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神威  作者: 桐丸
第3章:京都編
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宿敵

出雲の地を目指す道中、海と空子は京都へ立ち寄っていた。夕暮れの街中を2人肩を並べて歩いていると、小さな神社が海の目に止まる。途端彼らの間を流れる空気がおかしくなる中、2人は導かれるように境内へと足を踏み入れた。そこに佇んでいたのは一人の巫女。しかしその巫女は突然海の下から走り去ってしまう。引き留める空子の腕を振り払い、海は消えた彼女の後を追う。その女は夢の中でこう呼ばれていたのだ。『クシナダ』……と。


「はあ、はあ……クッ、何処まで行ったんだ?」


 境内の奥。鬱蒼とした林の中、立ち並ぶ木々をかき分ける様に駆け抜ける。

 夏の終わりを謳歌するセミ達のやかましいさえずりを耳に、俺は走り去った『彼女』の姿を求めていた。



 ――心臓が早鐘の如く高鳴り、背筋には冷たい汗が滲み出る。



 あれから一体どの位時間が経ったのか? 陽は沈み、辺りはすでに夜の闇に包まれていた。


「参ったな。流石に放って帰る訳にもいかないし」


 言葉とは裏腹に帰る気なぞさらさら無い。

 視界も足元も悪いせいか、いつしか俺は足を止め、夜の帳に包まれた林の中に一人寂しく立ち尽くす。それでも確実に『近付いている』感覚はあった。



 ――淀んだ空気に満ちた空間。胸の奥から突き上げる不安。



 内心の焦りを抑え込む様に、俺はまた一歩一歩確実に歩み始めた。


「あの娘は……」


 先ほど見た光景。漆黒の瞳を湛えた巫女と視線を絡めたあの瞬間を思い浮かべる。

 霞みの先に現れたのは夢の中の出来事。大きな月を背に、温かくも何処か哀しげな笑みで俺に語りかけてきた女性。慈愛を含んだ漆黒の瞳。彼女は俺をスサノオと呼び、そして俺は彼女の事を……。


「だからなのか……?」


 ほんの数刻前、空子とのやりとりを思い出す。

 俺がこの神社に興味を持った理由。

 空子が俺を神社から遠ざけたかった理由。

 俺が空子を遠ざけたかった理由。

 スサノオの伝承。

 あまりにも有名な逸話の数々。

 スサノオに付いて回るキーワード。

 イザナミを想い泣きはらす海原の神。

 天の岩戸。

 伝説の神剣。

 そして……生贄の姫――。


「ふぅ……」



 ――濁った空気で肺を満たす。



 林に足を踏み入れた時からの違和感。神聖な場所であるはずの神社の敷地に充満する不快感。大切な人を追いかけているはずなのに、こみ上げて来るのは恐怖と苛立ち。

 ねっとりと絡みつく空気の中、『彼女』の姿をだけを求め歩みを進める。『近付く』気配に向けて、ただ一心に足はその場所へ。

 気が付けば、あれだけやかましかったセミの鳴き声もいつの間にか鳴りを潜め。


「すぅ……はぁ……」


 もう一度深呼吸。いつの間にか俺は歩みを止めていた。

 大切な彼女を追ってたどり着いたその場所は、悪意が蔓延る絶望へ入口。暗夜に蠢くはすべての生を否定する禍々しき穢れ。

 けれど俺の腰が引ける事は無く、それが当然の様に眼前の闇を睨みつける。

 暗黒の空間が歪み現れたのは血の様に赤い瞳。明らかな敵意を含んだ鋭い視線が、殺意を以って俺の体を刺し穿つ。


「来タカ、スサノオ……」


 聴く者の心臓を握り潰すかの様な、昏く響く圧倒的な圧迫感を纏った声。人の言葉を操りながらもソレは人に在らず。いつかまみえた餓鬼や鬼にも通じる冷たい殺意。



 ――近付いていた恐怖の正体。



 ホオズキの様に真っ赤な瞳を宿したその体は、真っ黒な水で出来ているかの様に酷く不安定な状態に見え。蛇を思わせる体長三メートル程の異質な体は、捕らえた獲物を逃すまいと、意識を失っている『彼女』の体に幾重にも巻きついている。

