昔話
主人公が目を覚ますとそこに夢の中でアマテラスと呼ばれていた美しい女が居た。取り留めもない会話を続けるもいつしか2人は無言に。明るく無邪気な女の姿を目に、しかし目覚めは心地良く。向けられたのはお日様の様な温かさを持った笑顔だった。
六畳ほどの旅館の一室。
部屋のテーブルに並んだ朝食を囲みながら、俺は改めて目の前の美しい女に礼を述べた。
「まあ何だ、とりあえず助けてくれてありがとう」
言い終えて卵焼きを一口にほお張る。
「どういたしまして」
簡潔に一言呟き、女は味噌汁を音もなく啜る。
「で、お前は一体なんなんだ?」
「空子」
「は?」
「天草 空子」
ああ、名前ね。
「俺は神薙 海」
「ふ~ん、海っていうんだぁ」
いきなり呼び捨てかい。
「んで、天草さんはいったい何者でいらっしゃりやがるのでしょうか?」
じーーーっ。
……視線が痛い。
「そ・ら・こ!」
一字一句念を押す。ちなみに益々視線が痛い。
「……空子、さんは……」
「そ~ら~こ~!」
ぐずりだした。
「はぁ……空子は一体何者なんだよ?」
「ん? 言ったでしょ? めが……」
「女神は無し! そうじゃなくて……」
「…………」
じっと俺を見つめる空子という女。その朱色の瞳は物問いたげで、俺は思わず視線を逸らす。
彼女は何を思っているのか? それは今は分からない。今は彼女より自分の事でいっぱいいっぱいだ。
そう、俺は彼女の口から聞きたいのだろう。決定的な事実を。これから成すべき事を。
そうして、幾ばくかの沈黙の後、そっと彼女は口を開いた。
「もう思い出したのでしょう? 私はアマテラス、神話に語り継がれる太陽神の生まれ変わり。そして貴方はスサノオ。荒ぶる大海原の神、英雄神スサノオの生まれ変わり」
実際言葉にされるとなんて現実味のない事なのだろう。
だけど今の俺は笑い飛ばせない。実際に体験した悪夢。燃え盛る楽園の最後。約束の別れ。何より胸に宿る哀切の感情。そう、すべては現実の事なんだ。
「ねえ、どこまで思い出してるの?」
夢想する俺にそんな問いかけをしてくる空子。
「どこまでって言われても。はっきり言ってほとんど思い出してないんじゃないかな? 俺が思い出した……って言っていいのかどうか。夢みたいなのを見たんだ。スサオノって呼ばれた俺とアマテラスと呼ばれてた君……空子。あとはツクヨミと呼ばれてた長身長髪のイケメンが、燃え盛る炎の中で巨大な闇と戦って、その後また会おうって言って死ん……別れた光景を。本当に夢のようなフワフワした感じだったけど」
自分で言っててホントに夢だったような気もしてくる。だけど空子は真剣な眼差しで俺の言葉を聴いていた。
「とまあ、これくらいしか俺には情報がない。昨日の餓鬼にしてもよく分かってない始末さ」
一息ついてお茶を啜る。
「そう、ホントにまだ目覚めたばかりなのね。どうりで貴方の神気が感じられなかった訳ね」
そう言って空子は少し寂しい表情を見せた。その姿に胸がチクリと痛む。
「貴方が見た夢の内容はすべて過去に実際にあった事。それだけは間違いないわ」
朱の瞳に影が過ぎる。
「いずれ少しずつ思い出してくるとは思うけど、大体のあらましは説明しておいた方がいいみたいね。さすがに今聞いた内容だけしか知らないんじゃ不安すぎるでしょ?」
哀しげな瞳で問いかける空子に俺は曖昧に頷いた。
「日本の神話についての知識は?」
「いや、ハッキリ言ってほとんど無い」
「そう。まあ神話の中の逸話もさすがに現代じゃいろいろゴッチャな内容になってるし、伝わっていない内容もあるから必要無いかもね」
一度言葉を区切ると、改めて空子は語り始めた。
「昔々、天空には神々の住む楽園がありました。名を『高天原』。八百万の神々は高天原で平和に暮らしておりました」
昔語り口調の物語。すんなり頭の中に内容が入って来るのは俺が彼女の声に惹かれているからなのか。
