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婚約破棄をありがとう

「パトリシア・オーズ伯爵令嬢! 貴様とは今日で婚約破棄だ!」

 

 王立学園の卒業パーティーで、リシャール第二王子の声が響き渡った。卒業後は宮廷騎士団に入団する美丈夫なリシャールの腕には、グラマラスな女性が絡みついている。

 対峙するのは、どう見てもドレスに着られているパトリシア。


 二人に睨み付けられたパトリシアは、

「いいんですか? ありがとうございます!」

と、晴れやかだ。

 やった!やった!、と踊りだしそうなパトリシアに、リシャールは不機嫌に言葉を続ける。


「貴様はこのジュリエッタに何度も陰険な虐めをした!」

「酷いです! パトリシア様!」

「そのような女は」

「あ、それ私じゃありません。私、この二か月は魔の森に行ってました」

「魔の森に !?」

「はい、学校には校外学習として出席日数に含めてもらいました。おかげで無事に卒業できます」


 国の境にある魔の森は、森の中で魔素を発生し、魔素を体内に溜めた動物を魔獣と化す。

 なぜ魔素が発生するのか、魔素がどうやって体に溜まるのか、まだまだ解明されていない。

 そこにハマってしまったのがパトリシアだ。

 天才少女と言われて10歳の時にリャールと婚約したのだが、昨年から魔獣の研究に夢中になってしまった。


「二か月もリシャール様を放ったらかしにしたのに、ちゃんと自分で次のお相手を見つけてくださるなんて、なんていい人なのでしょう!」

「え……? 婚約破棄していいんだな? するぞ?」

「そちらのお嬢さま。私はあなたに何もしていません。多分やったのは他の方ですね。嫌われていらっしゃるのでしょうか。お気の毒に」

「なっ……!」

 真っ赤になったジュリエッタが、取り囲んでいる観客の一部を睨み付ける。心当たりがあったようだ。


「それでは私はこれで失礼します」

「ま、待て!」

 まだ何か?、という態度で振り返るパトリシアに、

「お前の嫁ぎ先を用意してやったぞ! 魔の森に多く面していて魔獣の被害が大きい辺境地を治める辺境伯の息子だ!」

と、リシャールが告げるとパトリシアの顔が輝いた。

「ご親切にありがとうございます! 早速明日にも嫁ぎます!」

 辺境まで走り出しそうなパトリシアだったが、

「あ! その前に、大急ぎで今回の発明の認可と使用許可をお願いします!」

と、ポケットから布に包まれた物と数枚の申請書類を取り出した。


「これが、魔獣よけ石です」

 布を払うと石に描かれた魔法陣が光り、昇天しそうな刺激臭が人々の鼻を突き刺した。

「あとこれが魔獣よけベル」

 振ると超音波のような音がして、キリで突き刺されたように頭が痛む。

 魔獣にダメージを与える前に人間がダメージを受けてしまうのは、今後の研究課題だ。


「あと、もう少しで完成するんですが、魔獣よけの(さく)を作るための(くい)を製作中です! まとめて認可をお願いします! 辺境に行く前に! 大急ぎで!」

 魔獣よけ石やらベルやら関係書類やらを押し付けられたリシャールは、「じゃ、よろしく!」とるんたったと帰っていくパトリシアの後ろ姿を見送るしかなかった。

 そんなリシャールの肩を、ジュリエッタが優しく叩いた。




「パーちゃん! 朝だよー!」

 辺境伯の屋敷に、長男ラルフの声が響き渡る。

 部屋から何の返事も無いので、ラルフはワゴンを押しながら部屋に入り奥の寝室のドアを開けた。

 薄暗い部屋のカーテンを次々と開けると、大きなベッドの端っこで開いた分厚い本を顔にのせて眠っている女性の姿が見えてくる。

 べりっと本を取り除いて

「パーちゃん! またベッドで本を読んだね。読むなら早起きして朝日の中で、って言ってるのに」

と厳しく注意する。

「ごめんなふぁい……」

「はい、これで顔を洗って」

 運んできたワゴンをパトリシアの前にとめる。

「あああ、水まで持って来てくれる婚約者だなんてありがたい」

