげに椅子に座ると、袋に手を入れ、中から銀を取り出して数え始める。二十五両。確と数えると、残りを劉邦に突き付ける。

「代償は二十五両でよろしかろう」

 劉邦、取り分が減ってしまったものの、それでも七十五両も儲けられたのだから良しとする算段。たった五両の金で七十五両も手に入ったのであれば十分だ、とは胸の内。袋を懐に収めると、席を立って帰っていった。

 老人、安堵して李応に礼を述べる。李応は宝刀を取り出すと老人に手渡し、

「これでご老人は自由の身だ。さっさと息子のところに帰って達者に暮らしな」

 と声を掛け、劉邦からせしめた二十五両を路銀として与えた。老人は何度も頭を下げ、礼を述べるのであった。老人を店先まで送り出すと、一息つくために二階へ上がる。すると給仕が飛んで来て注文を取ろうとする。あれだけ気前の良いお人なのだから、大層高価な茶を注文してくれることだろう、というのが給仕の考え。

「ご注文は?」

 と給仕が訊ねる。李応は、うむ、と一つ頷いた後にこう答えるのであった。

「一番安い茶を頼む」と。


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[良い点] テンポが良くてね、 どんどん読めた。 猛烈に感動したって 程じゃ無いけど、 読み終わってから 気持ち良かった。 「一番安い茶を頼む。」 かっけー!!!! (笑) [一言] 又…
[一言] 軽妙な文章と実在の人物を織り交ぜたストーリーは読んでいて楽しくなります。おそらく文章はかなり勉強されていることと思います。敬服します。 ストーリーの方は実在の人物を登場させると、どうしても既…
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