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神威  作者: 桐丸
第3章:京都編
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追憶5 『誓いの泉』

天界『高天原』を降りた神『スサノオ』は、行くあても無く彷徨っていた地上で美しい姫に出会う。美姫の名はクシナダ。聞けば地上で暴れまわる邪神『八岐大蛇』の生贄としてクシナダは今宵捧げられるのだという話だった。さして興味の湧かない話だったのだが、憂さ晴らしと天界の神々に対する嫌がらせを兼ねて、スサノオはオロチとの対峙を心に決める。慈愛を含んだ漆黒の瞳に惹かれながら、記憶の中で泣き続ける朱色の瞳に苛まれながら、スサノオはクシナダと共にオロチの現れる場所へと足を向けたのだった。


 閉じた瞼の向こう側。澄ました耳に届く涼やかな虫の音色は心地良く。鈴虫の奏でる歌声が、戦いに逸る俺の心を宥めて行く。

 背中に感じる柔らかな草花の感触と鼻孔を擽る鮮やかな香りに包まれて、そっと瞼を開いてみれば、そこには闇の帳に落ちた夜空と大きくて丸い月の輝き。その儚い姿を見つめていると、虫の音に混じって物哀しい水の囁きが聞こえて来る。

 顔を横に向けた先には小さな泉。そのほとりに腰かけ、膝を抱えた格好でジッと水面が戯れる様を見つめ続ける生贄の姫の姿があった。


「…………」


 無言で視線を夜空の月へ。俺はもう一度瞼を閉じて己の内に閉じこもり、鈴虫と水の清らかな合唱に身を沈めた。

 真っ暗な脳裏に一つの光景が浮かび上がる。それは今から数刻前の出来事。オロチ退治に向かう途中、生贄の姫クシナダが突然足を止め、一つの願いを申し出て来た時の事だった。


 ・


 ・


 ・


 川の上流を目指しクシナダと二人黙々と足を進めていた道中。控えめな声が俺の背中に語りかけて来た。


「あの……」


「なんだ?」


 俺も習って足を止める。しかし後ろを振り返る事はせず、肩越しに声だけを投げかけた。感じる気配から僅かに躊躇う彼女の様子が伝わって来る。けれど俺はそのまま動かず、ただ続きの言葉を待ち続けた。

 そうして待つ事暫し。やがてクシナダはポツリポツリと言葉を紡ぎ出す。


「少しだけ……その、寄って行きたい場所が……あるのですが」


「…………」


「駄目…………駄目、でしょうか?」


 最後の方はやっと聞き取れるくらいの弱々しい声。けれどそこには確かな彼女の意志が感じられ、その事がどうしてか嬉しく思った。


「どうした? 俺が八岐大蛇と戦う事は受け入れたはずだぞ?」


 クシナダの両親と別れてから、俺達は共に言葉無く歩みを進めた。しかしそれも束の間。オロチに挑む件に関して答えが有耶無耶になっていた事を思い出したクシナダは、考えを改めさせようと俺にしつこく言い寄って来たのだった。

 最後は脅しに近い形で言いくるめたのだが……。


(まだ反論する気か?)


 思い至り少しだけゲンナリする。しかし俺の考えとは裏腹に、クシナダはまったく予想もしていなかった答えを口にした。


「いえ、貴方様を踏み留まらせるのはもう諦めました……」


 穏やかな口調。後ろから和らいだ姫の雰囲気が風に乗って体を撫でる。若干微笑んでいる様な気がしないでもないが、なんとなくクシナダの表情を確認する勇気は持てない。


(呆れられているのかもな)


 俺の我が儘ぶりに、年中呆れ顔で微笑んでいた女を俺は知っていた。一瞬だけ、その女の顔が頭を過る。

 しかし、浮かび上がった女の顔には、一欠けらの笑みも見られなかった。

 胸にズキリと痛みが走る。歯噛みし拳を握り締め、視線を遠き空の彼方へ。苦い感情が消え去るその時をただ待ち続けた。心の中に居る女とは別の、俺の背中を見つめ続けるクシナダの視線を感じながら。


「実は……最後に見ておきたい場所があるのです。時間は取らせませんから」


 きっと彼女は、あの澄んだ漆黒の瞳で真っ直ぐ俺の背に向かって語りかけているのだろう。振り向かなくても何となく分かった。それが余計に胸の痛みを増長させる。

 だからなのか。次に自分が発した言葉には、何処か棘が含まれている様な気がした。


「フン、想い人にでも別れを告げるのか?」


「いえ、違います。そもそも私に想い人などおりません」


 問いの答えは寂しげで、そこには希望の欠片も無い。


(そういえば、男どころか村人全員から拒絶されていたのだったな)