「ある時一人の『悪意ある神』が高天原に災いをもたらします。悪意ある神は自然に溶けて世界の一部となっていた『大いなる神の一柱』に負の力を注ぎ込み、大いなる神を魔なるモノとして世界に降臨させてしまう。貴方が夢の中で戦った巨大な闇、それこそが『魔』と私達が呼ぶ大いなる神の成れの果て」
あまりに現実離れした話しに頭がついて行かないが、だからといって何て言っていい物かも分からないので黙って話の先を促す。
「『魔』は瞬く間に高天原を業火に焼き、突如溢れかえった妖魔の群れの騒ぎも手伝い、そこに暮らす神々を次々に殺していった。体を持って現存していた祖神イザナギ様、イザナミ様ですら『魔』の強大な力の前に散っていった。残されたのは貴方、スサノオと私アマテラス。そしてツクヨミの『三貴士』と呼ばれていた三人だけ。イザナギ様たち『神世七代』と言われる天界最高の力を持った方達ですら敗れ去った『魔』の力の前に、私たちも死を待つだけしか出来なかった」
「でも俺は夢の中で見た。魔を封じたのは俺達だ」
思わず口を挟む。あまりにも絶望的な話だった。だからこそ彼女の、空子の口からは希望のある言葉が聞きたかったから。
「そう、死を待つしかなかった私たちに希望を与えてくれたのは、死の間際にイザナミ様から伝えられた『神技』だった」
「それが俺が夢で見た――」
「そう、神世七代に伝わる幻の神技。その名を『神威』。神代七夜の強大な神気を三人分用いて放つ大技。それこそが、魔を妥当しうる唯一の希望」
「待てよ。だったらイザナギとイザナミってのがその神技を使えば事は済んだんじゃないのか?」
俺の疑問にふるふると空子は力なく首を横に振る。
「言ったでしょう? 『神代七夜クラスの力を持った者が三人必要』って。当時現存する神代七夜はイザナギ様、イザナミ様のお二人しかいなかったわ」
「だけど俺たちはあの神技を使ったぞ? 俺達もイザナギとイザナミと同じくらいの力を持ってたのか?」
投げかけた問いに返って来たのはやはり力無く首を振る空子の姿。
「じゃあ他の神様……はもう居なかったんだな」
「うん。それにイザナギ様達を除けば、貴方やツクヨミが天界で最も強い力を持っていた。他の神々の中に『神威』を使えるほどの神気を持った人は居なかったの。神技を使用する事が出来る力を持っていたのは、私や貴方達だけなの。それにね、かの神技を使うにはもうひとつ条件があるの」
「条件?」
「『神技 神威』を使うには、血の盟約で結ばれている者同士でなければいけない」
「血の盟約?」
「そう。分かりやすい例えで言えば兄弟、とか」
「って事はだ。要は神代七夜クラスの力を持ってて、しかも三人兄弟ってのが『神威』の使用条件って事か?」
「うん……なんだけどね。でも神世七代の神々は男女二柱。元から扱える神々は存在しないはずなのよ。まあだからこそ幻の神技なのだろうけど」
「使える条件が満たされないのに存在する必殺技って……そんな胡散臭い」
「でも当時、私たちはソレにすがるしかなかった。そうでなければ死を受け入れ高天原どころか、人々の暮らす地上の人々すらも見捨てなければならなかったから」
「胡散臭くてもそれしか希望がなかったんだな。まさに藁にもすがるってやつか」
軽口を叩きながら不謹慎だなと心の中で自分に毒気づく。
そんな俺に苦笑いを浮かべながら空子は話の続きを紡ぐ。
「結果的には私たちの神技によって『魔』を封印する事には成功した。けれどほとんどの神々は倒れ、高天原は天空より墜ちた。そして神技を使った私たち自身も命を落とす事になったの」
「戦いの傷が原因で?」
「それも少し関係してるけど……これもさっき説明した通り。かの神技を使う条件は神世七代クラスの神力を用いる事。私たちの力はイザナギ様やイザナミ様、神世七代の力には遠く及ばなかった。『魔』を消滅ではなく封印するのがやっとだったのも同じ理由」
「つまりは俺たちの実力不足?」
「そう、分不相応な技を行使した代償って事」
夢の中の出来事に感じるのに、何故だか悔しさがこみ上げてきて、俺は顔を上げられなかった。
「後は貴方がさっき語った夢の通りよ。私たち三人は再び現世に降臨する『魔』を討ち滅ぼす為、再会を約束して長い眠りについた」