 ラルフが持ってきた(たらい)の水でパチャパチャ顔を洗ってるパトリシアの横で、ラルフはタオルを持ってスタンバる。

「いいって。十代の頃から魔獣狩りで男たちと遠征してたから、寝かせる、起こす、飯を食わせる、の世話をするのは得意なんだ」

と言いつつ洗い終わったパトリシアの顔にタオルをぱふぱふとあてて水を吸い取る。

「ありがたや~。理想の男性がここ辺境にいた……! リシャール様、よくぞ彼を見つけてくださいました」

「ささ、拝んでないで化粧台に行ってお化粧をして。朝食に行くよ」

「どの順に塗るかわかんないです〜」

「いい加減に覚えてよ。複雑な魔法解析は出来るのに。はい、まずは化粧水」

 ラルフが手渡す順に顔に塗り塗りしていく。


 辺境伯夫妻が朝食を食べている食堂に、ラルフがパトリシアの髪のリボンがはねていると世話を焼きながら「おはようございます~!」「遅れました!」と入ってくる。

 パトリシアが辺境に着いて一週間。すっかり見慣れた毎日の風景だった。

 食堂にいる辺境伯夫妻もラルフの弟のクリフも、もうラルフに「そういう事は侍女にさせなさい」とツッコミを入れる気も無くなっている。


 食後のお茶を飲んでいる時、パトリシアが辺境伯に魔獣よけ杭の実験の場所を提供してほしいと言った。

「ほう、もう完成するのか」

「はい、今日中には! ラルフ様が色々な魔獣を狩って来てくださったので、サンプリングに事欠かず、魔素の魔法解析がはかどりました! ラルフ様って絶倫ですね!」

 ラルフとクリフがブーーーッ!と飲んでいた紅茶を吹き出す。

「……何をやってるの二人とも。『絶倫』とは群を抜いて優秀な事を言うのですよ」

 辺境伯夫人の冷たい声に

「わ、分かってますが……」

「青少年には刺激が強いです」

と、ダメージを受けてる。


 あまりにも人付き合いをしてこなかったパトリシアは、俗語に(うと)い。辞書に載っている意味をそのまま覚えてしまっているので無意識に卑猥語を発するのだと辺境伯家の皆は学習したのだが、不意打ちには弱かった。


 二人を不思議そうに見ているパトリシアに

「では、明日までに場所を検討しておこう」

と辺境伯が言うと

「やった! パーちゃん、明日はデートだね!」

 ラルフのご機嫌は一気に跳ね上がった。





「ラルフ様は、なぜ私を(もてあそ)ぶのがお好きなのですか?」

「もっ、もて、あそんでなんて!」

と、言った時、ラルフは自分が櫛を片手にパトリシアの髪を編み込みしてるのに気付いた。

「あ、弄んでるね……」


 翌日。デート日和に晴れ上がったので、ラルフは張り切ってパトリシアと父が選んだ実験の地へやって来た。

 もちろん、実験道具を積んだ荷馬車と護衛騎士三人と共に。

 魔の森との境に二百メートルほど杭を打ち、杭の間に鉄線を張り巡らした。

 今は、馬車と荷馬車と騎士の乗って来た馬を遠くに控えさせ、近くの大きな木の下に簡易なスツールを五つ置き、五人はそこに座って魔獣が来るのを待機だ。

 杭と足を紐で結ばれた(おとり)の鶏が、地面に撒かれた餌を上機嫌で(ついば)んでいる。魔獣さえ出なければ、のどかな光景だ。


 皆でスツールに座って待機していたら、ラルフがパトリシアのヘアケアセットを取り出してせっせとヘアアレンジを始めたので、質問せずにはいられないパトリシアだった。

「弄ぶと言うか、世話好きなんだよ。でも、一応辺境伯の長男だから、世話は焼いてもらう方なのでそれを知らなくて。初めて魔獣討伐の遠征に行った時、自分の事は自分で、他の人にも手を貸す、と言われて『そんな事をしていいのか!』って嬉しくなって、自分が世話好きだと知ったんだ」

「はぁ、なるほど」

「だからパーちゃんが来た時には驚いたよ。ボサボサの髪、ヨレヨレのドレス、不健康そうなクマ、持って来たのは手入れの行き届いて無い魔道具。もう、俺の理想が降臨した!と思ったね」

 キラキラした瞳で言うラルフに、パトリシアの優秀な頭脳はフリーズした。

「……理解は出来ませんが、お気に召していただけたようで良かったです」

(誰にも理解は出来ないよ)

