二十九枚目
「ったく……なんなんだよ」
割れたガラスを掃除しながら僕はため息交じりにつぶやいた。某人気漫画の、空き地の隣に住んでいる雷オヤジも、こんな気持ちで掃除していたのかと思うと泣けてくる。
「はぁ……一通り片付いたな、鈴白」
僕と鈴白は調理室の掃除を任され、ましかと御乃辻は職員室へと走った。切子ちゃんは動けば問題を起こすだろうという事で、僕が『塵取り役』を任命した。精神統一して塵取りになろうと努力している--いやいや、馬鹿ってすごいな--切子ちゃんを無視して掃除をささっと終わらせてしまった。
「しかし、どういう事なんだろうな。いきなり窓ガラスが破裂するとは……」
鈴白は割れたガラスを二重にしたゴミ袋に入れながら言った。
「なぁ、皮肉屋。ちぃーとおもしれーモン見つけたんだが」
面白いもの? なんだろう。
鈴白が面白くなさそうに『おもしれーモン』を僕に見せた。鈴白の右手にはずっしりとした重量感が見た目にも分かる、黒いゴツゴツとした石が握られていた。
「何だよ……それ!」
「かははっ! おもしれーのはコレだけじゃねーんだ」
そう言うと、鈴白は握っていた黒い石をクルリと反転させた。そこには紙の切れ端がついていて、赤いペンで文字が書かれていた。
ブカツツブス
「はぁ?」
「かっははは! だろ? おもしれーだろ」
「いやいやいや! 何笑ってんだ鈴白!」
「だってよー。こんな原始的な方法が今の世の中であり得るのかって!」
ああ、確かになぁ……。
石に張り付いた六文字は異様な雰囲気を漂わせている。だからこそ白々しく、イタズラっぽくて……僕はその言葉の切迫感に鈍感になっていた。
「まぁな……ベタというか、安易というか」
「かははっ! だろ? 皮肉屋はオレと似てンだよ」
鈴白は大きく笑いながら、僕を指差す。
いや、お前と僕に共通点なんか無いだろ……。僕は深くため息をついた。
「まぁ、なんだ……一応、先生に報告しとくか」
悪魔はどこに居るか。こんな質問をされたら、僕は迷わず【職員室】と答えるに違いない。なぜかって? 理由は簡単。単純明快である。
教師には、ろくな奴が居ないからだ。
「あー。もっかい言うてくれんかぁ? 窓ガラスがなんじゃって?」
剣持蓬。僕たちの部活の顧問として突如現れた謎の多い先生。僕は今こうして蓬先生の目の前に居るのだが……何故だろう。何故僕は正座をして居るのだろうか。
少し時間を遡ろう。
「つーかよぉ……。なんで職員室?」
鈴白は背中を丸めて両手をポケットに入れる。僕は証拠品として割れたガラスを入れた袋を持ち、鈴白を見る事無く言う。
「着いてきてくれとは言わなかったんだけど……」
鈴白は少し考えてから、僕の目の前にずずいと現れる。
「あーん? 皮肉屋ァ、切れてんのか?」
「なんでだよ」
「言い方……つーか、空気。雰囲気的な何かなのかもな」
「神か何かなのか!?」
「かっはっは。か行、多いなー。ソレ」
「笑ってんじゃねーよ!」
他愛ない会話だった。だからこそだろう。僕と鈴白の声は相当大きくなっていたようで、職員室の中に丸聞こえだった。
職員室のドアが勢いよく開き、ガタンという音に被さるように蓬先生が叫んだ。
「うるっさいのー! クソ餓鬼共ー! 集中出来んじゃろーがぁぁ!!」
「す、スミマセン!!」
凄味のあるドスの効いた広島弁に、僕は反射的に謝っていた。鈴白は眉を吊り上げて「あぁン!?」と先生に向かってガンをくれている。あな恐ろしや……。
「ん〜? あぁ、ははっ! こりゃ悪かったのォ。不良クンかぁ。熊手のホウキが立っとんかぁ思うたわぁ」
鈴白のガンに対し、ひょうひょうと皮肉る蓬先生。口元は笑っているが、目は一切笑っていない。
「かっ! ンだよ。ナメてんのか? そうなんだろ!? そうなんだよなァ!?」
ずいっと蓬先生に近づく鈴白。蓬先生はピクリともせず、鈴白から目を逸らさない。
「ほほぅ……。ワシとやるってか? ええじゃろう。学生時代はワシもよぉ悪さしょーたけぇ……。お前の気持ちはわからんことも無くも無いということも無い」
「結局、どっちですか……」
僕の余計な一言に先生のフラストレーションはぐんぐん上昇したようで、無言のまま首根っこを掴まれ職員室へと連行された。
ああ、僕の馬鹿……。
先生の説教、一時間。ガラスの件についての話、一時間。僕の足にはおおよそ感覚といえるものが存在していなかった。しかし、先に来ていた御乃辻とましかのおかげで、僕は口を開かずに済んだ。
先生は終始イライラしていたが、どうしてだろう。鈴白との睨み合いがそんなにイライラするものだったのだろうか。てゆーか! 鈴白居ないし! 何でことを荒立てた張本人が説教の場に居ないんだよ!!
「もう、六時半ですね。帰りましょうか」
職員室を出て、痺れた足を叩いていると、背中から声をかけられた。緩やかな夏の風にさらさらと黒髪が揺れる。
「足……大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう御乃辻。おかげで早く終わったよ」
僕は引きつった笑みを浮かべながら御乃辻に礼を言った。続いてましかが御乃辻の後ろから顔を出して首をかしげる。
「ありりり? ハッチ痺れてるの? 麻痺状態? 正座得意じゃなかったっけ?」
「昔はな……」
「そかそかぁ! まっ、いっか。じゃあそろそろ帰らないとね〜。帰りにお菓子も食べたいし。完全下校時刻も迫ってきてるし!」
ましかはスカートをヒラリと翻し、職員室前の廊下を走り出した。
「ハッチー! 行ってるよぉ!」
元気のいいましかの声に、僕は顔を歪めて右手をあげた。御乃辻は不安気な表情で僕のそばにいたが、「あ。鞄とってこないと」と言ってこの場を立ち去った。
足の痺れが取れてくると同時に、新たな不安が--というより、考えないようにしていただけなのだが--僕の脳裏によぎる。
ブカツツブス
「はぁ……。一体僕らに何の恨みがあるってんだよ……」
ヨタヨタと壁伝いに歩き、僕はみんなの居る調理室へと向かい始めた。