 その声を聞いて、今更ながらに自分自身を惨めに思った。災厄を一人押し付けられた彼女に対し、醜い感情をぶつけてしまった己の矮小さに怒りがこみ上げる。


「お気に入りの場所があるのです。小さな頃から時間があれば足を運んでいた場所が」


 だと言うのに、クシナダから返って来た声は少しだけ明るさを伴っていて。それは受け止め様によっては、己を苛む孤独を誤魔化している彼女の心の内を表している風にも思え。しかしそんな相手に対し、俺は掛ける言葉を持っておらず、またしてやれる事も思い浮かばない。ただ適当に返事を返してやるのが精いっぱいだった。


「その場所の景色を見ておきたいと?」


「はい」


(お気に入りの場所、か……)


 思案するも別に断る理由は無く、素っ気なく言い捨て反応を待つ。


「構わん。俺はオロチと戦えればそれでいい」


 すると彼女から返って来た返事は今まで聞いた中で一番明るい声。弾んだ声の様子から、勢い良く頭を下げ礼を述べるクシナダの姿が目に浮かぶ。


「っ! ありがとうございます!」


 何がそんなに嬉しいのか、俺にはさっぱり分からない。でも、沈んだ表情しか見せなかった彼女の顔に、ほんの僅かな光が差した様な気がして自然と心が軽くなる。


「あ、こちらです」


 歩みを再開したクシナダが俺を追い越し先を促す。その小さく頼り無い後ろ姿を眩しく感じる。


(しかし……)


 だけどそれと共に小さな怒りが湧き上がったのも事実で。少し前のクシナダの言葉を思い出す。


《最後に見ておきたい場所があるのです》


(最後、か。……この女、まったく俺の事を信じていないな?)


 こんな何気ない一言にさえ癇に障る俺はやはり器の小さな男なのだ。でも今の俺には些細な事にも思え。少し前の重い足取りとは違う、やけに軽くなったクシナダの足音を聞いている内に、つまらない怒りも何処かへと姿を消してしまったのだった。


(まあ、初対面の相手に命を預けろと言われても…なぁ)


 ・


 ・


 ・


 流れる回想から戻り目を開く。そうして瞳に飛び込んで来るのは暗黒を照らす優しい月。身を包む温かな月光は、初めてこの場に足を踏み入れた時の光景を思い出させる。



 心奪われた光景。

 薄暗い森の中にぽっかりと空いた空間。天から差し込む柔らかな月の光を受けて、小さな泉の水面がキラキラと輝く空間。冷たい闇に覆われた森の中で、この場所だけが青白く穏やかに煌めいていた。

 その光溢れる空間に、どこまでも深い慈愛を秘めた瞳を湛えながらも絶望に囚われた美しい女が一人。

 天の月と地の水面から放たれる光が、ゆっくりと辺りの景色を見回す麗しい姫の姿を照らし出す様は、この世の物とは思えぬほどに美しく。光従える彼女の姿は、宛ら月の女神が泉に舞い降りた様にも思えた。

 しかしそれは今にも光の中に溶けてしまいそうなほど儚くもあり。目に映る幻想的な風景は、決して忘れる事のない記憶となって俺の胸に刻みこまれた。

 そんな光景だった――。



(……ちっ、これじゃあ今まで女目的でオロチに挑んでいった馬鹿共と変わらんな)


 体を起こし首を左右に振る。自らの内からクシナダを追いだす様に。俺の大切な場所に入り込もうとした女を認めない為に。その場所に今も居続ける太陽の女神から彼女を隠す様に。