 騎士たちは心の中で思ったが、口には出さない。


 その時、鶏がけたたましく鳴いた。ラルフと三人の騎士が剣を持って立ち上がり、パトリシアを庇うように前に立つ。

「見えません〜!」

 ラルフの背中をポカポカ叩くが、彼には猫パンチほどのダメージも与えてない。

「来たな」

「キツネ型魔獣のようだ」

 パトリシアは諦めて、騎士たちの隙間から覗く。

 魔の森から、毛が黒く長くなり、目が赤く光り、牙が大きく育った、かつてはキツネだったであろう魔獣が柵に近づいていた。

 鶏は更に大きく鳴き、バタバタと逃げようとするが足に付けられた紐で遠くに逃げられない。キツネ型魔獣は悠々と近づき、柵の鉄線の間を抜けて入ろうとするが、鉄線に触った途端、バチッと火花が散ってキツネ型魔獣は悲鳴をあげて逃げ去った。


「やった!」

 飛び上がるパトリシアに

「やったな! パーちゃん!」

「しかし、我々が触っても何ともなかったのに何故……」

「あの火花は何ですか?」

と、次々と声が掛けられる。


「あれは、杭に雷の魔法陣を書き込んでいるんです。魔素に反応して、杭や鉄線が魔素を感じたら雷が落ちるのと同じ攻撃をします」

 スツールに落ち着いた所で、パトリシアは説明する。

「へぇー。すごいねパーちゃんは」

「いえ、ラルフ様が魔獣を沢山仕留めて魔素を解析させてくださったおかげです!」


「あ、あのさ、リシャールにはそういう事を頼まなかったの?」

「リシャール様は、私の研究に興味は無いですから」

「じ、じゃあどんなデートをしたの?」

(昔の男が気になるタイプか……)

 身を乗り出すラルフの姿に、意外な一面があったのだと気付く騎士たち。


「デートと言えるのか……。王宮の部屋でお茶をして、リシャール様が欲しい物を言って、帰ってから私が作って、それが完成したら渡す時が次のお茶会、という感じでしたね」

「何だそれは! パーちゃんを食い物にしてるだけじゃないか!」

「いえ、他に共通の話題が無いと言うか……。なんせ、趣味が研究、特技が発明、という人間なもので、普通の令嬢みたいな反応が出来なくて」

 満開の花畑に連れて行ってもらった時、花よりトンボの交尾に夢中になった事はさすがに黒歴史の自覚があるので言わない。

 不自然に目を逸らすパトリシアに、ラルフの誤解は固まった。


「パーちゃんは、今までどんなのを発明したの?」

「10歳の時に『お湯の温度が変わらないティーポット』を発明して、リシャール様の婚約者になりました」

「ああ! うちにもあるよ。パーちゃんが発明したのか」

「はい。それから、リシャール様のリクエストで、塗ればガングロになるファンデーションとか、アヒル口になる口紅とか、涙袋が出来るアイクリームとか」

「……何か、流行の変遷(へんせん)を見ているようだ」

「てか、王家の人たちって結構流行り物好き?」


「ニキビ跡が消えるクリームを頼まれたすぐ後に、私が魔獣にハマりまして。いつまでたっても作らないので、私の心変わりに気づいたんでしょうね」

「そんな物作らなくていいよ!」

「いいえ、作ります」

 ガーン!、という顔になるラルフ。


「その、私ってコミュニケーション能力が無いと言うか、物事を言葉通りに受け取るしかできないと言うか……」

(自覚があったんだ!)

「辺境に来て気付いたんです。リシャール様は『ニキビ跡』と言いましたが、きっと『傷跡』を消してほしかったんだと」

「ああ、ここの騎士団の奴らは傷だらけだな」

「リシャール様は、卒業後宮廷騎士団に入団が決まっていました。素直に『傷跡』とは言えなかったのでしょう」

 

