四枚目
とんでもない大きな問題を抱えていると笑えてくる。
6時間目、僕は生物の授業を受けていた。僕のいる四組は文系クラスなので理科については不真面目な生徒が多い。まぁそれにしても授業を真面目に受けている生徒や先生にしたら非常に好ましくない環境ではあるのだろうけれど。
そんな理科クラスも今日は『実験』という事で比較的騒がしい。その騒がしい中僕は先生の言葉に戦慄する。
「今日は休みも居ないみたいだし……じゃあ、誰かとペアになって実験を始めてくれー」
ヤバイ……。「ペアになってくれ」先生はこの言葉の恐ろしさを知らないらしい。この教室におよそ僕の友達と呼べる人間は居ない。つまりこの状況は非常にまずい。
そうしてペアがどんどんできていく中僕はどうしようかと思い、辺りを見まわしていると後ろの席から声がした。
「あの、よろしければ私とペア組んでいただけませんか」
御乃辻沙矢、転校したてのセーラーガール。ツヤのある綺麗な黒髪と透き通るような白い肌。声質のせいか、家柄なのかは分からないが非常に大人びている様に感じる。ましかとは大違いだ。
「ああ、いいよ。ペア組もう。よろしく」
「はい、ありがとうございます。では私は実験道具一式持ってきますね。ふふふっ」
僕は変な期待なんかしていないぞ。知らない女子に声をかけられたくらいで僕が動揺すると思うなよ! さぁて、ちゃっちゃと『実験』なんて終わらせて彼女を解放してやるとしよ……。
グチャ……。と、僕の目の前に目玉が置かれた。そうか……。今日の『実験』って……。
「さぁ、やりましょうか。私、目の『解剖』は初めてなので……楽しみです」
ふふふっ。と笑った御乃辻はまるで十年来の親友に向けるもののように朗らかで暖かかったが、僕はそれに応えずフリーズしてしまった。首を傾げた御乃辻と今まさに解剖されんとする豚の目が僕を不思議そうに見つめていた。
6時間目、地獄の解剖を終わらせーー結局僕のやる分まで御乃辻がやってくれたのが事実だがーー担当の場所を掃除し、ホームルームをしてようやく僕は学校という名の監獄から仮釈放されるのだが、今日はすぐに釈放とはいかなかった。
そろそろ看守が迎えにあがるんではないだろうか。
「おいっすー! はっちーん! ではでは行きましょうぞ! 馳せ参じようではないですか!」
「おい! まだ僕何も聞いてないんだけど」
「ついてくりゃあーわかるのだよ。ハッチ」
ふんふーん、と鼻歌を歌いながら(何故バックトゥザフューチャーのテーマソングなのだろうか)ましかは僕達の教室のある棟から特別棟に向かって歩いていった。
この特別棟は通称、北棟と呼ばれ、先程僕が華麗にフリーズを決めた理科室や音楽室、多目的室などがあり、移動教室の為に使われる教室が沢山ある。
「で? この辺で部活選びってことは文化系だよな? どこの部にする予定なんだよ。ピアノは弾けないし、理科も苦手、お茶もたてられない僕に出来る部活なんてないと思うんだけど」
「んっへへへー。ましかちゃんはそんな事は百も二百も承知の助なんだよぉ。だからこそ、ハッチにお似合いのこの部活を選んだんだよ! たのもー!」
ましかはガラガラと横引きのドアを勢いよく開き小さな躰で大きな一歩を踏み出した。僕は教室の入り口プレートを見てひとり頷いた。
「なるほど、調理室……ね」
中に入ると調理室の入り口から一番遠い窓際の角席に腰掛け文庫本を片手で読んでいる女の子が居た。
彼女はジロとこちらを睨んだかと思うと小説をパタンと閉じ、ツカツカと僕たちに歩み寄ってきた。身長は女子平均くらいか? 157㎝くらいか、概算だけど。ショートヘアーだが前髪だけは長い。一瞬美男子が登場したのかと思ったがスカートを履いていたので女の子だと理解できた。さらに驚くべきは夏だというのにこの娘、スカートの下に長ジャージ履いてやがる。女の子のくせにスカートの本来の使い方を知らないのか?
「やあ、こんにちは。上履きの色から察するに……先輩だな。っはは。ようこそ料理研究部へ。精一杯歓迎しようではないか」
先輩に対してハキハキと物怖じしないそのしゃべり方は何か中世ヨーロッパ的なモノを感じざるを得ない。印象的にはナポレオンだな。
「うーむ……しかし女の子の方は小さすぎるよな。こんな高校生いるはずがないな。うむ。わかったぞ。おじょーちゃんどうちたんでちゅかー? まいごでちゅかー?」
ガシガシとましかの頭を撫でるナポレオンはスイッチが切り替わったように少女を心の底から愛でている。
少女を愛するナポレオンか。世が世じゃなくても警察が動きそうだが。
「むきゅーん!! ましかちゃんはこどもじゃぁないんだよー!立派で立派な高校2年生なのだぁ! 宣戦布告なの? こうなの? そうなの? ああなの? どうなの!? ましかちゃんが背が低いのは折りたたんでるからなの! 折りたたまなければもっと身長あるし、実は床と靴を突き抜けて足があるの! わかったのかぁ! 一年の美男子ー!」
やかましく、かしましく、そして逞しく捲し立てるましか。ナポレオンの方も少々引き気味に後ずさりしている。仕方ない、フォローしてやろう。話が進まない。
「女の子は小さい方が可愛いんだから、そう怒るなよましか。ここで怒ってるだけだったら本末転倒だ。さっさと入部届けだして、部に入れてもらおうぜ。」
「むー。ハッチがそういうなら我慢してみちゃおうかなぁ……。ん、はいこれ。入部したいんだけどー」
そう言って2枚の入部届けを差し出すましか。スカートジャージのナポレオンはそれを受け取ると表情を曇らせた。
「ええと、入部するのはいいのだけれど、先輩方、ええと……」
「あっ、あたしは菓子増ましかね! こっちにいるのはハッチだよ。よろしくー」
「よろしく」
僕も短く挨拶をする。それよりましかはもうさっきの小さい子扱いされたことを忘れているのだろうか。笑顔で話している。
「ああ、すまないな。私は漢字が苦手なのでな。申し遅れてすまない私は局 切子だ。よろしく。と言いたいのだがこの部活はあと一週間で廃部になるのだ」
っははは、と。彼女はシニカルな笑みを浮かべながら言った。
「私が原因でな」