「…………」


 目をクシナダに向けてみれば、彼女は先ほどと変わらず一心に青い水面を見つめている。

 俺は立ち上がると座り込んだまま動こうとしないクシナダの傍に歩み寄り、彼女と同じく揺れる水面に視線を送った。


「…………」


「…………」


 俺もクシナダも口を開かず、辺りに響くのは鈴虫の鳴き声と水の戯れ、そして二人の小さな息遣いだけ。どちらも言葉を紡ごうとせず、静かな時間だけが流れ過ぎて行く。

 どれくらいそうしていただろうか。

 やがて静寂を破ったのはクシナダの哀しい声だった。


「この場所……知っているのは私だけなのです」


 ポツポツと語りだす生贄の姫。その横顔は笑みを浮かべているも寂しげな影が見え隠れする。


「お父様もお母様も姉様方にも、誰にも教えていない……私の宝物です」


 泉を彩る鮮やかな碧に目を奪われながら黙って言葉の続きを待ってみれば、次に彼女の口から洩れ出た物は、何て事無い些細な願い。


「いつか……私に想い人が出来た時、一緒にこの場所に来るのが夢でした」


「…………」


「その夢は叶わなかったけれど……」


 クシナダはいったん言葉を区切ると音も無く立ち上がる。向けられる漆黒の瞳はすべてを諦めた哀しみに満ちていて。なのに彼女は幼い少女の様に無邪気な表情で俺に笑いかけた。


「最後に、もう一度この場所に来る事が出来て……嬉しかった」


 その笑顔が俺の記憶の中の『彼女』と重なる。今も遠くで泣き続ける愛しい『あの女』の姿と。

 クシナダの漆黒の瞳から目が離せない。余りにも儚いその姿に思わず叫びだしたくなる衝動が湧いて出る。

 唇を噛み胸を付く激情を必死に抑え込みながら、やっとの事で声を絞り出す。


「お前は……それでいいのか?」


「………」


 ふいに口をついて出た言葉。クシナダの表情は何かを悟った様に穏やかに。その様に苛立ちを感じ胸の内が熱くざわめく。


「ッ、お前は…………それでいいのか!? 村人の……我が身可愛さに厄介事すべてを他人に押し付けて知らんふりを決め込む連中の為に、手を差し伸べようともせず孤独を与えた奴らの為に、……そんな奴らの為に、自らの命を掛ける価値があるのかッ!? 夢を諦める意味があるのかッ!?」


 怒声が静寂を壊す。気がつけば、俺はクシナダの両肩に手を置いて、彼女の体を揺さぶっていた。

 クシナダは顔を伏せ足元に視線を巡らせる。耐える様に肩を震わせながら、それでも想いを押し殺そうと。

 自らの想いを犠牲にしてまで他者を救おうとするクシナダの姿。それは頭の中で泣き続けている『あの女』の姿を俺に思い起こさせた。

 だから、俺の口は止まらない。止める訳にはいかなかった。


「生きたいとは思わないのか!? 夢を叶えたいと思わないのか!? 自分の想いを犠牲にしてまで他人を救う事に何の意味がある!? それとも……お前を見捨てた薄情な連中を救う事が、お前の望みなのかッ!? 違うだろう!? お前は他人の世界を護るのと自分の願い、どちらが大切なんだッ!? お前の中には求める幸せがちゃんとあるじゃないかッ!? 何故諦める!? どうして一人で抱え込む必要がある!?」


 かつて『届かなかった』言葉。

 そんな俺の言葉にクシナダの体がビクンと震える。


「…………ない」


 俯いたクシナダの口から鈴虫の音色にもかき消されてしまいそうな小さな声が漏れる。が、次に口を付いて出て来た言葉は、意志と強さと……怒りを含んでいた。


「望んでなんかいない……。価値もある、意味だってある……。私が犠牲になる事でお父様とお母様を助ける事が出来る。それだけで私には意味も価値もある。だけど……ッ」


 顔を上げたクシナダと視線が絡む。真っ直ぐに俺の目を覗きこむ瞳には激しい光が宿っていて。だから正面から受け止める。その想いを知る為に。


「決して……望んでなんかいない! 諦めたくなんかない!」


 今までの消えてしまいそうな弱々しい姿からは想像も出来ない取り乱した姿で、クシナダはなおも俺に詰め寄って来る。まるで、心に仕舞い込んでいた恐怖や絶望、行き場の無い怒りをぶちまけるかのように。


「嫌い……皆大嫌い! 幼い頃からずっと一緒だった友達も、私を好きだと言っていた男たちも! 小さい頃からずっと優しくしてくれた大人たちも! 皆、掌を返したように突然私を遠ざけた……。私の声に応えてくれなくなった……。誰も…………私を見てくれなくなった!」


 言いながらクシナダが俺の両腕を強く掴む。漆黒の瞳から零れ出る大粒の涙。それが熱く胸を打つも何故だか俺は嬉しくて。だから彼女の肩に添えた手に力を籠めて、その想いに精いっぱい応える。


