三十五枚目
「うああ! どーしたの!? ハッチ、その顔!」
菓子増ましかが慌ただしく、僕の傷に反応する。主に、顔にできたコブや、擦り傷に対してだが……。
「んー……なんて言うか、男の勲章」
「んんン? 顔の傷が?」
ましかは首を傾げる。
僕は続ける。
「だから、お前の知らない所で、僕は戦っていたって事さ」
「うにゃあっ! わっかんないよー!」
「………………」
やれやれ……。理解力の悪い幼馴染だぜ。
僕は敢えて、ましかとの話を沈黙をもって打ち切った。すると--
「ううう〜……訴えてやるぅー!!!」
ましかは両腕を大きく開いて、バタバタと暴れた。
訴えてやるって……誰をだよ。
まぁ、確実に棄却されるだろうな。
「なぁ、ましか」
「うにゃ?」
「この部活、好きか?」
「うん! みんな楽しいし、お菓子は美味しいし!」
「そうか。なら、良かった」
ましかは、頭の上にハテナを作っていた。
まぁ、この話は……僕達が、僕と鈴白が知っていればいいだけの話であって、別に、ましかや、御乃辻、切子ちゃんが知らなくてはならない話ではない。
そう、物語への強制参加はさせない。
調理準備室には、僕とましかの二人きりで、異様な程の沈黙が流れたが、ましかはそれを気にする事なく、トッポの封を切る。
「まぁ、関係ないってゆーならいいけどさ〜。そういえば、鈴白君も派手に怪我してたね! 何だか、怪しいけどっ!」
「ああ、鈴白は『ジャンケン』苦手だからなぁ」
「待って、ハッチ! 『ジャンケン』ってそんな怪我するようなゲームだっけ!?」
「あいつは勝ち知らずらしいからなぁ……。もずく君いたろ? あの子にすら勝てないらしい」
正確には、番堂長介には勝っていたけれど……。
僕は心中で呟く。
「なぁ、ましか」
「はい?」
「ジャンケンってさ。グゥ、チョキ、パーがあるだろ?」
「うん」
「チョキはパーに勝つし、グゥはチョキに勝つ」
「そーだねぇ。そしてパーはグゥに勝つんだよ」
「そうだよなぁ〜」
「どったの? ハッチ? また熱?」
「いや、単なる疑問……紙が石を包んだだけで、どうして勝ちになるのかってさ」
パーとグゥの勝敗。
鈴白と番堂の勝敗。
鈴白は確かに勝った。
ジャンケンに勝った。
だけど、負けた。
受け止めた方が、痛かった。
「ハッチは本当に馬鹿だなぁ〜!」
「なんだよ、ましか。お前は説明できるのか?」
「当たり前だよっ!」
ましかは、無い胸を大いに張り、トッポを加えながら答えた。
「じゃないと、ゲームとして成り立たないから! それしか無いじゃん! グゥがチョキとパーに勝てるなら、みんなグゥしか出さないよ!」
「なぁんか、バッサリ切るよなぁ」
お前は人生チョキみたいな奴だ。
--とは流石に言わなかったが。
グゥが強いとみんなグゥしか出さない……か。そりゃ、そうだな。
「ましかちゃんはね、思った事を問答無用にバッサリ解決しちゃうんだよ! で、それがどーかしたの?」
「いや、何でも無い。少し、世の中の不条理に、思春期ならではの甘酸っぱさを掛け合わせて、黄昏モードに浸りたかっただけさ」
「何それ? 不人気のレモネードみたい」
「飲んだら意外と美味いかもしれねーぞ?」
「炭酸キツイのはキライだもーんっ!」
ましかはそう言って、トッポを食べ終わる。トッポは最後までチョコたっぷりだそうだが、僕らの会話はどこまでいっても中身が無い。
なんて、自虐なんだろう。
全く、可笑しいな。
「--しかし、みんな遅いな……」
「んん〜。今日は実習しないんでしょお? だからじゃないのぉ?」
ううむ……。
早く御乃辻に会いたい。
いやいや、嫌らしい気持ちとかじゃない。
さっき教室で別れたばかりだ。今頃、真面目な御乃辻の事だ。先生の手伝いでもしている事だろう。
「あれ? 今日、切子ちゃんはどうしたんだよ」
「さぁ〜? わかんないね〜。切子ちゃんって、プライベート……謎じゃない?」
ましかは頭の後ろで手を組み、口を尖らせる。
「あいつはプライベートどころか、色々と謎だらけだよ」
「色々と……ねぇ」
そう言った所で、調理準備室の扉が勢いよく開く。
「やぁー! 先輩方ぁぁ! 今日も健全にヤラシくイキましょう! --おっ? なんだ。先輩方達だけかぁ」
噂をすれば何とやらだ。
局切子が鞄を肩に担ぎ、意気揚々と準備室の丸椅子に腰掛ける。
「全く、イヤラシイ!」
「はぁ!?」
「こんな狭い、密室で、イイ歳した男女が、二人きりなんだぞ!? 何かあったと見るのが、妥当ではないか!」
腕を組み、切子ちゃんは続けた。
「何やら変なニオイもしないでもない」
「トッポを食べたよー!」
「匂うな……」
お前はどこの刑事なんだよ。
切子ちゃんはどう見積もってもアブナイ刑事だな。
「っていうか、切子ちゃん。どこに行ってたんだよ。僕も、ましかも、待ちわびたよ」
「ちょっと、先生に呼ばれてな」
「悪さでもしたのか?」
「なぁに! 授業中にノートに落書きをしていてな。それが教師に見つかっただけだ」
「なんだ。そんな事か……。ちなみに、どんな落書きを?」
「うん! 『板垣退助』をアレンジデッサンしていたんだ!」
何故、板垣退助……。
歴史の授業中だったのか?
にしても、自由過ぎる……。
「私なりの自由民権運動だったのだ」
「お前に民権などあるものか!」
「なんとっ!」
切子ちゃんは驚き仰け反る。
その反動で、机を挟み、僕に詰め寄る。
机は乗る物じゃないぞ。みんなはマネするなよ!
「それはそうと、ハッチ先輩……ちょっと、いいか?」
「ん? 何だよ、改まって」
切子ちゃんは僕を指差し、小声で言う。
「鈴白先輩と、喧嘩でもしたのか?」
はぁ……また説明かよ……。
今度は、いや、今度も上手く誤魔化せるだろうか。
僕は、切子ちゃんに、有る事無い事説明をした。
「ほほう。つまり、先輩は男から、漢になったと」
「まぁ、そうだな。うんうん」
適当に流した。
真面目に話すの、めんどくさい。だって、切子ちゃんだもの。絶対人の話聞かないだろ……。
「うーっす」
そう言いながら、鈴白が調理準備室に入ってきた。後ろには御乃辻も居たようで、僕の心は踊った。
「おぉ……ちょうど良かった。お前ら、ちょお、来い」
上品に、おしとやかに微笑む御乃辻の後ろから、ドスの効いた広島弁が聞こえた。
蓬先生だった。
「僕と、鈴白ですか?」
僕は、自分と鈴白を交互に指差し、先生に訊き返した。
広島弁は勢いと血生臭さをより強大にさせ、僕達に降りかかった。
「そう言いよーるじゃろぅが! えーけぇ、はよ来いやぁぁ!!」
渋々、僕達は廊下へと出た。
これから僕達に起こる騒動など、知る由もなく。