表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あなたに出逢えてよかった

作者: ミトヒトミ

忘れられない失恋。

その時は世界の終わりのような気持ちになるけれど、幸せへの道筋は一本ではないはず。

それは思いもよらない偶然の再会だった。


休日のショッピングモールの雑踏で、何かに導かれるようにすれ違いざまに視線が合った。


「あ…」


お互いに立ち止まったがすぐには言葉が出てこなかった。

少しの沈黙を破るように


「ねぇ、ママ、だぁれ?」


愛娘が服を引っ張りながら訊ねる。


「娘さん?」

「うん」

「そう…。君は全然変わってないね。」

「あなたもね。すぐわかったわ」

「幸せ?」

「うん」

「よかった、俺も」


少し離れた所から男の子が呼んでいた。


「息子さん?」

「そう、甘ったれで。」

「誰かさんと同じだね」


2人微笑みあう。


「よかった、逢えて」

「うん、よかった」

「じゃあ、元気で」

「あなたもお元気で」



そんな短い会話。

でも、あの時からこれまでの互いの時間を感じるにはそれだけで充分だった。

そしてお互いにそれぞれの場所へと戻った。



ずっと気になっていた。


それは彼も同じだったのだろう。

最後に逢ったのはもう何年も前の夏の終わりだった。



学生時代、私達は同じ時を過ごしていた。

2人黙って隣に居るだけでその空気が心地よい、そんな関係だった。

あまり多くは語り合わなくても、視線を合わせればどんな想いでいるのか感じる事が出来た。

このまま穏やかにお互いの最後まで隣に居るのかな…漠然とそんな風に感じていた。


いくつかの季節が巡り2人は学生から社会人になった。

それまでのように四六時中ともに過ごす事は出来なくなり、休日に逢えない日も多くなった。

のほほんとした学生から責任を持った社会人へと必死に脱皮しようとしている彼に、淋しいよ、逢いたいよ、もっと私を見てよ…とはとても言えなかった。


重荷だと思われたくなかった。


私も大人の女へと背伸びをしていたのかもしれない。


それでも初めは、今週は逢えないと告げる彼に堪えられず不機嫌な態度を取ったり涙を流したりしていた。

けれど余裕のない彼の苛立った態度や、申し訳なそうな哀しい顔を見るのが嫌だった。

私は、環境が変わった2人がこれからも長く続けていける関係を作る為に、1人で過ごす時間を楽しむ術を学ぶ事にしたのだ。


それまで楽しい事や嬉しい場面に彼が居ない事はなかった。

何か体の中に空白があるような、そんな感じを抱えながらも、逢えない時間を新しい友人と過ごしたり今まで1人では行かなかった場所に行ってみたり私なりに努力をしていた。


それが次第に努力から開放感へと変わっていってしまった。

他に好きな人が出来たという類のものではなく、今まで2人で共有していた数え切れない程の時間を、自分の思うままに使える自由さを満喫しはじめていた。2人の為にと思っての事が皮肉にも2人を別々の方向へといざなっていくとは思ってもみなかった。


