二十四枚目
「何そいつ! 文句言ってくる! ましかちゃんが幸せになる道を邪魔する奴は八つ裂きだぁぁぁ! 皆の者ー、槍を持てぇぇ!」
夏。
セミ達の声がイヤホンの間を縫って耳に入ってくる。したたり落ちる汗は等間隔に、床に落ちては蒸発を繰り返す。
「ハッチ! なに一人でボーッとしてんの!? 黄昏モードは終了終了!」
「そんなモード移行はしてないよ、ましか。大体さぁ……やるってったって何をやるんだよ? 顧問が付くなんてラッキーじゃないか。手間が省けたというか」
僕がそう言うと、ましかがマシンガンのように僕を乱射した。
「苦いっ! 苦過ぎる! ましかちゃんは甘党だからねっ! 苦いのは苦しくて、嫌いなんだよ! だから、今のハッチの意見は苦過ぎる!」
ましかは僕を指差しながら、きらりと八重歯を光らせていた。僕はましかに背を向けながら、ダルさを言葉にまとわせながら言う。
「僕にどーしろっていうんだ。いや、僕はどーすれば良かったんだ? 正解を教えて欲しいくらいだよ」
「ハッチ〜! ハッチくらいはましかちゃんの相手をしてよぉ……。ましかちゃん、みんなにあしらわれて……暇なんだもんっ」
なんて理由だ。
まぁ、ましかがこういうのも仕方が無い。今部室で皆が皆、バラバラな事をしているからだ。
僕の左に居るこいつは鈴白酢昆布。こいつは不良だ。夏だというのに、トレードマークのネックウォーマーを頭から外さない。今はどこかで拾ってきたのだろう、新聞を読んでいる。意外と文字を読むんだなぁとか密かに感心したりする。
鈴白の隣には、御乃辻沙矢。彼女は何処かの令嬢という噂だ。黒髪美人。日本が、世界に誇るアジアンビューティー代表の様な、製菓研究会のマドンナである。不良の隣で優雅に紅茶を淹れている。狭い空間だが、真ん中にある長机と椅子以外の物は大概が彼女が持ち込んだ物だ。主に食器類だ。
御乃辻の正面には、スカートの下にジャージを履いた、ジャージの上にスカートを履いた、危険な変態、局切子がいる。こいつについてはもう何も言うまい。
そして切子ちゃんの隣に、つまり僕の目の前に居るのがこいつ。菓子増ましか。僕の幼馴染にして、僕を部活に参加させた張本人である。いや、こういう言い方は良くないな。お菓子好きな、単なる小さな女の子だ。
「はぁ……」
「随分としんどそうだな、皮肉屋」
新聞をガサガサとめくりながら、鈴白は言う。
「ああ、鈴白の様なファッションは僕には理解できないよ。暑いだろ、ネックウォーマー」
鈴白は新聞から顔を上げて、涼しそうな顔をした。
「かっはは! ネックウォーマーか! 確かに暑いけどよ。まぁ、あれだ。オシャレに我慢は付き物ってやつ?」
「そんな憑き物、僕ならならお祓いしてもらいたいな」
「かっははは! いい答えだぁな」
そして、調理準備室に沈黙が流れる。すると、切子ちゃんが少し遅れて手を叩いた。
「なるほど! 付き物と憑き物か!」
「切子ちゃん……こういう時は一人で納得していた方がいいぞ。気付くの遅いし、結局その言い方じゃ伝わらないし。何より僕が一番恥ずかしい」
僕は切子ちゃんを見ずに、そう言った。
「お茶が入りましたよ〜」
御乃辻が紅茶を五人分淹れ、みんなに振舞っていた。切子ちゃんが紅茶の香りについて、御乃辻に訊いた。
「なあ、御乃辻先輩。この紅茶はなんという紅茶なのだ?」
「これはダージリンですよ。セイロンのウヴァ、中国のキーマンに並ぶ、世界三大紅茶の一つですよ」
「おお! よく耳にするなぁ。これがあのダージリンか。ん〜、実にいい香りだ」
切子ちゃんは二流のソムリエのようにわざとらしく紅茶の香りを楽しみ、目を閉じていた。御乃辻はさらに続ける。
「マスカットフレバーという、強く甘い香りが特徴で、『紅茶のシャンパン』とも言われるお茶なんです。ふふっ。いいですよね、ダージリン」
そう言って、御乃辻はカップに口を付けた。ましかはカップと目線を合わせてうんうん唸っていた。
「ううう〜、沙矢ちん……渋い……」
御乃辻は焦って席を立ち、準備室備え付けの小さな冷蔵庫を開け、ミルクを取り出した。さらに、小さめの食器棚からスティックシュガーを取り出し、ましかの近くまで急いだ。
「ごめんなさい。ましかちゃん。流石にセカンドフラッシュは渋過ぎましたか?」
ましかは頭の上にハテナを出して、首を傾げた。御乃辻は優しく応えた。
「ダージリンは収穫時期によって、味に差があるんです。春摘みのダージリンファーストフラッシュは春の若い芽を感じることが出来る一杯です。六月から七月に摘むダージリンセカンドフラッシュはコクと深みがあって、ミルクティーにしても美味しいんです。最後に秋摘みのオータムナルは結構渋くて、チャイに適しています」
御乃辻は、ましかに説明をしながらスティックシュガーを入れて、小さなマドラーで紅茶をかき混ぜた。そして最後にミルクを入れて、再度かき混ぜる。
「へぇぇ! そうなんだぁぁ! あっ、ありがとー!」
「どういたしまして。ふふっ」
ましかは、ミルクティーを手に取り、ひとくち口に含んで目を見開き、御乃辻を見た。
「これ! すっごく美味しいよー!」
「良かったぁ。気に入ってもらえて」
御乃辻はホッと胸をなでおろしていた。
僕は自分の手元にあるカップを持ち、ひとくち飲んでみた。深いオレンジ色のダージリンセカンドフラッシュは結構渋かった。