三十一枚目
「ぎーははははは! 待っていた、待っていたぞ! 鈴白酢昆布ぅぅう!」
屋上に上がった瞬間、可笑しな笑い声が僕の鼓膜を刺激した。三半規管が狂わんばかりの大音声に加え、暑い夕日のせいで僕の頭は鈍い痛みに襲われた。
「なぁ、鈴白。あいつ……お前の名前知ってるみたいだけど、本当に覚えが無いのか?」
相手に聞こえない様に注意しながら、鈴白に声を掛けた。鈴白は、彼の顔を確認した上で改めて「シラネ」とだけ言った。
夕日を背景に、腕を組んでいる男は、豪快に笑いながら一人で語り始めた。
「ぎーははははは! 貴様は今日、ここで潰さにゃならんのじゃああああ! あの日、お主に負けてからワシは変わった! 変わったんじゃ! トレーニングに次ぐトレーニングで鍛え直した肉体! 粘りのある足腰は日々のランニングで作り上げた! 重厚なボディはベンチプレスで鍛えた! さらに、毎日の睡眠時間は二時間増やし、健康にも気を使う様になった! さらには--」
長い。非常に退屈だ。鈴白をちらりと見やると、あくびをし、伸びをしていた。全く、自分に正直な奴だ。
「--以上のトレーニングの末、ワシは貴様を超えた! じゃから……勝負じゃあああああ!!!」
ああ、話終わっていたか。
僕は鈴白の背中を人差し指で突ついて、話が終わった事を言葉を使わずに表現した。鈴白は呑気そうに小指で耳をほじっていた。
「ン? ああ、終わったか……。よし、ようやく話ができンだな! かははは! で? 何だって!?」
聞いてなかったのかよ……。まぁ、僕もなんだけどな。
「ぎぎぎぎ! おのれぇぇい! 鈴白ォォォォ! 勝負、じゃあああああ!!!」
番堂長介。手紙にあった名前……。多分彼の事だろう。熱血な番長を気取った、筋肉質の男……。しかし、何か気になる。何だか嫌な予感がする。
ゆっくりと、番堂長介と思われる人物は僕らに近づいてくる。ずしん、ずしんと重たい身体を揺らしながら。
「じゃあ、番長! お願いします!」
「お前誰だよ!!!」
番堂長介と思われた人物は意外にも、番長では無かった。なんて思わせぶりな野郎なんだよ……。
思わせぶり野郎は可笑しな笑い声を上げながら、僕らに言った。
「ぎーはははは! 嘘じゃ! 嘘ウソ! ワシが紛れもない、番堂長介じゃ!」
「かっ! 全く、笑えねー冗談だな!」
鈴白は吐き捨てるように言って、腕を組む。僕もそれに倣って腕を組んだ。
「ぎーははは! 今の勝負はワシの勝ちじゃあああああああ!」
「かっ。何の勝負だよ」
「『騙し合い』じゃあああああ!」
「何だそりゃあ……。器ちっさいなぁ〜」
どうやら僕の声は番堂長介に届いていなかったようだった。良かったと言えば良かったな。
「ぎっははは! まぁ、今の勝負は世間に公表せずにおいてやろう。何せ不意打ちじゃったからのぉ!」
「かっははは! じゃあ、勝負はこれからって事でいンだろ? オッサン」
鈴白の『オッサン』発言を華麗にスルーして、番堂長介は口を開いた。
「まぁまぁ、若いの。そう焦るな。ワシはお主との勝負を格式高いものにしとぉてのォ……。一晩寝ずに考えた勝負があるんじゃ!!! どうじゃ! 気になるじゃろォォォォ!!!」
寝ずに考えただと? 睡眠時間を二時間増やした奴のセリフじゃないだろ。
そんな事を考えながら、僕は携帯で時間を確認する。いや、暇だったからとか、そんな理由じゃ……決してない。
夕方。もう日も暮れているので、なんとなく時間は把握していたが、六時二分か……。早くカタをつけないと、完全下校時刻を過ぎてしまうぞ。学校に泊まる事だけは避けたいが……。
「おぉ! 勝負の内容を決めてきたのか? なんだかワクワクするよーな話だなぁ! 聞かせてくれよ、オッサン」
長くなりそうだなー! 鈴白の奴、完全下校時刻とか、部活の事とか、全然考えてないだろ! 目の前の勝負に目を輝かせちゃってるし!
「なぁ、鈴白……提案なんだが……」
「ン?」
「もう、説明とかいいからさ……手短にいかないか?」
「もう、無理だろ」
ン、と言いながら鈴白は番堂長介を指差した。番堂長介は目を閉じて、気持ち良さそうに勝負内容を事細かに説明していた。
「ぎははははは! ワシがお主との戦いに選んだのは……コレじゃあああああああああ!」
番堂長介はどこから用意したのか、数枚のフリップを僕たちに見せ、戦いの説明に入った。
「これが男のォォォォ! 勝負じゃあああああ!」
フリップには『男の三本勝負ッ!』と、男らしく、雄々しく、書かれていた。
「男の……?」
「三本勝負だぁ?」
僕と鈴白は同じように首を傾げた。なんとも可笑しな光景だったろう。しかし、夕日を背景にフリップを持っているムキムキの高校生というのも、また、可笑しな光景だったろう。
「そうじゃ! ぎーはははは! 『男の三本勝負ッ!』じゃあああああ! この勝負はワシがお主との決着をつける為に考案した、紛れもない三本勝負じゃあああああ!」
番堂長介はそう言い放ち、フリップを一枚、空中に投げ捨てた。
新しいフリップには『心・技・体』が正三角形の頂点それぞれに描かれていた。
「ぎははは! 『心・技・体』これを極めし者が、正真正銘の番長に相応しいのじゃあああああ!!! 今更、嫌だとは言わせんぞォォォォ!? 鈴白ォ!!!」
うう……。ここまで言われてウチの鈴白が引く筈が……。
「かーっはははは! 面白れーじゃん、オッサン!」
--無いよな。はぁ……穏便に済むだろうか……。
「よォォォしィィィィ! では、早速始めるぞォォォォ! まずは『体』の勝負からじゃぁぁああ!!! うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
いきなり殴り合いとか辞めてくれよ……。僕は二人と距離を取るため、少し後ずさりをした。
後ろに気配を感じて振り返ってみたが、気のせいだったのだろう、そこには掃除されていない貯水タンクが聳え立っているだけだった。
かくして、鈴白と番堂の勝負の幕が開けた。