三十八枚目
「誰だ、あの子」
僕は当然のように聞く。
ましかに、
しかし、ましかは話さない。
「たっははははははは。君は何も知らないんだぁね。菓子増の幼馴染」
笑われた。
地声は低いが、笑うとやはり女の子だとわかる。
いや、何より、スカートを履いているから、どう検討しても女子なのだけれど。
「ようし、菓子増の幼馴染。こうして話すのは初めてになるかな」
「よっ」と、彼女は手すりから飛び降り、後ろ手でスカートのほこりを払った。
「あっしは黄巻真希、菓子増と同じクラスの優等生だぁよ」
「……よろしく」
自分で優等生とか言っている。
なんだ、この痛い感じ。
ようやく眼が慣れてきたようで、彼女の全体像が露わになる。背が高く、夏だと言うのに紺色の長袖セーターを着込んでいる。袖が長く、その先には指がチラッと見えるだけだった。
夕陽をバックに映える寝癖がなんとも--
……って、寝癖!?
「んんんん? ああ、あっしの髪型ねぇ。寝て起きたらボッサボサになるだろう?」
「普通な……」
「普通の女子は直すだぁね?」
「普通な……」
「あっしは直さないからこうなんだぁね!」
「直せよっ!」
我慢できませんでした。ツッコんじゃいました。
さらに彼女は堂々と言う。
「朝は時間が無いだぁね!」
「生活リズムから直していけ!」
「いやぁ、たははははは」
「いや、褒めてないし!」
彼女はニヤリと笑いながら続ける。
「たはは。別にあっしがどんな髪型でも、菓子増の幼馴染は困らないだぁね」
「確かに、そうだけれど……寝癖は--」
「新しい萌え要素だぁね! 今のご時世、阿保毛なんかが萌え要素として語られているだぁね。あれと同じだぁね」
「ん? そんな風潮ないでしょう」
「馬鹿だぁね、菓子増の幼馴染。ドラゴンボールにいるだぁないか。ほら、あの体の大半が緑の--」
「ピッコロ様を舐めんなァア!」
あれは決して阿保毛では無い! 断じて、無い!
なんだか、この人嫌だ。
ものすごい疲れそう。
ツッコミ疲れ? そんな感じ。
「ところでさ、菓子増」
と、彼女は階段の上からましかを見下ろしながら言う。
「例の件はどうなったのさ。夏休みはもうすぐそこだぁよ」
「…………」
言葉なく、ましかは俯いた。
「んんんん? どうした、菓子増。可愛い顔が見えないだぁよ?」
そして彼女は「たはは」と短く笑って続けた。
「つれないだぁね。菓子増。菓子増ましか。あっし達ぁ、イイ友達でしょうが。何故にそんな顔をするのだぁね。もしかして、嫌われているのかね? 何故だろうね。たははは。いやぁ、笑えない。笑えないだぁね。たっはははははは!」
「あの……」
「あん? どうしただぁね。菓子増の幼馴染」
「ええと、黄巻……さん」
「マキマキでいいだぁよ」
「……マキマキさん。少しいいですか?」
と、僕は切り出した。
もう、この時点で僕は警戒レベルを最大にまで上げ、細心の注意を払ってマキマキさんに言った。
「ええと……『キマキマキ』って、どのような字を--」
「たっははは! 赤青黄色の「黄」に、舌を巻くの「巻」、「真」実の「希」望で黄巻真希だぁよ」
やはりか。
こんなにも早く出会ってしまうとは……。
彼女は--
「たーっははは! そんな回りくどくしなくても、『風紀委員ですか?』って訊けばいいだぁないか。んんんん? 菓子増の幼馴染」
「……そう、なんですか?」
「んんんん? ああ、そうだぁよ。『弱肉強食』黄巻真希たぁ、あっしの事だぁよ。なぁ? 菓子増」
風紀委員の一人。
黄巻真希。
彼女は、ましかを突き刺すように、見下した。にいっと笑った彼女の顔に、僕は戦慄するより他に無かった。
教室に忘れ物を取りに行き、帰り道。ましかは黙ったままだった。
僕から何か話を振っても良かったのだが、まぁ、黙っていた。
しかし、黄巻真希。
『黄』を名に持つ、風紀委員……
『弱肉強食』と彼女は言った。
それが何を意味するか--
分からない。
先生は確か、目を付けられない様に気を付けろって話だったような……。話半分にしか聞いていなかった事が悔やまれるな。
いや、そもそも、僕らはたまたま、マキマキさんに出会っただけなのだろうか。まさか、見張られているんじゃないのか……。
いや、それは無いだろう。
だって、そうだろ。
彼女はましかのクラスメイトと言ったのだ。クラスメイトの奴がたまたまましかに出逢い、お話をしただけじゃあないか。
しかし--
「………………」
「……ハッチ、どこ行くの?」
僕はましかに呼び止められ、振り向いた。
ましかは唖然として立っていた。
気が付くと、僕は自分の家を通り過ぎていた。なんて事だ。こんなにも愛おしい我が家が、目に映っていなかったとは……。
「じゃあね。ハッチ」
また明日。
と、いつになくしおらしく……
というより、淋しそうに、ましかは言った。
僕は無言で右手を上げ、ましかの挨拶に応えた。そして愛しい我が家の玄関に正対し、ノブを引こうとした。
瞬間……
「ハッチ! また、明日! 部活で、ね!」
歯切れの悪いましかの言葉に「ああ、また明日な」とだけ言って、僕はましかに手を振った。