語り終えた空子は視線を窓の外に向け澄み渡る青空を見つめる。まるで空の彼方にある高天原に想いを馳せるかのように。
・
・
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セミの鳴き声が静まり返った部屋をはやし立てる。
俺は今聞いた話を一つ一つ頭の中に染み込ませていく。
空子もそれ以上言葉を発しない。
先に口を開いたのは俺の方だった。
「昔何が起こったのかは分かった。まだ実感は湧かないけど……。で、今の話の内容を要約すると、『魔』はまた復活するって事。んで復活した『魔』を倒すには『神威』って神技が必要で、その為に俺たち三人はまた会おうって約束した。今回俺達が出会ったのはそういう事なんだな?」
何故か少しきつめの口調になっている自分が腹立たしかった。
そんな俺の問いかけに、
「そう、『魔』はもう間もなく復活する。その為に私も貴方もこの時代に転生した。そしてツクヨミも何処かに転生しているはず」
真直ぐな瞳で空子は俺の問いに答える。
「私たちには使命がある。今度こそ『魔』を倒し、世界を護るという使命が」
一遍の迷いも無く空子は己が使命を言い放つ。けれど俺はそれをどこか遠い世界の話のように、まるで他人事のように聞いている事しか出来なかった。受け止める事が出来なかった……。
そんな俺を余所に空子はさらに言葉を続ける。
「まずはツクヨミを探しましょう。彼の神気は以前から感じ取れる。彼はとっくに前世を思い出しているはず。どうして私たちの前に現れないのかは分からないけど、きっと彼には彼の考えが在っての事だと思う。けれどもう『魔』の復活は目前に迫っている。早く合流して一緒に対策を練らないと。そうそう、私たちの他にも転生している神々がいるはず。彼らにも協力を仰がなければ『魔』を倒すのは困難だわ。『魔』の復活を目論む者達もきっと私達と同じ様に転生しているはずだから。それに武器あった方がいい。高天原は墜ちたけど、天界の神器は国中に散らばっているはず。一つでもそれを手に入れられれば強力な戦力になるはずよ。それに……」
熱に浮かされたように語る空子。そんな彼女を冷めた目で見る自分がいる。そう、今俺の中にある感情、それは一つだけ。
「……俺には、関係ない」
「え?」
ポツリ呟いた俺を唖然とした表情で見つめる空子。そんな彼女を置いて席を立つ。
呆然とする彼女に背を向けたまま、
「じゃあな、命を助けてもらった事には礼を言う。だけど、俺には俺の人生がある。『魔』ってのが復活したら人生も何もないのは分かっているつもりだ。それでも今の人生は神薙海の物だ。スサノオなんて関係無い。俺は俺のやりたいようにやる」
彼女の顔が見れない。自分が最低の事を言っているのは分かる。
要は世界の危機よりも残りの自分の日々が大事だと言っているような物だ。
腹が立つ。
「勝ち目のない戦いに命を賭けるほど出来た人間じゃないんだ。賭けに出たいならお前たちだけでやってくれ」
そう、ただ怖いだけ。
空子の話を聞く限り、彼女に従って行き着く先は自分自身の死。
だから逃げる。少しでも死から逃れるために。いずれその日が来るのは分かっているのに。
腹が立つ。
そうして、俺は部屋の出口の扉を開け彼女に別れを告げるため後ろを振り向く。
そこには、さっきと変わらぬ姿勢のまま、じっとこちらを見つめる彼女の姿。
「さようなら」
別れの言葉を残し、俺は空子を残し一人部屋を出た。逃げるように。
・
・
・
俺は何から逃げたのだろう?
戦いから?
死から?
それとも彼女から?
耐え切れずに走り出す。それでも心は沈んで行くばかり。目を瞑る。瞑った瞼の裏側には表情を無くした彼女の姿。哀しい色を宿した『朱色の瞳』。それは親とはぐれた幼子のような孤独な姿で、けれども今の俺に出来る事は、謝罪の言葉を紡ぐ事しか無かった。
「ごめん、ごめん、ごめん」
腹が立つ。
何に対して?
彼女に対して?
それとも……?
こうして……俺はすべてから逃げ出したのだった。