追憶9 『亀裂』
辺りを包む澄んだ音色と眩い光。
それらが発せられるのは俺が叩きつけている天羽々斬の切っ先とオロチの尻尾が衝突している所から。
いや、正確にはオロチの〝尻尾の中〟から。
「くっ、何だ?」
オロチの尻尾の中から放たれる光の衝撃で弾き飛ばされてしまいそうな剣を、必死に両手で押さえながら、俺は光が溢れ出る個所を凝視する。
「グアアァーーーーーー!」
ゆっくりとクシナダに向かって体を進ませていたオロチが絶叫を上げ停止する。
「くっ!」
俺はオロチの尻尾に剣を突き刺す格好のまま、せめぎ合う衝撃に全霊を注ぐ。
「グッ、キサマ……」
体を止めたオロチの首が俺の方を向き、赤い瞳でギロリと睨みつける。
「まさか、目覚めたノカ?」
オロチの疑念の声。その声には若干の畏怖さえ籠められているような。
「チィ、奴の神気か? ……考えられん事もナイ」
忌々しげに漏れ出るオロチの呟き。
そんな呟きを聞く俺の体は、あまりの衝撃に今にも剣どころか体ごと吹き飛ばされてしまいそうな状態だった。
「扱えるとも思わぬガ、用心に越した事はナイ」
言うとオロチは三つの首で一斉に俺に襲いかかる。
唸りを上げて襲いかかるオロチの首。
「ちっ!」
舌打ちしながらも、未だ光が発せられる場所に向かい、突き立てる天羽々斬を握る両手に力を込める。
明らかに間違った行為。このままこんな事をしていれば数瞬後に俺は死ぬ。
分かりきっていたにも関わらず、俺はこの場を離れられない。
迫りくるオロチの牙も目に入らない。
なぜかこの瞬間俺が見つめるのは、オロチの尻尾の中にある〝何か″。
すると発せられていた光がより一層の光を放ち、オロチの体全体を包む。
次の瞬間聞こえてきたのはオロチの絶叫。
「グオオォーーーーー!」
苦悶の雄たけび。
オロチの巨大な体が一瞬ビクンと身を震わせたかと思うと、俺に向かって襲いかかって来た三つの首も停止する。
「グッ!? ガッ、ガッ……!?」
声も出せないのかオロチの体は痙攣するばかり。
オロチの尻尾の中から溢れる光は、今なおオロチの体を包み込んでいる。
俺の両手によりいっそう衝撃が襲いかかる。
「ぐっ、くっ!」
吹き飛ばされそうな衝撃に全身に神気を巡らせ必死に耐える。
堅い皮膚に弾かれた宝剣。貫く事の出来ない神技。
絶望的な状況の中突然現れた眩い光。
強大な妖気を纏わせたオロチの体の自由を奪うほどの力。
この光の先にある〝モノ〟。
今この場を支配している気高く温かな〝何か〟。
それこそが天羽々斬も神技も通用しない俺にとって最後の希望なのだと。
奇妙な信頼感。
それはまるで数刻前に出会ったばかりのクシナダに対する信頼感に似ていた。
襲い来る衝撃に手にした天羽々斬も大きく震える。
その美しい刀身に無数の傷跡を纏った俺の相棒。
と、次の瞬間、小さな、しかし澄んだ音色を耳にする。
音の方へ視線を向ける。
その場所は天羽々斬の真ん中付近。
目に飛び込んでくるひと際大きな『亀裂』。
刃に走った亀裂は徐々に幾重にも広がっていく。
(まずい。このままでは……折れる!)
広がっていく亀裂を目にする俺の胸の奥も、心臓が砕け散ってしまうかのような痛みが走る。
脳裏に浮かぶ〝ある女〟の姿。
泣き崩れる太陽の女神。
朱色の瞳に涙を湛え、悲しい視線で俺を見つめ続ける女。
(貴方と私の絆の形。悠久の刻を経ても、ずっと変わる事の無い想いの象徴)
声が聞こえる。優しく包み込むような温かな声。
ピシピシと心が砕けそうに切ない音が聞こえる。想いが壊れゆく音が。
目を閉じる。
(俺は……)
体全体を震わせる衝撃に必死に抗う。
なおも耳に響く破壊の音色。
(いつか…私に想い人が出来た時、一緒にこの場所に来るのが夢でした)
心に響く温かな声。
(どうして……分かってくれないの……?)
胸を穿つ悲しい声。
(その夢は叶わなかったけれど……)
脳裏を過る寂しげな表情。
目を見開く。
荒れ狂う衝撃に震える両腕に神気を込める。
無数の傷を刀身に浮かべてなお天羽々斬は金色に輝く。
もう数え切れないほどの亀裂が走った刃。
(俺は、誓ったんだ! 必ず護って見せると!)
優しい光に包まれた月下の泉の景色を胸に、俺は金色の刀身に神気を注ぐ。
(貴方を……愛しています)
ふと懐かしい声が脳裏に浮かぶ。
ずっと泣き崩れていた女の表情は何故か穏やかな笑顔で、俺の好きだった『彼女』そのもので。
そんな『彼女』の笑顔がもう一つの笑顔と重なった時。
(最後に……もう一度この場所に来る事が出来て……嬉しかった)
「うあああああああああああああ!」
ありったけの神気を、俺は天羽々斬に注ぎ込んだ。
響き渡る悲しい音色。
ひと際大きな光が辺りを包む。
次の瞬間巻き起こる爆風。
爆風は辺り一帯を包み震える大地を破壊していく。
「グギャァーーーーーーーーー!」
それと共に響き渡るオロチの絶叫。
爆風によって一瞬退けられた雨が再び辺りに降り注ぐ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
地面に膝をつき肩で息をする俺。
両手に握った宝剣に視線を落とす。
宝剣はその刀身の半分を失い、残った刃の部分にも無数の亀裂が走っている。
心臓が砕け散ってしまった様な衝撃。
もしくは心臓そのものが無くなってしまったかのような喪失感を感じ、俺はガックリとうなだれた。
雨が降り注ぐ。その冷たい感触をその身に受けつつゆっくりと顔を上げる。
その視線の先、俺の瞳に飛び込んできた光景は、尻尾を斬り落とされたオロチ。
そして――。
地面に突き刺さる、ひと振りの『漆黒の剣』だった――。