光の降臨
ボロい建物の四階。
蛍光灯はチカチカと点滅し壁紙は所々剥がれている。その一角にあるのが、コンピューター同好会――「サイバーネスト(CyberNest)」
部員はたった三人。
無駄に口が回る木幡。
ネットスラングばかり吐く羽原。
そして俺。
男だけの薄暗い空間だ。
机の上には空のペットボトルや絡まったコードが散らばっていて、微かに埃っぽい匂いが漂っている。
――コンコン。
突如ノックの音がした。
(……入部希望者か)
そう思いながらドアを開けると、そこにはぎこちない様子の小柄な女性がいた。こんな人が来るところじゃない。何かの間違いだと思った。
綺麗なサラサラの長い黒髪。オーバーサイズの黒いパーカーに黒スキニー。黒いキャップにマスク。どこにでもいる普通の格好だったが……
マスクを外した瞬間、光が射し込んだ気がした。画面越しでしか見たことのない存在。タレントとして名を馳せる彼女を知らないはずがなかった。吸い込まれそうなほど大きな瞳に、思わず目を逸らした。彼女の放つ眩い閃光は、場違いなほどの光だった。
「はじめまして!突然すみません!ここが、パソコンの…コンピューター部…?で、合ってますか?」
高くて可愛らしい声が耳に響く。
「……は、はい。そうです…」
しどろもどろ返答すると背後から怒涛の早口が飛んできた。
「えっw マ???ちょちょちょww 待ってくださいよww ここ女の子が来る場所じゃなくて草なんですがwww なんか間違えてませんかwww え、これドッキリすかwww」
まくし立てるその声の主は、羽原。俺が思ったことをそのまま口に出している。彼女は一瞬たじろいだが、次の瞬間、画面越しに見慣れたあの笑顔で言った。
「間違ってません!入部希望です!」
■□□■
彼女が足を踏み入れた途端、空気が変わった。先程まで無音だった部室に、木幡と羽原の声が響く。
「え、え、え!?」
「は!?w マジ!?紅璃じゃん!w」
「えぇっ!?ちょ待ってwww よく見たら大人気アニメ『ライトニング・ドリーム』の実写が本人すぎるってバズった“月影ゆい”じゃないですか!?www」
騒ぎ出した二人の声は部室の壁を震わせるほどだった。注目を集めることに慣れているのだろう。彼女は平然と話し始める。
「みなさん、はじめまして!私は、情報工学科1年の五月紅璃です!……パソコンは…詳しくないんですけど…」
滞りなく済ませた自己紹介のあとに、少し間が空いて続いた言葉になんだか釈然としない。
「俺、木幡悠陽、情報工学科3年!」
木幡がニヤつきながら割って入る。
「芸能人がパソ部とかw あれか?w ギャップ萌えでも狙ってんの?w それともネタ探しに来たん〜?w」
(……木幡……浮かれすぎだろ)
「……いえ!ただ、興味があって!」
一瞬笑みが消えた。すぐに笑顔を貼り付ける。
空気なんてお構いなしに羽原が前に出る。
「自分は情報メディア学科2年の羽原亮介っていいますww あの、ゆ、ゆいゆいって呼んでもいいですかw ゆいゆいのひとつ上ですけど、はばくんでいいですよww 推しが来るとか人生イベ限スギィwww」
「……工学科3年の日下部恭平です。ここの部長です」
「よろしくお願いします!」
彼女は俺らに向けて頭を下げた。
一通りの挨拶を済ませたあと、俺は彼女にパソコンや機材の取り扱いを軽く説明した。
(……興味か)
サイバーネストはコンピューター好きが、好きな時に好きなだけパソコンと向き合えるような場所だった。
……俺は、木幡や羽原とは違って彼女の入部を快く思わなかった。関心もないのに。芸能活動の片手間で、チヤホヤされたくて来たんだろう。
「オタサーの姫」
そうとしか思えなかった。
「……まぁ――…」
「イヤーーッ!w ゆいたそ降臨は世界線バグってるんだがあああ!?!?w」
俺の声は、羽原の爆音オタクコールにかき消された。
■□□■
――「……そろそろ来るんじゃね?w」「…っすねww」
木幡と羽原が彼女の噂をした直後にドアが開く音がした。
「こんにちはー!おつかれさまですー!」
彼女は笑顔で挨拶をすると、慣れた足取りでいつもの椅子に腰を下ろす。
「おー!紅璃ちゃん、おつかれ〜!そろそろ来ると思ってたわw」
「あ、来ましたねw ゆいゆい降臨www おつおつですw」
「……おつかれ」
俺はモニターを見たまま軽く声をかけただけだったが、彼女はニコリと会釈を返してきた。
――入部から一ヶ月。
すぐに飽きて来なくなる。そう思っていたのに、あれから毎日のように部室に訪れた。一人で淡々とパソコンを立ち上げる。教える前から機材の扱いや基本操作を淀みなくこなしていた。「パソコンに詳しくない人」ではなかった。
「いやさ〜、昨日めっちゃフリーズしまくっててさ。SSD換装したら、動作爆速よw」
「そらそうですよwww 時代はSSD!HDDはゴミ!オワコン!w」
「つか、データ飛ぶのマジ地獄だよな〜w こないだ課題データ消して死んだわww」
「ファーww 辛すぎるwww」
軽口が飛び交う中、彼女の顔から笑みが消えていく。視線を机の端へ落とす。
「……もし、データが消えたら、完全に、消えてしまうんですか?ログとか残留データから復元出来たりは…?」
(……まただ。あの、別の顔)
「ちょw 紅璃ちゃんなんかコワw なに?黒歴史写真とか?w」
「……消えない。むしろ、消えたと信じ込むやつは危うい」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「www日下部先輩マジレス草www 消えたように見えるだけで残ってますよ!w復元ソフトでいけますよw 自分も推しフォルダ間違えて消したとき――」
羽原の茶化しを背に彼女は一瞬だけ唇を噛んで俺を見た。すぐに笑顔を戻す。
「あ!やっぱり、完全には消えないんですねー!そっか。そうですよねー!いえ、ちょっと気になったので!」
(……普通の興味じゃない。彼女は何か隠している)