 辺境の騎士たちは傷だらけだ。魔素を含んだ傷は跡を残すから。傷跡は勲章みたいなものだが、引きつって痛むし、女性騎士は内心では顔の傷を気にしているだろう。

「傷跡が無くなるクリームか……。パーちゃんと婚約破棄だなんて、なんて愚かな男だと思っていたが……」

「リシャール様は痴漢ではありません!」

 『痴漢』が『馬鹿な男』の意味で使われているのだろうと悟った皆であった。


 その時、鶏が今までよりけたたましく鳴いた。必死に逃げようとしてバタつく勢いが前回より大きい。

 皆が魔の森を見ると、ゆっくりと森から現れたのは体長2メートルほどのクマ型魔獣だった。大物の登場に、さすがに皆が息を呑む。

 毛の色がまだらとなり、手には血がこびりついた巨大な爪が存在を主張している。


 皆はまた剣を抜いて、パトリシアを守るように前に立つ。

 パトリシアはかぶりつきを諦めて、騎士たちの隙間から(うかが)った。


 ズンズンと近づいて来たクマ型魔獣は、魔獣よけ柵の電撃を受けて一瞬驚くが、電撃はクマ型魔獣を怒らせただけだった。

 怒った魔獣はその手を柵に振り下ろし、歪んだ柵がそのまま破壊されて乗り越えられるかと皆が身構えた時、魔獣は小さな光の粒となって消えた。


 残された者たちに沈黙が落ち、歪んだ柵だけが確かに魔獣がいた事を証明している。


「ふむ……。実験は成功ですが、物理的攻撃に弱いですね。ここは杭打ちのプロに知恵を借りて……って、ラルフ様、杭打ちのプロって何屋さんですか?」

「いやいや、それより魔獣は? どこ行っちゃったの!」

「宮廷騎士団の鍛錬場に転移してます。前にリシャール様に案内してもらったのですが、騎士の人数の割にめちゃくちゃ広いんですよ。とっても綺麗で、何でか花の咲く木が沢山植えてあったんですが、花が散ったら誰が掃除するんでしょうね」

(宮廷騎士団を見て、感想がそれ?)


「あそこなら、魔獣の一匹や二匹や三匹、暴れたって大丈夫です!」

「いやいや、宮廷騎士団の人たち今頃困ってるよ?」

 宮廷騎士団の仕事と言えば、警備とか護衛とか護衛とか護衛とか。魔獣と戦った人などいないと思う。

 焦っているラルフとは反対に、パトリシアは不思議そうに言った。  

「何故ですか? 宮廷騎士団は国で一番強い騎士団だそうですよ」


 皆の顔がスンとなり、宮廷騎士団への同情が霧散した。


「へ、へえ〜。……そんな事言ってやがんだ。じゃあ放っておくか」

 ラルフの言葉に騎士たちが深く頷く。


「パーちゃん、この杭をどんどん作ってくれ。俺たちはこの杭を領地中に打ち込むぞ! いや、その前に国王の認可と使用許可がいるか」

「おまかせください! 婚約破棄をされた時に、魔獣よけ石と魔獣よけベルと一緒に認可をもらっておきました!」

 ポケットからクチャクチャになった紙を取り出して見せびらかす。


「おお! よくやったパーちゃん! 認可があれば堂々と魔の森と領地の間に杭を打てる! これは、魔の森に接している全ての領地、他国の領地にも売れるぞ。もちろん、利益はちゃんとパーちゃんに還元するから、本でも魔道具でも何でも好きな物を買うといい!」

(うわぁ、他国に出た魔獣までも宮廷騎士団の鍛錬場に届ける気か)

 騎士たちは遠い目をするが、パトリシアは「好きな物を買っていい」の言葉にほわわわと夢心地だ。


「お、お金をもらえるんですか! じゃあ、王都で私を心配している父と母と弟と妹に、贈り物を買えますか? 四つ!」

「もちろんだ! 四つなんてみみっちいこと言わず、荷馬車一杯になるくらい買え! 一緒に手紙も添えて……、いや、いっそのこと一緒に王都に届けに行くか。俺もパーちゃんのご家族と会いたい」

「ラルフ様……!」

「パーちゃんを心配しなくていい、と教えてあげないと。俺が必ず魔獣から君を守ると」

「あ、心配は『お前のような不精者は三日で送り返される』でして……」

(そっちか!)




 その頃、リシャールが突然宮廷騎士団の鍛錬場に現れた魔獣と死にもの狂いで戦っているという事は、誰もが忘れ去っていた。


2025年12月26日 日間総合ランキング

11位になりました!

ありがとうございます(╹◡╹)

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― 新着の感想 ―
このお話、何度読み返しても最高です!! お花畑なんですよ…脳内じゃなく背景が(笑)。 どんな場所でも環境でも、パトリシアの周りだけいつも草原と花畑が溢れているんです(当方の脳内で:笑)。 どんな状況で…
面白かったので、続編と言わず、連載をお願いします♪
最後の言葉が無慈悲!!是非も無し!! 騎士さん達の脳内ツッコミが面白すぎて夜しか眠れない…!!
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