三十枚目
窓ガラスの件から明けて一日。今度は僕たち個人へ向けての攻撃が開始された。
個人への攻撃といっても、別段気にするまでも無いような小さなイタズラ程度のものだったので、僕は皆から話を聞くまでは、それが僕たちを狙って行われた犯行だと知るのに少々の時間がかかった。
「--で? ハッチはどんなイタズラをされたの?」
菓子増ましかは口を尖らせ、面白くなさそうに僕に訊いた。
ちなみに、ましかは上履きが来賓用スリッパに変わっていたらしい。なんとも幼稚なイタズラだ。
「僕は机の上が、湯煎されたチョコレートでコーティングされていたよ……」
「な〜んだ! ただの、ご褒美じゃん!」
コーヒーシガレットをポリポリとかじりながら、不服そうに悪態をついた。
お前はお菓子が絡めば万事オーケーなのか? 幼馴染のネジの外れた発言を適当に受け流し、御乃辻に話を振ってみた。彼女から帰ってきた答えは僕たちが驚愕するものだった。
「私の……は、イタズラと言えるのか分かりませんが、ラブレターが……」
「ええっ!?」
声を上げたのは僕だけではなかったようで、ましかも、切子ちゃんも調理準備室の机を叩き、身を乗り出していた。
「ええっ!? 私何か可笑しな事、言いました?」
可笑しな事だと? 当たり前じゃないか。俺たちのアイドル。深窓の令嬢。そんな彼女にラブレターだと!?
「ちなみに私は机の上に菊の花が用意されていたが……」
「変態は黙ってろ!」
「なんとっ!」
「で!? 中身は? 確認したの!?」
ましかが切子ちゃんを無視して、御乃辻に飛びつかんとする勢いで詰め寄る。
「確認……なんて! そ、そんな……」
「じゃあ、皆で見てみようよぉ!」
その意見には賛成だ。さすが、僕の幼馴染だ。ラブレター野郎め、特定してフルボッコの憂き目に合わせてやろうか……。
御乃辻は渋々と鞄から一通の便箋を取り出した。ましかがそれを奪うように受け取り、中身を確認して朗読し始めた。
「えー。『鈴白酢昆布殿へ』」
「あァン? 俺か?」
「うん! そーみたいだよ?」
どう言う事だ?
案ずるより産むが易し。僕はましかに、続きを読むように促した。
「ああ、コホン。『直接言うのは恥ずかしいので、お主に近しい者にラブレター形式を取り、手紙を送る。細かい事はいい! ワシが窓ガラスの件に関わっておるなどという些細な事は、この際置いておけ! それより、勝負じゃあああああ! お主への精神攻撃を終えた今、お主に残る力は無い! だから、勝負じゃあああああ! ワシは今日の放課後、屋上で待っているぞ! そ、こ、で、勝負じゃあああああ! 三年一組 番堂 長介』」
何だよ、この手紙……。そんな易い挑発に乗る奴なんているわけ--。
「畜生っ……!」
いたーーーーっ! マジかよ鈴白ぉお!
「畜生、誰だ……コイツ」
ああ、そこなんだ……。誰か分からなくて悔しがってたのか……。
鈴白に対し、ましかは恐れることなくズバッと鈴白を切り捨てる。
「鈴白くんって頭悪そうだし! 覚えてないのも仕方ないよ」
おいおい! 流石に鈴白怒っちまうぞ、ましか!
「ン〜。有るんだよなァ……。その可能性」
怒らないのかよ!
僕は心の中で叫び、その場の流れに身を任せる事にした。
鈴白はテーブルに置かれていた手紙を無造作に手に取り、名前をもう一度確認して、また悩み始めた。僕は悩む鈴白に、名前ではなく他の所に目を向けてはどうかと提案する事にした。
「なぁ、鈴白。犯人は誰かってのを思い出す前に、内容の確認をしようぜ。話が一向に進まない」
鈴白は右手で首の後ろに手を回し、首を揉みながら軽快な音を響かせた。
「うっし! まぁ、なんにせよ……売られた喧嘩は買わずにいられねー! 喧嘩上等だっっ!」
「……あくまで平和的に終わらせるんだぞ」
「ン? どーしてだ皮肉屋ァ」
キョトンとした顔で訊いてくる鈴白に、若干の頭痛とめまいを起こしながら僕は呆れ顔で答える。
「暴力沙汰なんて……。部活……本当に潰されるぞ」
「心配すンなって! 皮肉屋ァ」
心配だ。心配すぎる。合格発表を飼い猫に代わりに見てもらうくらい心配だ。自分の財布の中身よりも心配だ。はじめてのおつかいの帰り道くらい心配だ。
「ハッチぃ〜。そんな心配ならさぁ、着いて行きなよー。監視、監視」
ましかの言葉に少し頭を悩ませた。が……やはり、自分の心に芽生えた不安の種は、早めに排除しておくに越した事は無い。
僕はカッターシャツの第一ボタンを外し、ネクタイを緩めながら立ち上がった。
「ふぅ……。じゃあ、行くか。鈴白」
「かはっ! そうこなくちゃ面白くねーよなァ、皮肉屋ァ!」
そう言って僕たちは調理準備室のドアを開け、部屋を出た。刺すような日差しが僕らに跳ね返ってくる。
僕はシャツの袖をもう一捲りしながら鈴白を一瞥する。彼の目は真っ直ぐに、何かを見つめているようだった。それが何なのか僕には分からなかったけれど、鈴白は自分の中に、確かなものを感じているようだった。
まぁ、長い話は無しだ。僕たちは今から戦場へ行く。そんな僕らに今、言葉なんて要らない。守るべき物がある。それだけで、男という生き物は大きな物に立ち向かうのだ。なんと憐れで、小さく、愚かで…………楽しいのだろう。
「かははっ」
「っははは」
僕たちは、今、屋上へと続くドアを開ける。