仮面を外して
いつ来ても賑やかな場所だった。パソコンの音が、心地よく感じることが出来るなんて。嘘みたいだけど、この空間にいる時だけは、不思議と落ち着ける。ここいると、ちょっとだけ、忘れている。居場所を…与えてもらえたみたいで、嬉しかった。恭平さんは、私を一度も特別扱いしなかった。
「紅璃」じゃなく「ただの紅璃」として。
だからこそ、彼を重ねて見てしまうようで……信じてもいいのかな。この場所を、この人たちを。笑顔の仮面は……私は小さく深呼吸をして、心の中で呟いた。
■□□■
(……考えていた)
守るとはいえどうやって守ればいい?俺らに何が出来る?紅璃本人に「危険だ」なんて言えるわけがない。手がかりもないまま空回りするだけなんじゃないのか?先の見えない不安が静かな部屋に重く沈んでいた。重苦しい空気に包まれる中――
ドアが開く音がした。
「こんにちはー!おつかれさまですー!あっ!みなさんいらっしゃったんですねー!」
光のようなその笑顔は、影の俺を闇へ誘うようだった。
「……おー、おつかれw」
「っwおつおつですーゆいゆいw」
木幡と羽原はどこか動揺混じりで返す。
「……おつかれ、紅璃」
声は平静を装ったが、紅璃の顔を見た瞬間後ろめたさに苛まれる。紅璃は部屋を一周見渡すと、少し肩を落としてふっと笑った。
「ふふっ……やっぱりここは、居心地いいなぁ」
柔らかい光が射すように、その笑顔はいつもよりも穏やかに見えた。椅子に腰を下ろすと、両手を膝の上でぎゅっと重ねた。言葉を探すように一度視線を落としたあと、慎重に口を開いた。
「私、ここが好きなんです。実は、情報系を選んだのも、この部室に来たのも、ある出来事がきっかけで」
短く息を吸って小さく頷く。
「……五年前の事件なんです。被害にあったのが、幼なじみで。」
「証拠があるはずなのに、なかったことにされたり。噂ばかりがひとり歩きしてて……加害者は彼の友達で。私は直接関わりはなかったんですけど、彼から聞いた話では、なにかに強く信奉していたみたいで。放っておけないような何かがあったみたいなんです」
声は震えていなかったが、握りしめた指先に力がこもっているのが分かった。
「……その事件で私の名前もネットに出ちゃって。調べていくうちに……
「ノクス」って言葉にたどりついたんです。
でも、検索しても出てこなくて。それで、もしかしたら……加害者が信じていたものがそれなんじゃないかって……」
そこまで言うとはっとして小さく首を振った。
「あっ、ごめんなさい!急に、こんな話……」
(……ノクス)
その単語に心の奥が鋭く反応した。配信が嫌いだと紅璃が言っていた理由がようやく腑に落ちる。俺が影を演じる引き金となった存在だ。憧れ、模倣し、気付けば今も縛られている。紅璃が口にした「ノクス」が過去の俺を突きつけてくるようで息が詰まる。
木幡は真剣な眼差しで頷いた。
「……そっか。俺もさ、ちょっと違うけど、実は、炎上したことあってさw それで、名前晒されたり嫌がらせ来たり……だから。分かるよ、そういう怖さ。大丈夫!w 俺ら紅璃ちゃんの味方だから!w」
羽原は軽くおちゃらけながらも耳は真剣に傾けていた。缶バッジをいじりながら気まずそうに笑う。
「……っっww そっw そうだったんですねいや〜ww ゆいゆいたまに闇堕ちしてたのでおかしいなとは思ってたんですけどww……なるほどそういうことだったんですね」
紅璃の顔は不思議と前向きに見えた。急に紅璃の方から話し出して驚いたが……頑なに閉ざしていたはずの顔を今こうして俺らに見せた。それは俺らの中でも、一つの覚悟が決まった瞬間だった。だが……紅璃は「幼なじみ」と言い張った。被害者とは交際していたはずなのに。なぜそこだけは頑なに伏せるんだ?疑問は残ったまま胸の奥に刺さり続けていた。
■□□■
静まり返った部室に俺と紅璃が残された。時計の針の音だけが小さく刻まれる中、紅璃は膝の上で指を重ねて、何度もほどいては組んでいた。やがて小さく息を吐き、口を開く。
「あの……恭平さん。さっきは急に話しちゃって、驚かせちゃってごめんなさい」
――恭平さん。
呼ばれ慣れないその響きが妙に熱を帯びて胸に残った。
「……事件のこと言いたくなかったんじゃないのか?」
俺の声に紅璃は小さく首を振る。
「……恭平さんって、なんだか…似てるんです。だから…話せました」
一瞬胸の奥が反応した。その瞳は遠い過去を見ていた。
「……凱音っていうんだろ。その幼なじみ」
「……はい」
紅璃は伏し目がちに頷くと、重ねた指をぎゅっと握りしめて続けた。
「私、ここに来たばかりのころは必死だったんです。一日でも忘れたくなくて。手がかりを、なんとか探さなくちゃって」
「でも、この部室で、恭平さんや…みんなと過ごしてるうちに、事件のためじゃなくて、ただここに来ることが楽しみになっていて」
ふっと浮かべた笑顔が胸を締めつける。
「……それでも、知りたい気持ちは今も変わってません。私は、加害者が……全部悪いとは思えないんです。きっと、私と似てるから。凱音が気にかけていた人だから、悪い人じゃないと思うんです」
(……悪い人じゃない?自分と似てる?辻は俺にDMを送り、紅璃の名前を出し揺さぶりをかけてきている。それをどう説明する?……いや違う見方もできる。辻が凱音に特別な想いを抱いていたのかもしれない)
紅璃は普段見せない姿を俺に見せてくれている。この光は俺が守らなければならない。それは間違いなかった。その時、机の上のスマホが震えた。低い振動音が部室に厭に響く。点滅する画面は、まるで紅璃が狙われている証拠のように見えた。咄嗟にDMを開くと、一気に流れ込んだ文字列が冷たい光を放っていた。
【光はお前のものじゃない】
【彼女の隣に立つ資格はあるのか】
「……っ」
スマホを握る手が震える。慌てて画面を伏せた。紅璃は穏やかな目でこちらを見ていた。申し訳なさと守りたい気持ちと恐怖が、胸の中で渦を巻く。
(……これは俺への挑発だ)
俺に紅璃を守る資格はないと突きつけている。だが、紅璃は俺を信じて話してくれた。その気持ちを無視するわけにはいかない。
結局、試されているのは俺自身だ。