第2話 最初の拠点と森の少女
一夜が明け、森の木々の隙間から差し込む光がリオンの瞼を優しく揺らした。昨夜は洞穴で火を焚き、最低限の休息をとっただけだ。体はまだ戦いの疲れを引きずっていたが、心は不思議と晴れやかだった。
王国を追われた絶望は、新たな目標を見つけたことで、確かな希望へと変わりつつあった。
「さて、と……まずは家だな」
リオンは独りごち、行動を開始した。
村作りの第一歩は、安全な生活拠点の確保だ。彼は森の中を慎重に歩き回り、場所の選定を始めた。条件は三つ。一つ、清らかな水がすぐに手に入ること。二つ、日当たりが良く、土地が開けていること。三つ、いざという時に守りやすい地形であること。
半刻ほど歩いただろうか。彼は理想的な場所を見つけ出した。森の奥深くにありながら、緩やかな丘に囲まれた小さな平地。その中心を、透き通った小川がせせらぎを立てて流れている。
「よし、ここにしよう」
リオンは背負っていた剣を地面に置き、代わりにそこらに落ちていた手頃な木の枝を拾った。そして、平地の真ん中に、地面を削るようにして簡単な設計図を描き始める。
彼の頭に浮かんでいたのは、前世の記憶だ。テレビや本で見た、北国の頑丈なログハウス。太い丸太を組み上げた、素朴ながらも力強いあの家。この世界の石造りの家とは違う、木の温もりに満ちた住処。
(この世界の建築技術だと、これだけの家を建てるのに何ヶ月もかかるだろうな。だが、俺の魔法なら……)
設計図を描き終えたリオンは、その中心に立ち、深く息を吸い込んだ。体中の魔力が、彼の呼び声に応えるように脈動を始める。
「イメージこそが、創造の源だ――万物構築!」
彼がそう唱えた瞬間、世界が応えた。
ゴゴゴゴゴ……と、大地が低く唸る。リオンが描いた設計図の線に沿って地面が隆起し、固い岩盤となって家の基礎を形成していく。周囲の森からは、魔法の力によって選び抜かれた木々がひとりでに根を離れ、宙を舞い、彼の元へと集まってきた。
木々は空中で器用に回転しながら、枝を落とし、皮を剥がれ、寸分の狂いもなく丸太へと加工されていく。それらがパズルのピースのように組み合わさり、ログハウスの壁が瞬く間に組み上がっていった。
さらに、小川のそばの地面からは清らかな水が湧き出して井戸となり、近くの岩石は熱を帯びて変形し、煙突付きの立派なかまどを形作った。
ほんの数時間後。そこには、数人の職人が何週間もかけて作るような、頑丈なログハウスが出現していた。
リオンは額の汗を拭い、目の前の光景に満足げに頷いた。
「すごいな、創造魔法ってのは……。これなら、本当に理想の村が作れるかもしれない」
「住」を確保し、次なる課題は「食」だった。
リオンは再び剣を手に取り、食料と資源を求めて森のさらなる奥地へと足を踏み入れた。彼の転生者としての知識は、ここでも役に立った。どれが毒キノコで、どれが食べられる木の実か。どの薬草に傷を癒す効果があるか。彼はまるで、生まれながらの森の住人のように、的確に有用な植物を見つけ出していく。
だが、それだけでは安定した食料とは言えない。長期的な生活のためには、まとまった量の肉が必要だった。
その時、森の静寂を破るように、獣の猛々しい咆哮が響き渡った。ズシン、ズシン、と大地を揺るがす重い足音。何かが木々をなぎ倒しながら、こちらへ向かってくる。
「……上客のお出ましか」
リオンは不敵に笑い、音のする方へと向かった。
そこにいたのは、体長五メートルはあろうかという巨大な猪の魔物――『ギガントボア』だった。血走った目に、剃刀のように鋭い二本の牙。その体からは、荒々しい魔力が湯気のように立ち上っている。普通の兵士であれば、一瞬で恐怖に呑まれてしまうだろう。
ギガントボアはリオンの姿を認めると、敵意をむき出しにして鼻を鳴らし、大地を蹴った。凄まじい質量が、凶器となって突進してくる。