そんな頃、彼が

「最近なんか変わったよね。

俺、ちょっと淋しい…」

と言い始めた。

今であれば、そんな彼を愛おしく思えたかもしれない。

けれどその時の私は、散々放っておいて何を勝手な事を言っているのかと憤りを感じてしまった。


あなたの為に邪魔にならないように努力して、なんとか慣れてきたのに随分と自分勝手なんじゃない!?と。


その時から、以前のように何も言わなくても視線だけで同じ感覚を味わう事は出来なくなった。




そして夏の終わりのある休日、人もまばらな海岸を歩きながら私は彼に別れを告げた。

彼は引き留めもしなければ、怒りもうろたえもしなかった。

ただ哀しい目をして一筋だけ涙を流した。

それが最後だった。



後日、彼が淋しいと言っていた頃に、彼が会社の女性の先輩と親密な関係になっていたらしいと彼の友人から聞いた。

彼は他の人と時を過ごしてみて、やはり私と一緒に歩みたいと思ったらしく、あの海でプロポーズをするつもりだったと。


私は何故か、彼が他の女性と親密な関係になった事にではなく、自分に失望していた。


彼の事ならなんでもわかっているつもりだったのに、実は彼の気持ちなど何もわかっていなかった事、

勝手に大人の女を装って彼に淋しい想いをさせていた事、

2人の為にと思ってした事が単なる私の自己満足でしかなかった事。



あの「淋しい」は彼からの警報であり、私はそれに気付く事が出来なかった。


彼は私に、大人ぶったりせずに、もっと素直に、淋しい時には甘えて拗ねて、距離を置くのではなく縮めて欲しかったのだろう。

余裕がなくても、不機嫌でも、そんな自分の傍にでも居続けて欲しいと思っていたのだろう。



彼の友人は、よりを戻す事を薦めたが、私にはそれが出来なかった。あの時の彼の涙は悲しみのそれではなく、私と過ごしてきた時間とそれから歩む筈だった心地よい未来への訣別の涙だったのだと気付いたからだ。


彼はあの瞬間に私と歩む道から交差する他の道へ曲がって行ったのだ。



私はしばらくの間、己の愚かさを悔やんだ。

2人の為にという大義名分を掲げて自分の自己満足をごまかし、実は自分の事しか見えていなかった愚かさを。


そして自分から別れを切り出しながら、もう恋なんてしたくない、彼以上に自由に息が出来る人になんて出逢えないと悲嘆にくれた。

また時には、2人の間に産まれてしまった溝を、正面から埋める努力も、超える勇気も出さずに、他に流されてしまった彼の拙さを恨みもした。



それでも、1日中泣いて、お腹が空いて、コンビニのおにぎりの予想外のおいしさをかみしめたり、朝になったら仕事に出掛け、満員の通勤電車で座れた事に小さく喜んだり、そんな日常の些細な事を日々繰り返していく内に、少しずつ喪失感は薄れていった。



それから時が過ぎ、私はまた恋をして結婚した。


主人とは意見が違う時には半べそで討論し、別々の場所で感動した時には些細な事でも報告する。

常にアンテナをたてて主人を感じるように努力している。

彼とのような不思議な同化感覚はないしどちらかといえば正反対だが、そのわからない部分があるからこそ恋し続けていられるのだと思う。



私が結婚した頃、時を同じくして彼も結婚したと風の噂で聞いた。

あの時の、同じ会社の女性の先輩ではなかった。



私にとって、彼は特別で忘れられない人。

もしかしたらかけがえのない運命の人だったのかもしれない。

同じ方向を見て同じように感じあえる唯一の人。

あの時に、あの涙を乗り越えて今も一緒に歩んでいたら、穏やかに心地よくこの上ない幸福な日々を過ごせていたのだろう。



でも彼を失っても私は今、幸せだ。



彼もそうなのだろう。

それはあの時とは違う別れ際の笑顔と、男の子の隣に居た奥様らしき女性の背中に優しく添えられた手が物語っていた。


そこに2人の絆のようなものを感じて、安堵の笑みを抑えられなかった。

きっと彼も私と同じように辛い日々を過ごし、今の私の様子を見て私と同じように感じているに違いない。


トイレから戻ってきた主人に告げる。


「今、学生時代の知り合いにバッタリ会っちゃった!こんな人混みで、凄い偶然だよねー」

「俺たちは偶然じゃなく毎日逢えるんだからもっと凄いだろ」


普通の顔でサラッと言って娘と手を繋ぐ。

そんな主人に、また恋をした。

人には恥ずかしくて言えないが、私とは違う反応をする主人を見るにつけ、私は毎日恋に落ちる。



あの彼と共有した時間や別れが、私を少しいい女に育ててくれて、そして主人と出逢った。

2人の男たちが私を幸せへと導いてくれている。


このありふれた「出逢い」という奇跡に改めて気付き、涙がこぼれ落ちそうになったので、上を向いた。


目に入った青空に祈った。

『アリガトウ、あなたが私より幸せでありますように…』


その祈りへの返事のように、どこからか鐘の音が聞こえた。


1人の人に訪れる、運命の人や、幸せの形や種類は、決して1つじゃない。


例え恋人がいてもいなくても、

結婚していてもいなくても、

子供がいてもいなくても、

それぞれの幸せの形があって、1つ壊れても他の形がきっとあると思います。


何かを失っても、全ての終わりじゃないと信じたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして、ふつつか者ですが感想書かせていただきます。 よかったというより、もぅめちゃめちゃよが(か)ったです! 別れた二人切ないですね~、 けれど、ミト様の魂ですかヒシヒシと胸を打つ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