『生贄の姫』

 スサノオを英雄たらしめた伝説の物語。俺がスサノオであり、彼女が生贄の姫ならば、切っても切れない、避けて通る事の出来ないキーワードが一つある。


「オロチ……」


 赤く輝く瞳から放たれる穢れた殺意を真っ向から受け止めその名を呼ぶ。



 邪神『()(またの)大蛇(おろち)


 伝承に語られる最悪の魔物。

 幾人もの生贄を食らい、日の本の国を恐怖に陥れた伝説の邪神。山の様に大きな体に八つの頭。赤い瞳を湛え、嵐を引き連れて来るというその様は正に恐怖の象徴。

 だが、今目の前に現れた魔物は、『少し大きな蛇を形取った黒い水の塊』という表現しか出来ない、伝説とはかけ離れたみすぼらしい姿だった。頭も一つだけしか無い。


「伝説の蛇竜にしては情けない姿だな?」


 憐れみを含んだ視線、侮蔑を籠めた声の色をオロチに向ける。

 しかし眼前の蛇は、そんな俺の安い挑発に乗るって来るどころか、心底可笑しそうに人の言葉を紡ぎ出す。


「フハハハハッ。なあにオ互いさまダ……。貴様ノ弱々シイ神気ニ比ベレバ、我のこの姿など可愛イモノダ。ソウハ思わぬカ? ……英雄神スサノオよ」


「そうかい、そりゃ失礼」


 対する俺の口から出て来る言葉も軽口ばかり。でもそれもここまでで。平静を保っていられるのもここらが限界。奴の言葉なんかより、あの薄汚い体が『彼女』に触れている事が、俺は何よりも許せない――。


「その娘を離せ」


 言って言う事を聞くとも思えないが、お決まりのセリフを口にする。だが、俺の考えとは裏腹に、何を考えているのかオロチの奴は、捕らえていた彼女の体をあっさりと解放した。

 むき出しの冷たい土の上に彼女の体が静かに伏せる。


「どういうつもりだ?」


「離せト言っタノハ貴様ダロウ?」


 訝しむ俺とは真逆に、オロチの声は愉悦に浸っている風にも思え。怪訝な顔を浮かべる様に満足したのか、存在の不確かな蛇の顔が、ニタリとイヤらしい笑みに歪んだ様な気がした。


「マダ時期尚早なのでナ」


「時期尚早?」


「ソレヨリモ……」


 言いながらオロチは、地に倒れ伏した彼女の前へと音も無く体を躍らせる。


「久しぶりノ再会ナノダ。何時までもクダランお喋リナゾするヨリも、我らニハやる事ガアルノではナイカ? 英雄神」


 そう、言葉などそもそも俺達には意味を成さない。記憶など無くとも、魂に刻み込まれたスサノオの意志が、奴の存在すべてを否定する。互いにこうして向き合った以上、やるべき事はただ一つ。その考えは奴も同じ様で、不純に満ちた暗黒の蛇が鎌首をもたげ牙を剥く。

 対する俺も知らず身構え、邪神を見据える瞳へと少ない勇気をかき集める。


「そうか、そうだったな……」


 体は恐怖で満たされて、身の毛もよだつ悪寒が全身を苛む。それでも思考は冷静だった。戦いに慣れた訳じゃない。奴が怖くない訳でもない。心はオロチへの怒りが際限なく溢れ出て、なのに頭の中は驚くほど静かに。でもそれは当然の事で。

 どうしてなのか。その理由は至極単純にして明快。必然と言える自身の在り方。



 それは奴、八岐大蛇こそ、スサノオ(おれ)の『倒すべき敵』なのだ――。



 握った拳に力を籠め、地面を踏みしめる足に神気を高める。

 邪神が放つ淀んだ妖気が渦巻く空間。闇に染まる薄暗い林が逃げ惑う様に叫びを上げる。

 一瞬だけ、視線をオロチから地面に倒れ伏す『彼女』へと。

 未だ閉じられたままの瞳、小さな呼吸を繰り返す赤い唇。こんな場所であるにも関わらず、その寝顔をとても可愛いらしいと、愛しいと思えて……。

 だからそれだけで十分だった。

 視線を戻す。そこにオロチの姿を捉え、見据える瞳に意志を籠める。許されざる存在を屠る為に、彼女を護る為に。



『永遠の誓い』を果たす為に――。



 漠然とした想いを揺るがぬ決意と勇気に変えて、俺は宿敵に向かって足を踏み出した。




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