十八枚目
今日は土曜日。
学校は無い。
朝の眩しい光に導かれるようにベットから起き上がり、伸びをひとつする。背中の骨がばきばきと鳴った。
このばきばきは物心ついた時から鳴っているよなあ等と、呑気にあくびをしながらリビングへ行く。
誰も居ないリビングは一人で居るには広過ぎて居心地が悪くなってしまった。朝食を用意する気にならなかった僕は、ジョギングをしようと思い、パジャマを脱ぎ、紺色のアディダスのジャージに着替えた。
今日は暑そうだ。そう思い、僕は洗面所に綺麗にたたんである白いタオルをとり、頭に巻いた。鏡で自分の姿を確認しながら僕は呟く。
「うっわ、似合わねーなぁ」
屋台のおっちゃんの様に、自然にタオルを頭に巻くような男に憧れがあるわけでは無いのだが、ジョギングにファッションを気にしたら終わりだ。
そう自分に言い聞かせて僕は玄関を開けて外に出る。
太陽は容赦なく照りつけ、家の前のアスファルトの道をゆらゆらと揺らしていた。
「うわあ……。走りがいがありそうだ」
走っている時は、他の人は何を考えているのだろう。
僕は走っている時、尾崎豊の「十七歳の地図」が頭の中に延々とリピートされる。母さんの影響で、尾崎豊を初めて聞いた時はシビれたなあ。
「これぞ男!」ってモノを僕の身体全てで感じ取っていた。
もう何回リピートされただろうか。
僕の脳内で尾崎へのアンコールが終わらない状態だった。
隣町へいける程の距離を地元で走っていた僕は、ポケットに入れていた百円玉と五十円玉を取り出して、自販機の前で停止した。
「ハァ、ハァ………………。っあー疲れた」
そう呟き、僕は天を仰ぐ。
喉の辺りが辛く、飲み込む唾は変な味がしていた。頭がぼうっとする。肺と横隔膜が喧嘩しそうだ。しかし、この感覚がやめられない。
僕は自販機に百五十円を投入する。飲み物のランプが緑色になる。リアルゴールドは『売り切れ』と赤く光っていた。
迷わずアクエリアスを購入して、あるはずも無いお釣りを確認してから、百八十度反転する。
眼前には、僕の地元では有名な小さな公園がある。名前を『迫常公園』としているが、これが「さこつね」なのか「はくじょう」なのかは、地元人の僕にも分からない。何故ならこの公園は通称『花火公園』と呼ばれているからだ。
毎年、暴走族(バイクに乗っているから多分そうだろう)がここで花火をして、パトカーが来る。バイクに跨り逃げてゆく(おそらく)暴走族のお兄さん。これを見ないと夏が来た気がしないのだ。もう半月もしたら見られるのだろう。楽しみだ。
草が生い茂って殆ど見えなくなっている設立記念碑を右手に見ながら直進し、ベンチに向かう。ベンチに腰をおろし、アクエリアスを一口含む。アクエリアスが乾いていた身体に染み込んでゆく。とても、気持ちがいい。
だらだらと流れる汗を、頭に巻いていたタオルで拭き取り、心拍数を正常に戻すために僕は深く深呼吸をした。少し鼓動が弱くなってきたところで、聞き覚えのある声が僕の耳に入った。
「オンっ! オン!」
その声の主は四つ足で、猛スピードで、ベロを出して、僕に飛びかかった。
逞しい体躯に、美しい銀髪。青みがかった白い瞳は非常に威圧感がある。
「やあ、どうした。セリヌンティウスじゃあないか。また一人で、いや、一匹で逃走かい?」
「オウンっ!」
「そっかそっか。自由になりたい時だってあるよな。いつも首輪付けられてんだもんな、だけどお前はその宿命を受け入れてるんだな。うん、うん。お前は立派な男子! 否っ! 男犬だよ」
「クゥン?」
セリヌンティウスは首をひねっている。どうやらこの話は難しかったようだ。そう思っていると、僕の左から声がした。
「セリヌンティウスは女の子ですよ」
ふと顔をあげると、そこには全身ピンク色のジャージに身を包んだ、便底メガネの黒髪お姉さんがいた。膝に手をつき、息を整えながら「ふう」と小さくため息を吐いた。
「すみません。またこの子がご迷惑を……」
「いえいえ、犬好きなんで」
そう言いながら、僕はボサボサになった頭を隠すために、タオルを頭に巻き直した。ピンクジャージのお姉さんは静かに言う。
「疲れました。隣、よろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
元々三人用のベンチなので、一人で座るにはいささか心苦しい気持ちもあったので僕はすんなりと了承した。
セリヌンティウスはベンチ横の日陰で寝そべってあくびをしている。セリヌンティウス逃がさない為にベンチにリードをむすんでいる。
ピンクジャージのお姉さんがベンチにちょこんと座る。
ーーーーなんだか、時が止まっているように感じられた。『変な空気』というやつだ。沈黙に耐えられなかった僕は、何か話をしようと口を開いた。
「夏…………ですね」
「はい?」
聞き返されてしまった。
すごく恥ずかしい。今僕の顔から火が出ていないか? と不安になりながら、次の言葉を探し、場を繋ごうと考えた。
「散歩は、毎日お姉さんがするんですか?」
「いえ、休日だけです。私は平生は学校ですから」
へえ、大学生なのかな? スタイルも抜群で格好いい雰囲気だ。しかし、便底メガネが全ての格好良さ、美しさを台無しにしている。流石の僕でもそれは言わなかった。
「へえ、世話とか大変そうですね。大きい犬って小さい子供よりも手がかかりそうな気がします」
「手がかかる子ほど可愛いものですよ」
「そんなもんですかね?」
「そんなものですよ」
なかなか上手く会話しているんじゃあないだろうか? 自分で自分を褒めてあげたい気分だ。さらに僕はレベルアップの為に冒険をしてみることにした。
「こうしてあったのも何かの縁ですし、お名前、聞いてもいいですか?」
「桜井です。桜井春と言います。あなたは?」
「僕の名前はーーーー」
「オンっ! オオオウゥン!!!」
僕が名前を言おうとした瞬間、セリヌンティウスが繋がれていた紐をほどき、全速力で走り出した。そして、セリヌンティウスはベンチの向こう側に位置するもう一つの出入り口(僕達が入ってきた方とは違う出入り口だ)から外へ出た。
「ああもうっ! また! 本当に世話が焼ける。そうでしょう? そうですよね」
そう言ってピンクジャージこと桜井春さんは僕の名前を聞く前に駆け出していってしまった。
公園に取り残される僕。
容赦なく降り注ぐ太陽の光。
こめかみから頬を伝う汗。
ちっぽけな僕の心には、空っ風が吹いていた。
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闍梨