「優しくしてくれたのはお父様とお母様だけだった……。二人はいつも私の傍に居てくれた。傍で笑いかけてくれていた。なのにッ、アイツらはそんなお父様とお母様にも辛く当たった! 許せない、絶対に……! 村の人間なんか皆死んでしまえばいい! 私は…………アイツらの道具じゃない!」


 可憐な姫の口から吐き出される歪んだ言葉。けれどその様を醜いと感じる事は無い。むしろ尊く、そして眩しい。それはもちろん場を包む月明かりのせいなどではなく。そんな不安を抱きつつも両親に対する優しさを失わない彼女を心底美しいと思った。

 言い終えたクシナダは力無くうな垂れ再び視線を地面に落とす。


「逃げ出したい、何処か遠くへ……。八岐大蛇なんて魔物がいない平和な場所へ……。村の人間なんて知らない。あんな奴らどうなったっていい! だけど……私が逃げだせば、お父様とお母様を見捨てる事になる。それだけは、出来ない……出来ないのッ」


 俺の両腕を掴むクシナダの手から、小刻みに震える体の様子が伝わって来る。

 見苦しい程に泣き叫んだ生贄の姫。月下の泉で輝いていた姿とは正反対の、憎しみに満ちたクシナダの姿。深い慈愛を含んだ漆黒の瞳に灯った激しい怒り。美しい声で奏でられた恨みと苦しみの激情。それらを目の当たりにして、何故だか俺の心には安堵の感情が広がって行く。

 考える事も無く俺の右手は自然とクシナダの頭にポンと乗せられ、それに応える様に彼女はゆっくりと顔を上げた。涙に不安の色を滲ませながら。

 だから俺はハッキリと告げる。視線を逸らさず、彼女の瞳を見つめながら。出て来た声は自分の物とは思えないほど穏やかに。俺の想いを伝える為に。


「なら、生きろ……」


「あ……」


 小さな呟き。それと共に泣きはらしたクシナダの顔が更に歪む。それでも俺は言葉を紡ぎ続ける。それが今彼女に対して俺が出来る精いっぱいの事だから。


「言っただろう? オロチは俺の獲物だと」


 堪え切れない涙の雫は止めど無くクシナダの頬を伝う。拭ってやる様な真似はしない。今はただ、その秘めた不安のすべてを外へ。


「青海原の神、スサノオノミコトの名に……いや、お前の宝物であるこの月下の泉に誓おう。八岐大蛇を倒し、必ずお前を護ると……!」


 俺の両腕を掴むクシナダの手に、より一層力が込められる。腕に軽い痛みが走るが……どうでもいい。涙で濡れた漆黒の瞳をひたすら見つめ続ける。


「無理に俺を信じろとは言わん。ただ、最後まで諦めるな。例え周りから無様に見えたとしても……足掻き続けろ。不安なら、孤独が嫌なら、成したい事があるなら、助けが必要ならば……手を伸ばし続けろ。誰も見向きしなかったとしても、俺はその手を取る!」


 クシナダの体が傾き俺の胸に顔を埋める。僅かな彼女の重みが心地良く温かい。


「う…………ぁ……」


 漏れ聞こえる嗚咽。頼り無く華奢な彼女の体に自然と俺の両腕が回り込む。

 そうして俺は、しっかりとクシナダを抱きしめた。


「俺が……必ずお前を護ってみせる」


「あ……ああ…………ああああああああああああああああああッ」


 堰を切って溢れ出る哀しい感情。そこには月の女神の姿など無い。あるのは絶望と孤独に耐え続けた一人の寂しい女の姿。

 その温かさを感じながら、俺はそっと夜空を見上げる。闇の帳が広がる空で煌々と光をを放つ壮麗な月。夜風が体を撫でて行く中、俺は一人夜を支配する男を思い出す。


(今の俺の姿は……アイツの目にどう映るのだろう?)


 鼻で笑うか? それとも呆れるか? 軽蔑の眼差しを向けてくるか?


(護る事の出来なかった男が、逃げ出した臆病者が……とか思われるのか?)



 かつて護る事の出来なかった誓い。いや、自らの手で壊してしまった絆。

 今も遠くで泣き続ける、自らの想いを殺した太陽の女。

 腕の中で泣き続ける、自らの想いをさらけ出した月下の女。



 天から降り注ぐ金色の輝きと泉の水面が放つ碧の煌めきが、俺とクシナダを優しく包み込み、静かに見つめ続けていた――。




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