しかし、リオンは冷静だった。彼は最小限の動きでその突撃をひらりとかわすと、すれ違いざまに剣を閃かせた。鋼と肉がぶつかる鈍い音が響き、ギガントボアの太い足に深い一筋の傷が刻まれる。
体勢を崩した魔物が、怒りの咆哮を上げながら向き直る。だが、勝負はすでに決していた。
リオンは追撃の手を緩めず、巨体から繰り出される猛攻を紙一重で見切り、的確に急所へと斬撃を叩き込んでいく。
「悪いが、俺の村の最初の食料になってもらう」
最後は、天へと振り上げた剣に魔力を込めて一閃。光の刃が、ギガントボアの硬い首をたやすく断ち切った。
地響きを立てて倒れる巨体を前に、リオンは静かに剣を振るい、血糊を払った。
早速、仕留めた獲物を解体しようとナイフを取り出した、その時だった。
リオンはふと、何者かの視線を感じて動きを止めた。それは魔物のような殺気ではない。もっと弱々しい、恐怖に満ちた気配だった。
視線を向けると、少し離れた大木の陰から、小さな影がこちらを覗いているのが見えた。
そこにいたのは、一人の少女だった。
泥と葉にまみれた顔。尖った耳と、月光を思わせる銀色の髪。彼女は、森と共に生きる種族――エルフだった。
少女は腕に痛々しい怪我を負っており、リオンの姿と、その足元に転がる魔物の死骸を交互に見て、恐怖に体を震わせている。
(なるほどな。こいつも、あの猪に追われていたのか)
リオンは敵意がないことを示すため、ゆっくりと剣を鞘に納め、両手を軽く上げて見せた。
「……腹が、減っているんじゃないか? 焼いて食うか?」
ぶっきらぼうだが、不思議と安心させる響きを持つ声だった。
少女の肩が、ぴくりと揺れる。彼女はリオンを警戒しながらも、か細い声で問いかけた。
「……あな、たは……何者、なの?」
「リオンだ。ただの旅人みたいなもんだ」
リオンはそう短く答えると、少女をログハウスへと促した。
彼はまず、採取した薬草をすり潰して軟膏を作り、少女の腕の傷に優しく塗り込んでやる。少女は一瞬「ひっ」と身を固くしたが、リオンの丁寧な手つきに、されるがままになっていた。
手当てを終えると、リオンはかまどに火を起こし、切り分けたばかりの新鮮な猪肉を串に刺して炙り始めた。じゅう、と音を立てて焼ける肉から、香ばしい匂いが立ち上る。
やがて、こんがりと焼けた肉を、リオンは無言で少女に差し出した。
少女はしばらく戸惑っていたが、空腹には勝てなかったのだろう。おずおずと串を受け取ると、小さな口で肉にかじりついた。
その瞬間、彼女の大きな瞳が、驚きに見開かれる。そして、こらえきれないというように、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「……おい、しい……です」
よほど空腹で、恐ろしかったのだろう。
少しだけ心を開いた少女は、自分が『アルテナ』という名前であること、そして森の奥にある隠れ里から食料を探しに出て、あの魔物にはぐれてしまったことを、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……わ、たしはアルテナ……と、いいます。里のみんなが食べるものを探していて……そしたら、あの魔物に……」
リオンは黙って彼女の話を聞き終えると、静かに告げた。
「里が見つかるまで、ここにいればいい。ここが、俺の村だ。そして、おまえが最初の村人だ」
アルテナは、涙で濡れた瞳を大きく見開いてリオンを見つめた。
「……村? わたしが、最初の……?」
その言葉の意味を噛みしめるように、彼女はリオンの静かで力強い瞳を見つめ返す。そして、小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……はい。お世話に、なります」
こうして、追放された勇者が作る「最強の村」に、記念すべき一人目の住人が加わった。
物語は、まだ静かに始まったばかりである。
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